悲しみを抱えること
「小児医学から精神分析へ―ウィニコット臨床論文集」に掲載されている「母親の抑うつに対して組織された防衛という観点から見た償い(1948)」 を読み終えました。
要約すると、クライエントの病的な抑うつは母親の病的な抑うつを引き受け、母親を癒すために病的になっている、という内容です。ただし、この観点は親を非難するためのものではありません。
1.論文の内容
ウィニコットとはクラインやリビエール、ストレイチーから教育分析や個人分析、スーパービジョンを受けて、精神分析家となった人です。ウィニコットの論文は600以上あるようで、いずれも刺激的で魅惑的なので、甲乙はつけがたいです。それでも1つ取り上げると「母親の抑うつに対して組織された防衛という観点から見た償い(1948)」は非常に臨床的で示唆に富んでいます。
本論文の要約は以下のページにあります。
本論文でウィニコットは子どもは抑うつなどの精神症状や臨床像を示すことは多いですが、それは子どもの病気や障害などから単に出ているものではないと主張しています。母親に対する思いやりやいたわりが、母親の抑うつを引き受け、肩代わりをしているのです。その為、子どもだけの治療では不十分で母子の関係そのものを対象にした援助をしないといけないということかもしれません。
これらのことを数例の症例から論じており、ウィニコットの独自性が垣間見えます。これは臨床的にも多々見かける現象でもあるでしょう。あらわれている障害は一体何で、誰のものか、ということを考えていく手立てになる論文です。
2.子どもと親を対象にしたウィニコット
これまでの精神分析、特にクライン派は母親を対象にした精神分析は行っておらず、患者である子どもだけを精神分析していました。そこには子どもの破壊性や攻撃性を精神分析することに主眼が置かれているからです。
しかし、ウィニコットはそうではなく、母子の対象関係を念頭にした分析を行っており、その観点からこのような論文が出来たのでしょう。
3.親の非難を意図していない
ただ、これらの親の肩代わりとして子どもに問題が生じている、という観点は、単に親が悪いからこうなったと責めるだけのものではありません。最近、流行っているのか「毒親」という言葉をよく見かけます。誰がいつ言い出したのかは知らないのですが、悪いのは親であると断罪して終わってしまいかねない危うさがあるように思います。もちろん、毒親とすることで救われる人もいるでしょうが。
また、「親の抑うつ」論文は、親をゆるすとかゆるさないという話でもありません。おそらくウィニコットはそうした表面的な話をしているのではないでしょう。そうではなく、悲しみを悲しめない悲しみを悲しめるようになる手立てなのだろうと思います。堅い表現では抑うつポジションの達成とも言えるかもしれません。
4.転移という舞台で演じられる
さらに、そうしたことは単に個人内の病理だけではなく、関係性の中での傷付き、剥奪、欠如とし、それを転移という舞台で抱えていくことが、セラピューティックになると思われます。そこにウィニコットの技法論としての退行があると言えます。最近の精神分析では退行は流行らないとある人は言っていましたが。
精神分析については下記をご覧いただけると詳しく書いています。