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公認心理師資格の成立とカウンセラーの役割

公認心理師資格が施行され、現任者講習の申し込みが開始されました。これまでの成立過程の中で公認心理師の質の担保をどうするのかについて様々な団体による思惑が交錯してきました。それらを封建制度と民主主義というメタファーを使って書いてみました。

1.カウンセラーは専門家なのか技術者なのか

カウンセラーの訓練や業務に、研究が入っていることと入っていないことは意外と非常に重要なポイントになると思います。それはカウンセラーのカウンセリング技能の良し悪しや高低ではなく、カウンセラーがカウンセリングを行う専門家なのか、単なるカウンセリングを行う技術者なのかの分水嶺となるからです。

カウンセラー自身がカウンセリングの中で仮説検証を行い、今は無い何かを創造していく営為が含まれるか否かの違いとなります。言い換えるなら思考する能力とも言えます。大学院で論文を書くことでそうした研究能力、カウンセリング能力を担保できる、とは言えないかもしれないが、研究をこれからもしていくという儀式(イニシエーション)として機能していると思われます。

技術者は思考できない、創造できないとは言いませんが、技術者は今あるツールをマニュアルに従って実施することが主となります。マニュアル化しやすいカウンセリングの技術を部分的に施行するという役割になるでしょう。

2.ヒエラルキーの中に位置づけられるカウンセラー

ヒエラルキーの下層に配置し、マニュアルにだけ従ったカウンセリングをするだけであれば、非常に使い勝手の良いものになるでしょう。特に医療ではチーム医療に舵を切っているとはいえ、医師を頂点としたヒエラルキーの風潮は未だ強いのが現状です。

その中で、カウンセラーが大学院卒であることや思考できることは、ヒエラルキーのシステムに亀裂を生じさせてしまいます。こうしたことの反動として、様々な理由を持ち込み、ヒエラルキーを維持しようとする人もいます。例えば、臨床心理士や院卒はプライドだけが高い、口だけである、和を乱す、研究はできてもカウンセリングはできない、などなどです。こうしたことはヒエラルキーからチームへの移行に対する、もしくは思考することに対する反動とも理解できます。

3.封建制度を振り返る

時代を振り返れば、王権制度や封建制度においては特権階級が知識を独占し、市民や平民はその知識に触れる機会はありませんでした。せいぜい自身の仕事を行うに差し障りのない範囲の知識程度でした。文字さえも学ぶ術はなかったのが実情でした。市民や平民から思考することを剥奪しておく方が統治するには便利だったからです。思考する市民はヒエラルキーを破壊するため、特権階級には不都合だったのです。

しかし、市民革命などを経て、知識がすべからく行き渡ることにより、これまで下層階級と言われていた人も思考するようになり、特権階級の特権は失われるようになっていきました。こうしたことは新たなシステムである民主制へとつながっていったのだろうと思います。こうしたことは時代の流れであり、人類が次のステップに進めることとなりますが、ここにも特権階級の復権という反動はあったようです。

4.民主主義を勝ち取るカウンセラー

これらのことを今回の公認心理師問題に置き換えてみると、カウンセラーが研究や思考を手に入れ、民主的な中で真のチームとして高める市民革命の様相はあったのでしょう。しかし、一方でカウンセラーから思考を奪い、下層階級にしておこうとする特権階級の反動もあったのでしょう。

この対立が公認心理師の資格の中身をどうするのか、という極めて具象的な闘争として行われたと言えます。その対立と闘争のプロセスの中で、学部卒でも資格取得可となり、専門学校卒でも資格取得可となり、果てはボランティアでも現任者扱いとするようになり、その度に思考することを剥奪されていったように思えます。また、専門性を支える上での訓練として、教育分析や個人分析はおろか、スーパービジョンも必須ではないのは非常に危うい問題を孕んでしまいます。

ただ、これらが民主制と封建制度の揺れ動きの中の1つであることからすると、再びシステムの再構築の機会が訪れると思います。そして、さらに、これは後々には対立ではなく、対話の1つであると位置付けられ、揺れ動きそのものが高次のシステムへの押し上げる原動力だったといえるようになるでしょう。

こうした進展は数十年単位で進むことからすると、遅々としたものと思われますが、防ぎようのない運動と思います。それらの準備と議論と力量の向上を今後も続けていく必要があります。


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