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象徴形成について

ハンナ・シーガルの1955年の論文「象徴形成について」の要約と解説です。シーガルは本論文で妄想分裂ポジションにおける象徴と抑うつポジションにおける象徴とを区別し、その形成や機能の見立てや取り扱いについて詳細に論じています。

ハンナ・シーガルの写真

図1 ハンナ・シーガルの写真

1. 象徴形成について(1955)の要約

(1)象徴の理解

精神分析家の仕事は患者の無意識の象徴の意味を理解することだけではなく、象徴形成の全過程の意味も理解することです。象徴や象徴形成についての簡単な例を2つ挙げます。

ある患者Aは主治医から、どうして病気になって以来バイオリンを弾くのを止めてしまったのか、と尋ねられました。その患者は、荒々しく、なぜ公衆の面前でマスターベーションをさせようとするのか、と答えました。もう一人の患者Bは若い女の子とバイオリン二重奏を行った夢を見ました。バイオリンは彼の性器を表しており、バイオリンを弾くことはマスターベーション空想を表していることが明らかになりました。

この2人は同じようにバイオリンを男性性器として表し、弾くことをマスターベーションすることを表しています。しかし、その象徴の機能は全く異なっています。患者Aでは「性器である」と感じられていたが、患者Bでは「性器を表している」と感じられていたのです。

バイオリン

(2)象徴形成の障害

象徴形成は自我が対象との関係でかきたてられる不安を処理しようとする自我の活動であり、悪い対象への恐れと良い対象が得られないことや失うことへの恐れから、おもに作り出されるのです。そのため、クラインも指摘していますが、対象との関係での自我の障害は象徴形成の障害に反映されます。このことは精神病者においては、具象的思考となって現れます。

(3)象徴形成の発達

象徴形成はとても早い時期に始まると考えられています。妄想分裂ポジションの時期の主な防衛は投影同一化です。自己が対象に投影され、それらを表すようになる外界の一部と同一化されます。これらの最初の投影同一化が象徴形成の過程の始まりなのです。

しかし、早期の象徴群は自我にとっては象徴やその代理物であるとは感じられず、オリジナルな対象そのものと感じられます。それを象徴等価物(=類象徴)と言います。

象徴されるものと象徴との間のこの未分化は自我と対象との間の関係の障害の一部です。

(4)エドワードの例

精神分析のある段階で象徴等価物に基づいた幾分かの象徴形成が起こったため、いくらかの不安は内的な悪い対象と感じられていた精神分析家から外界の代理物の上に置き換えられました。この時期は数ヶ月ほど続きましたが、この時には彼の語彙は乏しくなりました。言葉は死者を復活させる魔術的な力を持っているので、それを口にすることができなかったのです。

(5)抑うつポジションにおける象徴

象徴等価物が抑うつポジションの間に完全な象徴になっていく変化は非常にゆるやかなものです。

抑うつポジションに到達したとき対象が全体対象になります。つまり、対象はまとまった一つのものと認識されるので、アンビバレンスが体験されることになります。この時期の自我はアンビバレンスに苦闘します。それを通り抜けることで、対象を修復し、再創造し、抑うつ的な苦痛を引き受けることができるようになります。そうしたプロセスを経て、良い対象が確立され、自我は発達し、統合されます。

この状況は象徴群を作り上げる上で強い刺激であり、象徴群がその性格を変える新しい機能を獲得することになります。そして、象徴には攻撃性をオリジナルな対象から置き換えられ、それによって罪悪感や喪失感を和らげられます。オリジナルな対象に向けられる攻撃性や罪悪感は象徴に向けられるそれらよりも軽いものです。このように象徴とオリジナルな対象は等しいものではありません。オリジナルな対象を修復し、再創造し、内的世界において作られます。

こうした象徴は昇華を自由に使うことができます。そして、象徴とオリジナルな対象とは別物であるということを理解しています。そうした点で象徴等価物とは異質なのです。

抑うつポジションについてはメラニー・クラインの「躁うつ状態の心因論に関する寄与(1935)、喪とその躁うつ状態との関係(1940)」の以下のページが参考になります。

(6)妄想分裂ポジションにおける象徴

オリジナルな対象が象徴となる過程が妄想分裂ポジションで起こるとするなら、象徴とオリジナルな対象が同じものであると感じられ、昇華は起こりません。また、抑うつポジションに到達したからといって、それが不可逆的であるとは限りません。

不安があまりにも強くなったり、困難な事態に遭遇したりすると、妄想分裂ポジションへの退行が起こり、投影同一化が活発となります。そして、象徴は象徴等価物へと戻ってしまいます。

妄想分裂ポジションについては以下のメラニー・クラインの「分裂的機制についての覚書(1946)」が参考になります。

(7)象徴とコミュニケーション

全てのコミュニケーションは象徴を通してなされるので、象徴形成はコミュニケーションする能力を支配します。そして、分裂性の障害があらわれるとコミュニケーションする能力は障害されます。なぜなら、主体と対象との分化がぼやけてしまうからであるということと、コミュニケーションの手段を欠いているから、の2点が理由です。象徴等価物は非常に具体的なので、コミュニケーションには利用できないのです。

象徴は他者とのコミュニケーションだけではなく、内的なコミュニケーションにも必要です。自身の無意識や原初的な空想と実際的にコミュニケーションを行っているからです。それは象徴の助けがあって初めて成立するのです。自分自身とのコミュニケーションは思索の基礎です。

こうしたことから、分裂病者とのコミュニケーションが難しいのは、象徴が使用できず、言葉のやりとりができないことだけではなく、彼らは内的なコミュニケーションをも障害されているからなのです。

(8)象徴化能力

抑うつポジションにおいて成し遂げる重要なワークは抑うつ不安だけではなく、未解決な早期の葛藤を取り扱うことです。抑うつポジションで達成されるものは象徴化の能力です。早期においては象徴化能力がないので、不安や葛藤は象徴等価物となっており、処理されず、そのまま残されてしまいます。象徴化能力によって早期の未解決の葛藤を象徴化させ、取り扱えるようになるのです。こうした過程を経て、統合され、部分対象から全体対象となっていきます。

おとぎ話に出てくる魔女、人食い鬼などは精神分裂病的な内容を多く含み、象徴等価物であるとみることができます。しかし、一方で、子どもの早期の不安や葛藤、願望を象徴化しているという側面もあります。つまり、高度に統合されており、そういう意味では芸術的創造物であるといえるでしょう。

(9)精神分析の中であらわれたおとぎ話の事例

青年期の女性を事例として取り上げます。彼女は4歳の頃から幻覚があり、あきらかに精神分裂病でした。しかし、抑うつ的な部分もあわせもっており、両親への憧れなども体験でしたし、おとぎ話を書いたりもできていました。状態が悪いときの彼女はおとぎ話の悪い人物が生活の中に入り込んでくるというような迫害的な心性になることもありました。

私との分析でかなりの週にわたって沈黙していました。彼女はあきらかに迫害的な幻覚を体験していたときに、突然「ランカシャーの魔女たちって何なの?」と恐れおののきながら尋ねました。彼女はランカシャーの出身で、11歳の時にランカシャーの魔女たちについてのおとぎ話を書いたことがあったようでした。そのランカシャーの魔女たちは彼女自身と彼女の両親をあらわしていたのです。彼女と母親がお互いをむさぼり食ったり、父親をむさぼり食ったりする早期幼児期の状況に退行していきました。

その後、かなりの程度の広い統合が成し遂げられ、彼女は両親との現実的な関係を作り上げました。そして、そこで獲得した象徴化能力によって、早期の不安状況を象徴形成によって処理していきました。ただ、時折状態が悪化した時には、再びランカシャーの魔女たちは具象的な現実として立ち現れることもありました。また、そうした時にはランカシャーの魔女たちは私に投げ入れられ、私自身がランカシャーの魔女になってしまうこともありました。

(10)コンテイナーとコンテインド

ウィルフレッド・ビオンの写真

図2 ウィルフレッド・ビオンの写真

象徴形成において具象化をもたらすのは投影同一化そのものではありません。投影される部分と投影を向けられる対象、すなわちコンテイナーとコンテインドとの関係を考慮しなければなりません。このことはビオンの業績から影響を受けた考えです。

これらのことを省略はしますが、若い神経症的な男性の事例と著しい障害のある女性の2つの事例を通して明らかにすることができます。

さらに、言語化はコンテイナーとコンテインドの視点から見ることもできます。象徴が無意識に形成されるのとは異なり、話すことは現実的に学習されねば習得はできません。赤ん坊は音を出すことから始めますが、音は他者によって取り上げられ、話すということに次第に変換されていきます。

幼児はこうした体験を重ねていきますが、その体験は母親が言葉や句を供給することが大きな影響を及ぼします。このことは意味へのコンテイナーを供給することと言えるでしょう。そして、そのことによって、幼児は言葉や句を内在化していきます。

ウィルフレッド・ビオンの理論については以下の「連結することへの攻撃(1959)」のページをご参照ください。

2. 象徴形成について(1955)の解説

(1)シーガルの生涯

1918年8月20日にポーランドのワルシャワでユダヤ人家庭の次女として出生しました。父親は弁護士で、のちに国際新聞の編集者になっています。多数の言語を流暢に話す人だったようです。母親は典型的なブルジョワ女性であったとのことです。両親は裕福で、穏やかで幸せな家庭だったようです。しかし、2歳上に姉がいましたが、シーガルが2歳の時に病死しています。

12歳の時に父親の仕事の関係でジュネーブに移住し、進歩的なインタナショナルスクールに入学しました。ここで彼女はヨーロッパ文化について学びました。また、その後、彼女は一人でワルシャワに戻り、フランスドイツ哲学を専攻しました。この時期にフロイトの著作に触れたようです。さらに左翼運動にも熱心で、違法なセクトにも所属していたことがあるようです。

彼女は大学への進学の際、芸術や文学、社会学、心理学など何を専攻するのかを悩みました。その時父親は「何かを改革したいなら完全に独立できるような専門性を見つけなさい」とアドバイスし、最終的には医学部への進学を決めました。

18歳(1936年)の時にワルシャワ大学医学校に入学しました。しかし、21歳(1939年)にパリに住む両親の元に帰省していた時に第二次世界大戦が勃発し、ドイツ軍のポーランド侵攻により、ワルシャワに戻ることができなくなりました。そのため、パリの医学校に入学しました。この時期に後に結婚する従兄弟であるポール・シーガルと出会っています。

さらに、ドイツ軍のフランス占領に伴い、イギリスに移住し、エジンバラ医学校に入学しました。この時にフェアバーンと出会っています。フェアバーンからアンナ・フロイトとメラニー・クラインの著作を紹介してもらいました。また、フェアバーンの紹介で、ディビット・マッシュウの精神分析を受けるようになりました。

25歳(1943年)に医学校を卒業してからロンドンに戻り、パディントン・グリーン病院に就職しました。ここでウィニコットに出会い、クラインを紹介してもらい、クラインの精神分析を受けることになりました。その際、給料が少なかったため、クラインは費用を1/5程度にディスカウントしていたようです。

また、ポーラ・ハイマンとジョアン・リビエールからスーパービジョンを受けるようになりました。27歳(1945年)に母親が亡くなりました。その翌年(28歳)にポール・シーガルと結婚しました。また、この時期に児童分析の訓練をはじめ、エスター・ビックからもスーパービジョンを受けるようになりました。

29歳(1947年)に精神分析家の資格を取得し、36歳(1954年)には訓練分析家になりました。同時期に精神分析家となったビオンやローゼンフェルドらとならんでクライン派の三傑と呼ばれています。また、彼女はスーパービジョンや訓練分析を正統的なクライン派の面々から受けており、「クライン派の純血種」と呼ばれたりもしています。

そうした彼女はメラニー・クラインの難解な理論を分かりやすく整理し、まとめ、伝達するという重要なスポークスマンの役割を担っていました。また、それだけではなく、象徴形成の研究や芸術や美術に関する精神分析的な研究も精力的に行っていました。彼女は主には個人開業で生計をたてながら、国際精神分析協会の副会長や、英国精神分析学会の会長、メラニー・クライン・トラストの委員長を務めたりもしました。

64歳(1982年)の時には「核戦争防止のための英国精神分析家連盟」を設立し、社会活動、政治運動も行っていたようです。74歳(1992年)にはシガニー賞を受賞しました。75歳(1993年)の時には次男の家族とノース・ロンドンに移り住みました。しかし、78歳(1996年)に夫であるポールが亡くなりました。彼女はその後も現役で精神分析の実践や後進の育成に携わっていましたが、2011年7月5日に92歳で亡くなりました。

(2)統合失調症の精神分析

ビオンやローゼンフェルドらと同時期に統合失調症の精神分析に果敢に挑戦しました。これまでも統合失調症の精神分析はありましたが、いずれも良性の関係を築き、サポーティブな要素を取り入れた精神分析でした。特に自我心理学派はそうしたパラメータを導入することが多かったようです。しかし、シーガルをはじめとしたクライン派精神分析では統合失調症にもパラメータは導入せず、純粋な精神分析を適用しました。

シーガルはパラメータを導入すると、スプリッティングを強化し、洞察に至らないと結論しています。また、「私は転移を重要視しながら、防衛と素材を、陽性と陰性のどちらも解釈した」と述べています。さらには、初回面接から転移解釈をすることにより、むしろ関係性が深まることを事例を通して詳細に論じています。

また、シーガルはベティ・ジョセフなどと違い、解釈はどちらかというと内容解釈や象徴解釈に重きを置いているようです。この点に関して、ローゼンフェルドもhere and nowにこだわる転移解釈は局面によっては膠着を引き起こすとし、そうした時にはシーガルのような内容解釈に重きを置くことが良いと主張しています。

(3)象徴とは

象徴とは何かを代理する、もしくは代表するような内容の言葉や記号のことです。天皇が日本の象徴であることなどはその典型例でしょう。フロイトは心的な内容物や無意識を探索しましたが、その手掛かりとしたのは夢の象徴です。夢で現れている様々な事柄は無意識の象徴として理解し、そこからたどって無意識を発見していきました。無意識そのものは見ることはできませんが、そこから派生した象徴は見ることや話すことはできます。

ジョーンズは象徴は無意識的な衝動による葛藤から生じていて、抑圧と関係があると言っています。また、無意識は遺伝的、生得的な起源をもっているため、象徴は言語や神話、文化が違っても、同様のものが見られます。花が女性性器、武器が男性性器を表しているなどはその例と言えるでしょう。各国の神話も細部は違っても、大本のストーリーが類似していることはよく知られたことです。ウィニコットの移行対象・移行現象も一種の象徴であるといえます。

さて、こうした象徴を利用して無意識の探索をすることが精神分析と言えるのですが、特にメラニー・クラインはこれを子どもの遊戯というものに着目し、そこから見て取れる象徴を最大限に活用し、精神分析を進めていきました。しかし、メラニー・クラインは抑うつポジションでの象徴と妄想分裂ポジションでのそれとの異同については、明確には述べていません。この異同を詳細に論じたのがシーガルであり、この論文であるといえます。

シーガルは妄想分裂ポジションでの象徴は象徴等価物であるとし、象徴とオリジナルな対象とが全く同一になってしまい、その境界が曖昧であることを示唆しました。具象的な思考と言い換えることもできるかもしれません。それが抑うつポジションになるにつれ、象徴とオリジナルな対象は別物であることを認識するようになり、類似性はありつつ、違うものであるということを理解していくようになるとしました。

(4)芸術と創造性

妄想分裂ポジションにおいて攻撃し、破壊してしまった対象に対して、抑うつポジションへと移行する中で、償い、修復しようとする欲動が生じます。そうした活動性が芸術活動となり、創造性へと至ります。言い換えると、切望される対象への償いが、美的にみごとな芸術を生じさせます。これはフロイトの昇華以上の機能と言えるでしょう。こうしたことを可能とするためには、抑うつポジションが比較的安定して達成されていることが必要不可欠となります。

個々の芸術は内的世界やそこに置かれた活動の状態を象徴的に表現するものとなる身体的現実への外在化と言えるでしょう。

シーガルは以下のように述べています。「深みでの創造的行為は、調和的内的世界の無意識の記憶と、その世界の破壊の経験つまり抑うつポジションに関係がある。その衝動は失われた世界を回復させ、再創造しようとするところにある」としています。それは言い換えると償い(reparation)であるともいえます。

そうした創造は苦痛を孕んでおり、創造する必要性は強制的でもあります。たやすくその営みを放棄することはできず、放棄や失敗は破滅として感じられるほどのものです。芸術家は深い葛藤を体験し、そのための表現を見出し、夢を現実へと翻訳する特別な能力を有します。そうした中で創造された作品は、芸術家から世界にむけられた贈り物なのです。それは芸術家が死んだ後も残り続ける贈り物です。

(5)H,シーガルのインタヴュー動画

Meeting Hanna Segal

3.終わりに

このようなクライン派を代表とするような精神分析について詳しく学びたい方は以下の精神分析のページをご覧ください。

4.参考文献

この記事は以下の文献を参考にして執筆いたしました。