「メラニー・クライン-苦痛と創造性の母親殺し-」を読んで
ジュリア・クリステヴァ(著)「メラニー・クライン-苦痛と創造性の母親殺し-」 作品社 2012年を読んだ感想を書きました。
クラインの人生は不幸であったと言えますが、それゆえに創造的な理論を構築し、精神分析実践を行えたともいえます。
1.クラインの生い立ち
フランスの文芸理論家、著述家、哲学者によるメラニー・クラインの評伝と理論解説の書籍です。全部で350頁にわたる膨大な量で、大変読み応えがあります。
メラニー・クラインはウィーンで生まれ、時期的にフロイトと同じ町にいたようですが、面識があったという話は聞いたことがありません。その後、姉や兄を次々と亡くすという不幸を背負うような人生でした。特に慕っていた兄の死は大きな衝撃であったようです。その後、医学部進学を断念して、結婚し、子どもを出産しますが、うつ病になってしまいます。その時に精神分析家であるフェレンツィに精神分析を受け、その後、精神分析家になっていきました。また、フェレンツィとの精神分析では物足りなさを感じ、ベルリンでアブラハムの教育分析・訓練分析・スーパービジョンを受けるようになりました。
しかし、それも1年程度で、アブラハムの死去し、中断へと至ってしまいます。行き場を無くしたメラニー・クラインはジョーンズに招かれてイギリスに渡りました。そこでは、精神分析の治療と研究に専念し、クライン派という大きなグループを作るまでになりました。その後は、多くの同僚や弟子が離脱し、さらにはアンナ・フロイトらの自我心理学からのバッシングもあり、平穏とは言いかねるものでした。さらには息子であるハンスを事故で亡くした上に、同じ精神分析家となった娘からも非難を浴びることもあり、大きな悲しみの中での晩年であったようです。
本書では、そのようなメラニー・クラインの生い立ちにも詳細に触れられています。
2.クラインの実践の生々しさ
また、メラニー・クラインの理論にもかなり立ち入り、主要論文を取り上げながら、論じられています。ただ、著者は教育分析(と訳者あとがきでは書かれていますが、訓練分析のことでしょうか)を受けてはいるようですが、臨床実践活動はしていないようです。
そのためか理論的なことはともかく、メラニー・クラインの生の実践についての理解があまりできていないように思われました。
3.一者心理学と二者心理学
その他に、フランスという土地柄があるからかもしれませんが、ラカンを通してクラインを理解しようとしているところが多かったように思います。しかし、これもラカン理論とクライン理論の決定的な違いがあり、うまく説明できていないようでした。基本的にはラカンの理論は一者心理学であり、クラインは対象関係論であり、二者心理学です。クラインはフロイト-アブラハムという路線の対象関係を極めて強く打ち出し、その方向で理論を発達させました。
フロイトは生まれたばかりの乳児は一次ナルシシズムといって、他者との関係が全くない状態を想定していました。しかし、クラインは乳児は生まれてからすぐに頻繁に他者と交わりあい、様々な投影同一化や取り入れを活発に用いているということを理論化していきました。それを対象関係という視点があまりない一者心理学という内部完結的な理論を用いて理解しようとすることがどれほど不可能なことなのかは明らかではないかと思います。