嘘の意義について:映画「嘘を愛する女」から

映画「嘘を愛する女」を観賞しました。なかなか泣ける映画でした。この映画のタイトルにもなっている嘘ということについて、精神分析的な視点から考えてみたいと思います。

1.嘘とは何か

嘘をつく、というのはほとんどの場合には良い意味では使われません。学校教育や家庭教育でも嘘は良くない、正直に言うことを教え込まれます。しかし、一方で嘘も方便、優しい嘘など言われたりもします。人を傷つけないために嘘をつくこともあったりします。

精神分析の文脈では、嘘、特に自分を偽ることでいうと、防衛や抵抗には嘘が含まれることもあるでしょう。ビオンはグリッドでプサイで誤魔化しについて記述しました。ウィニコットは嘘を含む犯罪行為や非行などから愛情剥奪という心的外傷とそれの反復と、そして、それからの回復について議論しました。ドイチェのアズイフパーソナリティやウィニコットの偽りの自己も嘘の文脈で見れるかもしれません。

2.嘘の背後にあるもの

精神分析や心理臨床、カウンセリングでは価値判断はあまりせず、そこに含みこまれる意味や情緒に触れようとします。嘘についても同様でしょう。嘘をつくことがどういう意味があるのか、何が目的なのか、そして、その嘘で誤魔化すことでしか生きることのできない苦痛に眼差しを向けます。つまり、嘘を悪いこととして断罪せずに、その背後にある心的なものに関わろうとします。それによって生きることのできなかった自分自身を生きられるようになることを手助けします。

映画に戻ると、嘘による臨床症状があるわけではありませんが、過去の苦しみから生き残るために嘘をついており、そこには哀しみが含みこまれていたことが徐々に判明していきます。涙無くしては見れないプロセスでありますが、カウンセリングにおける回復の過程を見出すことができそうです。

また、過去の苦しみを語ることができるようになるためには嘘というプロセスを一時的にでも通過せねばならなかったのでしょう。もちろん、そこに固着し、固定化し、病理的組織化のように永続的に誤魔化し続ける可能性もあったかもしれません。もしくはその苦しみに耐えかねて死を選ぶこともあるでしょう。

3.苦痛を共に歩む伴走者

このような苦難は一人ではその道程を歩むことが困難でもあるからこそ、伴走してくれる他者が必要なのです。その他者は家族、友人、恋人かもしれないし、教育分析や個人分析スーパービジョンなどの訓練を積んだカウンセラーかもしれません。

繰り返しますが、悪意の有無は別として嘘にも意味があり、機能があり、役割があります。それを踏まえた臨床姿勢がやはり必要になってくるのだろうと思います。

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