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詩人と空想すること

フロイトの1908年の論文「詩人と空想すること」を読んだ感想を書きました。芸術論から臨床論への橋渡しになるような着眼点にあふれた論文です。ちなみに本論文はフロイト全集〈9〉1906‐1909年―グラディーヴァ論・精神分析についてに掲載されています。

1.フロイトの疑問と着眼点

フロイトの精神分析に関する論文の中では文化論や芸術論は、臨床実践から少し隔たっていると思っているところがあったので、今まで一応は読んできたが、あまり気をひくものではありませんでした。しかし、今回もう一度この「詩人と空想すること(1908)」を読んで、とても臨床的リアリズム、精神分析的リアリティに溢れた内容にかなり引きこまれてしまいました。

この論文でフロイトは詩人の創作物がこれほどまでに人の心に感動を与えるのはどうしてなのか?という疑問から出発しています。私もどちらかというと芸術的センスがないほうなので、フロイトの疑問に同感なところが多いです。そしてフロイトは子どもの遊びと空想することとの類似点を挙げ、論を展開していきます。こういう着眼点というのはフロイトのすごいところだなと改めて思います。

2.空想と自由連想の類似点

さらに空想することは、いわゆる精神分析の中の自由連想に当たります。ここで臨床実践、精神分析実践とのつながりが顕著に表れてきます。ただ、フロイトは空想することを単に願望充足であるとしており、幸せな人は空想することがないと述べています。この部分については私は直感的に同意できないように思いました。というのも、空想自体はその人の内的世界の表れであり、願望だけではなく、対象世界そのものが顕在化しているものだと考えるからです。また、そもそも全く幸せである人がどれほどいるのかも疑問です。

そして、ここで自由連想と遊びの関係も出てくるのですが、これはクラインが「自由連想は遊びに匹敵する」といった名言まで残しているように、遊びが精神分析の重要な素材になりうることを発見し、そこから今日の精神分析に重要な概念をいくつも提出されてきました。特にプレエディパルな世界を描き出すことによって、重篤な患者・重症な患者の精神分析的理解に多くの貢献を残してきました。ちなみにクラインはフェレンツィやアブラハムから教育分析や個人分析を受け、ウィニコットやボウルヴィ、ハイマンなど多くの分析家にスーパービジョンをし、後進の育成に情熱を注ぎました。

3.原始的防衛機制

論文の後半になるとフロイトは詩人そのものに焦点をうつしています。そこでは詩人は自我をいくつかの部分に分割して、それぞれを人格化して作品を作っていると論じています。ここではフロイトはそれほど詳しく論じているわけではないですが、精神分析的に重要な示唆が含まれているように思います。というのも、この自我の分割については、フロイトが晩年に「防衛過程における自我の分裂(1939)」に書いた論文に通じる理論であり、さらにクライン学派や対象関係論学派における投影同一化やスプリットといった原始的防衛機制の元とも言えるのではないかと思います。この時期のフロイトはまだ精神分析的構造論そのものを概念化していないのですが、その片鱗が見え隠れするというのも面白いものです。

たった9ページほどの短い論文ですが、単なる芸術論を超えた含蓄が多く含まれた精神分析の論文であるように思います。