母親の抑うつに対して組織された防衛という観点から見た償い
D,W,ウィニコットの1948年の論文「母親の抑うつに対して組織された防衛という観点から見た償い」についての要約と解説。8頁ほどの短いものであるが、ウィニコットの理論と臨床に対する深い洞察が織り込まれている。
図1 D,W,ウィニコットの写真
目次
1.母親の抑うつに対して組織された防衛という観点から見た償い(1948)の要約
(1)抑うつポジション
この概念は、実際の精神分析作業の中でも使われている。攻撃的で破壊的な衝動や考えとの関係の中でその罪に到達し、患者が罪の感情について説明でき、許容でき、抱えることができるようになるにつれて、償いの強い切迫感が現れる。
- 精神分析の中でこれを観察できる。
- 個人の罪に対して償いをすることは、健康な人間への発達において最も重要な段階の一つ。
- 本来の罪の感情を患者が発見すること、自分自身を発見すること。
(2)偽りの償い
患者自身の罪に特別に関連しないもの。
- 患者の母親への同一化を通じて現れる。
- 患者自身の罪ではなく、抑うつと無意識の罪に対して母親側に組織された防衛。
【例】P.87
- 子どもの抑うつは母親の抑うつを反映していることがある。
- 子どもは自分自身の抑うつからの逃避として、母親の抑うつを利用する。
→母親に対して、偽りの修復と償いを提供する。
- しかし、その修復は当人の本来の罪の感覚に関係していないため、個人的な修復の能力の発達は妨げられる。
- 頂点に達することが出来ないのは、母親の抑うつに関して償いがなされるから。
→能力があっても、仕事などの成功が親によって盗み取られる時、思いがけなく押しつぶされる。
→彼らの課題は、母親の気分を扱うこと。
→彼ら本来の人生を歩みだしうるという雰囲気を作り出したことに成功したに過ぎない。
→精神分析を通して個人的な罪を掘り下げるときには、親の気分がまたそこで扱われるはず。
【例】P.89
- 精神分析初期の段階で、親にとって代わる。
- 親に対して子ども側に立ち、信頼を得て保つ。
- 善良ではあるが、抑うつ的な親を置き換えた。
- 患者本来の罪を患者が発見する。
(3)集団
抑うつポジションが各個人によって、その個人的な基礎に立って十分安全に達せられているとき、家族の気分は、個々人のメンバーの生活において共通要素となり、居場所を得ることもできる。もし一人のメンバーが集団の償いという活動を個人的に分担することができなければ、それは病的であり、集団の不毛となる。
→集団での共有を行う前に、その人は彼本来の個人的接近法を確立させる必要がある。
- 各個人が個人的な罪と個人的な抑うつ的不安に到達すべきであるペースで彼自身の成長を成し遂げればならない。
- 彼自身の愛の衝動とその結末についての個人的な思いやりに心底基づいた彼自身の責任感を発展させねばならない。
Glover(1945,1949)「ある精神分析家たちは、ある空想を記載しているが、おそらくそれらの空想が精神分析家自身のものである時に、あたかもそれが彼らの患者の空想であるかのように記載している。」
- 精神分析家の期待していることを、患者も時に作り出すことを知っていること。
- 客観的であると主張する時は、私のために作り出されたものと患者にとって真に個人的であるものとを区別できるようにすること。
(4)感想・疑問
- Gloverが述べているような、精神分析家の空想なのか、患者の空想であるのかや、偽りの償いについては、常に考え続けなければならないことだと感じた。
- 本来の罪の感覚というと難しく感じるが、母親など周りの大人の考えている子どもの状態と子ども自身の感じている事柄をしっかりと区別し、問題を見誤らないことの大切さを感じた。
- 「精神分析家はそこで患者がよくなったり、すっきりしたり、迎合的になることを要求していないし、さらにまた何かを患者に教えることができるようになることすら必要としていない。患者は自分本来のペースで進むことができる。彼が望めば失敗することもできる。」とあるが、どんなことを考えながら面接されているか。
- 先生方が読んで感じたこと
2.母親の抑うつに対して組織された防衛という観点から見た償い(1948)の解説
(1)ウィニコットの生い立ち
1896年4月7日にイギリスのプリマスで出生。3人兄弟の末弟であり、6歳上と5歳上の姉がいた。父の職業は商人であり、のちにプリマス市長となり、ナイトの称号を得ている。母親に関しては残されている情報は少ないが、抑うつ的な人物であったと言われている。ウィニコットの家庭は裕福であり、幼少期は女性に囲まれた生活をしていた。
1910年(14歳)には寄宿学校に入った。16歳の時に鎖骨の骨折をしたことから医師になることを志すようになった。その後、ケンブリッジ大学で生物学を学び、この時期にダーウィンの進化論に強く影響を受けていたようだった。その後、医学部に進学したが、この頃に第一次世界大戦が勃発した。彼は海軍を志願し、外科医見習いとして駆逐艦で働いていた。第一次世界大戦が終了してからは、聖バーソロミュー病院で医学の勉強を再開し、1920年に医師資格を取得した。
1923年からパディントン・グリーン病院小児科に勤務することになり、ここではそれから40年間も勤めることとなった。また、同年にアリス・テイラーと結婚した。アリスはモーズレイ病院に勤務していた陶芸家であり、オペラ歌手でもあった。彼女は精神的に不安定で、彼らの結婚生活は最初からうまく行ってなかったようであった。
彼女が不調の時にはウィニコットは献身的に介護していたようであった。さらに、その同年には治療としての精神分析を受けるためアーネスト・ジョーンズに相談し、ストレイチーを紹介された。ウィニコットは夢を見ることができないことと性的不能の問題を抱えていた。ストレイチーとの精神分析はそれから10年続いた。翌年の1924年にはハーレイ街にオフィスを構え、開業するに至った。
1927年に英国精神分析協会の訓練生になり、1935年には論文「躁的防衛」を書いて、精神分析家の資格を取得した。その同年にクラインの精神分析を申し込んだが、クラインには断られ、その代わりに、クラインの息子(エリック)の精神分析を依頼され、さらにその精神分析のスーパービジョンを提案された。ウィニコットはエリックの精神分析は受諾したが、スーパービジョンは別のケースにしたようであった。
図2 ジョアン・リビエールの写真
そのスーパービジョンは1940年まで続いた。また、1936年からはリビエールから精神分析を受けるようになり、1941年まで続いたが、内的世界にばかり関心を示すリビエールにウィニコットはこの精神分析は失敗だったと考えていた。
1941年にオックスフォードにある疎開児童グループホームのコンサルテーションの仕事をするようになり、その時に後に再婚することとなったクレアと出会い、不倫関係となった。1948年に父が亡くなり、ウィニコットはアリスと離婚し、そして1951年にクレアと再婚した。また、同年には論文「移行対象と移行現象」を発表し、クラインから破門されてしまった。クラインから距離を取りつつも、英国精神分析協会のなかでクライン・アンナフロイト論争をおさめるために動き、また協会の会長を2回務めた。
図3 マシュード・カーンの写真
ちなみに、ウィニコットは、被分析者であったマシュード・カーンの倫理違反行為(患者との性交渉、訓練生へのハラスメント、公共の場での迷惑行為、アルコール依存症など)をかばい、訓練分析家に推したこともあった。また、ウィニコット自身も境界侵犯(患者との身体接触、私的交流など)をしていたこともあり、倫理的な問題を抱えているところも見られる。
50歳代より身体的な健康が損なわれることが増え、心臓発作を3回も繰り返したりしていた。1968年にニューヨーク精神分析協会での講演が不調に終わり、彼は非常にショックを受けていたようであった。その後、1971年1月22日に71歳で病死した。
(2)ポイント
本論文の主要な理解は、母親の抑うつなどの問題によって、子どもが母親に適応し、母親の世話をし、母親の問題を肩代わりすることにより、子どもの健全な発達と成長が阻害されることがある、というものである。
このような理解がなぜできるのかについては多くは述べられていないが、ウィニコットの基本的な理論が分かると、それも理解できる。その基本的な理論として発達論と偽りの自己論について次に解説する。
(3)ウィニコットの発達論
a.絶対的依存
乳児の万能的な世界/母親の原初的没頭
→母親と乳児のユニット
現実と空想が同一のもの
→錯覚
ほどよい母親、環境としての母親、ホールディング
この時期の急激な侵襲は、乳児に破滅的な不安を引き起こす。
b.相対的依存
乳児のニーズが万能的に満たされない事態が出現する
→母親の適度な失敗
移行対象と移行現象
対象が生き残る/対象の使用
心理的な離乳が果たされ、一人でいられる能力を獲得していく。
→一人でいて二人でいる、二人でいて一人でいる
(4)偽りの自己
母親の養育が不適切だったり、過度に侵襲的であるとき
→本当の自己が育たない、中間領域が狭くなるor歪む
偽りの自己を発達させ、非発達的な環境に適応しようとする。
→その代償として空虚感や深刻な抑うつを抱えてしまう。
偽りの自己は病理的なものから健康へと広がるスペクトラム
本当の自己を防衛するために存在する構造
(5)臨床での表れ
こうした病理が治療関係、精神分析関係の中で展開する。その展開の仕方、転移の醸成には大きく分けて2種ある。
一つは、精神分析家に母親の役割を投げ入れ、母親の世話をするかのように精神分析家の世話をしようとする転移である。過度に精神分析家に迎合したり、物分かりの良い患者を演じたりなどが典型例。もう一つは、精神分析家に子どもの役割を投げ入れ、患者は母親の役割を担い、親子関係を再現するような転移である。
このような転移関係が展開すると、治療関係は非常に険悪となり、患者は精神分析家に依存的になったり、攻撃的になったりする。
3.おわりに
このような精神分析についてもっと学びたいという人は以下をご参照ください。
4.文献
この記事は以下の文献を参考にして執筆いたしました。