精神分析に対する批判
精神分析に対する批判はフロイトの時代から非常にたくさんありました。その批判には的を得ているものもありますが、中には誤解に基づいた感情的な批判もあります。
我々、カウンセラーはクライエントの話に真摯に耳を傾けるのと同様に、こうした批判にも耳を傾けねばならないし、答えていかないといけないでしょう。そして、もし批判に誤解が含まれているのであれば、それに対して冷静に反論すべきでしょう。こうした議論が精神分析のさらなる発展に結びつくものと思いますので。
以下に精神分析に対する誤解や批判のいくつかを取り上げたいと思います。
目次
1.心に土足で踏み込み、乱暴に暴く
「精神」を「分析する」という単語の並びが、土足で踏み込み、乱暴に暴く、プライバシーを暴露される、というイメージを作っているようなところがあるかもしれません。
また、反対に、こうした心を赤裸々に暴くことに魅力を感じ、性格や心を言い当ててほしい、と欲する方もいらっしゃいます。もしくは、マスコミなどでは「凶悪犯人の心の闇」と銘打って、精神分析的な言い当てをあたかも真実であるかのように描き出しているワイドショーなどもあります。
一般の方が精神分析にそうしたイメージをもつことは理解できますが、実際の精神分析はそうしたことをかなりかけ離れています。
精神分析も心理療法の一つであり、その基本的な考えは、まずはじっくりとクライエントの話に耳を傾けることを一番大事にしています。そして、カウンセラーが勝手な憶測や用語をクライエントに当てはめることもありませんし、もちろん押し付けることもありません。どちらかというと、クライエントが自分自身のことを考え、自分自身のことを話すことに受け身的に関わるぐらいです。そして、カウンセラーの介入はかなり控えめです。これは数ある心理療法の種類の中でもトップレベルです。反対にカウンセラーがかなり積極的に関わるのは認知行動療法やEMDRです。こちらの方がクライエントによっては侵入的、侵襲的に感じがちです。
そのため、精神分析的心理療法ではクライエントによっては物足りなく感じたり、もっと助言やアドバイスが欲しいと時には思うぐらいのこともあります。しかし、こうすることによって、クライエントが自由に、誰からも強制されず、自然に自分のことを考えれるようになる道筋であるし、カウンセラーは精神分析的心理療法を通して、そっとそのお手伝いをします。
2.何でも性に結び付ける
フロイトというと性を非常に重視し、精神分析ではなんでも性に結び付けると思われていることもあります。これは誤解のところと本当のところがあります。
まず、性をどれぐらい広く、どれぐらい狭くみるのかによって違います。性というと、大人の性欲やSEXなどをイメージされるかもしれませんが、それは狭い見方のほうです。
フロイトや精神分析では広い意味で性を捉えます。つまり、愛着や愛情、親しみ、ぬくもり、あたたかみまでも含めて考えます。もう一つの方向では、快感という意味合いで、美味しいものを食べた後の満腹感、便や尿がスッキリと出た時の爽快感、頑張って良い成績を取った時の達成感、人から評価された時の満足感、などです。ここまで広い意味合いで性を理解しています。SEXはそれらの中の一つのものに過ぎません。
以下はフロイトの性理論に関する論文の要約と解説です。
人はこのような広い意味での性を求めていますが、時にはそれらが成就できず、欲求不満や挫折、苦痛を体験します。そして、そうした苦しみを抱えられなかった時にある種の病気や問題、症状が出てしまいます。性的満足を与えれば全て解決するという簡単な問題ではありませんが、少なくとも性がどのように不満足となっているのかを理解していくことは精神分析的心理療法をする上で重要となってきます。
3.エビデンスがない
最近はEBM(エビデンス・ベースド・メディスン 根拠に基づいた医療)が流行っています。これまで経験と勘にだけ基づいた医療を行い、不利益や不具合を与えてしまった歴史があることの反省の上に登場してきました。EBMは経験と勘だけではなく、研究や実験、調査といった科学的な裏付けを基にして、治療方法を選択しようというものです。
カウンセリングの世界でもEBMの考え方が普及し、それにいち早く乗ったのが認知行動療法などです。認知行動療法は精神科的症状をターゲットにし、その消去を目的として、どのカウンセラーも同一の手順やマニュアルをもちいてカウンセリングを行うというある意味では機械的な手段を取りやすい技法です。そのため、このEBMの考え方と非常に適合しやすかったようで、EBMの考えのもとで、たくさんの研究や実験、調査によってその効果測定されました。
それに反して、精神分析的心理療法はクライエントとカウンセラーの個別性の高いパーソナルな営みの中で行われるもので、マニュアル化しにくいという特徴がありました。また、精神分析的心理療法のターゲットも精神科的症状ではなく、人生や生き方、豊かさ、成長といった明確なものではなかったので、EBMの流れにのりにくかったという事情があります。
しかし、乗りにくかったというだけで乗れなかったということではありません。認知行動療法ほどには精力的はないものの、科学的な研究手続きにより、効果の検証がようやく始まってきました。そして、その途中ではありますが、認知行動療法などと遜色ないぐらいの効果があることを立証されてきました。さらには、心理療法終了後の悪化する確率や再発する確率は認知行動療法などよりも、むしろ精神分析的心理療法の方がよい効果を与えているという研究結果もあるようです。
以下は英語ですが、治療の終了後の予後の効果についての研究です。
Therapy wars: the revenge of Freud
このことから精神分析的心理療法にはエビデンスがないというのは誤解にすぎないことが分かります。もっともエビデンスはあるかないかの二者択一ではないのですが。
また、そもそも精神分析的心理療法はEBMの流れに乗るべきものかどうかの議論もあります。つまり、EBMは医療の中で起こってきた運動であり、症状の除去、病気治癒が主なターゲットです。それに対しては精神分析的心理療法は基本的には医療ではなく、どちらかというと精神修養や伝統芸能に近いものがあります。
そして、ターゲットは明確な症状除去ではなく、人生の営みをより豊かにしていくことにあります。自分の人生を考えることは医療の範疇ではありませんから、必然的にEBMを適用することそのものが無理があるとも言えなくはありません。
4.科学ではない
「(3)エビデンスがない」ということとややかぶるかもしれませんが。科学ということをどの程度ものまで含めるのかによります。物理学や数学といったような自然科学をさすのか、それとも文学や芸術、歴史といったような人文科学をさすのかによって違うでしょう。この点からすれば、もちろん自然科学ほどの厳密性はないので、自然科学ではないでしょう。人文科学という水準であれば、十分に範疇に入ってくるでしょう。
よくポパーの反証可能性ということをもって精神分析は科学ではないとする批判もあります。反証可能性からすると確かにそれはそうかもしれませんが、そうなると人文科学のほとんどは反証不可能となってしまって、科学ではなくなってしまいます。やはり反証可能性の観点は自然科学レベルの観点からの判断基準になるのでしょう。
そもそもの話になりますが、「(3)エビデンスがない」にも書いたように精神分析は精神修養や伝統芸能に近いところがあります。そして、最近は精神分析は医療の中でEBMの観点から治療効果をきちんと出していく動きもありますが、反対にそうした医療やEBMから身を引き、精神修養・伝統芸能としての位置づけで存在価値を見出していこうとする動きもあります。
フロイトは初期には精神分析は医療として考えていましたが、後期には徐々にそれから離れていきました。そうすることからすると、科学かどうかという議論から降りるのも良いのかもしれません。
5.自閉症や発達障害には効果がない、有害である
1940年半ばにカナーやアスペルガーによって自閉症の症例が報告されました。当初は心因論や家庭環境の問題とされていたこともありました。その関連でアメリカのブルーノ=ベッテルハイムは1950年代に「冷蔵庫マザー」という言葉を作り、自閉症の原因は母親にあるとしました。いわゆる母原病説です。結果的にそれは間違いであり、脳機能の障害であり、先天的要因や遺伝的要因が非常に強いことが徐々に分かってきました。
ベッテルハイムは精神分析家ではないのですが、心理学や精神分析をかじっていたこともあり、このことから精神分析は自閉症の原因は母親にあり、効果のないことを施行しているという話がまことしやかに言われるようになってしまいました。蛇足ですが、ベッテルハイムは別に母親を責めるために「冷蔵庫マザー」という言葉を作ったのでもなかったようですし、非常に愛情と温かみと根気を持って自閉症児に対応し、自閉症児をもつ母親に優しく接していたようでした。
現在では自閉症・自閉スペクトラム・発達障害は療育という観点から行動療法や学習心理学を利用したトレーニング、TEACCH(Treatment and Education of Autistic and related Communication handicapped Children 自閉症及び近縁のコミュニケーション障害の子どものための治療と教育)などの環境改善療法などが主流となっています。
発達障害についての詳細は以下をご参照ください。
一方でイギリスなどではアメリカのベッテルハイム・冷蔵庫マザーとは全く別起源で、自閉症の精神分析的な探求がすすめられてきました。精神分析家の中でも主にクライン派といわれるグループがそれを主導してきました。メルツァー、アルヴァレズ、タスティンなどです。
彼らの理解や手法には多少の相違はありますが、いずれも共通していることとして、自閉症の脳機能や器質的障害、遺伝的要因などの生物学的なことは否定していません。そして、自閉症といっても通常の心や心理はありますので、そこを扱い、理解し、いわゆる感じる心の成長を育んでいきます。
行動療法や療育のなかでは自閉症の社会適応を目指したトレーニングは非常に効果をあげている一方で心を軽視しているところはあります。精神分析ではそうしたところを補完していくことにその存在意義を見出しています。
発達障害についての精神分析的アプローチについては以下をご参照ください。
6.過去のことを掘り返す
フロイトは精神分析を考古学や遺跡発掘に例えました。つまり、過去を探求することを精神分析の方法と見ていたわけです。そして、現在の問題は過去に問題があり、それを見つけることが精神分析としていたところも確かにあります。
しかし、1934年にJ,ストレイチーという精神分析家が「精神分析の治療作用の本質」という論文を書いて以降、精神分析は大きく方向転換しました。ストレイチーはこの論文で過去の探索をするよりも、精神分析をしているまさにその場で起こっていること(転移)を扱うことのほうが治療的であるとしました。つまり、過去よりも現在に焦点をうつしたわけです。それ以降、精神分析はさまざまな学派に分かれていますが、多かれ少なかれこのストレイチーの論点は重視され、今ここの現在に焦点をあてたものになっています。
もちろん、これは過去か現在か、という二者択一ではありません。過去も現在も両方とも扱いますが、その比重が現在に置かれているということだろうと思います。
以下のページはストレイチーの「精神分析の治療作用の本質」の論文の要約と解説です。
7.精神分析についてのトピック
8.終わりに
精神分析に対する批判について取り上げ、それが誤解に基づいていることについて解説しました。誤解に基づいた批判には反論しなければなりませんし、その反論を通して、精神分析がまた発展します。
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