公認心理師の現任者の問題点
1.臨床心理士への羨望とルサンチマン
公認心理師の成立過程をよく読み解くと、臨床心理士資格に信用がないから公認心理師法が成立した、というよりも、もっと複雑な政治的事情が絡んでいるようです。その政治的事情によって公認心理師法ができたのだろうと思います。
おそらく、そこには臨床心理士やそのグループに対する羨望があったように推察します。つまり、臨床心理士一人勝ちという状況がしばらく続いていました。それに対するルサンチマンはつのっていたのでしょう。
2.粗製乱造される公認心理師
そうした中で臨床心理士よりも専門性を低くし、ライトで、カジュアルな、使い勝手の良い、安価な資格を作るという政治的動きがありました。臨床心理士グループはそこに異議申し立てをしましたが、政治的に負けてしまったというのが大雑把な経緯です。その結果が最近のように問題になっている、心理学を学んだこともなく、カウンセリングをしているわけでもなく、心理検査の1つも知らない粗製乱造された公認心理師の大量出現につながっているといえましょう。
ただ、心理検査のできない公認心理師ですが、心理検査といっても星の数ほどあるので、全てできるというのも現実的ではありません。かといって、一つの心理検査も知らないというのも何だかなと思わなくもないです。
所見が分かれば良いという意見もありますが、その心理検査を知らないのに所見が分かるのか、という疑問はもっともです。公認心理師法の業務の一つに挙げられているのに、知らなくて良いとするのは論理的に破綻していると言わざるをえません。
おそらく、心理検査ができない公認心理師=レベルの低い公認心理師がいなければならない政治的理由やオトナの事情があるのだろうと推測できます。
3.Gルートの不備
私の説明不足があるからかもしれませんが、Gルート(現任者ルート)による公認心理師資格保持者が貶められていると被害的になり、感情的な反発が散見されるようです。私が指摘したかった問題は前にもどこかで書きましたが、ロクな臨床経験も技術も知識もないのに資格試験に受験できる制度についてです。現任者であると認定するシステムが非常に甘く、まったく心理学を学んでいなくても、カウンセリングをしていなくても現任者ということで受験できてしまうのが現在の公認心理師です。
そして、公認心理師ラブの人こそ、公認心理師の価値や意義を下げるような制度設計を非難した方が良いのではないかとも思います。
臨床心理士の信用がないから公認心理師できた、というのは、雨乞いしたから雨が降ったというのと同系列の原因帰属の過誤であります。
もし専門性の低い資格を否定することを選民思想と呼ぶのであれば、この世の中にある全ての専門職がそうなってしまうでしょう。専門性の低い資格によってユーザーの不利益に繋がることに対する懸念を持つことこそ専門職の責務であると私は考えます。
公認心理師の受験資格についての議論の過程では、専門学校卒でも受験可となっていきました。また、心理の仕事をしてないのに、所属長の印鑑のみで受験できるという杜撰な設計が持ち込まれました。
4.一人勝ちの驕り
しかし、一方で、臨床心理士もピンからキリまでいると思います。これまでの一人勝ちの上に胡座をかき、安穏とし、驕っていた側面がないことはないでしょう。これは反省すべきところです。
ついでに付け加えると、これまで良くも悪くも河合隼雄によってまとまっていました。政治的にも彼が上手く立ち回っていましたが、彼が亡くなり、求心性は落ち、政治的な力を失っていったことは遠因としてはあるのかもしれません。
5.資格を否定する安易さ
あと、クライエントの福利に寄与するなら資格は関係ない、とする意見もあるようです。確かに一部には理はあるかもしれません。しかし、一方で、訓練を積むこと、研鑽を積むこと、資格を取ることを放棄する言い訳に使ってないかと自己吟味する必要はあるでしょう。訓練を積み、受験をし、資格を取り、専門家として名乗ることは、クライエントに対する責任を明確にすることであり、これこそが専門職としての責務であり、説明責任であろうと私は考えます。
ただ、こうしたことを書くと、臨床心理士にも酷い人がいる、力量のない人もいる、という批判が巻き起こります。確かにそれはそうでしょう。多くの臨床心理士有資格者がいるので、下を見れば、どうかと思う人も中にはいるでしょう。しかし、そのどうかと思う人を臨床心理士代表のように仕立て上げ、それによって臨床心理士批判するのは的外れでしょう。
不正をはたらく警察官、ハラスメントをする教師、弱者を虐げる弁護士、トンデモ科学に走る医師、等々、挙げればキリがありません。そうしたおかしな人達がその専門職の全てではありません。その他の良心的で、平均的で、それなりの実務をこなせる方々が多くを占めています。そのおかしな人はほんの一部に過ぎません。
繰り返しますが、人そのものを非難しているのではなくて、制度設計そのものの不備についての議論を少なくとも私はしているつもりです。
6.公認心理師への失望
そもそも、当初2資格1法案の議論の時期から心理職の国家資格化について私は非常に肯定的で、推進してきました(今では2資格1法案のことすら知らない人もいるかもしれませんが)。それは一定水準以上の訓練と技能を担保する国家資格を作ることは極めて有益だと考えたからです。
しかし、その「一定水準以上」というのが、法案ができるプロセスの中で次第に切り下げられていき、それに伴って期待が失望にも変わっていってしまったように思います。おそらく、そうした失望を味わった方々は私以外にもそれなりにいるのではないかと個人的には推測します。
こうしたことからすると公認心理師はレベルの低いものとしておきたい、そうであってほしいという欲望が見え隠れします。公認心理師のこのレベルだからこそ、臨床心理士の存在意義はかなり残されているという面もあるので、複雑な思いではありますが。
7.さいごに
公認心理師はこれから数も増えていくでしょうし、心理的な仕事をしていく上では必須の資格となっていくでしょう。しかし、その資格が非常に基準が低く、必要な力量を満たしていない人でも受験でき、合格し、公認心理師を名乗ることが本当にユーザーファーストであるのかを真剣に考えることが今まさに必要でしょう。
数年に1回、法案の見直しがあります。そうしたタイミングでこうした問題を是正するように働きかけることは非常に大切なことであると考えます。
公認心理師については下記に詳しく書いていますので、ご覧ください。