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モーセという男と一神教

フロイトが1939年に書いた最後の論文である「モーセという男と一神教」についての要約と解説。ユダヤ教の創始者であるモーセが実はユダヤ人ではなくエジプト人であった、と精神分析的に考察している。

1.モーセという男と一神教(1939)の要約

  • Der Mann Moses und die monotheistische Religion(フィッシャー版)
  • Moses and Monotheism:Three Essays(S.E.)
  • 人間モーセと一神教(人文書院)
  • モーセと一神教(ちくま学芸文庫)
  • モーセという男と一神教(岩波書店)

(1)概要

モーセ(ユダヤ民族の解放者かつ立法者)が、実はユダヤ人ではなくエジプト人であったというフロイトの説では、モーセの一神教がエジプトの王イクナートンのアトン教を継承するものであり、ユダヤ人は神に選ばれたのではなく、その一神教を信仰させるためにモーセによって選ばれた民であったということである。

(2)モーセ、ひとりのエジプト人

モーセ(Moses)という男は、ユダヤ民族の解放者にして立法者であり、宗教創始者でもあったわけであるが、あまりにも遠い過去の存在であるため、彼が歴史的に実在した人物であるのか、伝説の産物であるのかという先決問題は避けて通れない。

しかしながら圧倒的多数の歴史家は、モーセは実在し彼の実在と不可分のエジプト脱出も実際に起こったのだと言明している。もしも、この前提が容認されないのであれば、その後のイスラエルの民の歴史は理解できないであろうという妥当な主張がここにはある。

O・ランクは1909年に「英雄誕生の神話」と題する論文を公表した。この論文は「ほとんど全ての主な文化的都市の創始者(国民的英雄)を、詩や伝説のなかで賛美」してきたという事実を取り扱っている。英雄は極めて高貴な両親の子ども(王子)であるため、たいていの場合、父にとっての危険を告げる脅威的なものである。

そのため、生まれたばかりの子どもは、たいていの場合、父親あるいは父親を代理する人物の指示によって殺されるか棄てられる定めとなるのが常のことのように子どもは小さな箱の中に入れられ水に流される。すなわち、民族全体の幻想がその人物を通じて英雄を見ようと欲しているのであり、その人物が英雄の人生の図式を満たしていたという事実を知らせようと欲していることになるだろう。

よって、モーセはひとりの(おそらくは高貴な)エジプト人であり、伝説によってユダヤ人へと変造されるべく運命づけられていたという経緯が一気に明瞭になってくる。

ここで述べられた二つの論拠が注目され、モーセがひとりの高貴なエジプト人であったという想定を真実だと見なす気持ちが生じるならば、大変興味深くかつ広大なパースペクティブが現れる。モーセがユダヤの民に授けた掟と宗教に関する数多くの特質および特異性を根拠づけることが可能となるだろう。

(3)もしもモーセがひとりのエジプト人であったとするならば

もしもモーセがひとりのエジプト人であったとするならば、そしてもしもユダヤ人に彼自身の宗教を伝えたとするならば、それはイクナートンの宗教、すなわちアトン教であった。イクナートンは、元の名前をアメンホーテプという、紀元前1375年頃に即位したエジプトのファラオである。

最高権力に上り詰めたアメンホーテプは、エジプトの多神教を、自らの絶対権力を象徴するにふさわしい一神教へと改めた。しかし、その横暴な統治のゆえに、彼の死後、人々はアトン教をあっという間に葬り去った。

我々は当然のことながら、ユダヤ教が彼岸および死後の生命について何事もいっさい知ろうと欲していないことを不思議に思っていたが、ユダヤ教からアトン教へと遡り、彼岸および死後の生命に関する教えに対する拒絶的な態度はアトン教からユダヤ教へと伝えられたのだと考えるならば、我々の抱く不可思議の念は消える。

すなわち、イクナートンにとってはこの世のいかなる神よりも大きな役割を果たしていたであろう死の神オシリスが君臨するエジプト民衆宗教との闘争に際して、彼岸および死後の生命に関する教えを拒絶することはどうしても必要だったのだ。

また、モーセはユダヤ人に新しい宗教だけをもたらしたのではなく、割礼という掟をももたらした。

夢想家イクナートンは民族の心から離反してしまい、その世界帝国を崩壊させてしまったが、モーセの精力的な本性は新たな王国を打ち建て、新たな民族を見出し、エジプトから排除された宗教をその新たな民族に信仰させようとする計画へと向かうにふさわしいものだった。

また彼ら(最近の歴史家達)は、後年にイスラエルの民を生んだユダヤの古い民族が、ある時点でひとつの新しい宗教を受け容れたことも認めている。

エジプト人モーセのような身分の高い男が部下を伴わずに単身で異民族のところに赴いたなどという話は信じられない。彼は間違いなく、彼の従者を、彼の側近の信奉者を、彼の書記を、彼の召使いを伴っていたはずである。そして、この者達は元来レビ人だったのだ。このモーセ配下の人々のうち、かなりの数の者が、モーセとその宗教創設を襲った破局を免れたと考えてよかろう。

この人々は続く数世代のうちに増えていき、彼らが共に生活していた民族と融合したけれども、彼らはその主人モーセには忠実であり続け、モーセへの追憶の念を抱き続け、そして、モーセの教えの伝統を育んだ。ヤハウェ(火の神)を信仰する人々と一体化した頃、このレビ人達は、影響力の大きな他民族に文化的に勝る少数派を形成していた。

人々がモーセ殺害について悔恨の念に満たされ、この犯行を忘れようと努める時がやってきた。エジプト脱出をオアシスにおける宗教創設に近づけ、他ならぬモーセその人を宗教創設に関与させる処理によって、モーセ配下の民の要求が満たされたばかりでなく、モーセを暴力で片づけてしまったという不快で苦々しい事実も、またきちんと否認される結果になった。

ある民族がそれまでとは別の神を受け入れるという話は稀ではないが、ある神がそれまでとは別の民族を選択するなどという話は聞いたことがない。モーセとユダヤ民族の間の関係をしっかりと思い起こすならば、我々はこの類を見ない出来事を理解するようになるだろう。モーセこそがユダヤの民の中に身を落とし、彼らをモーセの民族としたのだ。ユダヤ民族は、モーセによって「選ばれた民族」だったのだ。

ヤハウェ神の背後に忘却されたはずのモーセの神が現れてきた。ヤハウェとは別のこの神の理念のみがイスラエルの民にあらゆる運命の痛撃に耐えさせ、この民に我々の時代まで生き抜く力を与えてくれたことを疑う者など一人もいまい。

伝承なるものの本来の正体はどこに存するのか、伝承なるものの独特の力はどこに基づいているのか、世界史に対する個々の偉大な男たちの個性的な影響力を否定することがいかに不可能であるか、物質的欲求からの動機だけが承認された場合、人間の生活の大いなる多様性に対して、いかなる犯罪的所行がなされる結果となるか、いかなる源泉から人間や諸民族を征服するような力を、多くのとりわけ宗教的な理念は汲み取るのであるか。

これら全ての問題をユダヤの歴史という特殊事例に則して研究するのは、魅惑的な課題であろう。

(4)モーセ、彼の民族、一神教

a.第1部

緒言1(1938年3月):ナチスによりオーストリアが合併。カトリック教会は信仰の立場から反発。

モーセに関する二つの論文(「イマーゴ」(第23巻、1号と3号)に掲載)にこれまで差し控えておいた結末部を付け加えることにした。しかし、宗教上の障害や外的政治的危機によって、本研究の結末部の公表を差し控える。

緒言2(1938年6月):ロンドンに亡命

外的な障害はなくなった。私は私の仕事の最後の部分を敢えて公表する。

(a)一神教の理念はモーセによってユダヤ民族にもたらされた。

歴史学的に確認されている事実として下記の3点を述べている。

  • 第18王朝によってエジプトはひとつの世界帝国となった。オン(ヘリオポリス)の太陽神の祭司たちの影響のもと、普遍的なアートン神の理念が突出してくる。人類史上、初の一神教。
  • イクナートン(アメンホーテプ四世)のファラオ絶対権力により、アトン教を国教にした。エジプト民衆にとって特別に大切であった死後の生命という幻想を切り捨てる。
  • 第18王朝の消滅(BC1350年頃)とともにアトン教も廃止した。

仮説として、イクナートンの側近であったモーセがセム系の民族とともにエジプトを去り、その異民族を聖化し、掟を与えアトン教の教えの中に導き入れた。エジプト脱出からカナンの占領が成就するまでの期間は実に不明瞭。その間について現代では2つの事実が明らかになっている。

(1)指導者であるモーセに対し反抗的であったユダヤ人が、モーセを打ち殺し、アトン教を捨て去った。(2)ユダヤ人たちがパレスチナとシナイ半島とアラビアのあいだにある地域で別の近縁の諸部族合流し、カデシュの地で火の神ヤハウェ崇拝を受け入れた。これらのことで、ユダヤ民族はカナンに侵攻するだけの力を持つようになった。

ユダヤの宗教の発展の中枢的な事実は、時代が経過していくなかでヤハウェ神がその本来の性格を失っていき、だんだんとモーセの古い神アートンとの類似性を獲得していった。そして、ユダヤ人が神によって選ばれた民族であり、その特別な義務は最後には特別なかたちで報われるだろうという新たな表現を見出すに至った。

さらに、ユダヤの報告書および歴史的叙述から、矛盾することなく、一神教の理念はモーセによってユダヤ民族にもたらされていると明瞭に語られている。

(b)一神教の理念は長い空白期が過ぎたのちに力を発揮し伝承された。

遅れて活動し出す現象は稀ではなく、様々な領域で見出されている。

  • 新しい科学論の場合;まず強烈な拒絶に出会い、数十年にもわたって激しく議論され、賛成者の数と力がだんだん増加し、ついには優位を占めるに至る。
  • 個人の場合;確かな証拠をもとにして真理と認めざるをえない何か新しい事態を経験し、それが本人の願望と矛盾する際、しばらくの間自分自身と闘うであろうが、ついには是認する。

これらの例から強い情動的な備給によって保持されている抗議を自我の知的作業が克服するまでには時間がかかると言える。また、感染症疾患の病理学を参考にして「潜伏期」と呼ばれるものがあるが、外傷神経症の問題とユダヤ一神教の問題の間に共通して潜伏という特徴が認められる。

伝承において、史的資料など文字によって固定されたものと、口頭による言い伝えとの間に矛盾対立が生じてくることはありえた。

(c)宗教と精神病理に共通

宗教上の現象(集団心理学)にも、精神病理学(個人心理学)にも論理的思考を圧倒しつつ心に迫りくる強迫という特徴の類似性が認められる。

心的外傷

  1. おおよそ5歳までの早期幼年時代に体験される。
  2. その体験は完全に忘れ去られる。
  3. これらの体験は性的そして攻撃的性質の諸印象、ナルシシズムの受傷とも結びつく。

神経症性の特殊性(1);心的外傷の働き方には積極的なものと消極的なものがある。

  • 積極的なものは、心的外傷に再び作用力をもたらそうとするもの→反復強迫
  • 消極的なものは、忘却された心的外傷に関して回想されず、反復もされない→防衛反応

双方の反応の対立によって葛藤が作り出されるが、通常の場合は決着のつけようのないものである。

神経症性の特殊性(2);自我の拘束や性格変化のような症状は、強迫的特性を持っている

  • 現実の外的世界の要求に順応している部分と激しい矛盾に陥る。
  • 内的な心的現実の支配権が外的世界の現実を覆ってしまうと精神病になる。

→発病は、心的外傷の影響力によって分離された自我の一部を再び他の部分と和解させ、外的世界に対して十分に力のあるひとつの全体へと統合せんとする努力とみなしてもよい。

(d)神経症症状に似た結果こそ宗教という現象にほかならない。

<神経症の古典的な形式>

早期の心的外傷→防衛→潜伏→神経症性疾患の発症→抑圧されたものの部分的な回帰

<宗教の成立>

ファラオの世界支配(一神教)→ 一民族へ転移→長い潜伏の時代を経て民族に占有→民族の生命を守護

ユダヤの民によるモーセ殺害は、父親(神の原像、原父、神の生まれ変わり)を殺害として非難され迫害されるようになった。

  • ユダヤ人憎悪は根本においてキリスト教憎悪である。
  • 二つの一神教的宗教のこの緊密な関係が、ナチズムの革命の中で、双方に対する敵対心として現れている。
(e)難点

(1)諸宗教に関するおびただしい現象学のなかからたった一つの例しか取り上げていない。

→必要な専門的知識を持っていない。しかし、「反復」し形を変え新たな宗教が創設されると言及。

(2)「伝承」について

→伝承に関する心理学的事態にあっては、個人の場合と集団の場合のあいだの一致は完璧。

  • 忘却されたものは消滅したのではなく、ただ単に「抑圧」されている
  • 抑圧されたものは浮力を持っている
  1. 通常睡眠状態に起こる自我内部の備給エネルギー配分の変化
  2. 思春期に起き、抑圧されたものに密着している欲動の一部特別に強くなる
  3. 抑圧されたものとあまりにもよく似ているため、復活させてしまう
  4. 局所論や「前意識」について言及

b.第2部

(a)概要

要約と反復

  • 以下の内容・・・第一部の反復
  • このような叙述・・・「不適切」
  • 本研究は二度に渡って書かれ、その成立史の痕跡を消しえなかった。
  • 1938年3月、ドイツ軍のウィーン侵入→フロイトの英国への亡命
(b)イスラエルの民
  • ユダヤ人・・・古代に地中海沿岸に居住していたすべての民族の中で、今日、名前だけでなく、実質的なお存続しているほぼ唯一の民族
  • 「比類のない抵抗力で、ユダヤ人は不幸な運命に抗し続け、独特の性格特徴を展開し、同時にあらゆる多民族の心底からの憎悪を身に受けてきた。」
  • 「ユダヤ人のこのような生命力はどこからやって来るのか。その性格は運命にどのように関連し合っているのか。」
  • ユダヤ人の性格特徴・・・一種の選民思想
  • モーセ・・・ユダヤ民族が神の選民であることを保証して、彼らの自尊心を高め、彼らを聖別し、多民族から離脱することを義務づけた。
(c)偉大なる男
  • 「ただひとりの人間が、お互いに無頓着のまま漫然と生きている個々人や個々の家族からひとつのまとまった民族を造型し、その民族に最終決定的特性を刻印し、その民族の運命を幾千年にもわたって規定してしまうほどの尋常ならざる影響力を現実に発揮するような出来事がいかにして起こりうるか?」
  • 「偉大なる男」とは?
  • 人間集団の「権威への強烈な要求」
  • すべての人々に幼年時代から内在している父親への憧れ
  • 一神教の成立
  • 「選ばれた存在であるという報酬のために、そしておそらくはそれと同じくらい高度の別の報酬のためにモーセ教という重荷を背負わんとした多くの人々をこれほどまでに輩出しえた事実こそ、のちにユダヤ民族となっていったこの集団のなかに特殊な心的適性が存在していたことを証明している。」
(d)精神性における進歩
  • 「ユダヤ民族において、この神の恩寵のしるしはひどく乏しいものであり、民族の運命はむしろ恩寵の喪失をこそ示してきた。」
  • 「ところが、しかし、イスラエルの民は神からひどい扱いを受ければ受けるほどますます神に対して恭順に屈従してきたのだ。これはいったいなぜであるのか。」
  • 偶像崇拝の禁止
  • 抽象性/観念を前にしての感覚知覚の蔑視、感覚性を超越する精神性の勝利=欲動の断念
(e)欲動断念
  • 「神の姿を造形することの禁止でもって始まったこの宗教は幾世紀もの経過のなかで段々と欲動断念の宗教へと発展して行く。」
  • 「われわれにとって偉大であり秘密めいており神秘的なありかたで自明と思われる倫理は、その特質を、宗教との関わりから、父親の意思に発する来歴から受け取っている。」
(f)宗教における真理の内実
  • 「われわれがこれまで進めてきたすべての研究が出来事全体の動因を発見するに至っておらず、言わばただ表層を撫でたに過ぎず、その表層の背後にはまた別の大変に重要な動因が発見されるのを待って潜んでいる、などということがありうるのだろうか?」
(g)抑圧されたものの回帰
  • 抑圧されたものの回帰・・・個人の心的生活における神経症形成のメカニズム
  • 歪曲された形での回帰
  • 民族の心的生活の中の伝承との類似性
(h)歴史的真実
  • 「一体なぜ唯一の神しかこの世に存在してはならないのか、一体なぜ多くの神々を従えた主神教から一神教への進歩がかくも圧倒的な意義を獲得するのか。」
  • 敬虔な信者たちの回答・・・物理的真実でなく、歴史的真実
(i)歴史的な発展
  • 「この父の宗教が向かうべき方向は、あらゆる時代を通じて変化することがない形で確定されたのだが、しかし[・・・]父親への関与の仕方は両価性なのである。
  • 感嘆と畏怖――敵愾心、憎悪
  • 「モーセ教の枠の中では殺意のこもった父親憎悪が直接的に顕在化する余地はなかった。」
  • おもてに現れたもの・・・敵愾心ゆえに生じる罪の意識、良心のやましさ
  • 「民族をめぐる状況は良くなかった。神の恩寵によるとされた希望は何も満たされる気配はなかった。自分たちは神の選民であるという[・・・]幻想を抱き続けるのは容易ではなかった。」
  • 罪の感情――神による罪の免責
  • 「この倫理は、神に対する抑圧された敵愾心ゆえの罪の意識を根源としているのは否定できまい。[・・・]また、この倫理が罰を受けたいという秘められた意図に奉仕しているのも察知されるだろう。
  • これから先の展開・・・(パウロによる)キリスト教
  • 原罪および犠牲死による救済
  • 「この非難の背後にいかに多くの真理が潜んでいるか、これは容易に洞察されよう。神を殺したとの告白は、[・・・]進歩を秘めているのだが、この進歩を共にすることがユダヤ人にはどうして不可能だったのか、これは特殊な研究の対象になるだろう。」

(5)感想

  • フロイトの仮説によれば、モーセは生粋のエジプト人の高官であったということであるが、どうしてわざわざエジプト人がユダヤ人をエジプト人から解放するために一役かったのかが理解しがたいと考えた。
  • モーセ自身が実在したかどうかわからないため、フロイトが仮説を立てたとしても現実味を帯びてこない側面があるように感じた。
  • 神経症性の事象と宗教的な出来事の間の類似の理論を打ち立て、個人心理学から集団心理学へ応用し、精神分析の視点を用いて宗教や人類について考察するフロイトの思考力に圧巻された。ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量殺戮を目の当たりにした状況下で、最後の力を振り絞って完成させた本論文からフロイトの人生と運命の集大成を見たように感じた。それ故に内容がとても難解で表面上の表現すらほとんど理解が困難であった。
  • ユダヤ教=一神教の成立とその帰結について、フロイトなりに考察した精神分析の著作
  • 論の前提として、一神教の「不自然さ」があるのではないか。
  • 構成上の問題(内容の問い返し、部分的肯定、反復、etc.)
  • パースペクティブの大きさ(宗教、歴史、民族の性格と運命、etc.)

(6)疑問と議論

  • フロイト自身もユダヤ人であるにも関わらず、なぜモーセがユダヤ人ではなくエジプト人であるという仮説を考えたのか?これに対するフロイトの答えは、エジプトにすでにアトン教と呼ばれる一神教が存在し、モーセはその信徒であって、エジプトにおけるこの宗教の失墜に直面して、ユダヤの人たちをこの宗教の後継者として選び出し、彼らを率いてエジプトを脱出したのだということであるが理解できないため、どうしてそう考えたのか議論したいと考えた。
  • 一神教についてやユダヤ人の迫害を受けるようになった背景等をとらえようと「神経症の古典的な形式」を用いて考察する試みについて。(個人心理学⇔集団心理学)
  • 「第二人格あるいは第二審級」(ちくま学芸文庫pp.196,8行目)
  • 亡命生活の中で本著作が完成された意味
  • 現実の否認、罪悪感が罪の免責になるという解決方法
  • 最後から二番目の段落の後半が含意するところ(ちくま学芸文庫pp.227-228にかけて)

2.モーセという男と一神教(1939)の解説

(1)経緯

1934年に「人間モーゼ、ある歴史小説」と題する草稿が完成した。その後、幾たびも書き直しをし、第1論文は1937年の最初に、第2論文は同年の末に出版された。そして、第3論文は、その一部を1938年の国際精神分析学会でアンナ・フロイトが代読し、1939年に出版された。

草稿から4年以上も出版されなかったことについて、本論文の論点が確立されているかどうかに疑問があったことと、もう一つはローマカトリック教会からの反応が理由である。

(2)反発

  • ユダヤ教:モーセを奪われた
  • キリスト教:妄想に近いものであり、ユダヤ教に比べて偶像崇拝という点で退化している
  • 人類学:原始群族に不同意
  • 歴史学:ヘブライ人の宗教の伝承にメソポタミア起源説を有力としている
  • マイスナー:宗教の病理的側面のみを偏って抽出している。そのため、還元主義に陥り、本物の信仰や宗教的実践の理解に貢献できていない
  • 武田:フロイトによるモーセとの同一視

(3)精神分析と宗教・信仰との間の埋めきれない断絶

  • 科学的世界観
  • 無批判に従うことと理性で探求していくこと
  • 宗教を精神分析することは宗教を否定することではない

(4)自身のルーツを疑う精神分析的な作業

  • ユダヤ人であるフロイトが、ユダヤ教には熱心ではなかったとはいえ、ユダヤのアイデンティティに対して疑義を出すことのインパクト。
  • 精神分析の中で、患者が一度自身を解体して再出発する。

3.さいごに

このような精神分析について興味のある方は以下のページをご覧ください。

4.文献