カウンセリングとスーパービジョンは別のものであるが、いくつかの点で似通っているところもあります。それは長年続けていると関係性ということがクローズアップされてくるという点です。それについて考察してみます。
祖父江典人(著)「対象関係論に学ぶ心理療法入門-こころをつかった日常臨床のために-」誠信書房 2015年を読んだ感想を書きます。
マーガレット・リトル(著) 神田橋條治(訳)「ウィニコットとの精神分析の記録-精神病水準の不安と庇護-」岩崎学術出版社 1990年/2009年を読んだ感想を書きます。
カウンセリングの中で、時としてカウンセラーがクライエントさんに否定的な感情を抱くことがあります。そうしたことは非常に苦しいのですが、それについての意味を書いてみたいと思います。
祖父江典人(著)「対象関係論の実践-心理療法に開かれた地平-」新曜社 2008年を読んだ感想です。
あけましておめでとうございます。昨年の反省と今年の抱負について書きました。
松木邦裕(著)「精神分析臨床家の流儀」金剛出版 2010年を読んでの感想です。
一般的なカウンセラーのイメージには優しいなどがあります。実際のカウンセリングではそうしたことが虚構である場合もあります。これらについて書いています。
マーサ・ハリス(著)山上千鶴子(訳)「児童分析家の語る子どものこころの育ち」岩崎学術出版社 1969/2016を読み終えたので、その感想を書きました。
横浜で開催された日本心理臨床学会第36回大会では色んな方と議論しました。その中でも開業カウンセリングについての話をします。
公認心理師資格が施行され、現任者講習の申し込みが開始されました。これまでの成立過程の中で公認心理師の質の担保をどうするのかについて様々な団体による思惑が交錯してきました。それらを封建制度と民主主義というメタファーを使って書いてみました。
精神分析とは何か?については様々な議論がされてきています。そして定義の問題などは一見すると臨床的にはあまり意味があるようには見えません。しかし、定義は姿勢や技法に直結しており、極めて臨床的に重要です。ここではそうした精神分析の定義とその意味について書いています。
スクールカウンセラー制度による功罪について書きました。
人と人、国と国はどこまで理解し合うことができ、どこまで協力関係を築いていくことができるのでしょうか?その中で対話という機能が有効に働く希望はありつつ、あまりにも安易に対話という言葉を使い、万能的に持ち上げることが多いように思います。ここではその対話の理想と現実について書きました。
長谷川先生の日本臨床心理士資格認定協会や理事会に対するツイートから考えたことを書きます。そのツイートとは以下の通りです。
以下のようなニュース記事を見かけました。現代社会では、現代社会だからこそかもしれませんが、こうしたスピリチュアルカウンセリングにはまる方が多いようです。
先週に自殺予防週間は終わりましたが、週に数回はニュースなどで自殺関連の報道がありました。
精神分析や対象関係論の長年の知恵が、認知行動療法を実施する上で、意外と活用できます。ここではそのことについて論じています。
精神分析家フロイトが生きた時代には悲観主義が蔓延し、その中で死の欲動、超自我、マゾヒズムといったトピックが議論されてきました。しかし、現代は楽観主義とナルシシズムが蔓延していると言えます。それは精神分析的な患者理解や技法にも直結するテーマと言えます。以下で、その議論について書いています。
横浜精神分析研究会の文献講読の来年度の計画について書きました。主にフロイトの第1世代と第2世代の精神分析家を取り上げる予定です。
フロイトの論文「トーテムとタブー(1913)」からみる人間の本質への精神分析的理解について書いています。
カウンセリングではすぐに回答が得られたり、問題が解決されたりすることを望まれるが、それによって零れ落ちるものもあるということについて。
ビオンの精神分析入門のセミナーの案内ページです。
2015-07-01に横浜市でカウンセリング機関を開業しました。それから2年が経ちました。この2年で考えたこと、振り返ったこととして、主に開業にまつわる、自由、孤独、責任についてを書いてみたいと思います。
カウンセリングの仕事をしていると、世の中の道徳や倫理と一般に言われているような事柄に対して、その垣根が多少低くなっていくように思います。その理由と、そうであることの効用について述べます。
私はここ数年ほど、事例検討会でコンサルテーションをしたり、スーパービジョンでバイジーの事例を指導したりする仕事が徐々に増えてきています。そこでの解釈するという機能について考察しました。
心理臨床学研究35-1が届きました。その中で、成田善弘先生が「個人心理療法は臨床の要である」というタイトルで巻頭言を書いていました。非常に共感できる内容でした。その巻頭言について思ったことを書きます。
集団心理学と自我の分析(1921)を読み終えました。あらためて読むと非常に刺激的な論文でした。この論文はフロイト精神分析理論の中期と後期の橋渡し的な位置づけにあるように思えます。その点について解説します。
フロイトの1921年の論文である「集団心理学と自我の分析」について書いています。フロイトの集団についての理解は現代社会についても相当、当てはまるところがあるのではないかということについて論じています。
祖父江典人、細澤仁(編)「日常臨床に活かす精神分析-現場に生きる臨床家のために」誠信書房 2017年を読んだ感想です。