シーガルの精神分析的な観点から見た芸術論:美とは何か?

夢・幻想・芸術―象徴作用の精神分析理論

ハンナ・シーガル(著) 新宮一成 他(訳)「夢・幻想・芸術―象徴作用の精神分析理論」 金剛出版 1991年/1994年を読んだ感想を書いています。

1.はじめに

シーガルはクライン派に代表される精神分析家で、本著のタイトルにあるような象徴作用や芸術論などを研究テーマとしているようです。本著は彼女の研究の集大成としてまとめられています。目次は以下の通りです。

目次
第1章 王道
第2章 幻想
第3章 象徴作用
第4章 心的空間と象徴作用の諸元素
第5章 夢と自我
第6章 フロイトと芸術
第7章 芸術と抑鬱体制
第8章 想像力、遊び、芸術

2.シーガルの経歴と業績

シーガルは1918年にポーランドで出生。ポーランドで医学の道を志していましたが、戦争が始まり、多くのユダヤ人がそうであったように、大陸から離れ、イギリスに行きました。そこで、デイヴィッド・マシューズに、次いでメラニー・クラインに教育分析や個人分析スーパービジョンをうけ、1945年の27歳の時に精神分析家の資格を取得しました。そして、1950年の32歳の時に訓練分析家となりました。現在からすると相当早い年齢での資格取得ですが、当時としては平均ぐらいだったようです。その後、英国精神分析協会会長や、国際精神分析学会の要職なども歴任しました。その他にメラニー・クライン財団創立会員でもあるようです。

書籍は3冊あり、本書以外には「メラニー・クライン入門(岩崎学術出版社)」「クライン派の臨床(岩崎学術出版社)」があります。

シーガルは、難解なクライン派精神分析理論を分かりやすく、要点をまとめ、適切に紹介しています。そうした評価は非常に高いようです。しかし、本書では、クライン派精神分析理論の紹介に留まらず、シーガルの象徴作用から見た芸術論を系統立てて整理し、シーガルの思索の過程を垣間見ることができます。

3.夢の仕事

第1章では夢を取り上げています。フロイトは夢を理解することが無意識への王道であるとして、精神分析において夢を非常に重要視しました。現代ではそこまで夢に特権的立場を与えてはいませんが、その重要性については揺るいでいません。フロイトは夢とは願望充足的なものであり、抑圧された願望が姿形を変えて出てきているものとしています。そのため、適切に夢を翻訳していくと隠された願望があらわになっていきます。そこに無意識の意識化という治療機序があるとしています。

しかし、シーガルは夢にそれ以上の意味を付与しています。シーガルは「思い出された夢は、無意識的幻想にその根を持つものであるのだが、無意識的幻想の深さと広がりが、そのままの姿で完全に思い出されることはありえない」と言っています。そして、夢という営みのなかで自我による象徴の形成がなされるのであるとしています。

4.幻想の意味

フロイトにとって幻想とは、夢や症状、錯誤行為、芸術と似た性質をもつもので、同列のものとしています。しかし、クラインは幻想こそが、無意識の中心をなしており、夢や症状、錯誤行為は幻想の結果として現れると主張しました。さらにクラインの弟子のアイザックスは「空想の性質と機能(1948)」において、幻想の位置づけを明確にしました。この論点が発展し、シーガルは「夢見は無意識的幻想の表現の一つに過ぎない」としています。

5.象徴等価物の登場

いよいよ本書の副題にも含まれている象徴作用についての章になります。ここで有名な象徴等価物(本書では象徴等式と訳されている)が登場します。これは象徴と象徴化された対象とが同じになってしまうことを指します。統合失調症に顕著な具体思考の基底をなしています。そして、象徴か象徴等価物かの境界には、抑うつポジションと妄想分裂ポジション(本書ではポジションを態勢と訳されている)が関係しています。つまり、抑うつポジションが達成され、全体対象が確立すると、象徴として認識することはできるようになりますが、妄想分裂ポジションにいると、象徴と象徴されるものが同じようにみえてしまう、具象思考に陥ってしまいます。

さらに次の第4章「心的空間と象徴作用の諸元素」では、ビオンのベータ要素(本書では元素と訳されている)とアルファ機能を引用し、象徴作用の発達を分析関係から、もしくはコンテイナーモデルから解きなおしています。もちろん、ここには母子関係が喩えとしてねりこまれています。

6.シーガルの芸術論

第6~8章では、芸術に関する精神分析理論の適用が書かれています。フロイトは数々の芸術に関する精神分析論文を発表しました。例えば「W・イェンゼンの小説グラディーヴァにみられる妄想と夢(1907)」「詩人と空想すること(1908)」「レオナルド・ダヴィンチの幼年期のある思い出(1910)」「ミケランジェロのモーゼ像(1914)」「ドストエフスキーと父親殺し(1928)」などがあります。いずれも、作品を通してその作者の無意識を精神分析しています。もしくは、登場人物の精神分析を通して、人間の本質に迫ろうとしています。これらは、作品には作者の無意識が参与しているという前提があります。おそらく、そのとおりでしょう。

そして、芸術は自身の無意識的な願望を満たすことのできる空想の世界を創造するものです。その点で、白昼夢と多くの共通点を持ちます。違いは、白昼夢と違い、現実に立ち戻ることができる、ということです。しかし、そうではあったとしても、美とは何か?という根本的で本質的なことには何も答えられていません。フロイトも本当のところでは分からない、と書き残してもいます。

クライン-シーガルの系列で、美とは何か?という根本的な回答が得られているわけではありませんが、その回答の鍵となることは提起されています。

シーガルは以下のように述べています。「深みでの創造的行為は、調和的内的世界の無意識の記憶と、その世界の破壊の経験つまり抑うつポジションに関係がある。その衝動は失われた世界を回復させ、再創造しようとするところにある」としています。それは言い換えると償い(reparation)であるともいえます。

そうした創造は苦痛を孕んでおり、創造する必要性は強制的でもあります。たやすくその営みを放棄することはできず、放棄や失敗は破滅として感じられるほどのものです。芸術家は深い葛藤を体験し、そのための表現を見出し、夢を現実へと翻訳する特別な能力を有します。そうした中で創造された作品は、芸術家から世界にむけられた贈り物なのです。それは芸術家が死んだ後も残り続ける贈り物です。

こうしたシーガルからみる芸術というのは、象徴作用を通した償いといえます。

7.メルツァーによる美の理解

シーガルからは少し離れますが、シーガルの観点とは別に、もしくは補完するものとして、メルツァーの美の享受の精神分析的理解があります。これはクラインの発達論を根底から逆転させるものを孕んでいます。クラインは乳児の発達は妄想分裂ポジションから始まるとしています。それは攻撃と迫害に満ちた殺伐とした世界です。そして、その後に抑うつポジションが醸成されるとしています。

しかし、メルツァーはこの二つを逆転させ、乳児の発達では抑うつポジションが先に来るのだと言っています。つまり、乳児は出生直後、母親の乳房という美に直面します。美しすぎるあまりに体験の中に組み込むことができず、抑うつに陥ってしまいます。乳児はその中で美を再び体験できるようなっていくことが発達になっていくのです。かなり省略しましたが。

8.終わり

シーガルとメルツァーの精神分析理論に基づく美や芸術に対する捉え方は大きく違いますが、しかし、相互補完的に、もしくは美の多面的な一部をそれぞれが表現しているといえるでしょう。シーガルは上にも書いたようにクライン派精神分析理論の紹介者、継承者という認識が強いように思います。特に日本では。しかし、本書にあるように、美や芸術に関してオリジナリティの高い精神分析的な研究をしており、精神分析臨床に寄与するだけではなく、美学や芸術という文化への寄与も相当大きいのではないかと思います。

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