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生と死の本能についての精神分析理論への臨床からの接近

H.ローゼンフェルドの「生と死の本能についての精神分析理論への臨床からの接近-ナルシシズムの攻撃的側面についての研究(1971)」についての要約と解説です。ローゼンフェルドは破壊的ナルシシズムや自己愛構造体など現代クライン派にはなくてはならない理論を提示しました。

1.生と死の本能についての精神分析理論への臨床からの接近の要約

(1)死の本能の導入

1920年にフロイトが生の本能と死の本能についての二元論を導入しましたが、多くの精神分析家が死の本能に反対しました。しかしローゼンフェルドは臨床的に本質的に重要と考えました。

死の本能そのものの純粋な形では現れません。外界対象群への破壊衝動として現れます。これは重篤な自己愛状態で作動します。

(2)各精神分析家の見解

a.ジークムント・フロイト

ジークムント・フロイトの写真

図1 ジークムント・フロイトの写真

「欲動と欲動運命(1915)」において外界対象に向かう憎しみや破壊性が陰性治療反応として現れるとしました。また、「終わりのある分析と終わりのない分析(1937)」では、是が非でも病気や苦しみにしがみつこうと決心している力が存在することであると述べました。

この2つの論文は以下に詳しい要約と解説があります。

b.カール・アブラハム

カール・アブラハムの写真

図2 カール・アブラハムの写真

精神病性自己愛患者の陰性転移の分析からナルシシズムと攻撃性の結びつきの発見しました。しかしフロイトの生と死の本能理論には結び付けませんでした。

カール・アブラハムの理論については以下に詳細な要約と解説があります。

c.ヴィルヘルム・ライヒ

ヴィルヘルム・ライヒの写真

図3 ヴィルヘルム・ライヒの写真

ライヒはフロイトの死の本能論には反対しました。しかし、陰性転移の分析から自己愛性患者の抑制された攻撃性、羨望を発見しました。性格の鎧とは、人を蔑み嘲ます。そして、死について心を奪われています。これが潜在的な攻撃性、羨望、ナルシシズムといえます。

ヴィルヘルム・ライヒのの理論については以下に詳細な要約と解説があります。

d.メラニー・クライン

メラニー・クラインの写真

図4 メラニー・クラインの写真

生と死の本能の理論を整理し、臨床の本質的な発展に貢献しました。早期幼児期の分裂機制には愛と憎しみがあります。リビドーの理想対象は愛される身体や自己の一部です。そして、ナルシシズムは対象との関係に基づいている二次現象です。

自己愛状態とは、外界との関係からひきこもり理想化された内的対象との同一化といえます。そして、死の本能は破壊の恐怖として体験されます。これが外界に投影されると迫害物になります。自我の中に保たれていると迫害対象に向かう攻撃性になります。

生の本能が外界に投影されると理想化になります。理想化された対象と悪い迫害的対象は良い自己と悪い自己になります。

(3)妄想分裂ボジションにおける破壊性

早期幼児性転移の陰性側面の分析により、死の本能の直接的派生物である原初的羨望が発見されました。母への羨望は精神分析作業を脱価値化として現れます。

「この分割は、死の本能から派生する破壊衝動により破滅の危機から自己と対象を守ることを目指した、早期人生での正常な防衛機制である。」

脱融合とは正常な融合であり、破壊衝動がリビドーで中和されます。一方で病的な融合とは破壊衝動がリビドーより強い状況のことです。

分離への気づきが依存を刺激し、しかし、それが満たされず不満になり、最終的には羨望になります。万能的自己愛対象関係の強度や持続性は羨望的な破壊衝動の強度と相関関係にあります。

(4)ナルシシズムの二つの側面

患者にはリビドー的ナルシシズムと破壊的ナルシシズムの両面が並存しています。

リビドー面とは自己理想化は万能的な取り入れ同一化と投影同一化によって維持されています。破壊的側面では自己の万能的破壊的部分の理想化されています。

破壊がリビドーより強いと、精神分析家を破壊する願望と自己を破壊する願望(自殺、対人関係を台無し、死の理想化)が出現し、死の本能に取りつかれているように見えます。破壊的自己と自己全体が同一化しています。

これを精神分析における転移でワークスルーしていきます。

脱融合した破壊衝動が人格や対象関係全体を支配している自己愛患者群がいます。無関心、脱価値化、矮小化などで精神分析家に優越しようとします

リビドー的自己(=依存的自己)を殺し、破壊的自己部分にすっぽり同一化してしまいます。

(5)ケース1 昏睡状態の子どもの夢

太陽

「暑い真昼の太陽にさらされて危険な状態にある少年のそばに立っている患者は、その子どもを助けるべく日陰へ移そうともせずに、その子を治療している医者への批判と優越感だけを感じていました。」

瀕死の少年(患者自身のリビドー的な依存的自己)を助けないということは精神分析家に失敗を見せつけ、破壊的自己愛状態を維持していると解釈できます。

(6)倒錯と破壊衝動

「精神分析家とのふれあいは、患者の自己愛的万能的優越性が弱くなること、気持ちが離れてしまうことではっきりと避けられていたものすごい羨望を意識的に感じる体験をも意味していた。」

自己愛構造体は破壊的ナルシシズムの維持、防衛、強化が目論まれます。これは変わること、援助を受けることは弱さと失敗とみなされてしまいます。

破壊衝動は倒錯の結びつき、リビドーを凌駕します。

フロイトは倒錯は生と死の本能の融合であるとしましたが、ローゼンフェルドはこれに反対しています。

自己の破壊的自己愛部分が精神病性構造もしくは精神病的構造体と結びついている場合には、万能的で極度に残忍、サディスティックになってしまいます。

いくらか精神分析への依存的な関係が進展すると、重篤な陰性治療反応が発動し、急性精神病状態の危険に陥ります。

涅槃様の状態は死の本能の純粋形とは違います。病的なひきこもり状態であるといえます。

「臨床的には自己の依存的な正気の部分こそが分析家や外界との陽性の対象関係と本質的に結びついている部分なので、精神病的自己愛構造の内側のとらわれた位置から患者を見出し、救い出すように援助することが不可欠である。」

「第2に、精神病性構造体を支配している自己の排除された破壊的万能部分を十分に意識化するよう患者を徐々に援助していくことが大切である。」

(7)ケース2 幼児的で万能的な男性患者

夢1「9フィートの大男が患者に服従しろと主張」

これは、幼児的万能部分という解釈ができます。

夢2「患者は長距離レースランナー。彼のことをまったく信じないいじわるで若い女性とその兄弟でみんなを誤った方向に導く男性」

夢3「自分の先生(ローゼンフェルト?)に感謝をしている少女」

夢の中で男性として表されていた彼自身の攻撃的で万能的な部分を意識化しました。大人の女性として万能的に自分を出してくることで、精神分析のなかで攻撃的な行動化を彼が続けるだろうとの警告しています。

依存が強化していくことで、攻撃的で自己愛的な万能部分への反撃をし、そして、脱融合から正常な融合への進展します。

(8)まとめ

本論文の目的は、攻撃衝動が優勢な臨床状況とフロイトの生と死の本能の脱融合と融合という理論とそれらの臨床状況との関連についての検索することです。

死の本能の破壊的側面が自己リビドーを部分を麻痺させたり、心理的に殺したりします。臨床状況では未融合の死の本能は観察できません。

破壊的状態は、脱融合状態ではなく、病的な融合状態です。ある種の万能的自己愛状態破壊がリビドーよりも強くなってしまいます。

「臨床に際しては破壊衝動を和らげるリビドー的依存的自己に近づく道を見つけることは欠かせません。そのためには破壊過程の幼児的な本質が暴かれなければならないのです。」

2.生と死の本能についての精神分析理論への臨床からの接近の解説

(1)ローゼンフェルドの生涯

ハーバート・ロゼンフェルドの写真

図5 ハーバート・ロゼンフェルドの写真

ローゼンフェルドは1910年7月2日にドイツのニュルンベルクでユダヤ人の両親の間に生まれました。父親はホップの卸売業者です。母親は温かく優しい女性であったとのことです。ローゼンフェルドには兄弟姉妹が3人おり、2歳年上の姉、4歳年下の妹、8歳年下の妹がいました。

母親は後に神秘主義やオカルトに傾倒するようになりました。彼はそれに対する反発で科学的な立場に惹かれるようになりました。また、彼は心理学にも興味を持っており、父親の稼業を引き継がず、ミュンヘン大学医学部に進学しました。

1934年に大学を卒業後は医師免許を取りました。卒業論文は「Multiple absences in childhood(子供時代の複数の欠席)」というタイトルだったようです。卒業後に医師として働こうとしましたが、ナチスの「ニュルンベルク法(反ユダヤ人種法)」によって、ユダヤ人が専門職から締め出されることになり、彼は医師としてドイツでは働くことができなくなってしまいました。そのため、イギリスに移住することになりました。

1935年にイギリスに移住後、彼はいくつかの病院で勤務をし、その中で後に結婚するロッティ・クプファーと出会います。彼女は精神療法家としてのトレーニング中で、ポーラ・ハイマンの精神分析を受けたりしていました。

彼はしばらく病院で勤務をしていましたが、ビザの関係で、外国人で、かつ医師としての経験の浅い彼は滞在許可を取り消されてしまうことになりました。そのため、彼はイギリスに残るため、タビストッククリニックで精神療法のコースに登録すれば、滞在許可が下りることを知りました。彼はそのコースに登録し、同時に、いくつかの精神病院でも勤務するようになりました。そこで統合失調症の患者と出会うようになり、統合失調症の精神療法に興味を持つようになりました。

1937年からタビストッククリニックでのトレーニングがはじまりました。この時のトレーニングケースが統合失調症を発症したということで、精神分析を中止するようにと忠告を受け、結局中断し、精神病院に送ることになりました。その後、このケースから手紙が彼に元に届き、どれだけ見捨てられたと感じたのかが書かれていたようです。彼はその時、今後は統合失調症でも見捨てないことを決心したようでした。1938年には個人開業医の資格を取得し、1941年にはロッティと結婚しました。

1942年には、クラインの理論が統合失調症の治療に役立つと考え、クラインの精神分析を受けるようになりました。そして、この精神分析のトレーニングの中で、タビストッククリニックと同じことが起こりました。彼の精神分析のトレーニングケースが統合失調症を発症しました。

当時のスーパーバイザーであるシルヴィア・ペインは精神分析を中止するように忠告しました。しかし、彼は以前のタビストッククリニックでの経験があったため、中止には応じず、精神分析を継続しました。そのケースの成果は1947年の論文「離人症をともなったある統合失調症の分析」です。ここで統合失調症の精神分析が役に立つことを示しました。

1945年に精神分析家の資格を取得し、1947年には訓練分析家の資格を取得しました。臨床では、統合失調症の精神分析に傾倒していました。この時期には、ビオンやシーガルも統合失調症の精神分析を行っていましたが、相互に交流はあまりなかったようです。彼は臨床を精力的に行うと同時に、訓練にも携わりました。レスリー・ソーンやドナルド・メルツァーは彼に分析を受けていましたし、ジョン・スタイナーはスーパービジョンを受けていました。

彼はそれほど著作を残すことはありませんでした。1冊の論文集と、1冊の書籍だけです。また、後年では病気に悩まされ、入院などを繰り返していたようです。1986年11月19日に卒中で倒れ、全く話をすることができなくなり、その10日後の11月29日に亡くなりました。享年76歳でした。

(2)統合失調症の精神分析

当時の統合失調症の精神分析は禁忌とされていました。そのため、生涯の中で紹介したように、当然のように統合失調症を発症した場合には精神分析を中止し、精神病院に入院させるようにと忠告を受けました。

しかし、彼はメラニー・クラインの理論を武器にし、統合失調症の解明していきました。その際、精神分析をアメリカの自我心理学派のようにパラメータを導入し、技法を修正するようなことはせず、無修正の精神分析を実施しました。ただ、頻度については、当時も週5回ほどがオーソドックスになっていましたが、週6回、時には週7回の精神分析を実践していました。

古くはジークムント・フロイトの時代は統合失調症は自己愛神経症と呼び、転移が起きず、ナルシシズムに陥っているため、精神分析は行えないといいました。しかし、彼は転移が起きていないのではなく、精神病的な転移、もしくは転移精神病が起きているのだ、と理解しなおしました。そして、そこには投影同一化とスプリッティングが活発に起きているということです。

現実世界で体験する苦痛や葛藤を投影同一化とスプリッティングを通して、心から排出し、周囲に押し付け、体験しないようにしていました。そうしたことが具象的な形で展開しているため、治療者は患者の苦痛を具象的な形で体験せざるをえないのです。

その精神分析の際に有用となるのが、自由連想といった語りだけではなく、雰囲気や態度、微妙なしぐさ、行動といった患者の振る舞いです。そうした非言語的な行動に注意を向けることの重要性を彼は主張しています。

(3)投影同一化の理論的発展

投影同一化はメラニー・クラインが提唱した概念です。こころの中にあるものを排出し、相手に押し付ける心の機制です。ただ、メラニー・クラインは投影同一化は空想の中の出来事であり、現実に作用を及ぼすものではないと理解していました。

しかし、彼は統合失調症の精神分析を通して、患者の投影同一化が具象的な形で差し出されることにより、治療者が実際にそれによって動かされてしまうことを検討しました。逆転移という形で感受するとともに、実際に治療者が行動化してしまうことまで含めました。そのため、患者の空想のシナリオに従って、治療者は演じてしまうのです。

また、投影同一化の病的な側面ではなく、健康な側面にも注意を向けました。そして、その健康な側面を見逃すことは治療者の怠慢であると述べました。そのため、投影同一化に対して積極的に関わる必要があるが、行動化してしまうと治療の行き詰まりを招くため、行動化は戒めねばならないとしました。

(4)早期の外傷体験と解釈

彼は心的外傷によって引き起こされる患者の脆弱性にも着目しました。皮の薄い自己愛患者はそうした代表です。このような場合、彼は詳細な病歴聴取が必要であり、心的外傷が起こったエピソードを積極的に取り上げ、取り扱うことが重要であると述べました。そして、here and nowよりも過去の病歴を取り上げるような解釈が、治療の行き詰まりを打開することに役立つとしました。

このことはベティ・ジョセフをはじめとした現代クライン学派がhere and nowを重視する立場と大きく異なります。

(5)破壊的ナルシシズムと自己愛構造体

ジークムント・フロイトは精神分析が進展しているはずなのに、なぜか病態が悪化する現象に直面し、それを陰性治療反応と呼びました。そのメカニズムとして、超自我の強い罪悪感が良い方向に向かうことに禁止を出しているのだとしました。

ジョアン・リビエールの写真

図6 ジョアン・リビエールの写真

そして、ジョアン・リビエールはその陰性治療反応をさらに進め、超自我とパーソナリティの一つの安定した構造であることを指摘しました。さらに、メラニー・クラインは羨望という破壊性・攻撃性の要素を付け加えました。

ローゼンフェルドはそうしたところまできた、陰性治療反応、構造体、羨望といった要素にナルシシズムを付け加え、自己愛構造体というものを想定しました。その自己愛構造体にはナルシシズムのリビドー的な側面と破壊的な側面があります。

リビドー的な側面とは、ナルシシズム的に、万能的にしか相手と関係を持つことができず、相手が個性と主体性を持った別人格であることを認識できず、自分の延長線上にあるものとしてしか出会うことができません。ですので、相手を万能的にコントロールし、自分の一部にしてしまいます。

一方で、ナルシシズムの破壊的側面とは自身の破壊性や攻撃性を理想化し、それが自身の良い部分を含めて、支配下に置こうとします。このナルシシズムの破壊的側面は普段は姿をあらわさず、自身にも意識することはありません。しかし、相手と良い関係になったり、愛情関係に発展しようとしたりすると、すぐさまに破壊的ナルシシズムが発動し、全てをご破算にしてしまいます。そうして、良い方向にも、悪い方向にもいかないように現状維持を目論みます。こうした破壊的な行動をするところから、彼はギャングと呼びました。

マフィア

こうしたリビドー的ナルシシズムと破壊的ナルシシズムが常に作動しており、精神分析が進展しようとすると、すぐさまに行き詰まりが生じてきてしまうと彼は理論化しました。

(6)ローゼンフェルドの人柄

こうした緻密な理論を整備したローゼンフェルドはどういう人柄、人物だったのでしょうか。タビストッククリニックでのトレーニング時代に統合失調症の患者を見捨ててしまったという出来事は相当彼に大きな傷と決断を産むことになったようです。そして、それをきっかけとして、どんな人も見捨てず、最後までやりぬくことを有言実行しました。

また、かなりの多くの患者を抱えており、またそれぞれの患者に対して、標準的な頻度以上の精神分析を提供していたようです。バイタリティに溢れ、公私ともに精神分析や統合失調症の患者に時間と労力と人生を捧げたようです。

しかし、晩年にはさまざまな病気に悩まされようで、入院もあったようです。こうした身を削るような生き方が悪い影響を及ぼしたのかもしれません。長生きが特徴の精神分析家にしては76歳という若さで亡くなってしまっています。強い逆転移は治療に悪影響を及ぼします。しかし、彼のように強い逆転移があるからこそ、可能なこと、到達できることもあるように思います。

彼の生き様を振り返ると、シャーンドル・フェレンツィをやや彷彿とさせます。フェレンツィの経歴や理論は以下のページに詳しくあります。

フェレンツィも相当患者のために心身を削りながら精神分析を行っていました。最後には「大実験」という極限にまで患者を抱える設定に身を投じました。そして、それによって死期を早めたと言われています。

シャーンドル・フェレンツィの写真

図7 シャーンドル・フェレンツィの写真

当時のフェレンツィの時代には構造という概念と精神病水準の心の機制についての知見がありませんでした。その点、ローゼンフェルドは恵まれていました。彼を律する構造的な概念と精神病を理解する武器を持っていたため、フェレンツィとは違った結末だったのかもしれません。

一方で、あるエピソードですが、ローゼンフェルドが精神病院の片隅で統合失調症の患者との分析を行っていたことを紹介します。当時、面接室がなく、廊下の端の物置があるようなところで精神分析を彼は行っていました。患者は何を思ったか物置を物色しました。物色していると、そこに人骨が出てきて、患者はそれを使って遊び始めました。ローゼンフェルドは非常に驚いたようですが、それを精神分析的に理解し、解釈を行いました。

こうした熱いパッションと同時に、事態を受け止め、的確な解釈を行う、冷静に対処する態度が同居していることが分かります。

3.終わりに

ローゼンフェルドは現代クライン派精神分析を代表する精神分析家です。こうした精神分析をさらに詳しく学びたい方は下のページをご覧ください。