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反社会的傾向

反抗の裏の剥奪

D,W,ウィニコットの1956年の論文「反社会的傾向(The Antisocial Tendency)」についての要約です。剥奪が反社会的傾向という症状を形成すると同時に、愛情を取り戻す希望でもあると論じている。

本書は小児医学から精神分析へ―ウィニコット臨床論文集に収録されています。

1.論文の背景

第二次世界大戦中オックスフォードで家出の少年少女、非行者たちの治療を指導していた。また、クラインは「幼児の情緒的生活についての二、三の結論(1952)」において、抑うつポジションについて整理をした。同時期、ウィニコットは「正常な情緒発達における抑うつポジション(1954-1955)」でクラインの理論を支持していた。本論文の前年にはウィニコットは「在宅で取り扱われた症例(1955)」を書き、家族が15ヶ月ものあいだ精神病様だった子どもの治療の記録した。

2.非行と反社会的傾向についての2つの事例

非行ではなく、反社会的傾向について論じるのは、(非行は)組織化された反社会的防衛が二次的利得と社会的反応とに満たされすぎているためである。

(1)ある非行少年の事例

最初の児童分析として選んだ非行少年は、クリニック内で起こした騒ぎのために中止になり、感化院へ行った。精神分析はうまくいったといえるのに、その中止は少年にもウィニコット自身にも苦しいものだった。

今35歳になって家庭も持っている彼をフォローアップすることを恐れており、再び精神病質者に巻き込まれるのを恐れていた。この少年の治療は精神分析ではなくむしろ居場所の安定placementであるべきだったと考えており、精神分析は、居場所の安定の後に付け加わるものとしてのみ、意味を持っていると考えた。

(2)患者の子どもであるジョンの事例

ジョンは4人家族の年長の子どもであり、家だけでなく、店頭からも大胆な仕方で盗みを行っていた。母親は相談を依頼したが、夫が宗教的な立場から心理学に反対しており、母親は本人を連れてくることができなかった。ウィニコットは盗むことの意味について説明し、良い時機を見出して解釈すべきだと提案した。ウィニコットの助言に従って母親はジョンに解釈を伝え、それ以来盗みは全くなくなった。

2.反社会的傾向の性質

反社会的傾向は正常な個人、神経症的な人、または精神病的な個人の中に見出される。反社会的傾向はすべての年代において見出され、さまざまな用語で呼ばれる。剥奪された子ども、適応の悪い子どもたち、手にあまる、非行者、精神病質者などである。

反社会的傾向には望みhopeがほのめかされている。望みが欠如している剥奪された子どもがいつも反社会的であるわけではなく、望みを持っている時期に、子どもは反社会的傾向をあらわにする。治療は精神分析ではなく、マネージメント、つまり望みの瞬間に応じて、それに合わせていくことである。

反社会的傾向があるときは、単なる欠如するということではなく、本当の剥奪があったのである。

クラインの抑うつポジションとボウルビーの3段階説(≒4段階説、ホスピタリズム研究=母性剥奪)には関連性があり、失われた外的対象に対する内的対象、あるいはその外的対象を内在化したものが死ぬために、望みがしだいに失われていく。ボウルビーの理論にはクラインの主張が必要であり、精神分析が反社会的傾向と関わりあおうとするなら、剥奪に関してボウルビーが強調したことを精神分析は必要とする。

反社会的傾向には盗みに典型的に現れる方向性と破壊性において現れる方向性の2つがある。一方は何かをどこかで探し求め、他方は環境の安定度を求めている。環境全体から反応を引き起こすのは破壊性であり、母親の腕や身体といったものを最初の手本として持っている輪circleを、探し求めているかのようである。反社会的傾向の初期の根源を検討する際には、対象希求性object-seekingと破壊性をいつも心に留めていたいと思う。

3.盗むこと

反社会的傾向の中心にあり、嘘をつくことを伴っている。子どもは盗まれたものを探しているのではなく、彼や彼女が権利を持つところの母親を探し求めているのである。この権利は、母親は子どもによって創造されたという事実に由来している。

反社会的な子どもがどれほど不快であるかを示す不快値は本質的な特色(すべてにわたって汚くすること)であり、失われた融合を回復する可能性をもう一度示すという好ましい特色なのである。

4.反社会的傾向の最初の兆候

剥奪の最初の兆候はありふれた、正常なものとして見すごされる(ex.傲慢な行動)。

一般的な反社会的症状とは、強欲greedinessであり、食欲の抑制と密接に関連している。もし幼児が欲張りならばそこにはある程度の剥奪があり、環境を通じて剥奪という観点から治療を求めることに何か強迫的になっている面がある。

ある程度はどの子も剥奪されるかもしれない。しかし強欲やおもらしなどといった、剥奪の症状になっているものに母親に応じてもらうことによって、この準剥奪的な状態を母親に治してもらうことはできる。

強欲とは、剥奪を招いた母親から治癒を求める乳幼児の強迫の一部なのである。この強欲は反社会的であり、すなわち盗むことの前兆であり、母親の治療的適応によって応じられたり、治されたりすることはある。

治療者が実際剥奪する母親である時に、この母親は幼児の憎しみが表現されることを可能にするからこそ、治癒に近いものが得られるのである。母親の治癒の結果として恩obligationの感情が生じてくる。

母親の溺愛indulgence、は、通常受け入れられる以上に母親行動(マザリング)に関する複雑な叙述を含んでいる。これは母親の愛の失敗という点から見て1つの治療となる。第2の機会が治療であるが、母親が自らのコンプレックスから生じる反動形成から治療を行うなら、甘やかしspoilingと呼ばれる。しかし母親の治療には成功と成功していないものとの間に厄介な境界線がある。

外出をして何かを買おうとする強迫は、反社会的傾向に属するものであり、特殊な剥奪に対する反応である。ずる休みtruancyは盗むことに潜在的に含まれている求心性の態度にとって代わる遠心性の傾向なのである。

5.本来の喪失

反社会的傾向の基底には、失われてしまった早期の良い体験というものがある。

不幸の原因が環境の失敗にあることを知覚できる能力に幼児が達しているということは、本質的な特色なのである。

イドの起源の融合を達成する過程にあるという時期に、本来の剥奪の時があるように思われる。信頼できるという幾つかの要素を持つ新しい設定を知覚する。対象希求性と呼ばれうる欲動を体験する。無慈悲さが主たる特色になりかけている、という事実を認識する。不快なことを容認するように組織化させる努力をする。

もし状況が抱えてくれるならば、攻撃性に耐える、破壊を防ぐ、修復する、不快なものを容認する、反社会的傾向の中に肯定的な要素を認める、求められて発見されるべき対象を提供し、貯えることといった能力を試される。

狂気や無意識的な強迫、妄想性の組織化などがそれほど大きすぎない時は、順調な条件は子どもが人を見出してその人を愛することをやがて可能にするであろう。

次の段階で子どもは、関係の中で望みだけでなく、落胆を体験できるようになる。施設の管理人やスタッフが子どもにそのすべての過程を切り抜けさせるとき、彼らは精神分析的な仕事に匹敵する治療をしたことになる。

6.反社会的傾向の治療

反社会的傾向の治療は精神分析ではなく、養育childcareの提供である。治療的なものをもたらすのは、新しい環境の提供の安定していることである。元来、反社会的傾向へ導くものが自我支持における環境の失敗なのだということを子どもは知覚しており、新しい機会を与えねばならないのは環境である。

もし精神分析であるならば、精神分析家は転移の重みが精神分析の外側にまで展開していくことを許容するか、さもなければ反社会的傾向が精神分析状況の中で全面的に展開することを予期しなければならず、その矢面にたつ覚悟もしておかねばならない。

7.議論

居場所の安定、環境の提供など、現在でも行われている反抗的な子どものセラピーにおける限界設定に通じる内容である。この論文でウィニコットがあえて精神分析ではないと断っているのは、精神分析的心理療法と精神分析の違いもあるのではないかと推測する。クラインとボウルビーを結びつけようとする記述はウィニコットらしさなのだろう。

おそらくこの論文がウィニコットのホールディングにつながっていくのである。

反社会的傾向について話題になっているのは第二次大戦後の時代背景があるからかもしれない。当時は、疎開や親の戦死など、非常に過酷な状況が続いていたことと無関係ではないだろう。

ウィニコットは「恩」と書いているが、これはクラインでいうところの「償い」に近い概念なのかもしれない。また、剥奪と喪失は似ているが、これは違う概念であろう。

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