メタサイコロジー論文の一つである「欲動と欲動運命(1915)」についての要約とそれについての講義のレジュメです。欲動論から対象関係論への橋渡しという位置づけから読み解いています。
フロイトが1915年に執筆した論文「転移性恋愛についての観察」の要約と解説です。ここでフロイトはセラピストに向ける患者の恋愛は転移であり、抵抗であるとしています。しかし一方で、その恋愛には本物性がないとは言えないともしています。
フロイトが1939年に書いた最後の論文である「モーセという男と一神教」についての要約と解説。ユダヤ教の創始者であるモーセが実はユダヤ人ではなくエジプト人であった、と精神分析的に考察している。
フロイトが1937年に書いた最後の技法論文「分析のおける構成」についての要約と解説である。精神分析によって患者のヒストリーを分析的に再構成していくことの治療的意義について論じている。
フロイトの晩年の技法論文である「終わりのある分析と終わりのない分析(1937)」の要約と解説です。精神分析の終結問題について、多角的な点からフロイトは詳細に検討しています。
この「文化の中の居心地悪さ」という論文はフロイトが1930年に書いた後期の論文であり、文化論・宗教論のジャンルに属する。人間にとっての文化とは何か?について考察している。フロイトは文化とは人間の生存システムを維持するための装置であり、その代償として不快さや気持ち悪さを常に抱えざるをえなくなっていると論じている。死の欲動の概念が精神分析に導入されて以来、悲観的な人間理解になりつつある中で書かれた論文である。
フロイトが1927年に書いた文化と宗教に関する論文「ある錯覚の未来」の要約と解説である。この論文でフロイトは宗教とは人間の寄る辺ない不安、原始的な不安に対する防衛であり、エディプスコンプレックスに由来していると論じた。
フロイト後期の性倒錯についての1927年の論文「フェティシズム(呪物崇拝)」についての要約と解説である。フェティシズムとは失われた母親のペニスの否認であるとフロイトは言っている。そして、分裂というメカニズムが重要な役割を果たしている。
フロイトの1926年の論文「制止、症状、不安」についての要約と解説です。これまでのフロイトによる不安の理解は、抑圧があるから、その結果として不安が生じる、としていた。しかし、本論文ではそのメカニズムを逆転させ、不安が惹起するから抑圧が生じると転換した。
フロイトが1924年に書いたマゾヒズムについての論文「マゾヒズムの経済論的問題」の要約と解説である。ここで死の欲動や超自我の表れであるマゾヒズムについて論じており、マゾヒズムを女性的マゾヒズム、性愛的マゾヒズム、道徳的マゾヒズムに分類している。
「自我とエス」はフロイトの1923年の論文・エッセイであり、自我と超自我とエスのことについて包括的に議論している。これまでの意識と無意識といった局所論を補完するものとして構造論を提唱している。
「集団心理学と自我の分析」はフロイトの1921年の論文で、社会心理学的観点や集団心理学的観点から人間の心の成立や発達について包括的に論じている。対象関係論的な視点を盛り込み、今後の構造論への進化がうかがえる重要論文である。
これまでの欲動論を改訂し、死の欲動の概念を精神分析に初めて持ち込んだのがこの論文「快感原則の彼岸(1920)」である。フロイトは反復強迫、外傷夢、エルンスト坊やの遊びから死の欲動を着想した。死の欲動とは生命体が無機物に戻っていくという普遍的な営みのことである。
ジークムント・フロイトの論文である「子どもが叩かれる-性倒錯の発生の知識への寄与-(1919)」の要約と解説のレジュメです。倒錯や空想についてのフロイトのまとまった見解が述べられています。
クラインの弟子であるポーラ・ハイマンが1950年に発表した「逆転移について」という論文の要約と解説。それまで逆転移は精神分析にとっては有害とされていたものを、精神分析の進展には不可欠なものと転換させたことに本論文の重要性がある。
スーザン・アイザックスが1948年に書いた「空想の性質と機能」についての要約と解説。アイザックスやクライン派にとっては空想は乳児の最早期から活発に作動している心的機能である。精神分析状況においても常に存在し、それは転移と分かちがたく結びついている。本論文はこうした基礎理論の考えを提起している。
D,W,ウィニコットの1948年の論文「母親の抑うつに対して組織された防衛という観点から見た償い」についての要約と解説。8頁ほどの短いものであるが、ウィニコットの理論と臨床に対する深い洞察が織り込まれている。
W,R,D,フェアベーンの1944年の論文「対象関係の観点から見た心の中の構造」についての要約と解説。スキゾイドパーソナリティや精神構造論の改定などを行い、対象関係論の祖と言える。
ジークムント・フロイトの末娘であるアンナ・フロイトが1936年に書いた「自我と防衛」についての要約と解説。フロイトの防衛機制の概念を整理し、リスト化し、その上で発達段階と結び付けた。
ジョアン・リビエールが1936年に執筆した「陰性治療反応の分析への寄与」という論文についての解説。フロイトの陰性治療反応の概念をさらに発展させ、躁的防衛システムやパーソナリティ構造、自己愛との関連について定式化した。
ジェイムス・ストレイチーが1934年に書いた「精神分析の治療作用の本質」という論文の要約と解説です。ストレイチーは変容惹起解釈としてhere and nowの転移解釈を挙げ、それを精神分析の第一の治療機序としました。
メラニー・クラインが1933年に書いた「子どもにおける良心の早期発達」という論文の要約と解説。クラインは、フロイトの提唱した超自我の発達の時期を前倒しし、早期の乳幼児の発達について検討している。
S,フェレンツィの1933年の論文「大人と子どもの間の言葉の混乱-やさしさの言葉と情熱の言葉」についての要約と解説を書いています。彼は当時の心的空想論が中心の精神分析の中で心的外傷を神経症の原因の中心に据え、それに伴って精神分析家の能動性や逆転移など技法論の改革を行いました。
ウィルヘルム・ライヒの1933年の代表的著作である「性格分析」についての要約と解説。本書で性格の鎧、抵抗分析、ふるまい分析といった現代の精神分析技法に通じる重要概念について論じられている。
オットー・ランクが1924年に書いた「出生外傷」という本の要約と解説である。これまでフロイトがエディプスコンプレックスを発達の中心に添えていたのを、ランクは出生外傷に置き換え、定式化しなおした。またそれによって精神分析技法も大幅に変え、短期精神療法への草分け的存在へとなっていった。
フロイトの第一世代の弟子であるアブラハムがその死の前年に書いた「心的障害の精神分析に基づくリビドー発達史試論(1924)」についての要約と解説である。フロイトの発達論をさらに細分化し、かつ対象関係的な視点を織り交ぜ、後年のクライン派や対象関係論学派の橋渡しとなった人物である。
フロイトが1914年に書いた技法論文である「想起すること、反復すること、ワークスルーすること」についての要約と解説です。人は過去のことを想起する時、言葉で語るのではなく、行動で示すということを論じています。
ベティ・ジョセフの1985年の論文「転移:全体状況として」についての要約と解説です。ベティ・ジョセフはポスト・クライン派の精神分析家で、心的平衡、エナクトメント、全体状況としての転移などの概念を整備し、Here and nowの転移解釈の重要性をさらに打ち出した重要人物です。
マーガレット・リトルの1951年の論文「逆転移とそれに対する患者の反応」についての要約と解説です。精神分析家の逆転移や逆転移性の失敗が患者にどのように影響するのかについて論じている。
D,メルツァーの1967年の論文「精神分析過程」の中の第1章「転移の集結」についての要約と解説。精神分析の自然史、倒錯、メタ心理学の発展、自閉症、美の享受、閉所、夢生活など多彩な仕事をメルツァーは残している。