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原初の情緒発達

D,W,ウィニコットの1945年の論文「原初の情緒発達」についての要約です。早期の幼児期において正常であることが、精神病においては退行の形で現れることを論じています。

1.時代背景

ウィニコットは、1914~18年に第一次世界大戦で従軍船医に従事し、友人が多数死亡しました。1941~45には、第二次世界大戦があり、疎開児童のケアや対応を行っていました。そこで、後妻となるクレアと出会いました。また、本論文の発表以降、母性剥奪の問題に直面、環境の重要性を主張しはじめ、クライン派から離れることになっていきました。

2.本論文の位置づけ

「クラインに対する最初の明確な挑戦」と言われています。1941~44年に英国精神分析協会内で大論争が起きました。ウィニコットはクラインの論文発表の求めに応じず中間学派にとどまりました。1951年にクレア・ブリトンと再婚し、精神的に安定しました。また、このことは「抱えること」理論に強く影響したといわれています。

1953年に英国精神分析協会の会長に就任しました。また、ラジオ番組、非専門家向け講演、一般紙寄稿等の活動を積極的に行いました。

「ウィニコットの全業績から唯一本論文を選ぶとすればこれか?」と言われるほど本論文は重要です。なぜなら、その後展開するウィニコット理論のエッセンスがすべて詰まっているからです。乳幼児の発達と精神病を結びつけようとの意図が現われており、当時としては革新的でした。クラインの影響下にあったウィニコットがクラインに挑戦し、対話しようとするマニフェストといえるでしょう。

3.早期情緒発達の重要性

本論文の目的は早期(生後5~6ヶ月)情緒発達が極めて需要であり、精神病理学への鍵があることを論じることです。

精神分析の発展について、この20年(クライン業績)は非常に重要です。それは患者の内なる組織への空想についてです。フロイト技法より原初的要素(抑うつや心気症分析)に進んでいます。

外的関係葛藤(神経症)患者に対して、精神分析家の仕事は、患者の愛と憎しみを探索することです。そして、前抑うつ的・抑うつ的患者に対しては、併存的愛と憎しみを精神分析家が理解できることを要求します。精神分析の道筋は、外的関係葛藤・抑圧の対処として、迫害的要素起源を含む、抑うつ防衛全般に及びます。

6ヶ月の乳児の変化は、身体的技術発達(対象物を掴み口に入れる)と情緒的発達にあります。遊びの中で自分が内側を持っており、物事が外側から来ると知ります。母親の内側を仮定し、その気分を思いやり始めます。これは全体人格としての関係が出来つつあることを示しています。

この段階以前の乳幼児感情や人格の中で何が起こっているかを調べることです。どれくらい早期に重要事態は起こっているのか。おそらくは妊娠9ヶ月終盤に情緒発達の機が熟していると考えられます。

4.早期の発達過程

早期の発達には以下の3段階があります。

  1. 統合(integration)
  2. 私有化(personalization)
  3. 現実化(realization)

(1)一次的無統合(primaryunintegration)

理論的出発点であり、退行的人格解体状態です。人格解体の基盤をもたらす、一時的統合に関する時間の遅れ・失敗、防衛の失敗要因となります。

例:週末について詳しく述べ続ける患者は、ばらばらの断片を一人に知られたい二―ドであると解釈できます。これは、乳幼児の普通の事柄であり、断片部分を寄せ集めてくれる人物の有無が統合に影響します。

(2)統合を助ける2組の経験

乳児のケアの技術として、暖められ、あやされ、お風呂に入れられ、揺らされ、名づけられる、があります。激しい本能的経験は、内側から人格を寄せ集めようとするものです。

人生最初の24時間は、統合に向かう健康な歩みであると同時に、貪欲な攻撃の早期抑制です。これは過程遅延・逆戻りになることもあります。

正常乳児はまとまって何かを感じます。断片か全体か、母の顔中か自身の体内かに無関心です。

(3)環境

養育技術、見える顔、聞こえる音、匂いは最初は断片ですが、徐々に寄せ集められ一つの母親存在となります。

無統合な精神病状態は、個体の情緒発達の原初的段階では自然なことです。そして、これは精神病患者の転移状況としてあらわれます。健康な状態とは、自身の体の中に生きている、統合されている、世界はリアルと感じられることです。

(4)統合に重要なこと

人格がその人の身体の中にいるという感覚の発達が統合に重要です。これは私有化を築くものといえます。本能的体験と、反復される静かな身体のケアという体験ともいえるでしょう。

一方で、離人化は早期の私有化の遅れといえます。子ども時代の想像上の仲間(イマジナリー・コンパニオン)は防衛として理解できます。

5.乖離

無統合から乖離(dissociation)が生じます。

静かな状態/寝床や入浴時の穏やかな感覚と、興奮状態/授乳不満、破壊衝動、泣き叫びの対比があります。また、静かな経験を通して築き上げる母親と、破壊しようとする乳房の背後の力としての母親がいます。そして、眠っている子どもと、目覚めている子どもの違いがあります。

夢を思い出すのを助けてくれる人がいると、乖離が解消へと向かいます。芸術的創造、個人・人類の幸福へと至ります。

乖離現象は都会生活、戦争と平和、夢遊病、失禁、斜視の一部等にあらわれます。

6.現実適応

(1)外的現実への原初的関係

赤ん坊は切迫した本能的欲求と食肉的な考えを持っています。

母親は乳房/ミルクを作り出す力、空腹な赤ん坊に食いつかれたい考えを持っています。そして、寛大で理解ある人です。

互いに関係を持ち一緒に一つの経験を生きます。これは重なり合う時・錯覚の瞬間です。自分の幻覚か、外的現実に属するものか、どちらにもとることのできる経験的断片です。細部にわたる実際の視覚、感触、匂いは幻覚・考えを豊かにします。

これにより、実際に手に入るものを呼び出す能力を築き始めます。実母・一人の養母の仕事は、複雑なことから幼児を守り、世界の断片を着実に供給し続けることです。

客観性、科学的態度を築き上げうることは、この段階での失敗であり、客観性における失敗といえるでしょう。

(2)空想の中では物事が魔術によって動く

空想はブレーキがない/愛と憎しみの効果であり、現実はブレーキあり/検討され、知られます。

客観的現実が充分尊重された時以外、楽しむことはできない現実よりも、原初的なものは外的現実の欲求不満を扱うために創出したものではありません。

最も原初的状態は、病の中に維持され、時に退行の可能性があります。対象は魔術的な法則に従って動きます。初めに外的共有された現実との単純な接触が必要です。これは乳児の幻覚と世界の提示と合わさって、錯覚の瞬間といえます。

錯覚を生みだすようなニードに合うよう、世界(母親)が提示し続けられるべきです。

7.原初的無慈悲さ

思いやり以前の段階といえます。赤ん坊と母親の間の最早期の関係は無慈悲な対象関係(乖離状態)です。これは思いやり以前の段階です。

正常な子は、母親との無慈悲な関係を楽しみ、それを遊びの中で示します。そして、それを容認する母が必要となります。

この遊びがないと、無慈悲な自己を隠し、乖離状態でしか生かせなくなってしまいます。

一次的無統合の純然たる受容がある一方で、人格解体への恐怖となってしまいます。自己断片の行為は衝動の結果、かみつく口、刺すような目、耳をつんざく声、吸い込む喉などがあります。

思いやりの段階ではそれらを忘れられます。解体は衝動の放棄であり、自分勝手に動き回り、制御されません。これは自身に向けられた衝動との考えといえるでしょう。

8.原初的報復

(1)原初的対象関係

対象が報復という形で行動してしまいます。これは外的現実への真の関係に先行します。そこでは、自己の一部である対象関係や、それらを魔術的に呼び出す本能といえます。原初的性質を持つ内向化は、この環境内に生きる人生に必要であり、外的現実から豊かにされず貧しいものになります。

(2)指しゃぶり

誕生以来から観察が可能です。これは正常活動と情緒障害の双方に重要な事柄です。

自体愛とは、快楽を楽しみ、享楽的観念をもります。それは強く継続的です。そして、傷つける、憎しみも表現されます。指しゃぶりや爪かみは、愛と憎しみが内側へ曲げられています。関心ある外的対象確保のニードです。外的対象への愛に関する欲求不満に直面し、自己へ向き変わる愛と憎しみです。

慰めの機能として、乳房・母親等の代わり、正常で普遍的(おしゃぶり、正常成人の活動)であす。

スキゾイド・パーソナリティには存続し、強迫的になります(例:本を読まずにいられない)。

対象を一定の場所に限定しようとする、内と外の間の中間に確保する試みです。外的世界における対象喪失に対する防衛か、身体の内側の対象制御喪失への防衛です。

正常な指しゃぶりにも同様機能があり、安全でない感覚と原初的不安に対する防衛です。すべての指しゃぶりは原初的対象関係の有効な劇化へ欲望から作り出され、幻覚されます。始まりにおいて外的現実からの協力とは無関係です。乳房と指を同時にしゃぶることは、外的現実を使用しながら自己創造された現実にしがみつくを示しています。

9.議論

クライン理論と乳幼児の母子観察の緻密さが合わさり、早期情緒発達過程、乳幼児主観世界生成の輪郭を描き出されています。

指しゃぶりは胎内でも観察されます。また、乳児の睡眠中の口唇反応としても観察されますが、外的現実に先立つ自体愛として理解できます。

胎内環境/外的環境(対象)との葛藤、幻覚、衝動、反応(お腹を蹴る等)は出生以前からあるのでしょう。

死の欲動としての攻撃性と環境の失敗は、胎内生成過程による現象を異なる表現で捉えたものといえるかもしれません。現代でもクラシックを聴かせると胎児が寛ぐ、妊婦の状態がホルモンに影響することが観察されています。

ウィニコットがこの時期に、クラインに反論し始めた背景として、クレアの抱えを得てケアラーを脱却したことも関連しているかもしれません。

10.さいごに

精神分析について興味のある方は以下のページを参照してください。


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