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C,ボラス『変形性対象(1979)』要約と解説

クリストファー・ボラスが1979年に発表した論文「変形性対象」[1]の要約と解説です。本論文は、対象を自己体験を変化させる過程として捉える独自の視点から、乳幼児期の体験、象徴化や移行対象の形成、さらに成人の対象希求や臨床実践にまで及ぶ広い射程を示しました。本稿では、その議論の要点を整理し、理論的意義と臨床的含意を検討していきます。

変形性対象とは

変形性対象とは、乳幼児期の母親との関係に端を発し、対象を通して自己体験そのものが変化していく過程として体験され、発達や臨床における自己の変容を媒介するものとして機能する対象のことです

母親との共生的な関係からの同一化において、最初の対象は、繰り返し起こる存在の体験として実存的に「知られる。」とされます。乳幼児は、母親を他者として認識する以前に、母親を変形の過程として体験しています。そして母親は、乳幼児の欲求に沿うように環境を変化させることで、変形性対象の機能を引き受けることになります。

言語の獲得や対象を扱うこと、対象を識別すること、さらに対象が不在のときにそれを想起することは、いずれも変形的な達成です。自我の変化が達成されることによって、乳幼児の内的な性質にも変化がもたらされます。そして、このような自我の達成は、対象の不在と同一視されるものでもあります。

乳幼児が移行対象を作り出すようになると、変形性対象は母親―環境から、多数の主観的対象へとその座を譲ることになります。乳幼児は、過程を体験することから、体験を表現することへと移行していきます。また、乳幼児自身の全能感の錯覚、すなわち環境―母親の喪失を、自―他の創造という生成的で一時的な幻覚で埋め合わせることと遊ぶことが可能になります。さらに、乳幼児は、対象を追い払っても対象が生き延びるという考えを享受することができるようになります。隠喩によって、実際の過程であったものは象徴等価物として置き換えられますが、その隠喩が母親から支持されるならば、環境―母親の喪失の痛みは和らげられます。

成人の生活における変形性対象の探求

成人になっても、変形の過程としての母親は、対象希求のある種の形態としてあり続けます。成人においては、対象は自己を変化させる媒介として、変化に服従する形で追い求められ、主体は自己の変容と同一視される環境身体的な世話の受け取り手であると感じられます。これは、母親が心的に他者として表象される以前に始まる同一化に対応するものです。このような対象関係は、対象をその機能と知覚的に同一視することから生じるものであり、対象は主体を環境身体的に変形させます。自己の変容と同一視されるような対象の探求は、成人の生活の中にも見出されます。たとえば宗教的信仰において、神が環境全体を変形する潜在的能力を持つと主体が信じるとき、主体は神話的な構造の内部で、最早期の対象との絆を維持しています。変形の体験の探求は、一見すると未来志向的なものであるように見えますが、実際には前言語的な自我の対象希求の再現です。

また、自己の変化を探求する体験は、通常は審美的な瞬間の機会でもあります。個人は、対象、すなわち芸術作品や景観と間主観的な交流を感じ取るときにも、その主体と変形性対象との思い出が想起されます

否定的な審美体験の一例として、境界例の患者が挙げられます。この場合、外傷的な状況を繰り返す際に、その人の実存的な起源が想起されていると考えられます。

最早期の対象関係からの脱錯覚の失敗による病理の例としては、犯罪者が挙げられます。完全犯罪によって、自己欠損を修復しイド欲求を満たすことで内的に、さらに富と幸せをもたらすことで外的にも、自己を変形させようとします。完全犯罪の探求とは、自我変形と結びついたある特有の対象関係を探求し、「基底欠損」を修復しようとする行いであるといえます。

臨床例

ここではピーターの事例を取り上げます。ピーターは28歳の独身男性であり、彼のユーモアのセンスも知性も、彼自身のためには使われていないように見えました。その結果、彼は情け容赦のない悲しみと孤独に襲われていました。

(1)生育歴

ピーターは戦時中の労働者階級の家庭に出生しました。父が戦地に赴いている間、家は多数の親戚に占拠される状況にありました。その中で、ピーターは一族の第一子であるがゆえに、惜しみなく偶像化されていました。特に母親は、彼が偉大な功績によって家族の悲惨さを救うであろうと、常に親族に話していました。母親のケアは、現実の乳幼児ではなく、神話上の対象に対して行われていたように見受けられます。

(2)治療経過

彼は、自身が母親と共有する神話の内部に生きていました。そして、母親も現実の彼には注意を向けていませんでした。彼は、親の神話の対象として自分自身を維持し、母親の夢の成就に備えているかのようでした。彼は強迫的に、自分自身から本当の自己欲求を追い出すことで、母親の夢を受け入れる空洞を内部に創り出していました。

ピーターが内面を語る際には離人症的であり、「私(I)」や「自分(me)」という特質を欠き、自己表象は実存的な水準において「それ(it)」という性質を帯びていました。自由連想においても、「それ(it)」である状態の報告、すなわち離人化された対象としての彼の身体に関する報告がなされていました。彼の身体状態は、母親にとって彼に対する第一の関心事でもありました。

彼が現実の彼へと母親の注意を引き戻そうとするたびに、母親は激怒して彼を神話の物語の中に引き戻しました。それは、もし彼が神話の機能を打ち砕いてしまえば、富と名声がもたらされなくなってしまうからでした。

転移の中で、彼は自分自身の身体的愁訴を口にすることで、世話が必要な対象として自らを語りました。彼は、分析家に対して、ため息まじりのうめき声で語りかけました。それは、分析家の注意を引き出そうとするものであり、彼の、自分自身を見てほしいという欲求にかなうものでした。分析家が彼の私的な言語に注意を向けると、彼は安堵していました。

(3)事例の考察

彼が他者にとっての潜在的な変形性対象であるという感覚は、乳幼児が変形的な母親からの分離や脱錯覚を必要としていることと同時に、母親もまた乳幼児の現実的なニードによる「期待はずれ」を被ることを示唆しています。その「期待はずれ」によって、乳幼児が母親の変形性対象であってほしいという無意識的な母親の願望は鎮められるのです

自己愛性格者とスキゾイド性格者への分析

パソコンの前で泣く女性

自己愛性格者とスキゾイド性格者における変形性対象の探求は、自我の修復に向けたニードの内的な認識であるといえます。そのような人たちのイディオムは、最小限にしか変形力をもたない母親を反映しており、分析家の使用はしばしば貧弱になります。彼らの他者との関係の希薄さは、基本的な自我の修復と同一視される退行的な対象関係への到達を請願するものとして、疾病の領域を主張する患者のニードを示しています。自己愛性格者やスキゾイド性格者にとっては、解釈は認知的理解としてよりも、母親的な存在や共感的な応答として体験される方が、より意義深いものとなります。

分析空間は、患者の治癒に必要な深い退行を促進します。自己愛性格やスキゾイド性格の患者は、基底欠損の水準にまで退行します。それぞれの退行は、その人の中にある病気の領域と回復の条件を示すものでもあります。そこでは、自我の変形に関する最初の体験が必要とされます。解釈が患者の内的な気分と調和関係にある瞬間には、患者は変形性対象を再体験することができます。そのため、患者には分析家の非侵襲性、特に分析家が迎合を要求しないことが必要とされます。

分析家と変形性対象を同一視する段階

肩を抱き合う二人

分析家の信頼性や非侵襲性、そして共感的な思考は、実際の母親よりも母親的であるため、患者は分析家を変形性対象と同一視するようになります。患者のこの同一視は、分析家を変形性対象としてみなす患者の断固とした知覚的な同一視を反映しているため、このような段階では、解釈はしばしば拒絶されます。

たとえば、礼儀正しく解釈を否定する患者の例では、患者は分析家がどのように自分をケアすればよいかを知っており、分析家から慰撫してもらいたいと考えています。そして、分析家が患者自身を救ってくれるであろうと待っている状況にあります。このような段階は、再早期の対象との経験の再上演、すなわち re-enactment のような種類の退行とみなされます。

転移は、分析空間や分析過程にも向けられており、患者は変形性対象と関係しているといえます。分析家は、環境としての母親、すなわち言語以前の記憶として体験されています。そのため、患者が変形的な出来事として分析を体験するような明確化が必要となります。この段階では、内省を必要とする解釈や自己分析を求める解釈は、時期尚早な要求として感じられがちです。

ヒステリー的な患者や強迫的な患者について

怒っている女性

ヒステリー患者の性愛化や、強迫症者の分析過程の儀式化は、分析空間や分析過程が患者を退行に誘うことに対する防衛であると考えられます。もし、自由連想や防衛の解釈などの作業に固執した場合には、強迫的な共謀、すなわち分析が患者と分析家の相互的な解離状態で進み、どこにも行き着かなくなる事態や、行動化、すなわち患者の突然の爆発が生じる可能性があります。

分析家に必要なこと

男性と診察をする医師

分析家には、患者の受け身性や無言の表現を、前言語期の記憶の想起であると認識することが求められます。また、沈黙や共感的な思考、そして教訓的な指示の欠如によって、前言語的な世界を患者と共有していることを認識することも重要です。フロイトは、自身の母親との関係を直接に分析することはできませんでしたが、精神分析の空間を想像することによって、母子関係を表現したと考えられます。

変形性対象(1979)の解説

(1)ボラスの生涯

C,ボラスの写真
C,ボラスの写真

ボラスは1943年にアメリカ・カリフォルニアで出生しました。父親はフランス人で、母親はアメリカ人です。父親はフランス語だけでなく、スペイン語、イタリア語、英語も話し、非常に教養の高い人物だったようです。ボラスの幼少期から児童期にかけては、スポーツ万能だったとも伝えられています。高校を卒業した後はヴァージニア大学に進学し、政治学を専攻しました。この時期はベトナム反戦活動が盛んな時代であり、彼も反戦活動にいそしんでいたようです。ヴァージニア大学を卒業した後は、カリフォルニア大学の大学院に進学し、歴史学の修士号を取得しました。この時期に精神分析に興味を持ち始めた一方で、精神的な行き詰まりも経験し、精神分析家から精神療法を受けています

大学院を修了した後、1967年にイーストベイ・アクティビティ・センターという、自閉症児の治療や療育を行う機関に就職しました。この時期の奮闘については、『太陽が破裂するとき(創元社)』に詳しく書かれています[2]。その後、バッファロー大学の博士課程に進学し、英文学の研究と教育に携わるようになりました。その傍らで、学生健康センターにおいて学生の相談援助も行っていたようです。ちなみに、彼の博士論文はメルヴィルの『白鯨』に関するものでした[3]。こうした経験を経て、彼は精神分析家になることを志し、精神分析の訓練を受けるためにイギリスへ渡りました。これは1973年、30歳のときのことです。

渡英後はマスード・カーンに訓練分析を受け始めました。また、1974年にはある相談室で臨床も始めていたようです。そして1977年、34歳で精神分析家の資格を取得しました。資格取得後は、多数の統合失調症の患者と会うような個人開業を行うようになりました。正確な時期は不明ですが、この頃に結婚し、子どもが2人いるようです。

その後は、英国精神分析協会におけるクライン派とフロイト派の対立を避けるかのように、世界各地で講演やセミナー、教育活動を行うようになっていきました。ローマ大学の客員教授を務めたり、スウェーデンでは週末ごとにワークショップを開いたり、シカゴで精神分析家や精神療法家の訓練を担ったりしていたようです。さらに、オースティン・リッグス・センターの教育責任者を担当したり、マサチューセッツ大学で文学の教授を務めたりもしていました。

そして2006年、63歳のときにロンドンを離れ、アメリカのノース・ダコタに移住しました。そこでは、分析臨床のほかに、執筆や画家としての活動なども行っているようです。2009年には日本精神分析学会に招待され、講演も行いました。

(2)イディオム

イディオムとは、「それぞれの個人に特有の中核、核心のような存在の形態であり、それは好ましい状況のもとで展開してはっきりとした形を成すことができる。人間のイディオムとはそれぞれの主体を定義する本質であり、そして、われわれは誰でも相手のイディオムに対して鋭い感覚をいくぶん持っているが、そのような知識は実質上考えることのできないものである」とされています。イディオムは本当の自己の延長に位置づけられ、本質的には到達不可能なものです。また、それは未思考のものであり、形態が与えられなければ表現されません。もっとも、その形態はその人固有のものというよりも、文化や芸術、あるいは分析関係といったジャンルの反映として現れます。そして、分析によってイディオムが引き出されると考えられています。

(3)宿命

運命とは、外から与えられ、物事が起こる前から決められている事柄を指します。それに対して宿命とは、主体的に選択されるものではあるものの、抵抗し難く、必然的な行動の結果として現れるものを指します。人間は、イディオムを達成したいという宿命を持っていると考えられます。この意味で、宿命はニードとほぼ同義であるとされ、ウィニコットのいうニードとも対応づけられます。

(4)未思考の知

未思考の知とは、考えられたことはないにもかかわらず、すでに知られていることを指します。それは思考回路に上ってこない知であり、いわば考えられない考えでもあります。この未思考の知は、早期の経験を生きるものであるといえます。転移および逆転移の関係は、こうした早期幼児期の体験を表現する手段でもあります。なお、未思考の知は、ビオンのいう前概念とほぼ同義のものとして位置づけられます。

(5)審美的体験

審美的体験とは、物が創造されるときに、より美しく、より美的な形態であろうとする志向と深く結びついています。自己は対象によって形作られますが、同時に、特定の対象を選択し、それを使用することによって、審美的な知性を実現していきます。そして、変形性対象によってイディオムが変化するとき、そこには審美性が見いだされると考えられます。

(6)ボラスの技法

a.自由連想の重視

ボラスは自由連想を特に重視しています。そのため、解釈によって自由連想を妨げないように配慮する姿勢が強調されます。「日常生活で私たちは毎日解釈をしてくれる人を連れ歩いているわけではない」という言葉が示すように、自由連想が自然に展開されること自体が重視されているのです。

b.逆転移の重視

逆転移の重視とは、分析家の主観的な体験を言葉にして伝えること、すなわち逆転移の開示を意味します。これは、患者が自己のリアリティの感覚を回復することを目的とし、同時に葛藤を抱えることができるようになるための準備として位置づけられます。そして、この過程は、本来の分析を開始するための前準備でもあります。

c.沈黙の重視

沈黙は抵抗であるとは考えられていません。むしろ、それは依存へのありふれた退行として理解されます。解釈によって沈黙を邪魔するのではなく、沈黙を尊重することによって、内的対象の創造が促進されると考えられています。

d.事例検討

事例検討においては、性別、年代、主訴、生育歴、病歴といった概要は提示されません。提示されるのは二つのセッションのみです。また、質問や解釈は禁じられています。その代わりに、事例の断片から連想したことを自由に語ることが求められ、そこから創造的な営みが生成されていくとされています。

まとめ

本稿では、ボラスの1979年の論文「変形性対象」を要約し、その理論的枠組みと臨床的含意を整理しました。変形性対象は、対象を自己体験を変える過程として捉える視点を与え、乳幼児期の発達、象徴化、成人の対象希求、さらには転移や技法の理解を一貫して結びつけます。臨床例の検討からも、この概念が自己の変容と対象関係の把握に有効であることが示されました。

変形性対象という概念は、解釈の技法を超えて、分析関係そのものの体験の質を問い直します。患者がどのような過程を生き、どのように変化を経験しているのかに耳を澄ますことは、臨床の基盤を支える姿勢でもあります。本稿が、ボラスの理論を臨床の文脈で再考する一助となれば幸いです。

本論考で扱った変形性対象の視点は、理論として理解するだけでなく、実際の臨床関係の中で体験的に吟味されることで、はじめて血肉化していくものでもあります。当オフィスでは、教育分析やスーパービジョンを通して、臨床家が自身の体験や逆転移を丁寧に検討し、理論と実践を往復しながら臨床感覚を深めていく機会を提供しています。日々の臨床に行き詰まりや問いを感じている方は、ぜひ教育分析やスーパービジョンの場をご活用ください

文献