精神分析的心理療法

1 歴史

まずは精神分析や精神分析的心理療法の歴史について述べていきます。

1.1 フロイト出生と精神分析前夜

ジークムント・フロイト
ジークムント・フロイト

 精神分析の歴史は100年以上前のオーストリア・ウィーンのフロイトまでさかのぼります。精神分析の創始者であるフロイトは1856年5月6日にフライベルクにユダヤ人として出生しました。その後10歳の時にウィーンに移り住みました。フロイトは医学部を卒業後、しばらくは生理学の研究やコカインの研究をする神経科医でした。よくフロイトを精神科医や精神医学者であると誤解している人もいますが、実際には違います。

その後、フランスのパリに留学する中で催眠療法を学び、当時の流行病であったヒステリーの治療にあたるようになりました。ヒステリーとは身体的な病因は無いにも関わらず、声が出なかったり、歩けなかったり、聞こえなくなったりする病気でした。当時は詐病(ウソをついて病気のふりをしている)とみなされて治療の対象にならないか、良くてマッサージや温熱療法、転地療法といった治療効果の怪しいことしか行われなかったようでした。その中でも一部、催眠療法が効果を上げているということもあり、フロイトは学びに行ったようです。

帰国後にフロイトは経済的な事情から大学を辞め、市井の開業医として生計をたてるようになりました。そこでヒステリー患者に対して催眠療法を行いました。しかし、フロイトは催眠があまりうまくなかったのか、なかなか成果をあげることができなかったようでした。その折、先輩のブロイヤーという医師が有名なアンナ・Oというヒステリー患者の治療をおこなっていました。そこでは催眠を活用しつつも、過去やトラウマの想起をするごとに症状が改善していきました。フロイトはインスパイアされ、ブロイヤーと共著でアンナ・Oの症例やその他の数例を用いて「ヒステリー研究」という本を1895年に出版しました。

この時にはまだ精神分析という言葉はありませんでしたが、ヒステリーの病因として性的な葛藤や欲望の抑圧の結果である、という概念が形作られて行きました。

1.2 精神分析の確立

その後、1900年には「夢解釈」という本をフロイトは出版し、精神分析という名称もこれ以降頻繁にしようされることになりました。そして、治療方法も催眠療法から徐々に離れ、カウチに患者を寝かして、自由に話を語ってもらう、というスタイルに変化していきました。この時に、精神分析の方法が完成し、それ以後、現在に至るまで大きな修正を加えられることなく、伝統的なものとして存続しています。

ただ、頻度については時代によって変化をこうむったところはあります。フロイトは週6回の精神分析を行っていました。その後、イギリスなどでは週5回がオーソドックスな頻度となり、さらに現在の訓練システムでは週4回以上という頻度になっていきました。頻度が本質的なものではないかもしれませんが、精神分析的な効力を発揮する手続きとして頻度は重要な位置を占めていると考えます。対人関係論という学派では週3回を規定するなど学派間での違いはあったりします。現在の共通認識では、精神分析家が行う週4回以上のものを精神分析と称し、それ以下の頻度のものを精神分析的心理療法と称することが一般的になっています。

1.3 精神分析の発展

フロイトの精神分析はなんでも性的なことに結び付けるという誤解や偏見もありましたが、反対にフロイトに共鳴する人や弟子入りする人も増えていきました。その中にユングやアドラーといった有名な人も含まれていました。1910年代にはフロイトは精神分析の技法論文と言われるものを次々と出版し、方法論を確立していきました。1920年代には第一次世界大戦の影響もあったのでしょうが、性の本能に対立するものとして死の本能という概念も精神分析に含めていくようになりました。

この時期には、ユングやアドラーといった人は次第にフロイトから離れていくということもあったようです。フロイトにとっては非常な喪失体験だったのでしょうし、哀しみもあったのかもしれません。フロイトはそうした哀しみを哀しめなかったのでしょうが、非常に迫害的に受け取り、様々な論文で彼らを痛烈に非難していました。フロイトは元々性格に難があり、また神経症的な症状にも苦しめられていたようです。そうしたところが、患者に対する共感性や感受性となっているところもあるのでしょうが。そのため、フロイトを中心とした精神分析サークルでは様々な人間関係の葛藤が渦巻いていたと言われています。

さらには、今では考えられないことですが、近親者に対して精神分析を行うなどもあったようです。フロイトは娘のアンナ・フロイトを数ヶ月ですが精神分析をしていたこともありました。また、そのほかにも自殺や発病など悲劇的な結末に終わった例もあったようです。こうした教訓が現在における訓練システム確立の必要性として認識されていくことになったのでしょう。

話は少しそれましたが。1930年前後にはナチスドイツの影響がヨーロッパ全土に広がっていきました。それにともなって、ユダヤ人精神分析家の多くがイギリスやアメリカに移住・亡命していきました。その中でもフロイトはウィーンに居続けました。しかし、もはやのっぴきならない状況に追いつめられた1938年にフランスのマリ・ボナパルトの手配によってウィーンを脱出し、イギリス・ロンドンにたどり着きました。ちなみにマリ・ボナパルトはフランス王女でありつつ、精神分析家でもあります。今でいうと佳子様がカウンセラーをしている、というイメージでしょうか。それはさておき。

イギリスに移住後、すぐにフロイトはガンのため死去しました。1939年9月23日のことでした。

死去の前年にフロイトはおそらくBBCのインタヴューに答えており、その肉声を以下の動画で聞くことができます。2分8秒ほどの短い映像ですが、フロイトの雰囲気は感じ取れるかと思います。

Freud on Freud

1.4 フロイトの娘、アンナ・フロイト

アンナ・フロイト
アンナ・フロイト(右)

 フロイトの子どもの中で唯一精神分析家になったのは末娘のアンナ・フロイトだけでした。精神分析のプリンセスですね。ちなみに写真を見ると、相当の美人だったようです。ジョーンズというフロイトの信頼の厚い精神分析家はアンナに求婚して断られたという逸話も残っています。ちなみに真偽のほどは分かりませんが、アンナはレズビアンであったとも言われています。偉大な父親を持つことは子どもにとっては相当の負担なのかもしれません。

アンナは元々、教師だったということもあり、子どもに対する精神分析を実践・研究していました。しかし、子どもは発達途上でもあり、親との関係が強いので、成人に対する精神分析のようなことはできないので、教育的・指導的要素を入れ、また子どもの信頼を得られるように暖かい雰囲気ですすめていくようなことをしていました。

アンナの功績は上記の児童分析のスタイルを確立させたことと、自我の防衛機制を整理したことです。自我の防衛機制とは葛藤や苦痛を感じた際、自我が傷付かないように守る方法です。抑圧、投影、同一化、昇華、など様々ありますが、アンナはこれを綺麗に整理しました。そして、これらが自我心理学という学派を形成するようになりました。

1.5 メラニー・クラインの児童分析と対象関係論

メラニー・クライン
メラニー・クライン

 一方でメラニー・クラインという精神分析家がいます。1882年にウィーンで出生しました。クラインは度重なる喪失を経験していました。また医師になりたかったのですが、それを諦めざるを得ない事情もありました。医師を諦めた上で結婚したのですが、その結婚生活も決して幸せなものではありませんでした。そうしたことが重なったのでしょう。クラインは重たいうつ病になってしまいました。

そのため、クラインは当時ブダペストの精神分析家であるフェレンチィに精神分析を受け始めました。それによってうつ病から回復しました。さらにはフェレンチィの勧めで精神分析家の道を志すようになりました。クラインはその後ベルリンに移住し、さらにそこでアブラハムという精神分析家から精神分析を受けましたが、ここでも不幸なことに分析を開始してまもなくアブラハムが亡くなってしまいました。

当時、クラインは子どもの精神分析を研究していました。しかし、子どもの精神分析はそもそものフロイトが否定的であったこともあり、精神分析サークルの中ではクラインは歓迎されなかったようでした。アブラハムがクラインを擁護することで何とかクラインは活動できていました。その擁護していたアブラハムが亡くなり、クラインへの風当たりはいっそう強くなっていきました。

その時に、クラインはイギリスのジョーンズという精神分析家のはからいで、イギリスで子どもの精神分析を講義する機会がありました。さらにそれを機にイギリスへと移住することになりました。1927年のことでした。当時イギリスは精神分析の首都であるウィーンから遥か遠くに離れていたので、何でも研究できる自由な風土が幸いしたのかもしれません。

クラインがイギリスに渡ってから、クラインは非常に歓迎されたようです。クラインは独自の発想で、精神分析の概念を拡大・発展させていきました。特に乳幼児の内的世界を描き出し、対象関係というジャンルを発展させました。現在の精神分析を理解する上でクラインの理論を外すことはできなくなりました。そして、それにともないクラインはイギリスでの地位を確立していき、信頼できる仲間や弟子も増えていきました。そして、クライン派と呼ばれる一派が形成されていきました。

1.6 アンナ・フロイトとクラインの論争

アンナとクラインは同じように子どもの精神分析を行っていましたが、その方法や理論背景がまるで違っていました。アンナは精神分析をそのまま適用せず、教育的な配慮をしなければならないとしました。そこには未熟な自我をサポートし、成長することを見守るという姿勢でした。子どもの外的な環境を重視するという所も重要な点です。

一方でクラインは精神分析の技法を変更せず、子どもにもそのまま適用しました。子どものプレイには自由連想と同様の意味が内包されているので、それを直接解釈していく、というものです。そこには、子どもであろうと成人と同様の葛藤や苦痛、不安があるので、それを解釈として扱うことが治療的であるという信念と理論がありました。クラインは外的な環境は無視とはいわないまでも重要視せず、ひたすら子どもの内面を扱っていく方向に特化していきました。

この両者の理論論争は悪い意味で白熱しました。時には双方が感情的な非難を繰り返したりすることもありました。しかし、このような論争によって、双方の理論が整備され、発展していったという側面もありました。例えば、クラインは外的環境の要因もやや取り入れ、アンナは子どもの内的世界を考慮するということもありました。

さらに、アンナの自我心理学派、クラインのクライン派のどちらにも属さない中間学派・独立学派というグループもありました。ウィニコットなどがその代表です。

こうした論争は数年にわたり続いていましたが、紳士淑女協定が結ばれ、一応は収束していきました。この時期に、精神分析家の訓練システムとして、臨床講義、スーパービジョン教育分析、個人分析、訓練分析が確立していきました。またここにビックの乳幼児観察なども加わるようになりました。

1.7 ウィニコットにおける対象関係論の発展

D.W.ウィニコット
D.W.ウィニコット

 クラインの弟子にウィニコットとビオンという精神分析家がいます。フロイトやクラインの理論を発展させ、それぞれ理論の違いはありますが、いわゆる対象関係を軸においた対象関係論を展開させました。

ウィニコットは元々、小児科医であり、その後に精神分析家となりました。精神分析家となった後も小児科医として診療を最後まで続けました。そのような経験から最早期の母子関係についての理解を深めていきました。

ウィニコットによると乳児は生まれた時には母親のホールディングに包まれ、非常に万能的な世界の中で苦痛も不安も葛藤もない中で成長します。しかし、そこでのホールディングに失敗すると、乳児は非常に迫害的で精神病的な不安を感じ、その後の発達に深刻なダメージをこうむります。そうならないために、徐々に世界は万能的でも魔術的でもないということを経験しながら成長していくことが大切であると述べています。

このことはウィニコットの技法論に直結しています。通常の神経症レベルの葛藤についてはオーソドックスな精神分析を施行することで対応できます。しかし、精神病水準に病態に陥り、非常に混乱している時には、精神分析家はその退行を許容し、あたかも母親のようにホールディングしていくことが必要となります。母子関係とセラピー関係が非常に似通っているという、ウィニコットの基本理解があります。

ウィニコットは元々、クラインに学びましたが、上記のような理論を作っていった関係でクラインからは破門されました。そして、独立学派の中で位置づけられるようになりました。

ちなみにウィニコットはイギリスの中流階級の末っ子として生まれました。記録は定かではありませんが、母親は抑うつ的な人であったと言われています。また、第二次世界大戦では従軍医師をしており、そこで非常に過酷な体験をしたと言われています。また、1人目の妻とはあまり関係が上手く行っておらず、離婚に至っています。このようなウィニコットの傷つきが精神分析の道へと進めたのではないかと思われます。

以下の動画でウィニコットの肉声が聞けます。40秒ほどの短いものですが。

Winnicott – Entrevista BBC (Audio)

1.8 ビオンにおける対象関係論の発展

ウィルフレッド・ビオン
ウィルフレッド・ビオン

 ビオンもクラインの弟子です。イギリス人ではありますが、父親が建設の仕事をしている関係でインドに生まれました。そしてインドを転々としながら、8歳になるとイギリスの寄宿学校に一人で入りました。それ以後、インドに戻ることはありませんでした。

ビオンが19歳の時には第一次世界大戦が勃発しており、ビオンは陸軍に入隊しました。配属先は戦車隊でした。そこではビオンは輝かしい功績を遺したのですが、同時に深刻なトラウマも受けました。ビオンの部隊が壊滅したり、目の前で友人が爆死したりなどあったようです。このことにより、生涯にわたってビオンは悪夢に悩まされ続けました。

除隊後、ビオンは教師をしていましたが、そこで男子生徒との性的な仲を疑われ、仕事を離れざるをえなくなりました。その後、医師になるために医学部に入り直しました。その後、医師として仕事をしていく中で精神分析に出会い、精神分析家の道を歩むこととなりました。ビオンが精神分析家になったのは50歳になった時で、当時ではかなり遅い出発でした。

しかし、その後のビオンの理論的発展は目覚ましいものでした。ビオンはウィニコットとは違う形で、最早期の母子関係についての理論を構築していきました。乳児は空腹などの耐え難い苦痛を泣声で追い払おうとします。その時、母親はその苦痛を受け取り、乳児が受け入れやすい形にして返すことにより、乳児は苦痛に耐えられるようになっていきます。これはコンテイナー理論と言われ、早期の原初的なコミュニケーションの一体です。このことがセラピー関係の中でも展開していくと考えました。

以下の動画はビオンが1978年7月3日にタビストゥックで行った講義です。

Wilfred Bion en la Tavistock Clinic

1.9 対象関係論の展開

ウィニコットとビオンの他にもたくさんの精神分析家はいますし、精神分析の基礎理論を構築していく上では重要な人も多くいます。例えば、フェアバーン、ストレイチー、スィーガル、ハイマン、ローゼンフェルド、マネ=カイル、ベティ=ジョセフ、メルツァー、等々。

いずれも、精神分析を対象関係論という観点から理論構築を行っていきました。このことは現代の精神分析に重要な影響をもたらしました。フロイトは精神分析家とは鏡のような存在になることで、クライエントを客観的に分析していくものであるとしました。そこには精神分析家とクライエントの関係はそこまで取り沙汰されるものではありませんでした。

しかし、この対象関係論の出現、展開、進歩により、セラピー関係は様々な情緒のやり取りがなされる生々しいものである、という理解ができていきました。そして、この生々しい関係が渦巻くことが悪いことではなく、そうしたことを理解し、取扱い、生き抜いていくことが人間としての成長に不可欠であるとなっていきました。精神分析はそれを扱う上での有効な装置であるのです。現在の精神分析は無意識の意識化よりも、こうした関係を取扱っていくことが主流となっていきました。

1.10 精神分析の分派

精神分析は対象関係論やクライン派だけではありません。その他にも自我心理学派、対人関係論学派、自己心理学派、間主観性学派、新フロイト派などがあります。

同じ精神分析といっても様々な理論がありますし、そうした理論構築が独自に発展しています。細部の違いを挙げればきりがありませんが、全体としての潮流として、対象関係論にはじまるような関係性に着目するという視点はいずれも備えているようです。

1.11 精神分析の衰退と発展

精神分析はフロイトの存命する初期の頃から色々と誤解と偏見にさらされてきました。何でも性欲に還元してしまう、自閉症を悪化させてしまう、誤った記憶を捏造させる、異常者の心理から正常者の心理を憶測している、エビデンスがない、等々。

確かに一部にはそういった批判が的を得ているところもありますが、そうではない誤解に基づく偏見であることもありました。詳しくは後半で述べます。

1940年〜60年代ぐらいまでは精神分析は非常に拡大していきました。一時期は米国の精神科医は全て精神分析家であったこともありますし、エリート層はほとんどが精神分析を受けていた、という時代もありました。さすがにそうした行きすぎは振り子が戻るかのように変化していきました。元々、精神分析は地味で単調でのんびりしたものです。華やかなものとは無縁であるのでしょう。

一方で、そうした華やかな発展とは裏腹に、コツコツとした地道な研究が続いてきました。例えば、自閉症研究は現在の科学的な知見をベースにし、生得的な要因を加味しつつ、精神分析的な探求が行われ、それなりの実績を積み重ねてきました。乳幼児の心の世界の探求から、愛着という観点が現在のセラピーに活用されてきています。さらには、現在のエビデンスベースドの潮流にも適応し、精神分析的なセラピーが他のセラピーに遜色ない効果をもつ、ということが実証研究の中で証明されてきています。

もう少し視点を広げると、ロジャースの来談者中心療法やベックの認知療法、対人関係療法、一般的なカウンセリングなどは精神分析を批判検討する中で生まれてきたところもあります。そうしたセラピーの中に部分的ではありますが、精神分析が着実に活かされている側面もあります。

1.12 日本における精神分析の黎明期

我が国において、精神分析は1910〜20年頃から始まります。1910年代にフロイトの著作が大槻憲二らによって徐々に紹介され、1920年代にフロイトの論文が邦訳されていきました。このころはセラピーとしてではなく、文献上の研究にとどまっていたようです。しかし、1930年に矢部八重吉が日本人で初めて精神分析家の資格を取得し、この頃より治療としての精神分析が実践されはじめました。古澤平作もウィーンに留学し、ステルバから教育分析を受け、フェダーンからスーパービジョンを受けました。この時期から彼らは日本の文化に精神分析を適合させるため、週5〜6回の毎日分析ではなく、週1回程度の頻度による精神分析を実践していました。また、現在では考えられないことですが、通信分析という名称で、手紙のやりとりを用いた精神分析を実践していたようでもありました。

団体としては、1930年にフロイトから許可を得た矢部が国際精神分析学会の日本支部(日本精神分析協会)を設立し、さらに戦後になり、1955年に日本精神分析学会が設立されました。

土居健郎
土居健郎

 研究分野では古澤が「アジャセ・コンプレックス」を提唱し、その論文のドイツ語訳をフロイトに送ったということもありました。また土居健郎は「甘え理論」を提唱し、現在の精神分析の中の一部にも取り入れられるようになりました。以下の動画は土居健郎先生が甘え文化について話しているものです。15分00秒とやや長めですが、是非ご覧ください。

甘えと教育と日本文化

その後、小此木啓吾が日本の精神分析を牽引するようになっていきました。小此木によって精力的に海外の精神分析関連の文献が輸入・翻訳・紹介され、徐々に日本に精神分析が根付いていきました。しかし、それは毎日分析ではなく、週1回程度の頻度によるものでした。

この頻度の問題は日本の精神分析を発展させると同時に、訓練システムの問題として深刻な問題として影をおとすようにもなりました。つまり、国際精神分析学会では精神分析家になるための訓練分析を週4回以上で、数年にわたって受け続けなければならないと定められていました。しかし、日本はそうした基準を順守せず、週1回程度の訓練分析を認めてきました。

1.13 アムステルダム・ショック以降の日本の精神分析

1993年にいわゆるアムステルダム・ショックが起こりました。これは日本のそうした訓練システムの不備を国際精神分析学会が指摘し、改善命令を出してきた、というものです。このことは日本の精神分析を学ぶ者にとっては深刻なダメージをこうむりました。そして、これがもとで精神分析の訓練からおりていった人は多かったようです。その後、日本でも精神分析の訓練について国際基準に準じた形で整備をし、現在では訓練分析は週4回以上で、審査分析を合わせると3年以上を受けなければならないことになっています。

現在では、精神分析家の訓練や認定、研究、職能団体としては日本精神分析協会が担っています。日本精神分析学会は幅広く、精神分析家以外の人も受け入れ、現場実践に即した学術団体として活動をしています。両者は相互補完的な関係になっています。

また、日本では古澤や小此木の影響から長らく週1回程度の頻度で、カウチを使わない対面での面接を精神分析的なセラピーとして臨床の中で実践されてきました。しかし、アムステルダム・ショック以降、週4回以上のカウチを用いたものを精神分析と呼び、頻度が少なく、カウチを用いないものを精神分析的セラピー・精神分析的心理療法と区別して呼ぶようになっていきました。さらには、毎日分析までにはならないまでも、週2回や週3回の頻度によるセラピーも徐々に実践されるようになってきました。毎年行われる日本精神分析学会の学術大会でも、そうした週複数回の設定によるセラピーが発表されるようになってきました。頻度がすべてではありませんが、高頻度になればなるほど精神分析的になっていき、そうなればなるほど変容を促せるのだろうと思います。

現在の日本における精神分析家は約40名ほどです。これは世界的に見ても極めて少ない人数となっています。このことの理由は文化や社会実情、臨床上で求められること、など色々と挙げることはできるかもしれません。

2 構造

実際の精神分析的心理療法を行っていく枠組みです。具体的には頻度、時間、料金、部屋の配置、などです。

このような形式を決めることは一見すると非常に不自由で、創造性に欠けるものに思えるかもしれません。しかし、実情はこうした形式を決めることにより、より創造的で、より自由に振舞うことができます。

空手や剣道、茶道、華道、能楽など、いわゆる伝統芸能や武道においては型という形式があります。最初から自由に好き勝手していくものではありません。型という枠にはまったことをしていくことにより、その中での創意工夫が技を磨いていくことになりますし、創造的な何かが生まれてきます。精神分析的心理療法でもそれに近いものがあるといえるでしょう。

2.1 頻度

精神分析的心理療法では、基本的には週に1回以上の頻度は必要になってきます。可能であれば、週に2〜3回ぐらいできれば進展は着実で、かなりのところまでやっていくことができるでしょう。2週間に1回や月に1回程度しか時間の都合がつけられないのであれば、精神分析的心理療法は当面は断念したほうが良いでしょう。

頻度は精神分析的心理療法にとって本質ではないかもしれませんが、少なくともその進展に大きな影響はあります。ちなみにフロイトは週6回の頻度で行っていたようです。

2.2 時間

1回45分〜50分ぐらいがよくある設定です。この時間設定に科学的な根拠があるわけではりませんが、経験的に人がほどよく集中できる時間がこの45分〜50分程度なので、ちょうどよい位なのかもしれません。一度に2時間も3時間も集中がもてませんから。反対に20分や30分といった短い時間では充分に話し合う前に時間切れになってしまいます。

2.3 料金

精神分析的心理療法を開業で実践しているところは概ね1回に1万円前後の料金でやっているところが多いようです。地域差などもあるでしょうが。中には医療機関において保険診療でしているところもあるかもしれませんが、法的にはグレーゾーンのようですね。

保険のような低料金や無料であれば、確かにクライエントとしては金銭的な負担は少なく、精神分析的心理療法を継続しやすいでしょう。反面では、それなりの料金を負担することにより、モチベーションは非常に高くなります。そのことは少なからず精神分析的心理療法に良い影響を与えるようで、結果的に進展しやすいということはよくあります。無料でダラダラと惰性で長くなってしまっている場合も結構あるようです。

あと、キャンセル料の規定をもうけているところが多いですね。それは単に機関がお金儲けのためにしているわけではありません。予約したことで、その時間に責任をもち、また心理療法家もその予約した時間に義務を追い、お互いにその時間を大切にする、という姿勢を持ちます。そのことも精神分析的心理療法に少なからず良い影響があります。

2.4 部屋の配置

部屋は大きすぎても小さすぎても落ち着かないでしょう。6畳〜10畳程度がちょうど良いでしょう。

精神分析的心理療法をする場合には、ほとんどの場合はカウチ(寝椅子)を用います。クライエントはカウチに横たわり、心理療法家はクライエントの頭の位置に座り、お互いがお互いの顔が見えないように、向かい合わないようにします。

このことにより、クライエントは自分のことや自分の無意識に向かい合いやすくなります。心理療法家もクライエントの自由連想を余裕を持って耳を傾けやすくなります。このことで、沈黙して熟考することも比較的容易になります。

カウチが無い場合には対面で座ります。つまりお互いの顔を見ながら話し合うわけです。それでも精神分析的心理療法ができないわけではないですが、どうしても相手が見えているので、相手の反応を気にしてしまったり、会話を途切れさせないように力を入れてしまったりし、沈黙したい時に沈黙しづらくなります。

こうした相互交流が強すぎると、自身の内面や無意識に向かい合うことがしにくくなってしまいます。ですので、精神分析的心理療法をするのであればカウチを用いることが良いようです。

3 基本概念

精神分析的心理療法で使用される概念や専門用語は非常に多く、かつ複雑でもあります。エディプスコンプレックス、転移、防衛、超自我、自我、エス、などなど。大学での授業やテキスト、参考書ではそうした概念や専門用語が列挙され、一つ一つ詳しく説明されていきます。

しかし、あまりにも多岐にわたり、複雑でもあるので、ほとんどが理解できず、難しかったという印象だけが残ってしまいます。それだけではなく、そうした難解さが精神分析的心理療法を面白くないものに貶めてしまい、魅力に触れる前に離れてしまいます。それは大変残念なことのように思います。

学問として精神分析的心理療法を極めようとすれば、そうした概念や専門用語を網羅し、理解していくことは必要でしょうが、臨床の中で使う時にはそれほど多くのことを知っていても仕方ありません。おそらく、以下の7つのことだけを理解しておくだけで十分に精神分析的心理療法を受けることは可能です。

3.1 無意識の意識化

精神分析的心理療法の目的は端的に述べると無意識の意識化です。もう少し簡単な表現を使うと、自分の知らない自分に気付いていく、ということです。自己探索と言っても良いでしょう。

いつも同じことを繰り返してしまっている、同じ失敗を何度もする、分かっちゃいるけど止められない、など自分で意識をするもののどうしても変えられないことはたくさんあります。それらが全てとは言わないまでも無意識の作用によるものだと理解できます。

そのため無意識のことを理解していくことによって、同じ失敗を繰り返す理由や事情を発見していき、そうした不毛な繰り返しから抜け出ていくことを目指します。

3.2 自由連想

自由連想とは1で書いたような目的を達成していくためにクライエントが行うべき精神分析的心理療法の中での作業のことです。具体的には頭に思いついた連想を自由に語っていきます。時には恥ずかしいと思うことでも、関係ないと思うことでも、言いにくいことでも、可能な限り言葉にしていってもらいます。そうした中に無意識の片鱗が含まれています。そうした自由連想の中で出てきたことを検討していきます。

3.3 転移

人間は幼少期に親を代表とする養育者との関係の中で、人間関係のテンプレートを形成していきます。そのテンプレートを元にして、現在の人間関係を生きていきます。そのテンプレートが心理療法家との間で起こることを転移と言います。主にはクライエントの心理療法家に対する情緒や思考、態度としてあらわれます。

このテンプレートが歪んでいたり、極端になっていたり、硬直化していたりすると円滑に人間関係を営むことが難しくなります。精神分析的心理療法ではあらわれた転移を理解し、修正していくことを目指します。

反対に心理療法家からクライエントに向けるものを逆転移と言います。こうした逆転移はなかなか気付きにくい性質があるので、心理療法家自身も教育分析や個人分析スーパービジョンを受けることによって気付いていけるようになります。

3.4 夢

人は寝ている時には夢を見ます。よく見る人もいれば、ほとんど見ないという人もいるでしょう。見ていても覚えていないこともありますし、明確に覚えていることもあるでしょう。悪夢のように反復するような夢もあります。

夢の生理学的なメカニズムはあるでしょうが、それとは別に夢の内容にはその人そのものが端的にあらわれている場合も少なくありません。フロイトは「夢は無意識への王道」と言いました。現代の精神分析的心理療法ではそこまで夢に特権的な役割を与えていませんが、それでも夢を通して自己理解を深めていく意義は大きいのです。

全ての夢が自己理解や無意識に繋がるかどうかは分かりませんが、気になる夢があれば精神分析的心理療法の中で話してみるのも良いでしょう。

3.5 解釈

通常の日本語の意味とは多少異なります。通常では事態を理解することのみを指します。しかし、精神分析的心理療法でいう解釈は、心理療法家が事態を理解することと、それを言葉としてクライエントに伝えることの両方を含めています。

心理療法家は精神分析的心理療法の中でクライエントに様々な解釈をします。解釈の内容は当たっていると思うこともあれば、そうじゃないと思うこともあるでしょう。しかし、精神分析的心理療法は占いではないので、当たれば良い、当たらねばダメ、というものではありません。

解釈は心理療法家のある種の問いかけに近いものなので、当たる・当たらないではなく、それをきっかけに思いついたことを自由連想として語ってもらえると良いでしょう。そうした刺激剤ぐらいの位置づけと理解すると良いでしょう。

3.6 防衛と抵抗

クライエントの自由連想と心理療法家の解釈というこの作業により無意識を探求していきます。しかし、それがいつも順調にいくとは限りません。というか、順調にいくことのほうが少ないでしょう。無意識がなぜ無意識にとどまっているのかというと、それを意識することが苦痛であり、悩ましいからです。

なので、無意識の意識化をしていくと、それに抗うように、誤魔化したり、話をそらしたり、反対のことを言ったり、見ないようにしたり、話さないようにしたりしてしまいます。もしくは、心理療法家に質問して自らは話さない状況を作ったり、キャンセルして向き合わないようにしたり、問題行動を起こすことで注意をそちらにひきつけたり。時には、良くなったということにして精神分析的心理療法を中断したりすることもあります。

これらのことは意識的に悪意を持ってしているというよりは、無自覚的に、無意図的にしてしまうことが多いようです。そして重要なのは、そのようなことをしてしまうことがいけないこと、というのではなく、そうせざるをえない心の動きがあるということを理解し、可能な限り、そういう心の動きについて考えていくことなのです。

3.7 ワークスルー

自由連想で話された素材と心理療法家の解釈との織り成しにより、徐々に徐々に自己理解が深まっていきます。しかし、それだけで日常の繰り返される行動や関係がすぐに変化することはありません。「分かっちゃいるけど止められない」ですから。

ワークスルーとは何度も何度もそうした繰り返しに立ち戻りながらも、幾度と無く考え続け、試行錯誤し続け、失敗から学び続けて、新たな自分を創造していき続けることです。

4 プロセス

精神分析的心理療法はどのように始まり、どのような展開を経て、どのように終わるのか、について述べていきます。

しかし、プロセスは個人差が極めて大きく、同じことが必ず起こるとは限りません。以下に初回面接・アセスメント面接・初期・中期・終期・終結とあたかも連続したもののように書いていますが、単なる目安として理解してもらえると良いでしょう。人によっては行きつ戻りつしますので。

また、当初は認知行動療法EMDRのような別のセラピーを受けていて、その途中で、もしくは終わってから精神分析的心理療法を希望される場合もあります。

認知行動療法EMDRなどは症状消去に特化したセラピーです。症状が無くなるだけで生活の質が向上し、生きやすくなるでしょうし、その部分だけを求めるクライエントが多いです。それはそれで良いでしょう。

しかし、症状消去だけではなく、生き方や人生の棚卸を行い、根本から変革していきたいというクライエントには認知行動療法EMDRは物足りなく感じるようです。特に、症状はなく、人生に迷っている、人生に悩んでいるというクライエントには症状消去のセラピーは実施困難です。

そのため、認知行動療法EMDRが終わってから、精神分析的心理療法に入る場合もあります。

4.1 初回面接

心理療法家とクライエントが始めて会う面接です。おそらく、お互いにそれなりの緊張と不安と、それと同時に期待や希望も持って、会うことになるでしょう。

初回面接では主に、困りごとの内容、これまでの経緯、病歴、生育歴、治療歴、家族や友人関係、セラピーに来た動機、セラピーに望むこと、などが話し合われることが多いでしょう。

このような話の中である程度の方向性が見出されます。もし精神分析的心理療法の適用がよさそうであれば、その提案が心理療法家からなされます。もしクライエントが同意するのであれば、次のアセスメント面接に進みます。

もし同意されなかったり、他の療法(認知行動療法EMDRなど)が良いということであったりすれば、そちらの案内と提案があります。いずれにせよ、どんな療法をするにしろ、説明や同意なしの実施はありえませんので、質問や不明な点があれば率直に聞いて納得の上で次に進められると良いでしょう。

4.2 アセスメント面接

初回面接に続いて概ね3〜5回の面接を行います。この面接の中で、精神分析的心理療法が本当に適用可能かどうか、もし精神分析的心理療法するならどういう観点に注意を向ければ良いのかなどを心理療法家は見立てる作業を行います。そのためアセスメント(見立て)面接と呼んでいます。

そして、見立てるのは心理療法家だけではなく、おそらくクライエントも心理療法家を見立てることになるでしょう。この心理療法家は信頼できそうか、精神分析的心理療法をやっていけそうか、など考えているでしょう。

精神分析的心理療法をする場合には多かれ少なかれ、定期的な二人の情緒的な接触や交流が生まれます。これらは決して心地よいものばかりではありません。感情や情緒を掻き立てられ、時には不安や憎しみを感じ、向けてしまう場合も少なくありません。しかし、こうしたネガティブな情緒はとても大切なものです。なぜなら、通常の人間関係でも感じるものですし、その苦痛に耐えかねてセラピーを求めているのでしょう。そこには3基本概念でも述べましたが、転移という人間関係のテンプレートが強く作用しているのでしょう。

その転移が心理療法家とクライエントの間で起こっているので、強い情緒的な反応・葛藤があらわれているのです。

ですので、そうしたネガティブな情緒が起こっていることを大事にし、それを扱っていき、理解していけるようになるためには、この強い情緒葛藤をある程度は耐えていく必要があります。その苦難の道をこの心理療法家と、このクライエントが共に抱えていけるのかをアセスメント面接で見定めていくことがとても重要になっていきます。

このようなことからアセスメント面接の3〜5回は基本的には通常の精神分析的心理療法と同じように思っていることを率直に語ってもらう自由連想で進めて行くことになります。クライエントによっては、既にこのアセスメント面接で精神分析的心理療法が開始されているように感じることもあるでしょう。それはそれで構いませんし、無意識の意識化の作業を早くも進めていると理解できます。

心理療法家によってはアセスメント面接では詳細に生育歴、病歴、家族歴を聴取することに費やす場合もあります。それは一つの考え方、やり方なので良いと思いますし、現に僕もそうしていた時期もありました。しかし、最近では詳細なことを聞き取るよりも、実際の面接の中でどのような交流が起こり、どのように情緒が描き立てられるのかの方が精神分析的心理療法を進めていく上で重要であると考え、詳細な聞き取りはしていません。

また、このような3〜5回のアセスメント面接では丁寧にクライエントの話を聴きます。人によっては、そのような体験によって、気持ちや考えの整理がなされ、結果的に数回の面接で問題が改善することもあります。経験的に2〜3割の確率で起こっています。

精神分析には「転移性の治癒」という言葉があります。これは問題がワークスルーされていないにも関わらず、転移という関係性ができるだけで治ってしまう、ということです。それはそれで喜ばしいことですし、その段階で精神分析的心理療法を終了しても良いでしょうし、そのような判断をされるクライエントもいます。

ただ、きっちりと自分自身の問題の棚卸しを行い、生き方を変えていくのであれば、そこで終わりにせず、継続的に精神分析的心理療法を行っていくほうが良いでしょう。

4.3 初期の展開

アセスメント面接を経て、クライエントの同意があれば、精神分析的心理療法をしていくこととなります。その際には必要であればあらためて2構造で述べたような枠組みを設定します。特に対面からカウチにするのは、この時に多いように思います。

精神分析的心理療法の初期とはいつまでを指すのか、というのは難しい問題です。なぜなら、単純に物理的な時間、具体的な面接回数で区切ってはいないからです。

初期とはどういうものかというと、どのようなクライエントでもある程度共通して持ち込まれる不安と葛藤が取り扱われ、極めて個人的な不安と葛藤が露わにされる時期です。

共通する不安や葛藤とは、出会いの衝撃・情緒的接触に対する苦痛・内面に向き合うことの不安などです。初期不安と総称することもあります。このあたりは大抵、どのクライエントでも多かれ少なかれ体験します。これらが取り扱われ、3基本概念で述べたワークスルーをすることで、本来の個人的な課題が徐々に顔を見せ始めます。

そして、精神分析的心理療法でのやり方や進め方が実感として理解でき、定期的に来談することが日常生活の中に組み込まれていきます。その中で自分自身のことについて考える時間が積み重なっていきます。そうなると初期の段階は終わり、中期に差し掛かります。

もちろん初期と中期の境目は明確に線引きできるものではありませんし、心理療法家が「今日から中期です」と宣言するものでもありません。後々になって振り返って判断できるたぐいのものなのでしょう。

4.4 中期の展開

この時期が一番長く続くかと思われます。自分自身の課題や問題、もしくは人生があらわになり、形は変えつつも繰り返し繰り返し目の前に立ち現れます。そして繰り返し繰り返し話し合われます。

時には漫然と、退屈に、変化なく、ただただ同じことを繰り返すだけになってしまうこともあるかもしれません。人によっては、それを行き詰まりと体験します。その行き詰まりの体験は苦痛なものなので、回避するために、精神分析的心理療法をキャンセルしたり、変に思いきった行動を日常の中で取ってしまったり、時には精神分析的心理療法を中断しようという気持にもなってしまうこともあるかもしれません。

しかし、精神分析的心理療法の中で感じる行き詰まりは、つまるところ各々の人生の中で繰り返し体験してきた行き詰まりと同種のものです。それを回避してしまうと、同じことを繰り返すだけになり、発展性も何もなくなってしまいます。

ですので、行き詰まりを行き詰まりとして認識し、繰り返しそのことを精神分析的心理療法の中で取り上げ、検討し、考え続けることができると良いでしょう。心理療法家と一緒に乗り越えることにより、人生の転換をはかっていけると良いかもしれません。

また、人間は誰しも変化することに苦痛を感じます。それは良い変化であったとしてもです。昇進うつというのがあります。喜ばしいはずの昇進によってうつ的になってしまうのです。

精神分析的心理療法でもやり続けることによって良い変化があらわれます。しかし、その変化は今までの馴染みのある自分ではない自分に向い合うこととなります。病的ではあっても、問題ではあったとしても今までの自分のほうが馴染みにあるし、悪いものではあったとしても予想の範囲の中におさまるので、楽な面もあります。

そうした馴染みのある病的なものから、馴染みのない健康なものに変化することはそれなりに苦痛ですし、ストレスですし、怖いものなのです。そういうとき、人間は悲しいことですが、後戻りをすることを選択してしまいます。

精神分析の用語に「陰性治療反応」というものがあります。この用語はまさにこの事態について示しているのです。

これらの行き詰まりや陰性治療反応を乗り越え、徐々に新たな自分というものが見出され、変化を実感し、変化した自分が馴染みのあるものになっていくと、そろそろ中期が終わり終盤に向かうこととなります。

4.5 終期の展開

精神分析的心理療法によって変化し、改善し、そろそろ終了することがクライエントや心理療法家の間で話題に出てきます。もしくは、どちらか一方がそれを提案することもあるでしょう。

終了が話し合われてお互いに同意されると、その後は数ヶ月後の終了の日時が設定されます。決して、同意した時点ですぐに終わりになることはありません。必ず、数ヶ月間は精神分析的心理療法を続けて終わりの時期を設定することになります。

この時期にも特に構造や方法の変更は特にしません。頻度をあけたり、カウチから対面にしたり、自由連想・解釈から対話にしたり、ということはありません。精神分析的心理療法以外のセラピーであれば、徐々に頻度を下げたり、これまでのセラピー過程を振り返ってまとめたりもあるようですが、精神分析的心理療法ではそのようなことは特にしません。

終わりの期間を設定した後も、同様に精神分析的心理療法を粛々と進めていきます。

そして、往々にして、そこで取り扱われる問題が分離不安に収束していくことが多いようです。つまり、心理療法家と別れることへの不安です。クライエントによっては数年も毎週会っていたわけですから、それなりに愛着や愛情を感じていることもあるでしょう。それが無くなるわけですから、それなりの不安を感じて同然かと思います。

しかし、別れというのは人生でも当然よく起こっていることであり、愛着の度合いは違っても、今後も度々別れの悲しみを乗り越えていかねばなりません。予行演習ではありませんが、精神分析的心理療法でもそうした別れの悲しみを取り扱っていくことで、さらにワークスルーがすすめていけるでしょう。

分離不安の強さにも寄りますが、クライエントによっては問題や症状をぶり返させることもあるかもしれません。そうすることによって別れの悲しみを否認し、回避しているとも言えるでしょう。そうしたことも含めて精神分析的心理療法で取り扱っていきます。

そうした自由連想・解釈という二人の交流は最終の面接の最後の最後まで続けられます。

4.6 終結と中断

精神分析的心理療法を終期まで続け、分離不安のワークスルーがなされて、終了となるのは理想ですが、現実的にはそうではない終わりを迎えることも多いです。転居、転校、結婚、職場異動などクライエントの取り巻く生活環境の変化が主な理由でしょうか。そのほかには経済的な事情の変化もあるでしょう。行き詰まりに耐えかねての終了もあるかもしれません。

そうした終わりを否定的な意味を込めて「中断」と呼ばれることもあります。

しかし、精神分析的心理療法の目的や目標は人生が豊かになること、という大雑把で抽象的なもので、それには到達点がありません。突き進めれば突き進めるだけ行っていくことができます。人生の発展というのは終わりのない作業であるとも言えます。

そうした意味では精神分析的心理療法で終期まで行き、終了をしたとしても、人生の発展ということからするとまだまだ終わりではありませんので、「中断」となります。

そうしてみると、単に終わり方の違いにすぎないわけですから、終了や中断という区別はナンセンスになります。

4.7 期間

精神分析的心理療法の期間について、よく質問を受けることがありますが、非常にこれは答えにくいのです。人生の豊かさを目指しているわけですから、どこまでいったら満足なのかはやってみなければ分からないのです。短期療法や認知行動療法のようにやることの手順と回数がある程度決まっているようなセラピーであれば明確に言えるのとは対照的です。

それでも目安をいうと、短くて1年ほど、平均的に2〜3年ぐらいはかけることが多いと思われます。

人の長年積み重なってきた人生のあり方を変革していくわけですから、年単位は必要になるでしょう。

5 精神分析的心理療法に対する誤解

精神分析や精神分析的心理療法に対する批判はフロイトの時代から非常にたくさんありました。その批判には的を得ているものもありますが、中には誤解に基づいた感情的な批判もあります。

我々、心理療法家はクライエントの話に真摯に耳を傾けるのと同様に、こうした批判にも耳を傾けねばならないし、答えていかないといけないでしょう。そして、もし批判に誤解が含まれているのであれば、それに対して冷静に反論すべきでしょう。こうした議論が精神分析的心理療法のさらなる発展に結びつくものと思いますので。

以下に精神分析的心理療法に対する誤解や批判のいくつかを取り上げたいと思います。

5.1 心に土足で踏み込み、乱暴に暴く

「精神」を「分析する」という単語の並びが、土足で踏み込み、乱暴に暴く、プライバシーを暴露される、というイメージを作っているようなところがあるかもしれません。

また、反対に、こうした心を赤裸々に暴くことに魅力を感じ、性格や心を言い当ててほしい、と欲する方もいらっしゃいます。もしくは、マスコミなどでは凶悪犯人の心の闇、と銘打って、精神分析的な言い当てをあたかも真実であるかのように描き出しているワイドショーなどもあります。

一般の方が精神分析や精神分析的心理療法にそうしたイメージをもつことは理解できますが、実際の精神分析や精神分析的心理療法はそうしたことをかなりかけ離れています。

精神分析的心理療法も心理療法の一つであり、その基本的な考えは、まずはじっくりとクライエントの話に耳を傾けることを一番大事にしています。そして、心理療法家が勝手な憶測や用語をクライエントに当てはめることもありませんし、もちろん押し付けることもありません。どちらかというと、クライエントが自分自身のことを考え、自分自身のことを話すことに受け身的に関わるぐらいです。そして、心理療法家の介入はかなり控えめです。これは数ある心理療法の種類の中でもトップレベルです。反対に心理療法家がかなり積極的に関わるのは認知行動療法EMDRです。こちらの方がクライエントによっては侵入的、侵襲的に感じがちです。

そのため、精神分析的心理療法ではクライエントによっては物足りなく感じたり、もっと助言やアドバイスが欲しいと時には思うぐらいのこともあります。しかし、こうすることによって、クライエントが自由に、誰からも強制されず、自然に自分のことを考えれるようになる道筋であるし、心理療法家は精神分析的心理療法を通して、そっとそのお手伝いをします。

5.2 何でも性に結び付ける

フロイトというと性を非常に重視し、精神分析・精神分析的心理療法ではなんでも性に結び付けると思われていることもあります。これは誤解のところと本当のところがあります。

まず、性をどれぐらい広く、どれぐらい狭くみるのかによって違います。性というと、大人の性欲やSEXなどをイメージされるかもしれませんが、それは狭い見方のほうです。

フロイトや精神分析的心理療法では広い意味で性を捉えます。つまり、愛着や愛情、親しみ、ぬくもり、あたたかみまでも含めて考えます。もう一つの方向では、快感という意味合いで、美味しいものを食べた後の満腹感、便や尿がスッキリと出た時の爽快感、頑張って良い成績を取った時の達成感、人から評価された時の満足感、などです。ここまで広い意味合いで性を理解しています。SEXはそれらの中の一つのものに過ぎません。

人はこのような広い意味での性を求めていますが、時にはそれらが成就できず、欲求不満や挫折、苦痛を体験します。そして、そうした苦しみを抱えられなかった時にある種の病気や問題、症状が出てしまいます。性的満足を与えれば全て解決するという簡単な問題ではありませんが、少なくとも性がどのように不満足となっているのかを理解していくことは精神分析的心理療法をする上で重要となってきます。

5.3 エビデンスがない

最近はEBM(エビデンス・ベースド・メディスン 根拠に基づいた医療)が流行っています。これまで経験と勘にだけ基づいた医療を行い、不利益や不具合を与えてしまった歴史があることの反省の上に登場してきました。EBMは経験と勘だけではなく、研究や実験、調査といった科学的な裏付けを基にして、治療方法を選択しようというものです。

心理療法の世界でもEBMの考え方が普及し、それにいち早く乗ったのが認知行動療法などです。認知行動療法は精神科的症状をターゲットにし、その消去を目的として、どの心理療法家も同一の手順やマニュアルをもちいて心理療法を行うというある意味では機械的な手段を取りやすい技法です。そのため、このEBMの考え方と非常に適合しやすかったようで、EBMの考えのもとで、たくさんの研究や実験、調査によってその効果測定されました。

それに反して、精神分析的心理療法はクライエントと心理療法家の個別性の高いパーソナルな営みの中で行われるもので、マニュアル化しにくいという特徴がありました。また、精神分析的心理療法のターゲットも精神科的症状ではなく、人生や生き方、豊かさ、成長といった明確なものではなかったので、EBMの流れにのりにくかったという事情があります。

しかし、乗りにくかったというだけで乗れなかったということではありません。認知行動療法ほどには精力的はないものの、科学的な研究手続きにより、効果の検証がようやく始まってきました。そして、その途中ではありますが、認知行動療法などと遜色ないぐらいの効果があることを立証されてきました。さらには、心理療法終了後の悪化する確率や再発する確率は認知行動療法などよりも、むしろ精神分析的心理療法の方がよい効果を与えているという研究結果もあるようです。例えば以下のようなものです。

Therapy wars: the revenge of Freud

このことから精神分析的心理療法にはエビデンスがないというのは誤解にすぎないことが分かります。もっともエビデンスはあるかないかの二者択一ではないのですが。

また、そもそも精神分析的心理療法はEBMの流れに乗るべきものかどうかの議論もあります。つまり、EBMは医療の中で起こってきた運動であり、症状の除去、病気治癒が主なターゲットです。それに対しては精神分析的心理療法は基本的には医療ではなく、どちらかというと精神修養や伝統芸能に近いものがあります。そして、ターゲットは明確な症状除去ではなく、人生の営みをより豊かにしていくことにあります。自分の人生を考えることは医療の範疇ではありませんから、必然的にEBMを適用することそのものが無理があるとも言えなくはありません。

5.4 科学ではない

5.3のエビデンスがない、ということとややかぶるかもしれませんが。科学ということをどの程度ものまで含めるのかによります。物理学や数学といったような自然科学をさすのか、それとも文学や芸術、歴史といったような人文科学をさすのかによって違うでしょう。この点からすれば、もちろん自然科学ほどの厳密性はないので、自然科学ではないでしょう。人文科学という水準であれば、十分に範疇に入ってくるでしょう。

よくポパーの反証可能性ということをもって精神分析や精神分析的心理療法は科学ではないとする批判もあります。反証可能性からすると確かにそれはそうかもしれませんが、そうなると人文科学のほとんどは反証不可能となってしまって、科学ではなくなってしまいます。やはり反証可能性の観点は自然科学レベルの観点からの判断基準になるのでしょう。

そもそもの話になりますが、5.3エビデンスがないにも書いたように精神分析や精神分析的心理療法は精神修養や伝統芸能に近いところがあります。そして、最近は精神分析や精神分析的心理療法は医療の中でEBMの観点から治療効果をきちんと出していく動きもありますが、反対にそうした医療やEBMから身を引き、精神修養・伝統芸能としての位置づけで存在価値を見出していこうとする動きもあります。フロイトは初期には精神分析や精神分析的心理療法は医療として考えていましたが、後期には徐々にそれから離れていきました。そうすることからすると、科学かどうかという議論から降りるのも良いのかもしれません。

5.5 自閉症や発達障害には効果がない、有害である

1940年半ばにカナーやアスペルガーによって自閉症の症例が報告されました。当初は心因論や家庭環境の問題とされていたこともありました。その関連でアメリカのブルーノ=ベッテルハイムは1950年代に「冷蔵庫マザー」という言葉を作り、自閉症の原因は母親にあるとしました。いわゆる母原病説です。結果的にそれは間違いであり、脳機能の障害であり、先天的要因や遺伝的要因が非常に強いことが徐々に分かってきました。

ベッテルハイムは精神分析家ではないのですが、心理学や精神分析をかじっていたこともあり、このことから精神分析は自閉症の原因は母親にあり、効果のないことを施行しているという話がまことしやかに言われるようになってしまいました。蛇足ですが、ベッテルハイムは別に母親を責めるために「冷蔵庫マザー」という言葉を作ったのでもなかったようですし、非常に愛情と温かみと根気を持って自閉症児に対応し、自閉症児をもつ母親に優しく接していたようでした。

現在では自閉症・自閉スペクトラム・発達障害は療育という観点から行動療法や学習心理学を利用したトレーニング、TEACCH(Treatment and Education of Autistic and related Communication handicapped Children 自閉症及び近縁のコミュニケーション障害の子どものための治療と教育)などの環境改善療法などが主流となっています。

一方でイギリスなどではアメリカのベッテルハイム・冷蔵庫マザーとは全く別起源で、自閉症の精神分析的な探求がすすめられてきました。精神分析家の中でも主にクライン派といわれるグループがそれを主導してきました。メルツァー、アルヴァレズ、タスティンなどです。

彼らの理解や手法には多少の相違はありますが、いずれも共通していることとして、自閉症の脳機能や器質的障害、遺伝的要因などの生物学的なことは否定していません。そして、自閉症といっても通常の心や心理はありますので、そこを扱い、理解し、いわゆる感じる心の成長を育んでいきます。

行動療法や療育のなかでは自閉症の社会適応を目指したトレーニングは非常に効果をあげている一方で心を軽視しているところはあります。精神分析ではそうしたところを補完していくことにその存在意義を見出しています。

5.6 過去のことを掘り返す

フロイトは精神分析を考古学や遺跡発掘に例えました。つまり、過去を探求することを精神分析の方法と見ていたわけです。そして、現在の問題は過去に問題があり、それを見つけることが精神分析としていたところも確かにあります。

しかし、1934年にジェームズ=ストレイチーという精神分析家が「精神分析の治療作用の本質」という論文を書いて以降、精神分析・精神分析的心理療法は大きく方向転換しました。ストレイチーはこの論文で過去の探索をするよりも、精神分析的心理療法をしているまさにその場で起こっていること(転移)を扱うことのほうが治療的であるとしました。つまり、過去よりも現在に焦点をうつしたわけです。それ以降精神分析はさまざまな学派に分かれていますが、多かれ少なかれこのストレイチーの論点は重視され、今ここの現在に焦点をあてたものになっています。

もちろん、これは過去か現在か、という二者択一ではありません。過去も現在も両方とも扱いますが、その比重が現在に置かれているということだろうと思います。

6 終わりに

以上、かなり多くの分量を精神分析や精神分析的心理療法の説明に使いました。歴史、構造、基本概念、プロセス、誤解という項目に分けましたが、主にクライエントの方が精神分析や精神分析的心理療法を受けるうえで、もしくは受けるかどうかを見極めるための材料として活用できるように書いたつもりです。しかし、精神分析や精神分析的心理療法は体験し、感じることに最大の意義があります。一見は百聞にしかず、です。

精神分析や精神分析的心理療法を通して、自身のことを知っていき、根本から変革し、より豊かな人生にしていくことは易々とできることではありませんし、それなりの負担と根気は必要でしょう。それでも、取り組むことができるとこれまでの人生の繰り返し(わかっちゃいるけどやめられない)が変わる可能性があります。

そんな精神分析や精神分析心理療法に取り組むきっかけになれば幸いです。

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