トラウマをめぐって:PTSD治療の難題について

宮地尚子(著)「トラウマの医療人類学」 みすず書房 2005年を読んだ感想です。

1.トラウマの社会的文脈

トラウマという言葉は最近では市民権を得て、日常的に使われるまでになってきました。また日々のカウンセリングの中でもクライエントさんが自らトラウマを受けた、トラウマを持っている、アダルトチルドレンである、と話されることも稀ではありません。しかし、トラウマとは一体何なのか?ということはまだ学問的にも臨床的にも曖昧で、定式化したものはほとんどない状態です。

本書はそのようなトラウマを社会的な文脈の中でどのように位置付けられ、機能しているのかということを論じています。 

2.ハウツーでは語れないトラウマ治療

トラウマはどのような状況でも起こりえますが、本書では主に犯罪・暴力・事件といった文脈の中で扱っています。特に女性への暴力という点が大きなポイントになっており、その箇所については危機迫る迫力を感じるぐらいです。被害女性のトラウマについてどのように理解し、扱うのかはとても大きな問題です。「気持ちの持ちよう」とか「あなたも悪い」といった対応が昔はよくなされており、それが如何に二次被害を引き起こすのかについては異論はありません。しかし、反対に単に優しく接するとか、理解したつもりの顔で接することも二次被害になりえます。単純にこうすれば良いといったハウツー的な話ではないことが強調されています。

このような状況の中で、どうすれば良いのかといった答えが明確にあるわけではないことは当然です。安易な答えを求めることは無意味ですが、しかし、カウンセラーとしてどのようにしても被害者を傷つけてしまうという無力感は強く、何もできず、身動きが取れないという絶望感に、本書を読んでいると陥ってしまいそうになります。逆転移から理解すると、この無力感や身動きのとれなさは、被害者の体験そのものであると言えますが、本書のインパクトある口調を前にすると、その逆転移理解すらも薄っぺらく、情緒を排除するための知性化にしか思えなくなってしまいます。 

3.トラウマの再演

また、この状況でカウンセラーとして被害者に関わることが、一見するとカウンセリングであったとしても、実はそれが暴力的に作用するということもあるのかもしれないでしょう。というのも、どのようなカウンセリングを行うのかにもよりますが、基本的にカウンセリングは侵襲的なものであります。単に癒しがあるとか、すべて丸く収まるものであると楽観的に言うことはできません。このような中でカウンセリングをすること自体がトラウマの再演になる可能性は大いにあります。被害者も意識的に傷つくために行動しようということはないでしょうが、無意識的にトラウマを反復したり、罰を進んで受けようとすることがあります。これらのことを見ると、フロイトの死の本能を連想してしまいそうです。しかし、反対に反復することは、それを乗り越えようとする動機であると言うこともできます。もしくは、健康さのあらわれだと理解することもできるかもしれません。このような中で、反復することはダメとか、侵襲的にしないようにと考えるのではなく、そのような状況がカウンセリングの中で起こっているのはどういうことなのかという意味について考え続ける必要があるでしょう。

さらに国同士の紛争の話が本書の最初にあり、そこではどちらが加害者でどちらが被害者であるのかといった境界はないに等しい、という主旨のことが書かれていました。それからすると、トラウマ治療をすること自体が、単に救済する、癒す、治す、助けるといった単純なものとして理解することができず、カウンセラー自身が加害者になりうることもあるだろう。もしくは、そこまでいかなくてもカウンセラーの加害者性ということについて十分に理解しておく必要はあると考えます。 

4.トラウマと脆弱性

話は変わりますが、トラウマによってPTSDが発症する要因は何なのか?という論争はまだ決着はついていませんが、ある程度の方向性が最近は出されています。昔は外傷的な体験が一番重要であるとされていましたが、最近では個人的な素質が重要であるという研究結果が多く出されているようです。その為、脆弱性を焦点にしたアプローチも考案されているようです。それからすると、本書はどちらかというとトラウマに焦点をあてているので、少々最近の研究からすると違う方向性となっているといえます。しかし、それでも、本書のインパクトある語り口調や論理的展開をみると、簡単にトラウマは関係ないということは困難でしょう。 

本書を読んでいるとトラウマ治療が単純に医療の中で語られることが如何に危険であり、文化や社会的な文脈の中で捉えなおすことが大変重要であるということを教えてくれているように思います。

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