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性格分析と新規蒔き直し

M,バリントの1932年の論文「性格分析と新規蒔き直し」についての要約と解説です。本論文は「一次愛と精神分析技法(みすず書房)」に収録。

1.M,バリントの生涯

海と子ども

バリントは1896年12月3日にハンガリー・ブダペストにてユダヤ人家庭に出生。3歳下に妹エミーがいる。父親は開業医であり、その父親の診療を見るのが好きだったようである。ただ、父親は親ドイツ派であり、親ハンガリー派であったバリントは、非常に葛藤的であったという。1914年に父親の意向に従い、ブダペスト大学医学部に入学。バリントにとっては不本意な進路であったという。その後、大学在籍中に第一次世界大戦で出征。2年後に負傷をして、帰国。この時期にバリントは名前をドイツ風(Mihaly Maurice Bergmann)からハンガリー風(Mihaly Balint)に改めている。帰国後は大学医学部で学び直す。1919年に大学で開講された精神分析学に出席し、非常な感銘を受ける。その時の教授はS,フェレンツィである。また、その時に妹の同級生であったアリス・セーケイ・コヴァーチと交際。アリスにフロイトの論文も紹介されている。

1920年に大学を卒業し、同時に医師資格も取得。さらに同年にアリスと結婚。しかし、1921年にはクーン共産主義共和国が崩壊し、そのためにベルリンに移住。ベルリンでは心身症の先進的な治療を行っているベルリン・シャリテ病院に就職。その時にメラニー・クラインとも知り合う。1922年には妻アリスとともにハンス・ザックスからの訓練分析を受け始めた。ただ、この訓練分析は不十分だったようである。1924年にブダペストに戻り、S,フェレンツィの訓練分析を受け始めた。1926年に精神分析家の資格を取得。1933年にフェレンツィが死去してからはバリントがその著作権管理者となった。

1939年に第二次世界大戦が勃発し、それにともなって妻アリスと息子ジョンとともにイギリス・マンチェスターに移住。移住後すぐに妻アリスが動脈瘤破裂のため、1939年8月に40歳で死去(戦争による空爆による死という説もある)。その中で、イギリスの医師資格を取得し、さらに心理学の学位も取得。1944年にバリントは以前に精神分析をしていた被分析者であるエドナ・オークショットと再婚。1945年にイギリス・ロンドンに転居。しかし、当時ロンドンには多数の精神分析家がおり、職が無く、英国精神分析協会の事務員の仕事に甘んじていた。また、アーネスト・ジョーンズにより、師フェレンツィのネガティブキャンペーンが展開されており、その点でもバリントは不遇な環境であった。1945年には両親がナチスの迫害を受け、死亡。そして、1947年には2回目の結婚は破綻し、別居に。

そして、1947年からタビストッククリニックのスタッフとなり、さらには家庭裁判所の夫婦問題相談の部門でも仕事をするようになった。そこで知り合ったソーシャルワーカーのイーニッドと知り合い、1953年に2番目の妻と離婚し、すぐにイーニッドと3回目の再婚をした。また、この時期に一般家庭医に対するセミナーを開始している。

1961年にタビストッククリニックをリタイヤ。1968年には英国精神分析協会の会長に就任。その2年後の1970年12月31日に心筋梗塞で死去。享年74歳。

2.興奮に対する不安の起源

手を伸ばす子ども

精神分析の終結の要件は何なのか?症状が消失しても治療は継続されるのは、治療者は、そして患者は何を期待しているのか?

(1)性的興奮に耐えられない患者たち

症状が消失しても、あるいはわずかな症状があるだけなのに、喜びを感じることができない患者群がいる。彼らに共通なのは、興奮や快感に対しての不安である。性的興奮に耐えられないのである。

(2)幼少期の体験

精神分析作業が、この不安を過去に遡ってたどると必ず幼少期の類似の状況に到達する。それは、大人たちによって、年齢不相応の強烈な性的興奮や快感を呼び覚まされたという状況である。

この性的興奮や快感というのは、直接的な性的で性器そのものの感覚を起こさせる行為だけではなく、無邪気な愛情行為、つまりキスや抱擁などもこれに含まれる。子どもを慈しむこれらの行為も、性的興奮を掻き立てることは避けられない。(子供を慈しむのを控えるべきということではない。)

(3)子どもが性的興奮に対して不安を覚える理由

a.生物学的な観点からの危険性

親が、自らの抑圧された性活動のどのくらいを子育てに活かすのか、どの部分の欲動がそのときに主役を演じるのかということは、両親の無意識が決定するものであり、幼児は殆どその決定に関与できない。幼児の性は成人と違ってまだ組織化されておらず、強い性的興奮に耐えるだけの力が備わっていない

また、子どもを冷たく扱う親であっても、子どもをスパルタ的に扱う親であっても、絶対値的には幼少期の性的興奮過剰による不安ではないが、相対的には愛情や慈しみへの要求が放出可能なリビドーを上回るものとなり、子どもは後にある程度以上の性的興奮に対して不安を覚える。

b.心理学的な観点からの危険性

幼児が性的興奮を表現した場合、大人たちの拒否や[道徳的な怒りに起因する]過酷な説教に遭ってしまう。説教する側の大人の性的興奮が顕わであるほど、説教は厳しくなる。幼児は、おのずと、性的興奮を隠すか(他人の存在下での興奮=危険、不安を惹起するもの→隠れた自慰)、性的興奮を否定せざるを得なくなる

(4)治療の目標と精神分析家の仕事

これらの患者の治療目標は、幼児期の最初にできていたように、愛の享受に不安なく、「無邪気に」没頭できるようになることである

患者は治療の中で全ての性格特性を「行動化」してくる。精神分析家がすべきことは、自らの逆転移感情を完全にコントロールすることである。そうすることで、患者のありのままが行動として「反復」される。相手が精神分析家でない場合には、逆転移によってありのままの性格の行動化が乱されてしまう。「反復」があってこそ、「想起」が起こる。

精神分析家が逆転移をコントロールした受身の人として関われば、患者が無意識に望む関係が生じる。このことを指摘されて生じる恥や怒りの感情は、耐えられない興奮に対する不安の発生を遅らせるための時間かせぎに過ぎない。この不安の意識化とともに信頼が悪用された幼少期の状況が浮かび上がる。

だが、これだけでは患者は単に知識として今の不安と幼少期の状況が関連していることを知っただけである。以前は合理的であった行動は今では不合理となっていて、しかも患者は以前より成長したのだからより大きな興奮に耐えられるようになっていると伝えねばならない。精神分析家は患者に対して何も差し向けようとしないので、精神分析家との関係においては患者がどれだけの不安と興奮に耐えられるかを決定できる。

(5)フェレンツィの「積極的介入」と、その修正技法の「助言」について

「積極的介入」は、命令と禁止からなり、それらは強い調子で与えられていた。フェレンツィはそれが使えないことを見抜き、より穏やかな「助言」を奨めた。それは強制ではなく、自発的な洞察を目指すものだった。

しかし「助言」が、精神分析家の無意識的願望を含むものであれば、患者にとっては依然として不適切な緊張増大が負荷されることになり、本来の目的の自発的な洞察や実践適応が必ずしも得られるとは限らない

(6)フェレンツィの技法からの見直し

残された道は、過大な不安を呼び起こさないよう心がけ、どのくらいの緊張までなら患者に求めてよいのかということに配慮しながら、受動的に時期を待って解釈を与えることである。しかし、これもまた全例に当てはまるわけではなく、精神分析家に見直しが求められる場合がある。

治療が進むと、情動の爆発とともに、接近不可能であった記憶の断片が想起されるが、それは成果の一面に過ぎず、新規蒔き直し(new beginning)、つまり無心に、無条件に、幼児だけができるような愛し方で愛することができるようにならねばならない。これまでは過度の興奮から自分を守るための制約があったことや、その起源としての外傷体験を知ることだけでは不十分である。発達過程を、本来の方向からそらす邪魔が入った時点まで戻りやり直すことが、新たな始まりなのである。

新規蒔き直しでは、2例の女性患者のように、飽くことを知らない求めが出現する。こうした体験により患者らは不安に結びついていた願望を認識し、それを現実の中で実現するか断念するかのいずれかを行う。この「不安なき新規蒔き直しの追求」は、フロイトが徹底操作と呼んでいたもので、治療の中で大きな変化—愛する能力と愛を享受する能力の拡大—をもたらす。

3.性格分析について

泣いている男性

愛する能力と愛を享受する能力の拡大は性格の変化を意味する。精神分析は性格を変えることが可能なのか?

(1)Character(性格)の意味

性格は、語源的には「所有者をそれと知らせる印章」であり、一般的な使用から推し量ると「ルールを持ち原則に従う硬直的な反応・行動形態」ということになる。「硬直性の程度」「人間の自分の性格に対する関係」「行為の形式(性格学の形式問題)」「行為の強度」は様々である。形式問題に関して、規則的な性格反応を研究するのには、複雑な刺激を用いなければならない。

さまざまな複雑な刺激に対する規則的な性格反応に共通する要素は「愛すること」と「憎むこと」という2つの動詞に帰結させることができる。つまり、性格とは「愛と憎しみの対象に対する人間の挙動を規定しているもの」である。性格はある特定の愛し方(憎み方)を促し、別の愛し方(憎み方)をやりにくくするという意味では「愛と享受の能力の限界づけ」でもある。つまり性格の強い人は無性格の人が楽しみを感じる状況で苦しむ。

(2)性格形成(硬直化)の起源・原因

子宮外の生活が始まって以降、硬直化が起こり、その原因は教育者からの、もしくは自分自身の両親からの処罰への不安である。罰は肉体的な苦痛だけではなく、愛情を引き揚げるという脅しも同じ作用を与えうる

罰のほかに、不相応な大量すぎる快感放出も性格形成に重要な役割を演じる。性的興奮であれ処罰であれ、危険は愛の対象から来るので不安が掻き立てられる。

(3)性格の機能

性格は、人を—不相応に大きな—性的興奮すなわち愛から守る。この目的を達するために人間は自分の愛への準備性と相互的な性的興奮と享受への参加とを硬直的な制約に縛り付ける。この制約が性格特徴である。精神分析治療は患者に性格特性の起源を知らせるだけでなく、防衛手段とみなすことを教える。その防衛手段は、今となっては不必要であり、むしろ今は無邪気な喜びの妨げになっている。

(4)性格を変えることは可能なのか?

性格とは個人の利害と社会の利害の二因子の間の妥協形成である。「性格の強い人」は、「無性格の人」が楽しめる状況でも楽しめない反面、危険がなく、あとで責任をとる必要がぐっと減る。それは失われた多くの喜び、快楽という犠牲の上にある。精神分析家を訪れる人は、性格からのおびただしい圧迫や要求から解放されることを求める。

性格分析の課題は、硬直化した、愛と憎しみの様々な拘束条件から人を解放することである。それらの制約は教育の失敗の延長上にある。精神分析家の目標は、柔軟に実用的に外的現実に適応しつつ、できるだけ完全な内面の自由を保持するようになってもらうことである。

4.補遺と補足

街灯の下の女性

(1)退行について

性的興奮にともなう不安に耐えられず、不安のない別の(前性器的)放出方法によって解消させるというのが退行である。性的興奮が前性器的放出で解消され、不安の恐れが軽くなれば、リビドーは性器性の方に向かっていく。そこで再び興奮に耐えられないと退行に向かう。つまり、性器極と固着極の間を振り子のように揺れ続ける。

しかし、わずかな性的興奮で不安が広範囲に呼び覚まされる場合には固着極近くに押し戻され、ほとんど不動の退行状態(精神神経症)となる。健康人はかなり強い性的興奮に耐えることができる。

性格は、強すぎる快楽から人間を守る機能がある。つまり完全にうまく行って当人のためになる抑圧は存在しないということである。抑圧は必ず自我に永続的な変化をもたらし、最悪な場合には神経症症状を招来する。抑圧がうまく行っているのではないかという場合にも、深い精神分析により硬直的な性格的特徴(成功した抑圧のケロイド様瘢痕)が見いだされる

(2)新規蒔き直しについて

バリントは、新規蒔き直しは、必ず転移、すなわち対象関係があるところで、欠損発生以前の時点の原始的なものに回帰するので退行ではある。しかし、同時にそこから新しい、前よりも身に合った生き方を発見するという意味では、新規蒔き直しは前進開始に至る道である。退行が必ず対象関係の中で起こるのに対し、新規蒔き直しは対象は存在しているが患者の中で生起する。

新規蒔き直しは患者が自分自身に到達し内面生活を持っていることや独自の個性を持っていることを認識する事態を指している。これは、退行や反復とは別の形の、もっと満足ゆく関係を結ぶ糸口であるとし、バリントは「新規蒔き直し」を「開眼」とも表現している。一次対象もしくは一次物質(あたかも大地や水が己の体重を安んじてあずける者を支え返してくれるように、患者を受容し支え担うことを引き受ける対象[もしくは物質])は、具体的能動的な働きかけをすることは期待されない。

それらは不可欠なもので、陰に陽に、利用される役を引き受けてくれるものである。言葉を用いず、的確迅速に患者に必要な対象関係を与えてあげる役割である。

(3)退行した患者の充足要求に対する治療者の姿勢・態度

バリントは退行した患者の熱烈な充足要求に対し、欲求を充足させる肯定的反応を行ったと記述している。精神分析家との身体接触(手をとること、精神分析家の指一本をにぎること、精神分析家の椅子に手を触れること)は治療の進展に不可欠としている。大事なことは欲求充足が解釈の代わりではなく、ある目的の手段に過ぎないとしている。

その目的とは、患者が愛憎の対象との複雑で硬直的強圧的な関係(性格特徴)から解放されて [性格の鎧と防衛を脱ぎ捨て]、より単純な弾圧性の少ない形の対象関係をつくり始めるよう手助けすることと述べている。精神分析家の面前で子供っぽい楽しみに没入してもかまわない、安心できる、刺激・興奮・抑止させない対象と感じられることが大事であり、新規蒔き直し段階の時期における精神分析家の役割は、一次物質(調和的相互浸透渾然体段階)、あるいは一次対象の役割に似ているとしている。

5.考察と解説

白黒の泣いている女性

(1)ホールディング

バリントは、退行が、抵抗、防衛、病理としてのものだけではなく、治療的なものにもなり得るという視点を示している。ウィニコットによる「母親が実際に乳幼児を抱えることが必要となるような[management]」第三のグループについての記述:「行きつくところまで完全に退行するのを許容し、その結果を見守るという体験」と類似の考え方なのかもしれない。

だが、バリントの「新規蒔き直し」という用語には、単に戻るだけではなく、新たなものが始まるというニュアンスが込められている

(2)患者のニーズに適応すること

前述の患者の欲求充足要求に対するバリントの態度は、決して能動的に身体接触をするのではなく、患者のニーズにぴったり沿うような受身的な身体接触であると思われる。フェレンツィがある女性患者に行ったのは、求められればどんな時にもフェレンツィの時間を奪うことが許されるような治療[無]構造だった。

仮に陽性逆転移をここまで極端な形で行動に移さなくとも、陰性逆転移だけではなく陽性逆転移やそれを能動的に表出してしまうことは、患者に過度の緊張をもたらす危険が秘められていると思う。能動的働きかけとは少し異なるが、バリントは、退行患者に余分な苦悩が降りかからない状態を創出する責任を引く受けることも稔りがないとしている。これは「自分の基底欠損の原因は、よくない環界であり、自分の治療者は世界を、悪意のこもった有害な影響力がぐっと少ない構造に変えようと考えており、治療者はそれができると自認しているといった印象を患者に与えてしまう」としている。

(3)悪性の退行について

「過大な不安を呼び起こさないよう心がけ、どのくらいの緊張までなら患者に求めてよいのかということに配慮しながら、受動的に時期を待って解釈を与えること」が全ての例に当てはまるわけではないという記述について、どういう事例が例外となるのかを指しているのかは不明である。可能性として、悪性の退行に陥る患者においては、受身的に待っていても新規蒔き直しに到達することができないということを示唆しているのかもしれない。

良性の退行は「認識されることを目的とする退行(自分自身を発見する退行)」であるのに対し、悪性の退行では「[欲求]充足を目的とする退行(あくなき求めが充足されるための嗜癖類似状態の退行)である。良性の退行の患者においては、限られた回数の退行の後に新規蒔き直しに至るのに対し、悪性の退行では新規蒔き直しに到達しようとしても何度も失敗する。退行から新規蒔き直しに至る過程においては、治療者側のあり方が非常に重要であるとする反面、ここでは患者側の要素もまた重要であると述べられている。治癒可能性ではなく、分析可能性の見極めが必要だと本書籍の中で述べられている。

(4)新規蒔き直しにおける精神分析家の役割

退行が必ず対象関係の中で起き、新規蒔き直しにおいては精神分析家の存在は不可欠であるが、重要な出来事は患者の中で起きているとバリントは述べている。第22章の「治療的退行の種々相」(page 188)において沈黙を治療者に見守られる状況のなかで、沈黙を破って「自分自身になれた」と言った事例が挙げられている。

これはウィニコット言うところの「人といて一人になれる能力(capacity to be alone)」や「信頼関係(relationship of trust)」があって、初めて可能になると考えられる

(5)発達論

  • エディプス領域・・・言語の世界
  • 基底欠損領域・・・一次愛を失った世界
  • 創造領域・・・一者関係の世界

基底欠損とは、一次愛的な調和世界が崩壊し、破綻している状態。

一次愛≒甘え(土居)

(6)防衛

基底欠損にたいする防衛として2つの心的体制

  • オクノフィリア・・・対象からの分離に不安を覚え、対象にしがみつき、取り込もうとする
  • フィロバティズム・・・対象は危険であるため、スリルと万能感を求めて世界に飛び出ようとする

(7)退行

良性の退行と悪性の退行

一次愛が満たされた状態を享受し、そこから現実の世界に戻ることが治療的に重要。

→新規薪き直し(New Beginning)

転移解釈ではなく退行に治療的な意義

(8)短期精神療法

一般開業医に対する精神療法セミナー(バリント・グループ)

一般開業医が可能な精神療法の特徴

  • 短時間
  • 積極性
  • 選択的
  • 情緒面の扱いを取り入れた診察
  • 良好な関係を基盤

6.まとめ

本論文はバリントの重要な技法論である新規薪き直しについて論じられている。そこでは解釈よりも抱えることの重要性が主張されている。おそらく重篤な病理をもつ患者との精神分析や心理療法では非常にこの技法が重要になってくるのだろう。

当オフィスでは精神分析を実践はしていないが、精神分析の知見を活用した精神分析的心理療法をおこなっている。精神分析的心理療法を受けたり、スーパービジョンを通して精神分析的心理療法を学びたい方は以下の申し込みフォームからお問い合わせください。

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