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精神分析からみた傷ついた癒し手について-逆転移の視点から-

カウンセリングや心理療法の実践において、治療者はしばしば他者の苦しみに触れながら、自身の内面も揺さぶられます。本稿では、そのような治療関係の核心を照らす概念として、傷ついた癒し手を取り上げ、その理論的背景と臨床的意義を検討します。

傷ついた癒し手とは

座って悲しんでいる女性

傷ついた癒し手とは、治療者が専門職になる以前から抱えてきた個人的な傷つきや脆弱性が、臨床において他者理解や共感の感受性の源となりうるという考え方を指します。この概念はユング心理学の文脈で、ギリシア神話のケイローン像と結びつけて論じられ、治療者が自らの傷を否認するのではなく、それと向き合ってきた経験が治療関係に深みを与えるとされてきました。同時に、この傷は過去の出来事として固定されたものではなく、治療関係の中で再び触れられ、揺さぶられうる継続的な脆弱性でもあります。

したがって傷ついた癒し手とは、完全に無傷な専門家像ではなく、傷を抱えつつもそれを臨床的資源として用いる治療者のあり方を示す概念だといえます。

傷ついた癒し手の議論の歴史的背景や展開

骸骨と泣いている女性

この概念の源流はギリシア神話のケイローンに求められます[1]。ケイローンは不死でありながら治癒不能の傷を負い、その痛みを抱えたまま医術と教育によって他者を助け続けた存在として語られます。ここでは、癒す力の根拠が無傷の完全性ではなく、癒えない傷と共存する経験にあるという逆説がすでに示されています

この神話的モチーフを心理学的に位置づけたのがユングです。ユングは、治療者自身の未解決の葛藤や傷つきが、患者理解の感受性や治療的影響力の源になりうると論じ、分析家もまた関係の中で影響を受け、変容を迫られる主体であることを強調しました[2]。転移と逆転移を含む相互的な場の中で、治療者のパーソナルな部分が不可避に関与するという視点は、後の関係論的展開へとつながります。そのため、ユング派の文脈では、傷ついた癒し手が逆転移に取り組む際の重要なメタファーとして位置づけられています。

さらにグッゲンビュール・クレイグは、このイメージの両極性を明確化しました[3]。すなわち、治療者は癒し手であると同時に傷ついた者でもあり、この二極が分裂されたままでは全能的治療者像や投影の固定化を招くと論じました。クライエントの語りは治療者自身の潜在的な傷を再活性化しうるが、その脆弱性を引き受けて関係に留まることが、クライエント内の治療的機能をも活性化する。ここで傷ついた癒し手は、過去の傷の記号ではなく、関係の中で働き続ける動的なプロセスとして再定義されたといえます。

傷ついた癒し手に関する誤解

机で泣いている女性

傷ついた癒し手という概念は、治療者が現在進行形で精神障害に罹患している状態そのものを指すものではありません。ここで言う傷つきとは、人生史の中で経験された喪失や挫折、葛藤などが、一定の省察や取り組みを経て臨床的感受性の基盤になっているという意味合いです。したがって、治療者が今まさに重い症状に支配され、判断力や関係調整能力が損なわれている場合までを正当化する概念ではありません。もし治療者の精神的状態が、クライエントに明確な負の影響を与える可能性が高いと判断されるなら、治療関係への関与を控える、あるいは適切な支援や治療を優先することが専門職として必要になります。

また、この概念は、治療者が自分を癒すためにクライエントを利用することを意味しません。治療はあくまでクライエントの利益を最優先とする専門的実践であり、治療者の個人的欲求の充足が目的になることは許されません。ユング派や関係論の文脈で語られる傷ついた癒し手とは、治療者が自らの脆弱性を自覚し、それが関係の中で揺り動かされうることを引き受けたうえで、境界を保ちながら臨床に従事する姿勢を指しています。言い換えれば、この概念は無制限な自己開示や役割逆転を勧めるものではなく、むしろ逆転移を含む自らの反応に責任を持ち、クライエントにとって安全な治療関係を維持することの重要性を示すものだと位置づけるのが妥当です。

傷ついた癒し手についての実証研究

卒業式

傷ついた癒し手は比喩的概念にとどまらず、実証研究の領域でも一定の裏づけが示されています。たとえば Barr(2006)は、カウンセラーや心理療法士を対象とした調査で、多くの回答者が幼少期や青年期の困難な体験が職業選択の動機に関係していると報告したことを示しています[4]。割合は約7割強とされ、個人的な傷つきの経験が、対人援助職への志向と無関係ではない可能性が示唆されました。これは、治療者が無傷な観察者として形成されるのではなく、自己の体験史を背景に専門職へと向かうという臨床家像と整合的です

より近年の大規模調査としては、臨床心理学者やカウンセリング心理学者を対象に、生涯のどこかで精神的健康上の問題を経験したかを尋ねた研究があります。Victor(2022)やNewcomb(2015)による報告では、相当数の専門職が抑うつや不安、燃え尽きなど何らかの心理的困難を経験していることが示されました[5][6]。具体的な割合や定義は研究ごとに異なりますが、治療者が例外的に脆弱性から免れている集団ではないことは一貫して確認されています

これらの研究は、治療者が現在も重い症状を抱え続けていることを肯定するものではありません。むしろ、多くの治療者が人生のどこかで傷つきを経験し、それと向き合いながら専門職としての発達を遂げてきたという実態を示しています。推測ですが、自己の困難を省察し、専門的訓練やスーパービジョンを通じて統合してきた経験が、他者の苦痛への感受性や臨床的持続力に寄与している可能性があります。ただし、この点の因果関係については、なお慎重な検討が必要です。

以上の実証研究からは、傷ついた癒し手という概念が単なる象徴ではなく、実際の治療者集団の経験的特徴とも一定程度対応していることが読み取れます。一方で、症状の重さや臨床能力との関係、クライエントへの影響については、専門家による評価と継続的な研究が不可欠です。

傷ついた癒し手と逆転移

教育分析2

傷ついた癒し手というイメージは、精神分析の文脈では逆転移の理論と実践の深化とともに再解釈されます。古典的立場では逆転移は治療の妨害要因と見なされましたが、その後、フェレンツィ、ラッカー、ビオン、自己心理学や関係論の展開を経て、逆転移は治療関係の場で生じるものとして位置づけられるようになりました。治療者の情動反応は、患者の転移と相互に編み込まれた産物であり、治療者自身の未解決の葛藤や脆弱性が再活性化される回路でもあります。この点で、傷ついた癒し手とは、治療者の個人的傷が逆転移として現れうることを自覚し、それを抑圧したり、否認したりするのではなく、検討可能な臨床素材として扱う姿勢を指すと読み替えられます

精神分析の二者心理学的転回は、治療者の主観性を治療過程から切り離さず、関係の中で生じる影響を理論化しました。岡村は、治療関係が一者心理学から二者心理学へ移行する過程で、逆転移が理解の鍵となってきたことを整理しています[7]。この枠組みでは、治療者の傷は固定的な属性ではなく、特定の患者との関係で布置される力動的な出来事です。したがって、傷ついた癒し手は、治療者が現在進行形の症状にとどまることを意味しません。むしろ、逆転移を通じて生じる自らの反応を吟味し、解釈の前提となる理解へと変換する能力が問われます。

同時に、精神分析は境界の維持を重視します。逆転移が未処理のまま行為化されれば、治療者の傷は関係を歪め、患者に害を与えます。自己心理学や関係論が示したのは、共感的没入と反省的距離の両立です。治療者は影響を受ける主体でありつつ、その影響を第三項的に思考化し、患者の体験世界の理解へと還元する責任を負います。この意味で、傷ついた癒し手は、逆転移を資源化する専門的態度の別名であり、無傷の中立性ではなく、可謬性を引き受けた臨床的厳密さを要請する概念だと精神分析的に位置づけられます。

まとめ

カウンセリングをする男女

本稿では、傷ついた癒し手という概念を、神話的起源、ユングおよびグッゲンビュール クレイグの理論的展開、実証研究、そして精神分析における逆転移の理解という複数の水準から整理してきました。そこから明らかになるのは、治療者の傷つきは単なる過去の逸話でも、現在進行形の病理の正当化でもなく、関係の中で再び触れられ、思考化されうる脆弱性として働くという点です。実証研究が示すように、多くの治療者は人生のどこかで心理的困難を経験していますが、それ自体が臨床能力を保証するわけでも、否定する理由になるわけでもありません。むしろ重要なのは、その影響が逆転移としてどのように現れ、どのように理解へと変換されているかという専門的態度です。傷ついた癒し手は、無傷の中立性ではなく、可謬性を引き受けつつ境界を保ち、関係の中で生じる反応を臨床素材として用いる姿勢を要請する概念だと位置づけられます。

この視点から見れば、治療者の自己点検と継続的訓練は不可欠です。教育分析やスーパービジョンは、逆転移に含まれる個人的要素と関係由来の要素を区別し、行為化を防ぎ、理解へと変換するための中核的な場を提供します。もし臨床の中で、特定のクライエントとの関係において反応が過度に揺さぶられる、あるいは判断が狭まる感覚が生じているなら、それは専門的検討に付すべき重要なサインです。教育分析や定期的なスーパービジョンを通じて、自らの反応を吟味し続けることが、クライエントの安全と治療の質を守る最も確実な方法であり、同時に治療者自身の専門的成長を支える現実的な道筋でもあります。

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