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ある5歳男児の恐怖症の分析

賢いハンス

S,フロイトの1909年の症例論文「ある5歳男児の恐怖症の分析」についての要約です。ハンス少年の精神分析を通して、性欲理論を症例から証明しようとした論文です。

本論文はフロイト全集〈10〉1909年―症例「ハンス」・症例「鼠男」フロイト症例論集2―ラットマンとウルフマンに収録されています。

1.論文の背景

フロイトは夢理論の研究中にエディプスコンプレックスの発見に至り、ヒステリーの病因として子どもに性的欲望があるという欲動理論へ転向した。その後「性理論のための三編(1905)」が完成した。フロイトを敬愛するハンスの父親の報告により、フロイトはエディプスコンプレックスが証明された、幼児性欲理論と一致すると結論付けた。

また、不安理論の展開を助けた点もあったといわれている。フロイトの議論の展開の中で、当初不安は「(リビドー)鬱積不安」と理解されていたが、ハンスの症例をたどるにつれて後の「制止、症状、不安」で展開される不安信号説へ変わっていったといわれる。

フロイトは、ハンスの恐怖症の展開と解決についての観察を、この観察が、「性理論のための三編(1905)」で提示した主張をどの程度支えてくれるか。この観察が、しばしば見受けられる病型の理解のために、どう役立つか。この観察から、子どもの精神生活の解明やわれわれの教育意図の批判のために、どんなことが引き出せるか、という3つの方向に沿って検討しなければならない、と述べる。

2.ハンスの生育歴

ハンスはもともと(性的)好奇心、知的な高さがあることをあらわしている。3歳になる前におちんちんをいじり、母親にたしなめられる。この時にフロイトはエディプスコンプレックスが確立しているのだろうと述べている。また、妹のハンナが生まれ、母親によって、赤ちゃんは鸛が運ぶとの説明を受ける。夏にはハンスと母親が二人っきりになれるグムンデンへ避暑に行く。グムンデンで知り合いになった13歳の娘への性愛感情を空想の中であらわし、それは母親と一緒に寝たいあらわれだろう、とフロイトは述べている。

3.ハンスの精神分析

(1)病歴と分析

父親からの報告は「残念ながら病歴のメモになります」となり、「表通りで馬に噛まれそうだ」と恐怖症が出現し「寝ているとママがいなくなって、ぼくには甘えるママがないと思った」と不安夢が出現するハンスが報告される(4歳9ヶ月)。ハンスの馬恐怖は強くなり「馬が私を噛みそうで恐い、馬が部屋に入ってくる」と話す。それに対してハンスの母親は、「手をおちんちんにやっているからじゃない」と答え、フロイトは父親に「馬のことなどばからしくて、本当はママが大好きでママのベッドに入れてもらいたい、馬のおちんちんのことや自分のおちんちんのことをもそんなに気にするのはいいことじゃないとお前は気付いているけどそれは全くその通りなのだ」と話して聞かせるように伝えている。つまり馬恐怖と性的なことをつなげる関わりをしている。

その後、「大きなキリンとぐしゃぐしゃのキリンの夢」「パパと汽車に乗って、一緒に窓ガラスを割って連れていかれる夢」が報告される。これらの理解は、前者は「両親とハンスの間で日々繰り返していることで、彼はママへの、ママの愛撫への、ママの性器への憧憬を抱き、そのため寝室に入ってきたのである。すべては馬に対する恐怖の続きである。「上にのっかること」は占有獲得ということのハンスの表現で、満足感とともに父親の抵抗に対する勝利に結びついているのである」と、エディプス的に解釈している。後者はキリン幻想の正確な続きであり、近親相姦の願望のあらわれであり、父がハンスにとって敵であるだけでなく密接な関係をもつ対象であることをあらわしている。

父親とともにフロイトが診察する機会が1度あり、これ以降、乗り合い馬車や荷馬車への不安に、恐怖対象が変わっていく。そこで馬は父親だけではなく母親の表象でもあったと進んでいく。またハンスが恐れる馬が倒れることは出産のことであり、赤ちゃん(ハンナ)は大便のように生まれる、という出産空想をめぐっていくようになるが、局面は不明確で分析は進歩せず分析の叙述は読者に退屈を覚えさせるのではないか、とフロイトは記述している。

(2)精神分析プロセス

ハンナは「箱に入って」グムンデンについていった。母親の妊娠について彼が知っているということを意味している。

「ママが手をはなせばいいのに、そしたらハンナが落ちてしまうのにと思った(P217)」「(ハンナ)生まれてこなほうがよかった(P221)」「パパが死んでくれれば自分がパパになれるのに(P236)」とハンスは語っている。これらは母と結婚し子どもをもつ願望。パパはお祖父さんなんだ。幼いエディプスは運命に定められているより仕合せな解決を見つけ出した。彼は父親に父親をのぞいてしまうかわりに、自分にも要求しているのと同じ仕合せを恵んでやる。つまり彼は父親をお祖父さんとよび、父親自身の母親と結婚させてやるのである。

荷箱を積んだり降ろしたりして遊びながら、ほとんど馬恐怖は消失した。

4.ハンスと性欲理論

フロイトはハンスの観察によって浮き彫りにされた子どもの性生活像は、成人に試みた精神分析にもとづいてフロイトが性欲理論において叙述しておいたものと見事に一致する、と述べる。

ハンスにおける最初の、性生活に関係する傾向は、自分の「おちんちん」に対する特に活発な関心である。この関心が彼を探究者にし、ペニスの有無を根拠にして生物と無生物とを区別することができるということを発見する。

そして両親や妹にもペニスが確かにあると考えてしまう。また、ハンスが父親にも母親にも繰り返し、彼らの性器をまだ見たことがないといって残念がるのは、おそらく彼が比べてみたいという欲求に駆り立てられていたからだろう。ママはきっと「馬のような」おちんちんを持っているのだと彼は言い、ペニスが自分と一緒に大きくなっていくであろうという慰めを用意する。そこにはあたかも子どもの大きくなりたいという願望が性器に集中したかのような観がある。

ハンスが遊び相手の女友達に求めていた、一緒に寝たいという性的目標の起源は、実は母親にあった。彼は本当に幼いエディプスで、美しい母親と二人きりになり、彼女と一緒に寝るために、父親を「追い払い」たい、片付けたいと思っている。この願望は避暑滞在中に生じたもので、そのとき父親がいたり、いなかったりしたことが彼にその条件を示唆し、これに待ち焦がれた母親との親密な交渉が結びついた。後にこの願望は、父親はずっといなければいい、「死ね」ばいいという内容へと高まる。ハンスは、死ねばいいという願望を抱いている父親のことも内心では愛しており、彼の知性がこの矛盾に異議を唱える一方、彼は事実そういう願望の存在することを表示せざるをえず、だから彼は父親を叩き、そのすぐあとからその叩いた場所に接吻をする。

ハンスの性心理発展にとって最大の意味をもつにいたったのは、彼が3歳半のときの妹の誕生である。分析においては彼は妹に対する死の願望を包み隠さずに表現するが、彼にとってのこの願望は、父親に対する同じような願望のようには邪悪なものとは思われていない。しかし、彼は明らかに両方の人物(父と妹)を無意識においては同じように扱った。なぜならば二人とも彼から母親を奪い、母親と二人きりになることを妨げるからである。

5.病型の理解

(1)馬恐怖の解釈

2頭のキリンの空想は、1頭のキリンは、彼が別の1頭を占有してしまうので、いたずらに泣き叫ぶ。キリンの空想のすぐあとにハンスが抱いた二つのちょっとした空想として、シェーンブルンで立ち入り禁止区域に押し入るというのと、市電で窓ガラスを割る。この空想には両方とも罪ある行為が強調されており、父親が共犯者として出てくる。これらの空想は、母親を占有するというコンプレックスに属しており、共通しているのは暴力的なこと、禁じられたことであり、象徴的な性交空想である。つまり、「私はママと何かをしたいのだ、何か禁じられたことを」というわけである。

フロイトはハンスの父親に対する嫉妬と敵意を含んだ願望による父親に対する彼の不安を解釈した。父親が馬であるに違いなく、だから彼が馬を恐れたというのも、立派な内的な根拠があったのである。馬の口のまわりの黒いものと、目の前についているもの(成人男子の特権としての口ひげとめがね)は、父親から直接馬に置き換えられたものだと思われた。

馬に噛まれる不安はやがておさまり、荷車や家具運搬車や、乗合馬車などにこれらの共通する点は、やがて重い積荷だったということが判明する。彼は“馬が倒れる”ということを不安がっており、この「馬が倒れる」ことを容易にするように思われるものをすべて、自分の恐怖症の内容にするのである。

発病以前に、ハンスは母親と散歩に行って、乗合馬車の馬が倒れ、馬が足をばたばたさせるのを見て、彼は非常に驚き、「馬が死んだ」と言った。このとき以来、彼にしてみれば、すべての馬が倒れるであろうということになった。父親はハンスに対して倒れる馬を見て、父親がこんなふうに倒れて死ねばいいと願ったに違いないと彼にほのめかし、彼もこの解釈に逆らわなかった。しばらく後に彼は、父親を噛むという遊戯を行うことによって、父親と怖がる馬との同一化をし、それ以後は父親に対し、自由に恐れずにふるまうようになった。

「馬が自分を噛むだろう」という最初に述べられた不安の背後には、馬が倒れるだろうというもっと深いところにある不安が発見された。噛む馬も倒れる馬も両方父親であり、父親は彼が父親に対し非常に悪い願望を抱いているので、彼を罰するであろうと彼は考えるのである。

父はハンスと仲良しの遊び仲間であり、遊び相手の少女たちに対して競争相手だったかもしれないフリッツルが、馬遊びのときに石につまづいて、倒れて足から血を流したという体験を思い出させる。この体験が倒れた馬の印象の背後に隠れていたのである。

馬は彼にとってもっとも興味深く、大きな動物であり、馬遊びは仲間の子どもたちとする一番好きな遊びであった。グムンデンにおける事故においては、フリッツルという人物が父親という人物のかわりをつとめるということもありえたのであり、抑圧の転換が生じたあと、今度は彼は、それまで数多くの快感が結びついていた馬を怖がらざるを得なくなったのである。

リビドーの不安への転換がどのように恐怖症の主要対象である馬に投影されている。

(2)うんこコンプレックスへの取り組み

父親の干渉もないのに、ハンスは「うんこコンプレックス」に取り組み、排泄物に興味を抱くようになる。父親もこの大便の象徴的意義に立ち入ることになり、重い荷を積んだ車と糞便の詰まった身体との間や、車が門から出て行く様子と、身体から糞便を出す様子とのあいだ等々の類似を認める。

ハンスの新しい空想として、錠前師だか工事夫だかが、ハンスの入っている浴槽のねじを外し、それから大きな錐で彼の腹を突いた。これは出産空想を不安によって歪曲した改作であるということを読み取ることができた。大きな浴槽は母胎でり、「錐」は大きなペニスであり、生まれるということなのである。

大きな浴槽での入浴の際の不安は、ハンスは母親が妹を入浴のさいに落とせばいいのに、そうすれば妹は死ぬのにという願望をもっていることを認めた。入浴の際の彼自身の不安は、この邪悪な願望への報復に対しての、そうなった場合の懲罰に対しての不安であった。

(3)幼い妹のテーマ

幼いハンナ自体が大便であり、すべての子どもたちは大便であり、大便のように生まれてくる。全ての家具運搬車や乗合馬車や荷馬車はコウノトリの箱の馬車であるにすぎず、またそれらは妊娠の象徴的代用物としてしか彼の興味をひかなかったこと、そして重そうな馬や重い荷を積んだ馬の転倒ということの中に彼が見ていたのは他でもない、分娩、出産であったかもしれないことがわかる。倒れる馬は、死んでいく父だけではなく、出産の時の母親でもあったわけである。

ハンスの場合、すでに以前に抑圧されていて、決して自由自在に現れることのできなかった興奮、すなわち父親に対する敵対的で、嫉妬深い感情と母親に対する、性交の予感にしたがった、サディスティックな欲動という構成要素があり、これらの早期の抑圧の中に後の罹患の素因があった。ハンスの場合、これらの攻撃的傾向は出口を見つけ出すことができず、それらが不自由と性的興奮の高揚の時期に強められてほとばしり出ようとするや否や、「恐怖症」と名づけるところの闘いが発生したのである。

6.精神分析への批判への反論

フロイトは精神分析の唯一の結果は、ハンスが健康になり、馬をもはや怖がらなくなり、父親との交わりがずっと親しくなり、父親が尊敬という点ではあるいは失うかもしれないものを、信頼という点で取り戻すのであった、とハンスの精神分析の意義を強調している。

また、この精神分析から、新しいことは何一つとして知りえなかった。すでに他の成人の患者を精神分析した場合に推定しえなかったようなものはそこには何一つなく、他の患者たちの神経症は必ずハンスの恐怖症の背後に暴露されたのと同じような幼児性のコンプレックスにその原因をもっていたので、この幼児神経症に一つの典型的、規範的な意味を要求したい気持ちになっている、と述べて論文をしめくくっている。

7.議論

ハンスの症例はフロイトが直接治療しているわけではないものの、精神分析に関心を持っていた父親によってハンスの様子が詳細に観察されており、ハンスの様々な空想がとても豊かに記載されていて、メラニークラインの児童分析を彷彿とさせるような内容であるように感じました。また、父親に対するスーパーバイズとも言えるこの分析がある程度うまくいったと思われるのは、やはり父親のハンスに対する献身的な関わりが大きいように思いました。特に父親のサポートのもとで、父親や妹に対して死を願う気持ちや、母親の愛情を独り占めしたいというような禁じられた願望を、父から罰せられることなく言語化できたというプロセスが、ハンスの空想の中での父親への恐怖を和らげ、それが馬に対する恐怖を和らげる要因となったのかもしれません。

ただ、やはり疑問点としては、精神分析したのがフロイトではなく父親であり、場所や時間、頻度が決まっていない非常に曖昧な構造であることからも、ハンスの恐怖症の改善がどれだけ分析によるものなのかはわかりにくいのではないかとも考える。

妹の出産に対するハンスの空想が興味深い。実際下の子の出産の際に上の子がハンスのような空想を持つようになるのか、育児の経験のある方にうかがってみたい。

症例を(不安定なところもある)お母さんとの関係に着目した理解も重要かもしれない。

フロイトの一度の診察での介入「君(ハンス)がこの世に生まれるずっと前から私にはハンスという子どもが生まれてくるだろうということ、その子はママが大好きでそのためパパを恐がるにちがいないということがわかっていて、そのことはパパに話してあるのだ」は、今日の技法としてはどうか疑問でもある。

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