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複雑性悲嘆の心理学的探求:臨床心理士の視点から見たメカニズム

大切な人を亡くしたときには、深い悲しみを感じ、寂しさ、不安、やり場のない怒りなどさまざまな感情があらわれます。これは人間として自然な反応です。

大切な人を亡くしたときに精神面・身体面・行動面に起こる反応を「悲嘆」と呼びます。悲嘆が何らかの理由により緩和されることなく、長期にわたり継続し、生活に支障をきたす場合に「複雑性悲嘆」と区別され治療対象となるのです。

本記事では「複雑性悲嘆」の特徴や症状、治療方法について解説します。

1.複雑性悲嘆とは

「悲嘆(grief)」とは、「強い結びつきがある誰か(あるいは何か)を『喪失』したことに伴う極めて強い感情状態」と定義づけられています。大切な人を失ったときに、悲嘆による反応が起きるのは人間として自然なことです。

ただし、悲嘆による反応が強すぎたり、反応による苦しさが持続する期間が長すぎたりする場合には「複雑性悲嘆(complicated grief)」と呼ばれ、治療の対象となります。

「複雑性悲嘆」とは、「悲嘆による反応の強さや持続期間が、文化において予想される範囲より過度であり、生活上の支障をきたしている状態」です。複雑性悲嘆の人は、大切な人を失ってから数年以上経過しても、大切な人を失った当時と同じくらいの悲嘆反応に苦しんでいる場合もあります。

2.複雑性悲嘆の特徴や症状

ここでは、複雑性悲嘆の特徴や症状について解説します。

(1)複雑性悲嘆の特徴

複雑性悲嘆の特徴は、悲嘆の反応が強く現れる点と、持続期間が長い点です。一般的には6ヶ月以上、強い悲嘆の反応が続き日常生活に支障をきたします。

悲嘆の反応とはどういうものかも含め、複雑性悲嘆の症状について次の項で紹介します。

(2)複雑性悲嘆の症状

悲嘆による反応には以下のようなものがあります。

反応の内容

身体的反応

  • 頭痛
  • 吐き気
  • 食欲不振
  • 息切れ
  • 動悸
  • 胸部痛
  • 運動機能の喪失
  • めまい
  • 不眠
  • 疲労
  • 息苦しさ
  • 筋衰弱
  • 口内乾燥症
  • 腹部の空虚感

情動的反応

  • 悲哀
  • 恐怖
  • 不安
  • 罪責感
  • 怒り
  • 安堵
  • 麻痺
  • 解放感
  • 無力感
  • 倦怠感
  • 孤独感
  • 思慕

認知的反応

  • 記憶障害
  • 集中困難
  • ものごとを決められない
  • 混乱
  • 幻聴あるいは幻覚
  • 亡くなった人を感じる

行動的反応

  • 亡くなった人の服を着る
  • 泣く
  • 亡くなった人の部屋をそのままにしておく
  • 亡くなった人の写真やものを身につけている
  • 放心状態になる
  • 他の人から距離をおく
  • 日常的な出来事に興味を失う

悲嘆による反応は、時間経過に伴い自然と回復するケースが多いです。

Kubler Rossの研究によると、悲嘆は以下のようなプロセスを経て回復するといわれています。

  1. 否認と孤独
  2. 怒り
  3. 交渉
  4. 抑うつ
  5. 受容

しかしすべてのケースにおいて、これらのプロセスを経て回復できるわけではありません。ある時期で停滞したり、逆戻りしたりすることもあります。一部の人は悲嘆から回復することができず、長い間苦しむことがあるのです。

複雑性悲嘆の症状は、上記のような悲嘆による反応が強く現れたり、長い期間にわたり持続したりするために、日常生活に支障をきたしている点が特徴であるといえるでしょう。

複雑性悲嘆は、QOLの低下、免疫力の低下、心疾患やがんのリスク増大、飲酒や喫煙の増加、自殺の増加の危険因子となっています。

(3)複雑性悲嘆になりやすい人の特徴

「私も複雑性悲嘆になってしまうかもしれない」と不安になる人もいらっしゃるかもしれません。複雑性悲嘆になる危険因子が明らかになっていますので、当てはまる人は長い期間1人で我慢せずに早めに専門家へ相談しましょう。

複雑性悲嘆の危険因子として、以下の内容があげられています。

要因具体例

死別前の要因

  • 女性
  • 過去に死別を経験している
  • 故人との依存関係
  • 死の受け入れ準備

死別関連要因

  • 故人との関係性(配偶者、母親、介護者)
  • 死因(暴力、自殺、急死、医療事故)

死別後の要因

  • 経済的困難
  • サポート資源の乏しさ
  • 亡くなった出来事の状況理解
  • アルコールや薬物使用
  • ソーシャルサポートの低さ

上記に当てはまる数が多い、またはその傾向が強いなどの場合は、複雑性悲嘆になりやすい人であると考えてよいでしょう。

特に大切な人が死別関連要因にあるような亡くなり方をした場合には、それ以外の亡くなり方の場合より心に大きなダメージを受け、PTSDを併発するケースもあるほどです。死別後の要因にあるように、サポートが少ないことも危険因子の一つとなります。

上記のような危険因子がある人の場合には、専門家などによるサポートを受けるほうが安心です。

3.複雑性悲嘆の診断や鑑別

複雑性悲嘆の診断や似たような病気との鑑別について解説します。特に通常の悲嘆、うつ病、PTSDとの違いについて取りあげます。

(1)複雑性悲嘆の診断基準

以前は複雑性悲嘆に相当する診断名は存在せず、研究者により「複雑性悲嘆」「遷延性悲嘆」「外傷性悲嘆」「病的悲嘆」などさまざまな名称で呼ばれていました。現在ではICD-11やDSM-5に複雑性悲嘆が精神障害として位置付けられるようになりました。

ICD-11では、複雑性悲嘆の診断基準について「遷延性悲嘆症」という診断名で以下のように記されています。

遷延性悲嘆症(Prolonged grief disorder:PDG )

  1. パートナーや親、子ども、その他にも親しい人を喪ったあとにあらわれる障害である
  2. 故人への嘆き求めと持続的な故人へのとらわれを中心とした持続的で広範な悲嘆反応を示す
  3. 悲嘆反応は、強い情動的苦痛(例えば:悲しみ、罪悪感、怒り、否認、非難、死を受け入れることの困難、自分の一部が失われたような感覚、肯定的感情の体験ができない、情動麻痺、社会やその他の活動に参加することの困難)を伴う
  4. 症状の持続期間は、死別から最低6ヶ月持続している
  5. 症状の持続期間や反応は明らかにその人の所属している社会や文化、宗教的背景において正常とみなされる状態より過剰である
  6. この症状の存在によって、その人の個人、家族、社会、学業、就労、その他の重要な側面で重篤な機能障害が引き起こされている

DSM-5では「心的外傷およびストレス因関連障害群-他の特定されるストレス因関連障害」の中に「持続性複雑死別障害(Persistent complex bereavement disorder)」として掲げられています。

「持続する悲嘆のうち死に反応した苦痛、社会性/同一性の混乱が存在し、そのような状態が12ヶ月(子どもの場合は6ヶ月)続いた病態」を「持続性複雑死別障害」としています。このように、悲嘆による反応が強くあらわれている点と大切な人を失ったあと6ヶ月以上(もしくは12ヶ月以上)持続している点が特徴です。

さらにこれらの症状により日常生活に支障をきたしている点も診断基準に盛り込まれています。

これらの基準を満たさず、日常生活に支障をきたすほどではない場合や時間経過と共に回復していく場合は、自然な悲嘆反応であると考えてよいでしょう。

(2)うつ病やPTSDとの違い

複雑性悲嘆と似たような心の病気に「うつ病」と「PTSD」があります。これらとの違いについて解説します。

まず、うつ病と複雑性悲嘆との違いを以下の表に示しました。

具体例

類似点

  • 強い悲しみ、喪失の反芻、不眠、食欲不振、体重減少など
  • 喪失の苦痛の表現方法や個人の生活史や文化的規範に基づいて診断する

異なる点

  • 【複雑性悲嘆の場合】
    • 悲嘆の苦痛は波があり、故人を思い出させるものが苦痛のきっかけになることが多い
    • 悲嘆は故人への思い出への没頭であり、肯定的な情動やユーモアが伴うこともある
  • 【うつ病の場合】
    • 自己批判的・悲観的反復想起が特徴
    • より持続的であり、特定の考えごとや関心事に結びつかない

うつ病と複雑性悲嘆は、あらわれる症状は似ています。しかし、複雑性悲嘆の場合は故人に関連して症状があらわれるのに対し、うつ病の場合は特定の出来事などに結びつかない点で異なります。

うつ病と複雑性悲嘆は別の病気です。ただし、複雑性悲嘆の人がうつ病を併発することもあるため鑑別が難しいともいわれています。

複雑性悲嘆とPTSDにおいても、複雑性悲嘆では故人への思慕や切望感と関連があるかどうかが大きな違いです。

複雑性悲嘆では故人への思慕や切望感、分離不安などが主ですが、PTSDではトラウマ場面との関連が強く故人への思慕や切望感とは無関係である点が特徴です。

ただし、事故や事件などで大切な人を亡くした場合や亡くなった場面を目撃した場合などは、複雑性悲嘆にPTSDを合併しやすいといわれています。

4.複雑性悲嘆の治療

ここからは身近な人が複雑性悲嘆だった場合の接し方や複雑性悲嘆の治療について解説します。

(1)身近な人が複雑性悲嘆だった場合の接し方

身近な人が複雑性悲嘆だった場合、どのように接したらよいのか戸惑ってしまうかもしれません。前述の通り、複雑性悲嘆の人は悲嘆による症状に長期間苦しんでいるため、慎重に接する必要があります。

接し方のポイントは以下の通りです。

  • その人が話したい内容を傾聴する(無理に死に直面させる必要はない)
  • 故人が受けた治療や亡くなったときの状況を誤解している場合は心境に配慮して正しい情報を提供し誤解を解消するとよい場合がある
  • 悲嘆についての説明をする
  • 複雑性悲嘆が疑われる場合は専門家を紹介する

基本的にご本人の話したい内容をそのまま傾聴するスタンスがよいでしょう。故人が亡くなったときの状況などを誤解して自分を責めてしまうようなケースでは、可能な範囲で正しい情報を提供するのも大切です。

伝え方などに不安がある場合は、故人の主治医など専門家に協力してもらうのも一つの方法です。

悲嘆についての説明をする際には、以下の内容を伝えましょう。

  • 大切な人を失った悲しみや悲嘆は自然な反応であること
  • 悲しみを自分自身で抱えるのにはそれぞれに必要な時間がある。すぐにこの苦しみから抜け出すのは難しいこと
  • 無理に感情表出を我慢することや、逆に無理に感情を表出しなくてよいこと
  • 支援の場所があること
  • 悲しみによる苦痛が生活に大きな影響を及ぼしている場合は支援を求める必要があること

複雑性悲嘆が疑われるような状態の場合には、医師やカウンセラーなどの専門家に相談するように促しましょう。

いきなり病院に行くのには抵抗を示す人が多いかもしれません。

まずはカウンセリングを受けてみるよう促すと、相談してみようと思ってもらいやすいものです。

(2)複雑性悲嘆の人へのカウンセリングや認知行動療法

複雑性悲嘆の人へ有効な治療方法として、カウンセリングがあります。カウンセリングでは、主にクライエントの話をじっくりと聴きます。聴くだけなら専門家でなくてもよいのではないかと思われる人がいらっしゃるかもしれません。

しかし、専門家によるカウンセリングでは、認知行動療法などの専門的な心理療法を行ったり、複雑性悲嘆とはどういうものなのかという心理教育を行ったりする点が異なります。

複雑性悲嘆の人は、とても不安定で苦しい精神状態なのです。だからこそ、しっかりとした知識・経験のある専門家によるカウンセリングを受けたほうが安全でしょう。

複雑性悲嘆の治療方法としては、「日本版複雑性悲嘆治療:Japanese version of Complicated Grief Treatment, J-CGT」と「認知行動療法」が挙げられます。

J-CGTは武蔵野大学認知行動療法研究所における研究により開発されたもので、悲嘆反応や複雑性悲嘆の症状についてパンフレットやスライドを用いて説明する心理教育や、悲嘆のモニタリングを行う点が特徴的です。

治療のプロセスは以下の通りです。

  1. 導入
  2. 心理教育
  3. 個人的な目標の設定
  4. 重要な他者との面接
  5. 死の物語の再訪問
  6. 状況の再訪問
  7. スタックポイント(心のひっかかり)の同定と見直し
  8. 思い出フォーム
  9. 想像上の会話
  10. 治療の終結と治療後の対応についての話し合い

死に直面した状態やそのときの感情に向き合うプロセスでは、認知行動療法の手法が使われています。

認知行動療法の中でも、死に直面した状態やそのときの感情に向き合うことを意味する「曝露(ばくろ)」と呼ばれる技法が複雑性悲嘆の治療には効果的であるという研究結果が複数示されています。

研究結果は以下の通りです。

  • Wagnerらの死に直面した状態やそのときの感情も含めて詳細に記載するという曝露の要素を含む認知行動療法は、複雑性悲嘆による症状の改善を示した
  • Boelenらは、認知行動療法の中でも曝露と認知再構成の要素による効果の違いについて研究しており、曝露の要素が認知再構成より効果量が大きく、治療全体を通しても曝露を先に行うほうが効果的であると報告した

このように複雑性悲嘆の症状改善のためには、認知行動療法によるカウンセリングが効果的であるといってよいでしょう。

死に直面した体験に向き合うのはとても辛いことです。

直面する時期や方法については、カウンセリングを受ける人の状態に合わせて慎重に判断する必要があります。

そのため、カウンセラーを選ぶときには臨床心理士や公認心理師のような信頼できる資格を持ち、十分な経験を積んでいる人かどうかを見極める必要があるでしょう。

長期間にわたり複雑性悲嘆の症状に苦しむよりは、カウンセリングで専門的な治療に取り組んだほうが早く症状を軽くすることができるのです。

5.まとめ

複雑性悲嘆の特徴や症状、治療方法について解説しました。

複雑性悲嘆の人は、医療機関を受診するケースが少ないといわれており、我慢している間に症状が悪化し、QOLの低下や心身の健康を損なうリスクが高まってしまいます。

大切な人を失ったあと6ヶ月以上悲嘆による反応が続いている場合は1人で我慢せずに専門家に相談しましょう。

身近な人が複雑性悲嘆かもしれないと心配な人は、まず本記事を参考にご本人の話を傾聴し、カウンセリングを勧めてみると安心です。

文献


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