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アークメゾン菊名201号
ポーラ・ハイマン
ハイマンは1920年代にドイツにて精神分析家の訓練を受け始め、その後亡命し1938年にイギリスで英国精神分析協会の会員となっています。この前後にクラインの訓練分析を受けるようになり、彼女とともに研究を行うなかで親交を深めていきました。そうした関係からクライン派としての地位が確立していきました。
しかし、1950年にハイマンの発表した論文「逆転移について」をきっかけにクラインとの関係に亀裂が入り後にクライン派からは距離を置くようになっていったようです。
論文「逆転移について」でハイマンは、精神分析家が患者に抱く感情、つまり逆転移は患者によって発せられているものであり、この逆転移を使って患者の無意識を探索していくことの必要性を説いています。
これまでの伝統的な精神分析学では逆転移がフォーカスされることはあっても、精神分析家が教育分析によって克服しなければいけないやっかいな問題といった視点での扱いが主流でした。フロイトの教えを教条主義的に遵守することが求められていたようです。
教条主義を超えて逆転移が分析では度々生じることや、生じざるを得ないことを認める研究はこの時期にも散見されます。さらに、ハイマンは論を進めて逆転移を分析のための道具として使うとしたところに彼女の独創性があり、現在も逆転移を用いた分析は重要な技法として位置づけられています。
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