精神分析的遊戯技法
メラニー・クラインの「精神分析的遊戯技法」(1955)の要約と解説です。クラインはこれまでの遊戯技法の歴史や技法、その効果について包括的に検討し、まとめています。
目次
A.精神分析的遊戯技法(1955)の要約
1.はじめに
この論文は遊戯技法の技法論について書いています。精神分析の理論の発展はこの遊戯技法に由来しています。私(メラニー・クライン)が遊戯技法を始めた時には、解釈は控えめにすることが原則となっていました。また、精神分析は潜伏期以降の児童しか対象とはならないとなっていました。
2.症例から得た遊戯技法のアイデア
私の最初の患者はフリッツという5歳の男の子でした。当初、私はその母親に助言という対応をし、それによって部分的に改善は見せましたが、神経症的な問題を根本から解決するには至りませんでした。そのため、私はフリッツに一番緊急性の高い不安から解釈していきました。そうしたことを繰り返すことにより、彼の不安は徐々に低くなっていきました。この経験が私の今後の精神分析の研究に強い影響を与えました。
その後、1923年にリタという2歳9ヶ月の女の子の精神分析を取り組みました。リタは初回の面接の時に、彼女は不安げに黙り込み、庭に出ようと言いました。これは私に対しての陰性転移と言えるでしょう。私は彼女と一緒に庭に出て、その中でこの陰性転移を<部屋に2人きりでいると何かされると怖かったのだろう。
夜泣きも悪い女の人が襲ってくると思っていたのかもしれないし、それは私がいじわるな見知らぬ人に違いないと思ったのでしょう>と解釈しました。このことを通して、子どもは遊びやおもちゃを通して、空想や不安を治療者に伝えてくるので、それを転移解釈することで、これまで制止されていたものが動き出すようになることが分かります。
ただ、これまで私は遊戯技法をその子どもの家庭に出かけて実施するというアウトリーチで行っていました。しかし、やはり家庭に出向いての精神分析はやめた方が良いと思うようになりました。なぜなら、精神分析は日常生活から切り離されたところのほうが転移状況が確立しやすいためです。
さらに、7歳の女の子の精神分析の経験の中で、その子専用の箱入りおもちゃを用意することが有用であることが明らかになりました。
3.遊戯技法でつかう素材
遊戯技法で使用するおもちゃはちいさいものであることが大事です。おもちゃはバラエティに富んでいることで子どもの空想を表現することができます。ただし、機械的なおもちゃは適していません。人形は色やサイズにバリエーションがあったとしても、特定の職業を示していないものが良いでしょう。あると良いおもちゃを列挙すると、小さな木製の男と女の人形(大小2つのサイズのもの)、自動車、手押し車、ぶらんこ、汽車、飛行機、動物、木、積木、家、へい、紙、ハサミ、ナイフ、鉛筆、チョーク(ペンキ)、のり、ボール、ビー玉、粘土、ひも、などです。
部屋は簡素なものが良いでしょう。洗える床、水道、テーブル、2~3個の椅子、小さなソファ、いくつかのクッション、タンス、が備わっている程度です。
そして、それぞれの子ども専用の遊具を用意し、それを鍵付きの引き出しにしまっておきます。こうしたことは、子どもと精神分析家の親密さや転移状況の象徴となります。
こうした部屋やおもちゃを用いて、子どもは遊ぶことによって、無意識の不安を表現します。また、ごっこ遊びなどをとおして、家族や対象関係の役割も表現します。精神分析家はこうした素材によってあらわされた不安などを解釈します。
4.攻撃性と罪悪感
子どもが攻撃性を表現し、おもちゃが時として壊れてしまうこともあります。もしそうしたことが起こったなら、その後の様子を観察しなければなりません。そうすると、子どもが壊してしまったことによる罪悪感をどのように処理するのかが見えてくるでしょう。もしくは罪悪感ではなく、迫害的な恐怖を感じる子どももいます。
さらには、子どもの攻撃性が精神分析家に向けられることもあります。この時、注意や叱責などで制止することよりも、子どもの攻撃性にまつわる空想や不安を解釈することでこの状況をうまくコントロールすることができます。
このように、子どもの攻撃性を出すように励ますこともしませんし、非難し、無理やり制止させることもしません。中立性を守り、攻撃性とその反応を観察し、適切なタイミングで解釈を行います。こうした精神分析家の介入により、適度な罪悪感が償いの思いになり、それが愛情となっていきます。
5.遊べない子ども
ピーターという3歳9ヶ月の男の子はフラストレーションに耐えることができず、臆病でいて、しかし、時には非常に攻撃的にもなりました。そうなったのは1歳6ヶ月の時に、両親の性行為をたまたま目撃してしまったことが引き金だったようです。その後、弟が生まれ、さらに悪化していきました。私はピーターとの遊戯面接を行うことになりました。
その1回目のセッションではピーターは2匹の馬をぶつけ合うことをしました。私は彼に<ぶつかりあっているのは人なのね>と解釈しました。彼は最初はその解釈を否定していましたが、やがては受け入れました。彼はその後、馬に積木をのせ、「死んじゃった、埋めてやったんだ」と言いました。そして、自動車を並べて走らせましたが、ふいにカーッとなり、自動車を部屋中に投げちらかしました。おもちゃを壊すことは父親のペニスを壊すことを意味していました。
そして、実際この時、おもちゃを壊していました。2回目のセッションでは彼は自動車や馬同士をぶつけあったり、弟のことを話したりしました。私は彼に<ママとパパがどんな風に性器をぶつけあっているのかを見せてくれているのね。そして、それがあったから弟が生まれてきたと思っているのね>と解釈しました。
こうしたように制止の理由を明らかにしていくことにより、子どもが徐々に遊べるようになっていきます。
6.子どもへの解釈
小さな幼児がこのような複雑な解釈を本当に理解できるのか?という質問をされることがあります。これについては、解釈が素材の大事な点、つまり一番強い不安などの情緒に触れていると小さな子どもであっても理解できます。それは意識と無意識の境目がまだしっかりとしていないこと、抑圧が大人ほど強くないことも関係しているでしょう。
遊戯技法において、常に大事なポイントは転移解釈です。転移解釈によって、患者を幼児期と最初の対象関係に戻してあげることが、根本的な援助となります。なぜなら、幼いころの情緒や空想を再体験し、原初的な対象との関係の中で理解することにより、根本から変化することができるのです。それによって、不安をやわらげることになっていきます。
7.早期の不安状況
さきほどのリタの症例をもう一度取り上げます。彼女は母親の役割を担い、そして、子どもの役割を割り当てた人形や私に対して、非常に残酷に接しました。彼女の母親への両価性、極端に処罰を求めること、罪悪感、夜驚から、既に厳しく冷酷な超自我が作動していることが分かりました。また、女の子の不安状況として、母親が外的対象、内在化された対象として、女の子を攻撃し、空想上の赤ん坊を奪ってしまうような、迫害的な対象となってしまっているようです。そして、この迫害的な不安は抑うつ感や罪悪感と結びついているようです。
ちなみに、こうしたことは元々は子どもの破壊衝動が関連しているようです。その破壊衝動には、肛門愛・加虐衝動と尿道愛・加虐衝動があります。こうした攻撃したことによる仕返しとして迫害的な不安が生じるのです。
その上で、償いの重要性も同時に認識するようになりました。ここでの償いはフロイトのいう打ち消しや反動形成よりも広い意味を持った概念です。償いは、対象を回復させ、保持し、生き返らせるというさまざまな過程を含んでいるのです。さらに昇華とも関連しており、精神衛生にも寄与しています。
一方で、男の子の場合の早期の不安状況は女の子とはやや違った側面があります。男の子も早期には母親への同一化があるので、身体内の攻撃についての不安は非常に重要です。これが男の子の去勢不安に影響を及ぼします。母親の身体内でペニスを壊されてしまう空想があり、それがインポテンツを引き起こします。
8.分裂病の精神分析
早期の不安状況はその基礎に精神病的な不安があります。精神病的な不安といっても、ある程度までは正常な発達の一部ではあります。しかし、子どもにおいて、象徴形成や象徴の使用の能力のひどい制止は重い障害の徴候です。そして、そのため起こってくる現実場面での問題や障害は分裂病の特徴となります。
翻って考えると、子どもの遊戯技法を通して精神分析を行い、その早期の不安状況を理解することは大人の精神病の固着点を理解することにつながります。それは大人の精神病患者を精神分析していくことができる可能性となります。
B.精神分析的遊戯技法(1955)の解説
1.プレイの重要性
この時期のクラインは成人の、特に重篤な患者のセラピーが主な仕事になっていました。そこから翻って、あらためて遊戯技法について論じています。出典は忘れましたが、「自由連想は子どもの遊びに匹敵する」とプレイと自由連想を逆転させ、プレイにあらわれる無意識の素材の豊かさについてクラインは語っています。当時、フロイトはクラインのしている仕事を批判したこともありましたが、アブラハムが弁解し、クラインを擁護していました。
2.アンナ・フロイトとの比較
本書にも出てきましたが、クラインの遊戯技法とアンナ・フロイトの児童分析は相当異なっていました。アンナはエディプスを通過した子どもしか分析はできないとし、さらに家庭や両親に対する助言、関わりを重視しました。また、子どもとはセラピー初期には一緒に遊び、積極的に関わり、良性の関係を持つことを大切にしました。
クラインがしていたように、最初から原初的な不安を解釈するということはアンナにすればあり得ないことだったでしょう。ちなみに、アンナのしていた児童分析では親子平行面接というスタイルを確立し、日本に輸入されました。現在の日本の教育センターや児童相談所、大学院相談室などはもっぱら盲目的にこのスタイルでの面接をしているところが多いようです。
アンナの行っていた児童分析は、フロイトの提唱した精神分析の修正でした。むしろ、クラインの方がフロイトの精神分析を純粋に子どもに適用したといえます。そうした中で、フロイトは大人の中に幼児の心を発見しましたが、クラインは幼児の心の中に乳児の心を発見しました。加えて、この遊戯分析によって、抑うつポジションや妄想分裂ポジション、原始的防衛機制といった重篤な患者を理解する上で必要不可欠な視点が提供されました。
アンナ・フロイトの理論については以下のページが参考になります。
3.日本のプレイセラピー
このクラインの遊戯分析を今の日本で行えるでしょうか。クラインは本書で機械的なおもちゃは取り入れないと明言しています。今の日本に変換するとするならば、ボードゲームや電動で動くおもちゃ、スポーツ用品など、使い方やルールが厳密に決まっているようなおもちゃや遊びを指すことになるでしょう。
そうしたおもちゃが溢れかえる、広々とした日本のプレイルームでは、無意識の素材を展開させるには非常にやりにくい設定であるといえます。楽しく遊んで、気持ちを発散するということであれば機能するでしょうが、精神分析的な遊戯技法はなかなか困難かもしれません。
そもそも遊びというものをどのように捉えるのかが異なっています。発散目的の遊びは基本的には楽しいものです。楽しめることを第一に考えます。そして、楽しめない時には、治療者は積極的に関わり、一緒に遊び、楽しさを提供しようとします。
4.プレイにあらわれる苦痛
クラインは遊びにあらわれた原初の不安状況を解釈しようとしています。つまり、遊びの中の苦痛に触れていこうとしています。そして、姿勢はもちろん中立性を堅持します。クラインは子どもの遊びには積極的には関わりませんし、中立性を維持しようとしています。クラインなので逆転移には言及していませんが、子どもの苦痛を取り上げる時には、クラインは自身のパーソナルな側面を子どもに差し出し、その苦痛を共に経験しようとしているように私には見えます。
こうしてみると、プレイや遊戯分析は非常に困難を伴う営みであります。それにも関わらず、今日の日本では新人の治療者や大学院生といった訓練生は、大人のセラピーではなく、子どものプレイから実習や実践をさせようとするシステムが多いように思います。確かに、遊んでいるとそれなりに展開し、それなりにセラピーをしているように見えてしまうのかもしれません。
だからこそ、子どものセラピーは初心者が担当する、という暗黙の了解が出来上がってしまっているのかもしれません。教育センターなどで親子平行面接をする時にもベテランが親を、若手が子どもを見るということを暗黙に強いているところもあるのではないでしょうか。こうしたシステムは子どもの痛みに鈍感であると私には思えます。もしくは、子どもの痛みを軽視している、と見えてしまいます。
C.終わりに
こうしたメラニー・クラインを代表とするような精神分析について詳しく学びたい方は以下の精神分析のページをご覧ください。
D.参考文献
この記事は以下の文献を参考にして執筆いたしました。