悲観主義と楽観主義、マゾヒズムとナルシシズム、それらの病理

お花畑がむしろ戦争を招く

精神分析家フロイトが生きた時代には悲観主義が蔓延し、その中で死の欲動超自我マゾヒズムといったトピックが議論されてきました。しかし、現代は楽観主義とナルシシズムが蔓延していると言えます。それは精神分析的な患者理解や技法にも直結するテーマと言えます。以下で、その議論について書いています。

1.悲観主義とマゾヒズム

死の欲動の概念は、当時の第一次世界大戦の影響を受けていただろうと言われています。つまり、未来に希望が持てず、破滅と破壊に突き進む世界を目の当たりにし、否応なく悲観主義を孕まざるをえなかったのです。その時代に生きたフロイトは、人間の本質を死の欲動と見ました。そして、その派生物であるマゾヒズムという自己破壊的なあり方が一次的に、生得的に備わっているとしました。

そして、サディズムはその二次的な位置づけになり、精神分析上の重要度は減じました。これによって人間は無意識的な罪悪感に突き動かされる存在となりました。

2.現代の楽観主義

しかし、当時の悲観主義が蔓延する世界と現代では、特に日本では相当異なっています。おそらく悲観主義ではなく、楽観主義が蔓延しているといえるでしょう。

世界中でテロが起こっても、隣の国で核実験やミサイル実験をしていても、領海侵犯が繰り返されていても、領土の不法占拠をされていても、国の財政状況が逼迫していても、それでも大丈夫、それでも平和は維持されると安穏としてしまっています。5年後も10年後も今と同じであろうと考え、何の安全保障の用意どころか議論すらしないという状況です。これを楽観主義と言わずに何と言うのでしょうか。

3.ナルシシズムの傷つき

そして、多くのサービスが行き届くようになったことは便利なことではありますが、サービスがあって当然で、少しでも不便であったり、意に沿わないことがあると過度な怒りを露わにする方もいます。自分は正しく、相手が間違っているという偏った自己正当化が起こっているのでしょう。この怒りはナルシシズムを傷つけられたことによる憤怒とも言えます。

これらのことから、悲観主義の文脈の中で死の欲動超自我マゾヒズムから理解することができません。むしろ楽観主義の病理とナルシシズムの病理の問題があると言えるでしょう。

4.理解と技法の改訂

そうすると、必然的に対象となる患者の質は違い、それにともない扱う精神分析的な技法論も変わってくるでしょう。解釈により、超自我を緩めることではなくなってきます。つまり構造を守り、ナルシシズムと対決し、それにまつわる痛みを苦悩に変え、悩めるようなり、耐えられるようになることが求められます。

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