治療の開始について

さあ、始めましょう

S,フロイトの1913年の技法論文「治療の開始について」の要約と解説です。フロイトはこの論文で精神分析の開始についての要点をまとめています。

1.治療の開始について(1913)の要約

(1)精神分析の開始におけるいくつかの規則のまとめ

これらの規則を「提案」というにとどめ、無条件に受け入れるべきではない。

a.試行的な開始

患者についてほとんどわかっていない場合は、1-2週間引き受ける。中断がこの期間内ならば、精神分析の試みが失敗したというみじめな印象を患者に与えなくてすむ。症例について理解し、精神分析に適しているかどうかの探りを入れる期間である。しかし、この予備的な査定自体が精神分析の開始であって、この段階では、主として患者に話させて、精神分析家は必要なこと以外は説明を与えないようにする。これは診断上の理由である。

準備しておかなければいけないこととして、精神分析を開始する前に長い予備的な精神分析を行うこと。異なった種類の治療を以前に受けていることや精神分析家と患者の間に以前から面識があることに注意が必要。これは患者はすでにできあがった転移性の態度で精神分析家と向き合うことになる。

精神分析をする前に、患者が精神分析を先延ばしにして欲しいと望んだ場合には、患者が語る理由が疑いの余地でないものであったとしても信用してはならない。なぜなら、約束の時になっても姿を現さないから。

精神分析家と患者あるいはその家族との間に面識があった場合には、精神分析の結果がどうであろうとも、友情を犠牲にすることを覚悟しなければならない。

患者の精神分析に対する期待について、精神分析家を信頼している人は精神分析には手がかからないだろう。しかし、一方で、信頼していない人については精神分析は難航するだろう。他人に対してどんなに上手く精神分析を行うことができる人であっても、自身が精神分析的探求の対象になったとたんに普通の人と同じように振る舞い、非常に強い抵抗を生み出すこともありうる。

b.時間について

原則は一定の時間を賃貸するという考えである。この時間は患者のものであり、患者が時間を利用しなかったとしても、時間に対する責任がある。厳格でない取り決めの元では「偶然の」欠席はあまりにも増加する。

疑う余地のない器質的疾患の場合には、精神分析を中断し、空いた時間を他に充て、患者が回復し、精神分析家も時間が空いたらもう一度引き受ける。

軽症の場合、すでに良い方向に進んでいる場合は週3回で十分。頻度が少ない場合は、患者の現実生活についていけず、精神分析が現実との接触を失ってぼやける可能性。

患者の「精神分析はどれぐらいかかるでしょうか?」という質問には、数週間の試験的な精神分析の提案する。神経症者は自分の歩調を容易にかえることができるし、ときには非常にゆっくりにしか進まないからである。精神分析家にどれぐらいの時間がかかるかという問いに答えることは不可能である。

短時間で満たすことを期待されてしまうこともある。それは神経症の原因について無知だから。「異国から来た娘」はいずれ姿を消すだろうという期待を持っている。

精神分析は患者が期待しているよりも長い期間がかかる。患者が受けることを決意する前にそのことを伝えるべき。短くしたいという願いは正当であるが、これを阻む大きな問題がある。人間のこころのなか深く進行する変化の達成は緩慢であり、つきつめれば疑いなく無意識的過程の「無時間性」ということになる。患者は精神分析のために必要な多くの時間を費やすことの困難に直面すると、そこから逃げようとする方法を提案してくることが希ではない。

神経症は有機体という性質である。構成要素となる様々なあらわれは独立しておらず、相互に条件付合い、支えあっている。患者はひとつの神経症に苦しんでいるだけであり、一個の中にたまたま集まった複数の神経症に苦しんでいるわけではない。ひとつの症状から開放された患者がそれまで取るに足らないと思っていた症状が増強して耐え難くなったと気づくことは容易にありうる。

c.料金について

文明人にとって、金銭に関することが性的な事柄と同じようなやり方で扱われることが指摘できるだろう。矛盾や偽善であるやり方である。そのため、そのような態度に陥らないことを最初から決意する。

多額のお金を一度に払ってもらうのではなく、短い期間ごとに払うように求める。低い賃金を要求すると、患者から見た精神分析の価値は高まらない。どんなに一生懸命働いても他の専門医と同じぐらい稼ぐことはできないだろうという事実も見越しておかなければならない。これと同じ理由で、精神分析家は無報酬での精神分析を控えるべきである。なぜなら、稼ぎを得るために使える労働時間の相当な部分を何ヶ月にもわたって犠牲にしなければならない。

患者が得る利益が精神分析家の払う犠牲にある程度見合うものなのか?という問題がある。無料診療は神経症者の抵抗を著しく高めることがある。精神分析家に支払いをすることで得られる釣り合いを取る効果が欠けること自体、患者にとって苦痛をもたらす。関係がまるごと現実世界から遊離し、精神分析を終わらせようと努力する強い動機を患者から奪う。

精神分析治療が内的および外的な理由のために貧しい人々に手が届かないのは残念だが、貧しい人がいったん神経症を作り出すと、彼がそれを手放すのは大変である。彼らにとって神経症は好都合なのである。これを二次疾病利得という。労働によって貧困と闘う義務を自ら免除することができる。

d.位置取りについて

患者を寝椅子に寝かせ自分がその背後の患者から見えない所に座るが、これは催眠療法の名残りである。維持されるに値する。

また、1日に8時間も他人に見つけられることが耐えられない。そして、精神分析家の表情が患者にとっての色々な解釈の素材になったり患者の語ることに影響を与えたいりすることを望まない。この手続きに固執するのは、転移と患者の連想が知らないうちに混ざり合うことを防ぎ、転移を隔離してそれが抵抗としかるべき道筋でくっきりと姿を現すことを可能にするからである。

e.どの素材から始めるか?

生活歴?病歴?子どものころの記憶?色々とあるだろうが、とにかく患者に話をすることを任せなければならないし、どこから始めるかという選択は自由でないといけない。ただし、患者が守らなければならない精神分析技法の基本規則については、最初の時点で伝えなければならない。

思いついたことは何でも話してよい。また、批判や反論のような、ここで話すにはふさわしくないと思われることについても話してよい。

初回から何を伝えるか注意深く準備してくる患者については、熱心さを装うことは抵抗。この種の準備はやめるように促されるべき。なぜなら、歓迎できない考えが抑えるために行われるに過ぎないから。

毎日、親しい友人と精神分析について話し、そのおしゃべりのなかで、精神分析家を前にした時に浮かんでくるべき考えをあらかた持ち出すといったこともあるだろう。遅くならないうちに精神分析は自分と精神分析家の間柄として扱わなければならず、精神分析の情報を共有することからどんな人も排除しなければいけない。

精神分析を受けていることを秘密にしたい人もいる。それは妨げない。患者の秘密にしておこうという決意がすでに秘密にされた彼の生活歴の特徴を顕にしている。

精神分析の経過の中で、患者が一時的に内科ないし専門的なほかの治療を必要とするようになった場合は、一番いいのは、身体治療が終わるまで先延ばしにすることである。体の治療の方を先にしてしまうと、たいていの場合成功に出会うことはないだろう。ただし、器質的な疾患の場合は中断する。

言うべきことを何も思いつかないと断言する患者がいるが、これは受け入れるべきでない。精神分析家がしなければいけないのは、ここに含まれているのが何なのかをこころにとどめておくことである。神経症を守ろうとして強い抵抗がでてきている。このことを患者が否定したとしても、患者が自分のこころを占めている何らかの考えを無視していることを認めるように動かすことはできる。精神分析そのものについて考えていたり、面接室の様子に目を奪われているかもしれない。

「何も思い浮かびません」という患者がいる。今ここにある状況に結びつく全てものは精神分析家に対する転移のあらわれであり、最初の抵抗にうってつけのものになる。それゆえ、こうした転移を明らかにすることから始めなければならない。同様に、最初の症状や偶発行為にも特別な関心を払っても良いだろう。このことによって神経症を支配しているコンプレックスが明らかになる。

精神分析家が背景の見えない位置にいるところで自分が横たわるように求められることを嫌がる患者は多い。対面での精神分析は許可はしない。しかし、セッション前後で患者が少しばかり声をかけてこようとするのを防ぐことはできない。しかしセッションの前後に注意を払い、できるだけ早い機会にそれを持ち出すことも隔壁という転移抵抗を取り壊すことになる。しかし、患者が伝えようとする事柄や考えが遮られることなく続く限りは転移という主題に触れないままにしておかなければいけない。

f.いつ患者に何かを伝えることを始めるか

思いついたらすぐに患者に症状の意味するところを伝えることへの非難がある。しかし、精神分析では患者との間に適切な調和的関係が築かれるまでは待たなければいけない。患者に精神分析および精神分析家という人物に愛着を持たせることは最初の目標であるが、これは患者に時間を与える以外何もする必要はない。

電光石火の診断と「急行」治療が正しいかどうかにかかわらず、精神分析家や精神分析に対する患者の信用はいっさい失われてしまう。推測が正しければ正しいほど、抵抗は激しくなる。症状についての回答や願望の意味するところは、患者が自分自身でその説明を掴み取るためにほんの一歩踏み出せばいいところまですでに近づいていない限り、避けた方が良い。

g.精神分析を長引かせることなのか?

初期の頃は患者が知ることと精神分析家が知ることの区別はつけていなかった。ヒステリーの少女の母親が少女に発作の固着に大きく寄与した同性愛体験を打ち明けた。しかし、患者はそのことを忘れており、母親から聞いた話をその少女に伝えるたびに彼女はヒステリー発作を起こした。そして発作のあとには伝えた話を再び忘れてしまった。これは押し付けられた知識への抵抗といえよう。

患者たちは抑圧された体験について意識的な思考の上では知っているが、その思考は抑圧された記憶がなんらかの形で収納されている場所とのつながりを欠いている。抑圧された素材の意識への伝達は最初は抵抗を生じさせるが、その後この抵抗が克服されると、ひとつの思考過程を作り上げる。その思考過程が進んでいくと、無意識的な記憶への期待されていた影響力がついに生じる。

精神分析におけるそもそもの動因は患者の苦しみであり、それから治癒を求める願望である。この動因となる力の強さは「二次的疾病利得」によって減じるものとなる。だが、その力は最後まで維持され続けなければならない。しかし、病気を追い払うのはこの動因だけでは十分でない。その動因となる力は目的に達するためにはどの道をたどればいいのか知らないし、抵抗と対抗するために必要なエネルギー量を所有していない。それを補うのが精神分析治療である。

精神分析の中では、他にも助けとなる要因が生じる。それは患者の知的関心と理解力である。しかし、抵抗によって判断力に曇りが生じる結果、その価値が失われてしまう危険性は常にある。それゆえ、患者が精神分析家から受け取る新しい強さの源として残るのは、転移と教示だけとなる。しかし、患者がその教示を利用できるのは、転移によって彼がそうするように導かれた時である。それまで私たちは待たねばならない。

(2)考察・疑問

本論文は、精神分析の開始における諸原則について述べられたものであり、これら諸原則は精神分析の中で転移、抵抗を扱っていく上で重要な原則であるように感じた。例えば、料金や時間枠が異なれば、抵抗の表れ方は違うと思われるし、転移解釈をするタイミングも異なるだろう。しかし、これらの諸原則は、フロイトが最初の方で述べているように、無条件に受け入れられるべきではないし、現代においては臨機応変に対応していくこと必要になってくると思われる。しかし、臨機応変とはどこまでが範疇であるのか疑問に感じた。

また、抵抗を扱う上でも、転移解釈をする上でも、患者との協調関係を築くことは重要であり、解釈をする時には患者自身で気づくあと一歩のところまで、待たなければいけないということを改めて学んだ。

(3)議論したいこと

勤務先によっても料金や時間の設定は異なると思われるが、設定によって抵抗や転移の表れ方も変わってくと思う。

人間のこころのなか深く進行する変化の達成は緩慢であり、つきつめれば疑いなく無意識的過程の「無時間性」ということになる、というところがよく分からなかったので、一緒に考えていただければと思います。

2.治療の開始について(1913)の解説

(1)査定分析

生育歴、家族歴、病歴を聞き取るという面接ではない。実際の精神分析を行うこと。この中で解釈を行い、その手ごたえから判断する。精神分析は心と心の交流・情緒的な接触が進展の分かれ道である。なので、そのようなことが査定分析の中で少なからず体験され、それを創造的に活用できないと分析に希望を見出すことは困難になる。それは自我の機能や防衛機制のあり方、病態水準などでは推し量れないものと思われる。

(2)身近な人に対する精神分析

フロイトの時代には結構あった。アンナ・フロイトはS,フロイトから数ヵ月であったが、精神分析を受けている。甥の精神分析を行い、殺された精神分析家もいる。この時期はバウンダリーが曖昧であったが、さまざまな経験を通して、近親者の精神分析は行わなくなった。

(3)時間(頻度)

フロイトは週6回の頻度で精神分析を行っていた。時代が下るにつれて徐々に頻度が少なくなり、現在では週4回以上の頻度を精神分析としている。また、インターパーソナルなどの学派では週3回としている。

日本では週1回の頻度が多い。この頻度をどのように考えるのか。

ただ、週4回ほどではないが、最近では週2~3回の頻度の精神分析ケースの発表に接することが多くなった。週2回や週3回の設定にする場合には、連続する日程を選択する方が良い。部分的に毎日分析になるからである。

(4)料金

フロイトは狼男の2回目の精神分析の時には無料で行っていた。「精神分析療法の道(1918)」では低料金の精神分析の可能性を示唆している。

現代では分析は自費によるものがほとんどであり、保険や無料はあまり行われていない。一方で、通常のセラピーやカウンセリングは保険や無料で行われていることは多い。教育センターは基本的には無料であるし、医療機関でも保険でセラピーを提供しているところは多い。低料金や無料では延々とプロセスを浪費されてしまうことが多い。自費の方がモチベーションとしては高まる傾向がある。

(5)精神分析の期間

ランクなどは精神分析の期間を短縮する試みを行っていた。その試行は現在でも続いている。

一方で、ライヒの性格分析とクラインの早期母子関係の分析以降、精神分析の期間はうなぎ登りに長くなっている。4~5年は平均的にかかる。メルツァーのケースなどは10年というものはザラにある。それだけ、早期の問題から取り組んでいかねばならない重篤なケースが増えているとも言える。

このことについては論文「終わりある分析と終わりなき分析(1937)」で論じられている。

(6)カウチ

精神分析は基本的にはカウチ設定を使用する。インターパーソナルなどの一部の学派は対面で行っているようだが。カウチをどのように体験するのかは患者にもよるが、母子の抱えを彷彿とさせるこの設定は、おそらく退行促進的であろう。

一方で、治療者としてはどうか。沈黙を許容しやすくなり、インタラクションに気を取られず、連想しやすくなり、解釈も練りやすくなる。

(7)教示

「私があなたに何かを言うためには、あなたのことを色々と知っていなければなりません。ですから、あなたがご自身について知っていることを話してお聞かせください。また、始まる前にもうひとつお伝えすることがあります。私にお話しいただく際には普通の会話とは違ったふうにしていただきたい点がひとつあるのです。普通であれば、あなたの発言に一貫している話の筋道を維持しようとなさるのは当然で、沸き起こってくる邪魔な考えや脇道にそれた話題をはねのけて、妖艶からあまり遠くにさまよい出ないようになさっていることでしょう。けれども、ここではそれとは違ったように進めなければなりません。お気づきになると思いますが、話をしているうちに批判や反論の気持ちによって脇に押しやってしまいたくなるような色々な考えが浮かんできます。すると、こんなことやあんなことはここで話す必要などはない、と心の中で言いたくなるかもしれません。しかしながら、けっしてこうした批判に屈してはいけません。その批判にもかかわらず、それを言わなければなりません。むしろ、言うことに嫌悪を感じるからこそ、あなたはそれを言わなければならないのです。私がこういった指図をする理由をあなたは後になって気づき、よくお分かりになることでしょう。そして、あなたが従わなければならないのは本当にこれだけなのです。ですから、頭に浮かんだことは何でもお話ください。例えば、あなたが列車の窓際に座る旅行者だとして、車両の内部の人に窓から見える移り変わる景色を描写して聞かせるようにしてみてください。最後に、絶対的に正直であるというお約束を忘れないでください。何やかやの理由でそれを話すのが不快だからといって、何かを省いてしまわないでください。」

という列車を比喩に使いながらフロイトはこのような教示を行って、精神分析に導入している。ちなみに、フロイトは列車恐怖症で、列車に乗ることで極度な不安に陥っていたが、その列車を比喩に使っているところが非常に面白いところである。

それはさておき、フロイトの例え話を含めた長い教示をそのまま使われていることは少ないだろう。頭に浮かんでいることを話す、というフレーズが入っていれば、ある程度は個々人の考えによって修正、アレンジしても良いだろう。またオグデンは「もの思いと解釈(岩崎学術出版社)」の第4章「プライバシー、もの思い、そして分析技法」において、思い浮かんだことを全て話すという強制をすることはプライバシーを許容しないことであり、それは精神分析を行き詰まりに陥らせる、と論じている。思い浮かんだことを全て話す必要がないという設定にすることで、もの思いが可能になるということである。

(8)初期抵抗

話すことがない、沈黙、表面的な話し等は初期によくことである。また、今後どうか分からない、治療者が何を考えているか不安、評価されるか不安、といった不安は初期不安として、どのような患者でも比較的あらわれやすいものである。

こうした初期抵抗や初期不安が解釈で持ってワークスルーされると、ようやくパーソナルな素材が持ち込まれることとなる。もちろん、初期抵抗と初期不安とパーソナルな素材は明確に線引きされるクリアなものではなく、境界は交じり合っているものである。

さらに、単にある程度の時期が過ぎれば初期抵抗・初期不安が消失するものではなく、数年が経過しても初期不安がワークされないまま持ち越されるケースもある。

(9)治療同盟の確立

S,フロイトからアンナ・フロイトに続く自我心理学派では治療同盟の確立ということを重視した。アンナ・フロイトの児童分析では最初は仲良く遊び、精神分析家に気を許してもらうまで待っているということをしていた。これはメラニー・クラインとは対照的である。

一緒に居る時間が長くなり、人となりが知れ、気心がしれるから信頼できるようになるというのは通常の感覚としてはそのとおりであろう。ただ、それだけが精神分析的な困難な作業を一緒にしていくモチベーションとなるのかは疑問がある。実際の中核的な葛藤や苦痛、苦悩を精神分析家と一緒に取り扱っているというその瞬間があるからこそ、患者は精神分析に希望を見出し、治療同盟が形成されるのではないかとも言える。

(10)家族からの情報の取り扱い

周辺情報、背景情報として利用可能性はあるだろう。ただ、精神分析であつかう素材はいわゆる心的空想というものである。客観的事実よりも空想が優先され、その置き所に患者は困っている。そのため、客観的事実は横に置き、患者の空想を積極的に扱っていくことが精神分析を進展させる。

そもそも家族からの情報が客観的事実かどうかも疑わしいところもあるのだが。

(11)二次疾病利得

健康になることは苦痛なことも増え、さらにそれを引き受けねばならなくなる。周囲からの配慮もなくなり、時には経済的支援もなくなるので自ら労働せねばならなくなる。また病歴が長いと、病気そのものが自身のアイデンティティとなってしまっている場合があるので、時にはそうしたアイデンティティを失ってしまうこととなる。そして新たなアイデンティティを構築せねばならないのは非常に困難でもある。こうしたとき、病気の状態であることのほうは利益は大きくなる。

しかし、こうした、抑うつ的な不安と苦痛をワークしていかねば人間としての成長はないだろう。

疾病利得があることを抵抗や防衛と捉え、直面化することは容易である。しかし、ほとんどの場合、そうしたことで心のあり方や行動が変わることはなく、ますます心的に引きこもらせることになってしまう。そうではなく、そのような抑うつ的な不安と苦痛に翻弄されている苦悩を取り上げ、解釈していくことの方が必要になってくるだろう。

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