精神分析において理論と体験のどちらを重視するのか?学派間での違いについて

やってみなければ分からない

日本心理臨床学会第35回秋季大会の最終日の自主シンポでは川畑直人先生が企画するインターパーソナルと逆転移のセクションに参加した。そこで刺激を受けて、思いついたことを述べます。

ちなみに、10数年前に川畑先生にケースコンサルテーションを一度受けたことがあるが、おそらく先生は覚えておられないかと思う。当時は精神分析にも色々な学派があるなんて知らなかったぐらいの初心者だった。

1.理論か体験か

シンポで川畑先生が言っていたことは、凄く簡潔にまとめると、理論の当てはめではなく、セラピープロセスの中で体験しているリアリティある感覚を大事にしよう、ということだろう。簡潔にしてしまうと、抜け落ちるところもあるし、川畑先生の言葉の重みがなくなってしまうが。

ただ、かといってインターパーソナル以外の精神分析の学派が、リアリティある感覚を無視しているかというと、おそらくそうではないだろう。リアリティある感覚から構築される理解、さらには理論はそれなりに価値はあるものかもしれないが、セラピーという創造性から排泄される廃棄物にしかすぎないのだろう。リアリティある感覚と理解の弁証法的繰り返しの中で、最後の最後に残される理解できない何か、理論化できない何かが患者のパーソナルなものである。

2.治療者と患者のパーソナルなものが交流するとき創造的な何かが生まれる

そのパーソナルなものと、治療者のパーソナルなものとの心的交流が創造的な何かをセラピーに産み落とすのだろう。その際、シンポの発表者が言っていたような、治療者は空っぽではない。おそらく、フロイトの中立性や禁欲原則を我々が固執しているように思われたのかもしれない。

しかし、決して治療者も空っぽではなく、生きた人間であり、パーソナルなものを持ち合わせている。自己開示に積極的か消極的かの違いはあるだろうが。

3.セラピー中に治療者の頭には理論を思い浮かべているのか

それと関連するがセラピー中に、治療者は意識的に理論や理解の当てはめをしているのか?ということであるが、おそらくそんなことはしていない。逆転移は無意識であるから、理屈の上で不可能なことである。あとから振り返って素材の中からあーだこーだと思える点はあったとしても。

セラピーの中で意識的に理解や理論の当てはめをしていることに気付いたら、それは何かセラピーが順調に進展してない兆しであると見た方が良いと考える。もしくは、そうしたことに逃げたくなっている治療者の防衛として理解できる事柄だろう。

4.まとめ

つまり、インターパーソナルの方々がいうほど、精神分析の他学派は理解や理論に固執しているわけではないし、自己開示の位置付けはさておき治療者のパーソナルなものがセラピーに大きく関わっていることは否定していない。

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