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マイケル・バリント「一次愛と精神分析技法」を読んで

マイケル・バリント「一次愛と精神分析技法(新装版)」みすず書房 1952/2018年を読んだ感想について書きました。

バリントはフェレンツィから訓練分析を受けた精神分析家で、新規蒔き直しや受身的対象愛などの重要な概念を作り上げました。本書はそのバリントの論文集で、計20本の論文が収められています。

1.結果より過程

本書の「一次愛と精神分析技法」はバリントが約30年に渡って書き続けられた20本の論文集です。バリントとはフェレンツィから教育分析・訓練分析・スーパービジョンを受けた精神分析家です。そのバリントの思索の変遷が本書では見られてなかなか面白いです。

精神分析は完成された理論には面白みが実はありません。思索を重ねられているそのプロセスそのものに惹かれます。精神分析実践の中で患者の語りを聞いているのと似ているからかもしれません。

2.バリントの精神分析の中の位置づけ

バリントはフェレンツィから精神分析を受けて精神分析家になりました。他にフェレンツィから分析を受けた人にジョーンズやクラインがいますが、前者はフェレンツィをこき下ろし、後者は無かったものとしています。バリントだけがフェレンツィの弟子を公言しています。そのため亡命した英国では風当たりが強かったようです。おそらく、バリントがいなければフェレンツィの業績は未だに陽の目を見ることがなかったでしょう。

クラインやフェアバーンが対象関係論の領域に切り込みましたが、それはやや理論構築に力点を置いているように感じます。一方で、フェレンツィやバリントは対象関係的な視点を実際の精神分析治療に即して、臨床を生々しく書き記しているように思います。そうした意味で、極めて実践的に思えます。

3.受身的対象愛

本書「一次愛と精神分析技法」は欲動、技法、訓練の3部構成になっています。欲動の部では生物学の難解な議論をしています。その中でも進化の中で性機能の変遷から人間の欲動に繋がっていることを論じています。また、バリントの有名な受身的対象愛ということもここで出てきています。

土居健郎の甘え理論に繋がる概念でもあります。人間は生まれた時には絶対的な愛に囲まれることから始まり、それがあるからこそ生きていけるということを議論しています。ウィニコットの一次ナルシシズムや母子ユニットに近いところがあるように思えます。

4.新規蒔き直しと技法論

さらにそれを技法面で論じると新規蒔き直しになります。抑うつポジションでもなく、妄想分裂ポジションでもなく、受身的対象愛の段階に退行することにより、そこから進展していくことができるという概念です。精神分析的には心的引きこもりとの差異が不明瞭でもありましたが。さらにそうした状態の時には転移解釈などで扱うのか、ただただ待つのみかは、その点はあまり明確には語られていませんでした。ウィニコットは解釈ではなくマネージメントということを言っていますが、そうしたことをバリントもやっていたようにも思えます。

バリントはフェレンツィを発展させたと言っても良いのですが、フェレンツィのように逸脱(と言って良いか分からないが)した技法は継承しませんでした。フェレンツィは相互分析、弛緩技法、積極技法など何が患者に役立てるのかを突き詰めていきました。その結果、古典的な精神分析技法にこだわることはしませんでした。

バリントはフェレンツィとは違い、理論や考えを継承しましたが、技法はあまり継承しませんでした。従来の精神分析技法を踏襲していたようです。もっとも精神分析の枠外では、一般医や家庭医の訓練もしており、そこには精神分析を参照しつつ、現実的な医療実践をしていたようです。

5.バリントの生き方と理論への影響

この本書「一次愛と精神分析技法」のほとんどが夫人であるアリス・バリントとの共著であると言って良いほどのものです。それほど、精神分析の伴侶として、人生の伴侶として共に歩んでいたようです。そういう意味ではウィニコットやクラインのように不幸なことはなく、幸福な人生だったのかもしれません。それが関係してるかどうか分かりませんが、受身的対象愛や新規蒔き直しといった他者をとことん信頼することから始まるような理論は、彼のこうした人生が影響してるのかもしれません。クラインは暗い人生から憎しみの重要性を説きました。ウィニコットは母の庇護がないことへの苦しみを説きました。そこに強い苦痛を感じさせます。

バリントは英国精神分析の中心にはならなかったようですが、クラインやウィニコット、フェアバーンなどとは違う形で対象関係論を深め、それを実践の中で実際に使ってきたようです。それが今日の精神分析に生きていることはよく分かります。