EMDR(眼球運動による脱感作と再処理療法)とは、カウンセリングや心理療法の歴史の中でも比較的、最近開発された心理学的技法です。EMDRは特にPTSD(心的外傷後ストレス障害)や解離性障害、トラウマ関連障害の改善や回復に特化しています。ここではEMDRの歴史、治療、効果、やり方、危険性、説明をしていきます。
1.EMDRとは
図1 フランセス・シャピロの写真
EMDRとはPTSDや解離性障害といったトラウマに関連する精神障害の治療のために開発されたカウンセリングです。トラウマ場面を頭に思い浮かべながらカウンセラーが指を左右にリズミカルに振るので、それを目で追いかけるという作業を繰り返します。そうすることによって、トラウマが比較的短期間で解消される画期的なカウンセリング技法です。
EMDRは1989年にアメリカのフランセス・シャピロという心理学者が考案しました。シャピロは元々は行動療法家・行動主義心理学者だったため、EMDRを学習心理学や学習効果の観点から研究を進めていきました。しかし、EMDRの臨床研究や実践を行っていると、その観点からでは説明のつかない事柄が多数出てきました。そのため、今日ではEMDRは行動療法というジャンルから飛び出し、脳の情報処理過程の観点からEMDR研究が進められるようになりました。
EMDRはアメリカが抱えていた問題とマッチしたことも爆発的に研究や実践の普及につながりました。それは退役軍人の様々な問題です。主にベトナム退役軍人ですが、戦争により様々なトラウマを背負い、PTSDやアルコール依存、薬物依存を発症しました。その治療にEMDRは非常に貢献しました。また、犯罪率の増加から、犯罪被害者のトラウマを治療することにもEMDRは貢献しました。このようなことがあり、次第にEMDRの研究は進み、さらにはEMDRが広がっていきました。
EMDRは極めて高度な技術にあたるため、EMDRのトレーニングとライセンスについては厳しい基準をしいています。そのため、EMDRを施術する治療者はそう多くありません。EMDRをまがいものにしないように、不適切なEMDR施術が行われないようにシャピロは願っていたようです。現在、日本では具体的数字は不明ですが、約2000名ほど治療者がEMDRのトレーニングを終え、治療に当たっています。
2.EMDRの対象
EMDRが得意とする対象は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)です。PTSDの診断がついていなくても、トラウマ(心の傷)によって様々な問題が起こっていれば、EMDRの対象になります。トラウマといってもさまざまですが、犯罪被害、いじめ、虐待、被災、事故などが主なものとして挙げられます。
トラウマについては以下のページが参考になります。
それ以外にも、トラウマによって主に引き起こされる解離性障害などもEMDRの主な対象です。そして、研究が進み、それ以外にも気分障害(うつ病)、不安障害、パーソナリティ障害、心身症の治療にも最近ではEMDRが応用されています。
3.EMDRの実証研究
20世紀後半よりエビデンス・ベースト・メディスン(EBM:根拠に基づいた医療)が隆盛しました。それまでは個人的な経験や信念だけで治療方法が編み出されたり、実施されたりしました。そのため、効果のあるものももちろんありましたが、不幸な結末に至った事例も少なくはありません。そこで、単に個人的信念だけで治療が行われないように、より科学的な研究を行い、実証的に治療効果を比較していこうというのが、このEBMになります。
EMDRはこのEBMの観点からさまざまな臨床研究が行われてきました。そうした研究の積み重ねから、現在ではPTSD治療において、効果が確認されている技法ということで治療ガイドラインにもEMDRが掲載されるようになりました。
EBMを盲目的に信じることもいけないことですが、治療技法の選択にはEBMを参照することは必要なことです。
4.EMDRの理論的基礎
上に挙げましたがEMDRは脳の情報処理理論から成り立っています。難しいことはここでは省き、簡単に必要なところだけ述べます。
人間はたくさんの記憶の積み重ねで成り立っています。単純ですが、記憶にはポジティブなものとネガティブなものがあります。健康な人はポジティブな記憶が多くあります。そして、仮にネガティブな出来事に出会ったとしても、ポジティブな記憶に吸収され、良い意味で忘れてしまったり、美化されたりします。
しかし、幼少期からの虐待などで元々ポジティブな記憶が少なかったり、あまりにも強いネガティブな出来事に出会ってしまったり、体調やコンディションが悪くて消化できなかったりした時、ネガティブな記憶はそのまま残ってしまいます。そして、そのネガティブな記憶が繰り返し想起され、想起の度に嫌な気持ちになり、時には当時の状況をありありと再体験してしまうようなフラッシュバックを起こしてしまったりします。そうなるといつまで経ってもネガティブな記憶が吸収されることなく、居残り続けてしまいます。それが様々な心身の症状や現実的問題に影を落とします。
さて、ネガティブな記憶はどのようにしてポジティブな記憶に吸収されたり、消化されたりするのでしょうか。その一つは睡眠中の夢が関連していると言われています。夢をみることにより、日常で体験したことを頭の中で整理し、まとめ、置くべきところに置いておけるようになります。そして、些細な事やどうでもいいこと、都合の悪いことは忘却させます。こうして、脳の負担を和らげる役割を夢は担っています。
夢を見る時、人間の眼球は早いスピードで動き回っています。この眼球の動きと記憶の整理が物理的にどう関連しているのかはまだまだ分かりませんが、仮説的に関連しているととらえます。そして、それを利用し、起きている時にも睡眠における記憶の整理のようなことを行うのがEMDRなのです。
(記憶が吸収されるなどの表現は厳密には不正確なのですが、ここでは分かりやすいことを優先して、このような表現を用いました。)
5.EMDRの方法
EMDRのやり方は以下の順です。
- 説明とリラクゼーションの体得
- ターゲットの特定と明確化
- EMDRによるトラウマの処理
- クールダウン
- EMDR効果の評価
1についてはあらかじめ先に行うことが多いです。EMDRにおいてリラクゼーションは重要です。EMDRではトラウマと向き合っていくのですから、人によっては不安定になってしまう場合もあります。ある程度のことであれば大丈夫ですが、自分自身でそのような事態に対処できるようになっていくことが必要です。その具体的な手段としてリラクゼーションをEMDRをするよりも前にまずは学んでいただきます。人によって何をするのかは違いますが、呼吸法や筋弛緩法、安全な場所(EMDRを応用したリラクゼーション)などを行います。
実際のEMDRをするときには、通常のカウンセリングよりも長い時間を使います。具体的には90〜120分ほどです。EMDRを通してトラウマを一通り処理するにはこれぐらいの時間が必要なのです。そのEMDRセッションの中で2から5を行っていきます。
トラウマは人によっては複数持っていることもあります。というよりも、そういう場合の方が多いでしょう。EMDRであっても、全てのトラウマを一気に処理することはできません。EMDRは一つのエピソードをひとつひとつからしか処理できません。そのため、長年の間、繰り返されたトラウマを抱えたクライエントに対するEMDRは幾度も施術を繰り返す必要が出てきます。2でターゲットを決め、3でようやくEMDRによる処理をしていきます。
具体的なEMDRのやり方を説明します。EMDRでは、クライエントは一つのトラウマのエピソードを頭に思い浮かべながら、治療者が腕を左右に振りますので、その指先を目だけを動かして見続けてもらいます。それにより、目が左右に動くと思います。基本的にはそれだけです。そうすることにより、トラウマ記憶がどんどんと変化していきます。そして、それにともなって、トラウマ記憶にともなう認知や感情、身体感覚も変化していきます。補足すると、EMDRでは眼球を動かす方法だけではなく、音による刺激やタッピングの刺激でも同様の効果を得ることができます。
このような方法でトラウマ記憶に向き合っていきます。しかし、EMDRがいつもスムーズにいくとは限りません。時には感情があふれたり、辛くなったり、苦しくなったりもしますが、そうした過程も必要なこととして向き合っていくことがEMDRでは大切になってきます。
一通りトラウマ記憶を処理し終えたところでEMDR終了となります。クールダウンをしたり、効果のほどを確認して、EMDRのセッションは終わります。
1回限りの(単発性の)トラウマであれば、数回ほどのEMDRで終えることもあります。虐待など繰り返されたトラウマの場合であれば、EMDRを10数セッションから数十セッションも費やすこともあります。EMDRといっても万能な方法ではありませんので、それなりの積み重ねは必要なのです。
6.EMDRの具体例
言葉で説明しても、イメージしにくいところがあります。そこで、実際のEMDRをどのように実施するのかを動画で見ることができます。それが以下です。英語で話しているので、意味が分からないところもありますが、話の内容よりも眼球運動はこうするのか、程度で見てもらえたらと思います。1分15秒ぐらいですので、すぐに見れると思います。
7.EMDRの危険性
EMDRには危険性があります。そのため、EMDRにはいくつかの禁忌をもうけられています。まず、今現在において状況や環境が危機的なものであり、安全の確保がされていない時にはEMDRは先送りした方が良いでしょう。例えば、当たり前ですが、DV被害や虐待被害を受け続けているのであれば、EMDRよりもまずはシェルターや児童相談所などに避難して、安全を確保することが優先されるべきです。
その他にトラウマを被って直後などもEMDRを控える方が良いでしょう。状況が落ち着き、ひと段落させることを優先させます。また、人間は意外と回復力を持ち合わせています。例え、困難なことがあっても、自ら乗り越えられる場合もありますし、ほとんどの場合はそうでしょう。ですので、まずは自然回復を期待し、様子を見守ることを優先し、EMDRを控えます。どのようなトラウマかにもよりますが、様々な研究では、EMDRなどの治療をせずとも、トラウマを被った人の8〜9割は自然に回復すると言われています。
また、治療者とセッションの中でEMDRをするのではなく、一般ユーザーが見よう見まねで、セルフで眼球を動かしてEMDRもどきのことをしようとする話も聞きます。EMDRは侵襲性の高い技法ですので、危険が伴うこともあります。絶対にしない方が良いでしょう。
8.EMDRを受けたいへ
EMDRを受けたい時にはEMDRのトレーニングを修了している臨床心理士や公認心理師などの専門家に受ける方が良いでしょう。
当オフィスでもトレーニングを修了した臨床心理士が居ますので、EMDRを希望する場合には、ご連絡をください。
文献
この記事は以下の文献を参考にして執筆いたしました。