日本精神分析学会第61回大会感想記

仲間に会うことが目的の半分

日本精神分析学会第61回が開催され、参加してきました。教育研修セミナーでの指定討論の仕事についてや、シンポジウム、学会の在り方などいろいろと考えさせられました。

1.日本精神分析学会の姿勢

3日間の日本精神分析学会が終わりました。毎年のことですが、大変刺激に満ちた会でした。精神分析や精神分析的心理療法という学問や実践体系を念頭に置きつつも、どのようなことが、どういうことがユーザーの何らかの利益に繋がるのかを真摯に向き合おうとする雰囲気に包まれていました。

それと同時に心理療法家の生き方、人生観に心理療法家も向き合うことが求められてもいるようでした。心理療法家という職業を何故選んだのか、という問いに行き着くかもしれません。ユーザーが自分の人生を自分のものにしていく手助けをするのなら心理療法家も自分の人生を生きる必要があるのでしょう。

2.教育研修セミナーの指定討論

精神分析学会の初日には教育研修セミナーの指定討論をさせてもらいました。ほぼアドリブでの話をせねばならず、それなりに苦痛でしたが、苦痛に耐え抜いて、何か話ができた体験はそれなりに良いものです。けど、企画者から話したことを論文化することを指示されたので更なる苦痛が今後続きそうです。

3.学会最終日

精神分析学会の最終日は、総会、狩野先生追悼会、招待講演、シンポジウムでした。それほど深い繋がりのない先生の追悼会でしたが、それなりにしみじみとした気持ちになりました。ご病気でお亡くなりにならなければ、人生で1番影響を受ける先生になるはずだったのですけどね。

招待講演ではイギリスの精神分析家であるヒンシェルウッド先生のお話でした。少し専門的な話になりますが、逆転移は臨床やリサーチの上で必要不可欠であるが乱用は害が大きいこと。なので、三角測量の視点から根拠を求める必要があるし、それは科学的な営みとなるだろう、という概略でした。基本、英語での講演でしたが、日本語訳したレジュメがあらかじめ配布されたので、非常に助かりました。

日本精神分析学会のメインにして最後のイベントは心理療法家の訓練と認定制度(教育分析や個人分析スーパービジョンなど)のあり方についてがテーマでした。その中で現在の認定制度は改革が必要であるという趣旨でした。どのような改革が必要なのかは今後の我々の議論によるのでしょう。

しかし、今年でようやく認定資格を僕は取得したのに、廃止になると泣くに泣けない事態になってしまいそうですが。それはともなく心理療法家の訓練と認定はユーザーの利益に直結するので、目を閉ざすことなく議論していかねばならないでしょう。

また、その議論は60代70代のベテランの先生ではなく、我々のような次世代が中心になって担わねばならないのでしょう。

4.大量の書籍

あと、このような学会では出版社が多数来ており、書籍を直に販売しています。しかも、学会特価で10%から15%引きの値段になってます。そのためついつい買ってしまいました。中には全800頁にも及ぶような、充分に鈍器という凶器になりうるような本も買ってしまいました。鞄が非常に重たいです。

5.日本精神分析学会の距離感

しかし、精神分析的心理療法という装置はそれなりに臨床の中で自由になれ、かつ人間のある種の本質に触れえるものだと思います。しかし、精神分析コミュニティでは政治的、超自我的な圧力や思惑というパワーゲームが渦巻き、自由とはなかなか言えない雰囲気のようです。

それから自由になるためには、一度は日本精神分析学会の認定資格や日本精神分析協会の訓練を経て、さらには政治的思惑に翻弄され、グループに所属せねばならないのでしょう。それはパラドクスと言えます。

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