終わりのある分析と終わりのない分析
フロイトの晩年の技法論文である「終わりのある分析と終わりのない分析(1937)」の要約と解説です。精神分析の終結問題について、多角的な点からフロイトは詳細に検討しています。
1.終わりのある分析と終わりのない分析(1937)の要約
(1)歴史背景
- 1929 世界大恐慌によりドイツ・オーストリア失業増加、政治状況悪化
- 1933 ヒトラー独首相に、フロイト著書がユダヤ文学として公共広場で燃やされる
- 1937 病状悪化中論文数編発表/A・フロイト「防衛機制」ハルトマン「自我心理学と適応問題」1938 ナチがオーストリアに侵入、ロンドンに逃れる(マリー・ボナパルトが身代金支援)
- 1939 83歳で死去(上顎癌、33回の手術歴)
(2)精神分析治療の長さ
a.精神分析の短期化
図1 オットー・ランクの写真
ランク「出生外傷論(出生時に神経症源泉あり、数ヶ月の精神分析で治療可)」に言及
「精神分析のテンポを米国生活の慌ただしさに合わせるためのもの」と批判的に論じる
自身の「期限設定」を設けた事例(狼男のその後)を紹介、治癒するも後年再発
後の病状は転移の残留部分に関連、強引な技法的工夫の設定基準は勘頼み
(3)精神分析の自然な終わり
a.終了の条件
「終わっていない精神分析」でなく「不完全な精神分析」
- 患者が「症状」に苦しむことなく、「不安、制止」を克服している
- 抑圧されたものが意識化され、病理的過程の反復を恐れる必要なしと判断しうる
より野心的な「終わり」=抑圧のすべての解消は起こりうるか、可能性はあるか?
b.神経症の原因
体質的欲動の強さか、偶発的早すぎる外傷か→すべての病因は混合的
- 終わりうる精神分析=主に外傷的病因のもの(自我強化で過去の不適切な決定を置き換え)
- 終わりなき精神分析=欲動の力が過度に強い時(自我による「飼い馴らし」を妨げる
防衛的格闘による望ましくない自我の変容「ねじ曲がり」「制限」で精神分析が行き詰る)
c.後の再発例
- フェレンツィ~「陰性転移分析を怠った」
- 女性例~人生上の不幸で再発
→懐疑論(古い問題の再発)vs. 楽観論(治癒の永続性・完全性・予防可能性、等)
→現時点での明解は不可、精神分析課題へのより厳しい要求には「期間短縮」を否定
(4)精神分析効果における変動性
欲動を永久・完全に処理しうるか
a.精神分析治療成否の決定要因:
- 外傷の影響
- 欲動の体質的強さ
- 自我の変容
の(2)に注目
欲動を飼い馴らす=欲動が自我の調和のなかに持ち込まれ、自我の動向に影響されるには?
→「メタ心理学という名の魔女(思弁と理論化)」、「一次過程と二次過程の対立」が手掛かり
b.欲動強度と自我変容の均衡
経済論>力動/局所論
個人発達上の欲動強化期:「思春期」「女性の閉経期」~病因の量的要因を強調
c.精神分析療法の真の達成
元々の抑圧過程を後に修正し、量的要因優位を終わらせること
精神分析の効果=本能統制の抵抗力を増強、未分析時より強い本能要求に対抗しうるに限られる
→質的変化を重視するも量的問題は残る、変化は達成されるがしばしば部分的
→精神分析期間の短縮は望ましいが、自我を助ける精神分析の力を増大するのみ(催眠/フェレンツィ批判)
(5)精神分析の有効性の限界
将来の葛藤を予防できるか
a.更なる疑問
- 患者を将来の欲動葛藤から守れるか?
- 現時点で顕在化せぬ葛藤の予防的喚起は可能か、役に立つか?
→活動し顕在化していない欲動葛藤には影響は及ぼせず、新たな苦痛を呼び起こす
b.精神分析的予防
- 転移の中で人工的に新たな葛藤を作り出す
- その可能性を知らせ喚起
→転移は意図的には起こせず、患者に非友好的にふるまい作業動機の陽性転移が損なわれる
→患者に他の欲動葛藤が生じる可能性について話しても、患者には反応起こらず
(6)回復に対する自我の抵抗
a.治療成功の決定要因としての自我の変容
「自我との同盟」:正常性の極からの隔たり~異常性の極への接近が基準
自我変容の多様な種類と程度(精神病者に近似した自我~正常自我)の成り立ち
危険、不安、不快を避けるための様々な手続き「防衛機制」(抑圧/省略:他機制/歪曲)
b.防衛機制の危険性
エネルギー消費、自己制限、自我に固着し類似状況時に反復(幼児症)、
反応様式正当化のため類似状況を探求⇒外界からの疎隔、自我弱化⇒神経症発症を準備
c.自我変化の治療への影響
エス分析⇔自我分析~防衛機制が回復への抵抗として再現する
→解釈/構成で抵抗を意識化→防衛的葛藤の新たな活性化・陰性転移優勢→契約から撤退
⇒精神分析作業の成否は、これに敵対する抵抗の力の強さ(量的要因)による
(7)自我変容の防衛的格闘
a.生まれつきの自我の個体差
防衛機制の選択と使用→個人的素因・傾向は先天的だが決定要因は特定できず→遺伝された性質と獲得された性質の違いを誇張すべきでない
b.自我特性の獲得
自我特性は遺伝でも防衛的格闘でも獲得される。別種の抵抗あり。
ex.「リビドーの粘着性」「リビドーの流動性」「エスからの抵抗」「心的固定・硬直」
c.根本的抵抗
根本的な抵抗とは、罪悪感、処罰欲求、マゾキズム、陰性治療反応「破壊、攻撃、死の欲動」
原始~文明化の過程で攻撃性は内在化⇒エロスと死の欲動の二元論批判は承知するも、ギリシア思想家エンペドクレス説「フィリア(愛)元素の融合vsネイコス(闘争)切り離し」との類似に言及
(8)精神分析家の精神分析の必要性
a.フェレンツィ論文
図2 シャーンドル・フェレンツィの写真
フェレンツィ「精神分析の成功は、間違いや失敗からの学び、人格の弱点の克服にかかる」
精神分析家への期待:
- 相当程度の心的正常性
- 欠点の無さ
- 患者への優越性(手本・教師)、
- 真実への愛(現実認識、見せかけや偽りの排除)
3つの「不可能な職業」(満足いかぬ結果が確信できる)=教育、政治、精神分析への同情
b.精神分析家も精神分析を受ける
すべての精神分析家は5年おきくらいに精神分析を受けるべき
終わりある→終わりない課題へ
→無意識の存在の確信、抑圧素材の知覚、精神分析技法の例の体験、精神分析刺激、自発的自我変革、習得された感覚に続く経験の利用過程~起こる限りにおいて精神分析家としての資格を持つ
→精神分析のもたらす危険(精神分析家の防衛、精神分析の意味・要求を自身から逸らす等)への対応
c.精神分析の終結
実践的な問題、精神分析の仕事=自我機能に可能な限り最善の心理条件を確保
(9)精神分析の終わりにある「岩盤」について
a.女性のペニス羨望と男性の女性的態度
女性の「ペニス羨望」
男性の同性への「受け身的女性的態度への対抗」⇒「女性性への拒絶」
- 男性には自我親和的(受け身的態度=去勢の受け入れ前提→強力に抑圧、過補償)
- 女性は男根期に自我親和的、その後に正常なら赤ん坊・夫への願望へ→女性性構築
男性性への願望が無意識に保存され障害的な影響へ
b.フェレンツィの主張
フェレンツィ(1927)~「二つのコンプレックスが克服されることが成功する精神分析の必要条件」
フロイト「ペニス願望」と「男性的抗議」⇒すべての心理的地層を貫通し最下層の岩盤
心的領域にとって、生物学的領域が岩盤の役割を果たすため
(10)感想、疑問、検討課題
a.フロイトの姿勢
最晩年に自身の人生と重ね「精神分析の終わり、完了、限界」の視点を徹底追及している印象。フロイトの生涯を通しての、精神分析への取り組みの意欲、誠実さ、徹底性が感じられる。
b.メタ心理学
精神分析の有効性とその限界を論じつつ、神経症メカニズムや治療機序を整理し、「メタ心理学」としての理論構成に貢献している思考過程に驚嘆。
c.時代の影響
最終章のみは了解でき難い。最終抵抗に男女の違いはありうるかもしれないが、時代や文化に大きく作用される側面ではないだろうか?
性的役割意識の強さと抑圧の程度は相似的→現在は「個性」、LGBT運動への動きへ
→治療対象となり難い側面では?
男性の「受け身性=女性性」・女性の「ペニス願望=男性性」のテーマは、ユングのような普遍的内的要素として承認した上でのテーマ設定が、より納得しうる。
d.技法的工夫
「精神分析の終わり」に関しては、与えられた設定内でのできる範囲での治療的関わりが、相手に少なからず有効であること、、、でよいのでは?
そこでの精神分析作業が、その後のクライエントの自己探求につながることで、成長促進となるような。
そのために、どんなアプローチや関わり、精神分析技法的工夫が可能か?という探求は追及したい。皆さんは如何でしょうか?
2.終わりのある分析と終わりのない分析(1937)の解説
(1)登場する患者
- シャーンドル・フェレンツィ
- セルゲイ・コンスタンティノヴィッチ・パンケイエフ(ウルフマン)
- エマ・エクスタイン
この3名の患者はフロイトにとって悔恨を残す患者であった。その3名を最後の論文に持ってくることでモーニングワークを行おうとしたが、いずれもあっさりとした記述に終始しており、ワークは未徹底であった、と藤山(2008)は指摘している。
(2)短期化の努力
- オットー・ランク:出生外傷、中断療法
- マン:時間制限精神療法、12回セッション
- シフニオス:短期力動精神療法、主にエディプス葛藤のみに焦点を絞る
(3)長期化していった理由
- ウィルヘルム・ライヒ:性格分析
- メラニー・クライン:前エディプス期の精神分析
主にクライン学派による精神病や境界パーソナリティの精神分析から長期化
(4)将来の病理を予防できるか
フロイトは懐疑的
予防かどうかは別として、いわゆる健常な人が精神分析を受けることの恩恵について
(5)精神分析の効果
- ジークムント・フロイト:無意識の意識化、自己分析できるようになる
- メラニー・クライン:破壊性の中和
- ドナルド・W・ウィニコット:遊べるようになる 一人でいれるようになる
(6)訓練分析、個人分析の必要性
後期のフロイトは患者ではなく訓練分析を目的とした治療を主に行っていた。しかし、それは教育的、権威的なものであったようである。
フェレンツィはフロイトとの訓練分析において、陰性転移が扱われなかったことの不満を述べ、またそれによって原始的な部分への精神分析的接近が困難であったと述懐している。またストレイチーはフロイトとの訓練分析において、転移解釈そのものがなかったことの不満を述べている。それは後の重要論文である「精神分析の治療作用の本質(1934)」へと昇華された。
「精神分析の治療作用の本質(1934)」については以下のページをご覧ください。
フロイトは無意識について、知的に解釈していくスタイルであったようである。しかし、昨今では治療者の心を使い、逆転移から理解していくことが主軸となっており、それからすると訓練分析は必須となる。
(7)精神分析の限界
フロイトは自己愛神経症(精神病)の精神分析は不可能と述べた。また、本論文でもやや悲観的に精神分析の限界について様々な観点から述べている。去勢コンプレックス(女性はペニス羨望、男性は受動的態度)という生物学的岩盤をフロイトは指摘している。
ただ、これらは精神分析の限界ではなく、フロイトの限界であると考えられる。フロイトのパーソナリティ、もしくは訓練分析を受けてないが故か。
心を使うことによって重篤な病理に接近できる、ということを後の様々な精神分析家が提示している。
(8)終結についての様々な考え
a.クライン
図3 メラニー・クラインの写真
メラニー・クライン(1950)精神分析の終結のための基準について
- 迫害的不安と抑うつ的不安が精神分析中に体験され、根本的に軽減する。
- もっとも初期の恐ろしい人物像が患者の心の中で根本的に改変。
- 攻撃衝動とリビドー衝動とが共に近づきあって、憎しみが愛によって和らげられ、迫害者と理想像との間の強い分裂が軽減されはじめて、良い対象が心の中に安全に確立される。
「精神分析の終結のための基準」については以下に詳しくあります。
b.ウィニコット
図4 ドナルド・ウィニコットの写真
ドナルド・W・ウィニコット(1962)精神分析的治療の目標
- 自我の強化
- 自我の独立
- 自らの権利で存在していることの確信
- 本当に痛々しい体験さえも含めたあらゆるものを独自の万能感の支配下におく能力が成長
- 防衛が弛緩して、より経済的に用いられ展開される
- もし症状が残っていても病気にとりつかれたという感じがうすれて、自由になったと感じる。
- 原初的状況に釘づけになって止まっていた成長と情緒的発達が認められる
c.メニンガー
図5 カール・メニンガーの写真
カール・メニンガー(1959)精神分析技法論
- 自分自身との関係
- 観察部分と行動部分が統合性を高め、より調和し、自我分裂が改善される。
- より自由になったとの感覚、人生を治療よりも楽しむことができる能力、色々な強迫的活動の停止、そして抑うつ傾向の減少などである。
- 他者との関係
- 幅が広くなったり、深みを増したりする。
- 他者と適切な距離を取ることができ、満足した性生活が遅れるようになる。
- 物事や概念との関係
- 破壊的エネルギーを昇華できるようになる。
- 仕事の仕方が改善され、仕事に興味を持ち、能率が良くなり、個人にとってより重要なものとなる。
- 仕事と遊びが適切な配分となる。
- モノに対する執着や所有欲にあまりとらわれなくなる。
- その他の基準
- 不快さに対する耐性があがる。
- 罪悪感が緩和される。
- 治療者との関係
- 治療者に対しての客観性が増し、魔術的な万能視が薄れ、独立した人間とみなすようになる。
d.メルツァー
図6 ドナルド・メルツァーの写真
- 離乳過程
- 休暇や休日での分離が見捨てられとして受け取られることはなく、信頼と自己責任の課題として持ちこたえられるようになる。
- 精神分析過程を美的に、そして知的に味わえるようになる。
- 誰しもが持つ精神病部分は分裂排除されたままであるが、精神的身体的健康の平衡を保持するためには分裂排除し投影しておくべき部分である。
ドナルド・メルツァーの「精神分析過程」については下記にあります。
e.松木邦裕
松木邦裕(2004)終結をめぐる論考
- 患者における
- 悲哀の作業を含む抑うつポジションのワークスルーの遂行と抑うつポジション機能の維持
- 転移のワークスルーからなる無意識の空想の意識化とその結果の現実的な識別能力の増大
- よい全体自己とよい全体対象の双方への信頼の確立
- 倒錯的でない、楽しむ能力の獲得
- 自虐的でない、苦痛に持ちこたえる能力の増大
- 治療者における
- その精神分析作業での達成の客観的評価および残された課題とその限界の認識を踏まえて終結するという判断ができること
- その患者との治療の終結、および精神分析作業の意味とあり方についてのみずからの考えが充分に意識化されていること
- 終結をめぐる逆転移-とりわけ悲哀の作業-のワークスルーをなす心準備があること
(9)セラピーの終わり方
- 最終セッションの方法
- まとめる
- 通常のセラピー
- フォローアップ面接
(10)現実の精神分析的セラピーの終結とは
- 精神分析され尽くしての終結というフィクション
- 中断への否定的見方に対する否定
- セラピーの現実的理由による終了
- 中断・終結を通して患者からコミュニケートされるもの
- 終わったセラピーを悼む
3.さいごに
このような精神分析について興味のある人は以下のページをご参照してください。
4.文献
この記事は以下の文献を参考にして執筆いたしました。
- D.W.ウィニコット(1962)精神分析的治療の目標
- 小此木啓吾 監修(2002)精神分析事典 岩崎学術出版社
- J.M.キノドス(2004/2013)フロイトを読む. 岩崎学術出版社
- M.クライン(1950)精神分析の終結のための基準について
- J.ストレイチー(1934)精神分析の治療作用の本質
- ストレイチー(2005)フロイト全著作解説 人文書院
- S.フェレンツィ(1985/2000)臨床日記. みすず書房
- 藤山直樹(2008)「終わりある分析と終わりなき分析」 西園昌久 監修(2008)現代フロイト読本2. みすず書房
- 松木邦裕(2004)終結をめぐる論考. 心理臨床学研究22-5
- K.メニンガー(1959/1969)精神分析技法論. 岩崎学術出版社
- D.メルツァー(1967/2010)精神分析過程. 金剛出版