児童分析家の語る子どものこころの育ち
マーサ・ハリス(著)山上千鶴子(訳)「児童分析家の語る子どものこころの育ち」岩崎学術出版社 1969/2016を読み終えたので、その感想を書きました。
1.クライン派精神分析の裏付け
図1 マーサ・ハリスの写真
子どもの精神分析について、日本でも非常に著名な精神分析家ですが、実は単著で訳だしされたのは、本書が初めてだと思います。ちなみに本書はカウンセリングの専門書ではなく、一般の方に向けて書かれた育児書です。ちなみに著者のマーサ・ハリスはクラインとビオンに教育分析や個人分析、スーパービジョンを受けています。
日常用語で育児についての様々な理解や方法を書いているのですが、いずれもクライン派精神分析のバックボーンがあり、それに裏付けられたことが書かれています。
例えば、
「もし経験が予期せぬものであまりにも突然であり、あまりにも圧倒的だとすれば、彼ら(赤ん坊)は事態に対応することができませんし、そしてそれに対して感覚の遮断といった処理法を得てして試みる」
などはいわゆるスプリッティングのことを指していると思います。その他にも、
「泣き声が待たされるのが少し長引いてしまったりしますと、いざそれが到着してもらえたとしても、どうやら険悪なものになってしまっていて、もはや受け付けない」
というの部分は、不在が迫害対象となることを指しているのでしょう。
こうした表現や考え方が本書ではたくさん散りばめられており、育児中の親だけではなく、カウンセラーがクライエントに話しかける言葉のヒントとしても参考になるのではないかと思われます。
2.心を見ない発達障害の支援の弊害
最近は神経心理学の観点から発達障害を理解し、カウンセリングするというムーブメントがあります。それによって今まで根性論や精神論で親や子どもを叱咤激励する程度の指南が否定されつつあります。それはそれで非常に有用な進展だと思います。
しかし、一方で、機能的な側面の強調が度を越し、子どもを心ある存在ではなく、単なる機械的な存在として理解し、物理的な介入のみに終始するような支援がされてしまう弊害も時折ですが耳にしてしまいます。
発達障害であっても、心はもちろんあり、その心を理解し、情緒的にコンタクトすることは非常に大切なことです。それを抜きにして人間になることはできないでしょう。例え、行動療法的に学習することを支援したとしても情緒的コンタクトの有る無しでは相当の違いがあることは想像に難くありません。
行動療法的なカウンセリングの事例を見ていても、うまいなと思う事例では情緒的コンタクトをベースにしているように思われます。行動療法的に扱ってはいないものの。そうした事例では本当によく変化しているのが見て取れます。
3.臨床のヒント
マーサ・ハリスの本書に戻ると、育児書という範疇ではありますが、こうした情緒的コンタクトをカウンセリングの中で体験するための色々なヒントが散りばめられています。情緒的コンタクトは何も良い体験、良い感情だけではなく、苦痛なことを苦痛なままに体験し、共有することも含まれています。
カウンセリングの中で活用していくに当たっては、非常に刺激になる一冊であると思います。特に子どもの心を理解するには参考になるでしょう。
そして、その精神分析についての詳細は下記をご覧ください。