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カウンセリングにおける気付きと発見、そして生きている感覚

カウンセリングでは気付きと生きている感覚ということが重視されます。その気付くということと生きている感覚とはどういうことなのかについて書いています。

1.風景画の発見

プーシキン美術館に行ってまいりました。風景画を中心に計65点の作品があり、いずれも魅力的なものばかりでした。美術にはあまり詳しくないのですが、説明によると風景画は17〜18世紀になって初めて成立したジャンルだそうです。

それまではまさに背景でしかなく、見ているけど見えてなかったということのようです。名が与えられて、初めて立ち現れると言えるでしょうか。

2.創造的に再発見すること

カウンセリングの実践にひっかけて言うと、理論化されることによって見えてくるものがあります。例えば、発達障害という概念がなかった時には、発達障害はいたとしても発見されません。精神分析がなかった時には無意識はあったとしても分からないとしか言えなかったでしょう。

実際のカウンセリングの中でも、クライエントの意識外のことはカウンセラーに発見されることによって創造的に眼前します。クライエントにとっては知っていたことではあっても新鮮な感覚とともに出会うことになるでしょう。

地が図となるといえば、古き良き昔の知覚心理学では馴染みのあることです。クライエントがカウンセリングで発見することは、そんなに大それたものではありません。常に見てきたことだけど、見て来なかった何かに過ぎません。過ぎないものではありますが、人生に潤いと豊かさを与えます。

そうした意味でも風景画というのはまさに創造的に発見されたもので、パラダイムシフトといっても良いものなのかもしれません。

3.初期の躍動感

ちなみに風景画の初期には非常に素朴でありますが、生命感と躍動感と生々しさがある作品が多かったように思います。

20世紀ぐらいになった風景画は様々な技巧などが発達し、分かりやすく、かつ繊細にはなっています。それはそれで面白いのですが、技巧的すぎて初期の素朴さがないのが物足りなさを感じました。好みの問題かもしれませんが。

そういえば、フロイトもクラインも後期になればなるほど理論が精微化されて、まとまりをもち、分かりやすくなります。しかし、初期のあの荒々しくも野心や精力的な面持ち、凄みが私には魅力的にうつります。言い換えると心を打ちます。フロイトの夢解釈や性欲論三篇など面白いです。新たなことを発見した高揚感と、それを探求しようとする活動的な姿が目に浮かびます。

こうした態度や姿勢をカウンセリングのみならず、教育分析や個人分析、スーパービジョンのなかでも持ち続けたいものです。