精神分析的設定内での退行のメタサイコロジカルで臨床的な側面
D,W,ウィニコットの1954年の論文「精神分析的設定内での退行のメタサイコロジカルで臨床的な側面」についての要約と解説です。早期の環境の失敗状況が転移のなかで再演することや、そこに退行することによって回復していくという技法論など豊富なアイデアが詰め込まれています。
1.論文の背景
「母親の抑うつに対して組織された防衛の観点から見た償い(1948)」の論文で、クラインから独立宣言を行った。1950年代には、マネージメントを重視するようになったが、これは第二次世界大戦にて、環境整備に影響を受けたと思われる。「移行対象と移行現象(1951)」を経て、クレアと結婚した。この前後にはソーシャルワーカーや多くの抱える環境を重視するようになった。
そうした中で、本論文は1954年3月17日英国精神分析学会において発表された。そして、この論文は「幼児のケア、子どものケア、分析的設定における依存(1963)」につながる発想が盛り込まれている。
2.退行という主題
(1)フロイトによる退行理論
フロイトが残した課題の1つである。論文の中にしばしば現れているが、精神分析の実践の直感的あるいは芸術的な側面としてたまたま言及されているにすぎない。しかし、ウィニコットにとっては、10年あまりの臨床の中で、いくつかの症例によって注意を向けることを強いられてきた主題である。
(2)退行という主題を考えるための幾つかの側面
精神分析は単に技術的な実践ではない。基本的な技術を獲得する中で、ある段階に達した時にできるようになる何かである。そのおかげで、それぞれの患者に由来する特徴があり、独自のペースや道筋を辿る過程に従う際、精神分析家は患者と協力することができるようになる。
限られた技術でも治療を遂行しうるし、熟達した技術を持ってしても治療を遂行するのに失敗することもありうる。精神分析家が症例を選択する意義は、技術的な装備を越えるような人間性の側面に出会わずに済む。
(3)症例を選択するためのグループ分け
患者のタイプ | 抱える困難 | 要求される技術的装備 | 環境の点から | |
---|---|---|---|---|
第1グループ | 全体的人格 | 対人関係の領域 | 古典的分析 | 家庭生活の日常的な経過の中で困難を生じた |
第2グループ | ようやくなり始めた患者たち | 抑うつポジション(思いやりの段階) | 気分の分析や精神分析家が生き残ること | 母子関係、特に離乳が重要な意味をもつ言葉となる時期をめぐって |
第3グループ | 単一体としての人格が確立される以前の患者たち | 時空間の統一が達成される以前のもの | 通常の分析を中断し、マネジメントがその全て | 原初的情緒発達(母親が実際に乳幼児を抱えることが必要となるような時期) |
この中でもウィニコットにとって、退行について多くのことを教えてくれた患者のひとりは第3のグループの症例であった。
(4)47歳女性の患者の病歴
初めは、第1のグループの様相を呈していた。つまり、精神病という診断はなされていなかった。しかし、偽りの自己が非常に早期から発達していることを考慮に入れた上で、精神分析的な診断がなされる必要があった。
精神分析が始まって間もない頃に、解釈の効果をためすために一度介入した。しかし本当の自己を見出すための退行が、この症例の有効な治療においては必要だった。
ウィニコットは、患者の退行が自然に経過するのを許容せねばならないと決めた。精神分析が3~4年経過したころ、退行の深みに到達し、一気に情緒発達の進展が始まった。
この症例の治療、取り扱い、精神分析を通じて、ウィニコット自身も個人的な成長を果たさねばならなかった。より普通の症例に用いていたようなものに関しても、自分の技術を再点検する必要があった。
(5)退行という概念について
ウィニコットにとって、退行は単に前進progressの逆戻りを意味している。前進とは、個体、精神―身体、人格、(最終的に)人格形成や社会化を伴った心の進化である。
よく検討するなら、前進の単純な逆戻りはありえない。個体の中に退行を可能にする組織がなくてはならないためである。
ウィニコットいわく、退行を可能にするのは、下記の4つである。
- 環境の側の適応の失敗→個人がその失敗状況を凍結することで防衛できるのは健康なこと
- 初期の失敗の修正の可能性を信じること(複雑な自我組織が存在するということ)
- 後日、改められた体験の機会が生じるだろうという無意識的な仮定(意識的な望み)が持てている
- 特殊化された環境の提供→個体は退行状態にあり、適切な適応を行う環境にいる時
- 新たな前向きの情緒発達→失敗状況は解凍され、再体験できる
これらは癒やしの過程の一部である、正常な現象の一部としての退行である。
通俗的な意味で退行という言葉を用いること(退行を正当なもの、前向きな発達に向けてのチャンスを期待するものと捉えること)は、有効ではない。退行は、自我組織の存在と混沌の脅威のあることを意味している。
ウィニコットいわく、退行とは高度に組織化された自我防衛機制つまり、偽りの自己の存在を含んでいるようなもののひとつである。先の症例における世話役的な自己はこの典型例である。
重篤な患者には、(初期の失敗が修正できるという)望みはほとんどないかもしれない。極端な症例では、治療者のマザリングにより、患者には予想もつかない体験を提供する必要が生じる。
(6)9歳の男児の症例
この症例の精神分析では、扱われねばならない行動化(本来の外傷に関連して生じる反復強迫)があるだろうと思われた。外傷が明らかに存在する固着点への退行が見られた。困難が生じた時に戻れるような良い前性器期の状況が存在する。これは健康な現象であるといえる。
(7)2種類の退行
- 早期の失敗状況に戻ること:組織化された個人的な防衛の証しであり、精神分析を必要とする。
- 早期の成功した状況に戻ること:依存の記憶・環境の状況は、なお流動的で、防衛的ではないもの。
これらはウィニコットの仮説に依拠している。理論上の発達の開始に遡るにつれ、ますますその人自身の失敗は少なくなり、ついには環境の失敗だけとなる。
ウィニコットらの関心は、単に個々の本能体験についての退行のみではなく、個人の歴史における自我ニーズやイド・ニーズに対する環境側の適応についての退行である。
3.自我発達と依存を重視すること
(1)防衛組織としての退行
環境の適応について、その成功と失敗という点から退行を語っている。この視点への関心を深めず、自我に関して遡る方を試みたことで、退行についての考えが混乱させられていた。
常に自我発達に関する考えが最後に行き着くところは、一次的ナルシシズムである。環境が個人を抱え、同時に個人はそれと一体となっている状態である。
退行は防衛組織であり、防衛としての分裂とは違う。精神病は健康と密接な関係にある。日常生活における癒やしの現象(ex.友達づきあい、看護、詩など)により、数え切れないほどの失敗状況が解凍される。自発的な回復を成しうる。
精神神経症では自発的な回復はなく、精神分析が真に必要とされる。
フロイトは、精神神経症の症例を選んだ。フロイト自身の早期の個人的な生活史はこのような種類のものだった。早期のマザリングの状況を当然のものとしていた。それは彼の仕事の設定にも現れていたが、彼自身はほとんど気づいていなかった。
(2)フロイトの仕事
a.フロイトの技法
患者によって提示される素材は、理解され解釈されるべきものである。
b.設定
- 週に5~6回、決められた時間に患者のために身を置いた。
- 精神分析家は信頼に足る存在としてそこに居る。
- 定められている長さの時間、精神分析家は目覚め、患者のことに没頭する。
- 精神分析家の愛の表現は積極的な関心、憎しみの表現、厳格な始まり、終わり、治療費である。
- 精神分析の目的は、患者から提供された素材を理解し、それを言葉で伝達すること。
- 精神分析家の方法は、客観的観察の方法である。
- 仕事は部屋の中(突然音がすることがない、適度に照明されている)でなされる。
- 精神分析家は道徳判断を患者との関係のなかに持ち込まない。
- 精神分析状況において、精神分析家は日常生活における人々よりはずっと信頼できる存在である。
- 事実と空想との間には、非常に明確な区別がある。
- 同害復讐の反応のないことが当てにできる。
- 精神分析家は生き残る(患者が攻撃性を向けても、脅かされずそこにいる)
(3)一次ナルシシズム
精神分析家は分別をもって、過度の犠牲を払うことなく振舞う。これらと両親の普通の仕事との間には、非常に著しい類似性がある。
患者の退行を引き起こす精神分析の特殊な時期においては、ほとんどどのような詳細であれ重要なものである。
精神病的な病いは早期の環境の失敗に関連している(本来の自己を保護すべく工夫された防衛組織)。
精神分析の設定は、早期、再早期の母親的養育motheringの技術を再現である。信頼性ゆえ退行を招く。患者とその設定は、一次的ナルシシズムの最初の成功した状況へと融合していく。一次的ナルシシズムからの前進は、環境の失敗状況に十分な形で対応できるようになって、新しく始まる。これにより精神病的な病いの軽減する。
(4)退行の取り扱い
- 信頼をもたらす設定の提供
- 患者の依存への退行
- 新しい自己感覚
- 環境の失敗状況を解凍する
- 新しい強力な自我からの早期の環境の失敗に関連した怒り
- 退行から依存へ回帰し、自立に向かって前進
- 本当的なニーズや願望が正気と活力をもって実現可能になっていく
(5)精神病の診断について
防衛が混沌状態にある人、病気を組織することができている人との間を大きく区別しておかなくてはならない。後者の方が、精神分析がより成功しやすい。偽りの自己による表向きの健康は、患者にとって何の価値もない。
いかに苦痛を伴っていても、本来の環境の失敗状況を置きかえない限りは、病気の方が唯一の良い状態なのである。
破綻を体験するには大きな勇気を必要とする。しかし、正気に逃避(躁的防衛)してしまっている状態と取り組む方が、精神分析家にとっては容易である。ほとんどは分析時間内に破綻が取り押えられる。または環境がそれらを吸収したり、それらとうまく取り組むことができる。
患者が退行している限りは、寝椅子は精神分析家であり、枕は乳房であり、精神分析家はある過去の時点における母親である。願望wishesではなく必要needであり、それなくしては全く何もできない。
(6)時間を守らない患者
時間を守るということについては、退行する患者たちは、全てのことが精神分析家が時間を守ることにかかる時期がやってくる。
神経症患者は陰性転移を起こす。抑うつ的な患者は少しばかりの休息を精神分析家に与える。精神病的(退行的)な患者は精神分析家が時間通りにいるだろうという望みも確立されていない。
4.観察自我という前提について
(1)行動化
観察自我はほとんど精神分析家に同一化でき、退行からの回復が可能である。しかし、一方で観察自我はほとんど存在しない患者は退行から回復できない。
行動化はほんの始まりである。精神分析家は新たに得られた理解の断片を言葉にするという作業を、常にその後を追ってなされなくてはならない。
- 行動化の中で生じたことについて語ること
- 精神分析家から何を必要としていたのかを語る
- 本来の環境失敗でうまくいかなかったこと
- 環境の失敗状況に属する怒り
- 患者に生じる新しい自己感覚や本当の成長を意味する前進の間隔
精神分析家にとって負担だが、ある程度までこれこそ代償。容認されなくてはならない。ときには、誰でも退行するのを望んでいる、退行はピクニック等と考えがちだが。
(2)依存にいたる組織化された退行
依存にいたる組織化された退行は常に患者にとってきわめて苦痛なものなのである。
かなり正常と言える患者においては、苦痛はほとんどいつでも体験される。中間の患者では、依存や二重の依存の不安定さがあるため、あらゆる程度の苦痛を伴った認識が見出される。精神病院の患者は、依存のために苦しむことはない。
退行の体験から得られる満足は、そこから活動を起こすような出発点、本当の発達を構成するような基本的な自己過程と出会い、リアルであると感じられていく過程に属するものである。
臨床的退行を引き起こす精神分析は、特別な適応的環境の提供が何も必要ではないような精神分析よりも、一貫してはるかにずっと困難なものである。
厳密な意味で精神分析的であり(言葉による自由連想、解釈)、直感的に行動する。芸術家としての精神分析家は、環境適応の科学的研究に徐々に道を譲らなくてはならない。
(3)環境適応の科学的研究
早期発達においてほど良く振る舞う(ほど良い積極的適応を行う)環境が、私的な成長が生じるのを可能にする。環境の失敗状況が修正されない限りは、自己は新しく前進することはできない。自己過程は中断し、本当の自己の核は保護(停止)され、偽りの自己が発達する。これは保護するために工夫された最も有効な防衛組織であるが、そこに不毛感を生じる。
活動の中心が偽りの自己から本当の自己へ移行する瞬間、人生は生きる価値のあるものだという感覚の変化が生じる。
本当の自己から生じるものは、どれほど攻撃的であってもリアルである(後には良いもの)と感じられる。侵襲に対する反応として、個体の中で生じるものは、(どれほど官能的に満足を得られようと)本物でないもの、不毛なもの(後には悪いもの)として感じられる。
(4)安心の保証reassuranceと退行
患者の退行に応ずべき適応的技法がしばしば(誤ったやり方で)安心の保証として分類されている事実がある。しかし、精神分析の設定のなかでは、的確で鋭く時宜を得た解釈以外に何ものもない。
精神分析の設定全体(精神分析家の信頼に足る客観性や振る舞いと、その瞬間の情熱を無駄に使うことなく転移解釈を建設的に用いること)は、一つの大きな安心の保証である。
結果として、設定現象がより正確で豊かな実り多い形で使用されることが、精神病理解への新しいアプローチ、精神分析による精神病治療につながる。
5.退行論のまとめ
退行を許容するような技法がますます用いられるようになりつつあるが、精神神経症の治療において、要求された技法に馴染んでいる精神分析家こそが、退行について、もっともよく理解することができる。
退行はいかなる程度のものでも可能性がある。ますます研究される必要がある。本当の自己、偽りの自己、観察自我そして自我組織などについて新たな理解が生まれ、退行を癒やしのメカニズムとするために活用される。
退行からの回復に際して患者は、通常の精神分析を必要とする。精神分析を学ぶ者は、退行について学ぶことに進む前に、古典的な精神分析の設定を学び、技量を獲得しなくてはならない。
6.解説と議論
(1)退行の基礎知識
フロイト「夢解釈(1900)」に退行が初めて取り上げられた。そして、「夢解釈(1900)」の1914年の追記で、退行を3つに区別された。
- 局所的退行・・・心的装置の逆向の意味
- 時間的退行・・・以前の心的構成が現れる
- 形式的退行・・・表現や描写が原始的な様式に置き換わる。
1917年にはさらに区別され、
- 対象退行・・・過去のリビドー対象への逆戻り
- 欲動退行・・・欲動体制そのものの退行
- 自我による退行・・・適応的退行、防衛的退行
フロイト以後、病的な退行、健康な退行、操作的な退行(催眠、投影法実施時の退行)の3つが基礎となる。
- アレキサンダー・・・葛藤無しの退行(葛藤が生じる以前への退行)、葛藤的退行
- クリス・・・創造的退行(自我による自我のための一時的・部分的退行)
- バリント・・・悪性の退行・良性の退行
(2)退行の扱い
退行は、高度な防衛組織であり、患者にとっては苦痛をともなうものである。退行から前進し、本当の自己を見つけることによって、癒やされていく。安心して患者が退行するには、精神分析の設定が深く大きく関わっているため、古典的な設定や技法、基礎を学び、身につけていくことが重要なのである。
退行を軽んじたり、必要以上に肯定的に捉えることには危険性もある。患者が退行しているであろう時こそ、セラピストは自分自身をしっかりモニタリングしておかなければならない。また、実際に患者が退行している状態の時、セラピストとしてはどんな点に気をつけ、モニタリングをしていけばよいかが現代的な検討課題である。
(3)早期の環境の失敗状況
早期の環境の失敗という側面から精神病を捉えている点が非常にユニークである。自我にばかり着目して、見えていなかった部分への道を切り開くような着想だったのではないだろうか。この論文で、精神病について、色々な角度から理解することができる。退行を防衛組織だと捉えており、偽りの自己が、正気を装って逃避している状態よりも、破綻し退行している状態の方が良い状態だということもあり得ることが分かる。
(4)ウィニコットの危惧
今後の科学的研究や、自分の理論や考えが発展していくことを願って書かれた論文なのではないかと思われる。芸術家としての精神分析家や、芸術としての精神分析に対する限界を感じ始めていることが窺える。これは、病態の重い患者との臨床経験、マネージメントしながらの関わりがあったからこそ、思ったことなのではないかと考えられる。
(5)精神病の治療
精神病水準は自発的な回復が可能で、神経症水準のほうが自発的な回復はできない、とウィニコットは述べている。後者にはより高度な防衛が関わっていて、精神分析をしなければそれが解かれることはない、ということなのだろう。精神病患者の治療が簡単であるということではないが、いわゆる退行とホールディングにより、回復していく可能性があるということをウィニコットは主張しているのだろう。
7.さいごに
さらに精神分析を知りたい方は以下のページを参照してください。