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文化と宗教についての精神分析的理解について

フロイトの論文「トーテムとタブー(1913)」からみる人間の本質への精神分析的理解について書いています。本論文は「フロイト全集〈12〉1912‐1913年―トーテムとタブー」に収録されています。

1.トーテムとタブーの再読

以前に横浜精神分析研究会の文献講読で取り上げた「トーテムとタブー(1913)」を再び読み直している。

トーテムとタブー(1913)の内容や要約については下記をご覧ください。

長々と書いているけど、いわゆるエディプスコンプレックスの話ですよね。明言はされてないけど、超自我やエス衝動らしき概念も織り交ぜられていて面白い。文化や宗教は防衛や病気かと。

今は「トーテムとタブー(1913)」を岩波の全集で読んでいるが、前に読んだ時には人文の著作集だったか。確かおそらく10年ぐらい前だったような。あの時にはまた再び読む時が来るとは思わないぐらい、難解で、耐え難かったし、苦痛以外の何物でもなかった。

2.人間の根本への接近

フロイトの論文で「トーテムとタブー(1913)」「文化への居心地の悪さ」「幻想の未来」「モーセという男と一神教」などの文化論や宗教論は我々のような精神分析臨床をしている人には不人気です。やはり、臨床実践からかけ離れているからだろうか。しかし、人間の根源や根本に近づいていくためには必要なことかと思うが。

目の前におこる現象はもちろん大切だけど、その背後に広がる広大な何かについてそこはかとなく注意を向けておくことで、臨床の奥行きと深みが出てくるように経験上考える。そうした意味でも文化論や宗教論、もしかは文芸作品や芸術作品の精神分析的理解は我々の臨床の後ろ盾になりえる。

人間の本質が100年や1000年ぐらいでは変わらないと思う。とすると、何千年も受け継がれる宗教や文化の積み重なりには、人間の本質に触れる何かが織り込まれているのだろう。精神分析では大人の心の中に子どもの心を見出すのと同じように、原始の世界を見出すことが臨床に深みをもたらすだろう。

3.マニュアルの弊害

最近はすぐにでも使える臨床技法の習得や手順通りにすれば上手くいくマニュアルがもてはやされている。それはそれで良いとは思うし、臨床心理業界全体の技量の上乗せには大切なこと。反面で、それを下支えする根源的な人間理解に触れ、臨床に深みをもたらす智慧をもう少し大事にしたい。

横浜精神分析研究会では明日にでも使える技術は提供してないが、臨床に深みと広がりを長期的展望で身につけていくことを目的にしている。月1回だけだけど、そのような方向に価値を見出せる方は是非ご参加ください。と最後には宣伝になってしまった。もちろん、精神分析はこうした研究会で学べるものではないので、教育分析や個人分析、スーパービジョンなどが次の一歩としては大切になってきます。

そうした精神分析については下記のページに詳しく書いています。ご参考にしてください。