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遮蔽想起について

フロイトの初恋

S,フロイトの1899年の論文「遮蔽想起について」についての要約とまとめです。性の抑圧や外傷記憶の想起についてフロイトは検討しています。

本論文は1895-99年――心理学草案 遮蔽想起  (フロイト全集 第3巻)に収録されています。

1.論文の背景

「遮蔽想起」の論文は1899年に執筆された。初出は「精神医学神経学月報」(1899年)。記憶が無意識のうちに操作されることについてフロイトはこれ以前から関心を寄せていた。1889年のフリース宛書簡の中で、フロイトは「空想」についての思索を述べている。空想は無意識的に一定の傾向に従って成立する。この傾向は、症状の発生源である記憶を近づき難いものにすることを目指している。空想形成は、融合と歪曲によって行われる。空想の増大とそれに対する過剰な抑圧によって神経症症状が成立する。

また、1897年のフリース宛書簡では次のように述べている。記憶に対する防衛により、より高度な心的形成物としての空想がその記憶から発生する。それと伴に倒錯的な衝動が発生する。そして、これらの空想と衝動が抑圧される際に、すでに記憶の結果として出ている症状のより高度の確定が起こり、病気に固執する新たな動機が生じる。

当時大きな問題となっていたヒステリー強迫神経症という二つの「精神神経症」では、過去の性の問題がいったん抑圧されて、病原化してくる。ゆえに「事後性」が問題になる。フロイトは、特に8歳までの年齢では、おそらく性についての認識の薄さのために性的経験の想起は抑圧されるとする。1つの性的経験は、いったん無意識になると、事後的な想起においては、実際の知覚の適切な再現となることもあれば、病原的な変形や強調を蒙った再現になることもある。

フロイトは初めは、主として周囲の大人による幼児期の性的な誘惑が、神経症の外傷的病因であると考えていたが、その後、空想活動にも外傷的病因としての力を認めるようになる。「遮蔽想起」の論文は、フロイトの神経症理論を理解する手がかりとしての重要性が指摘されているが、「事後性」のフロイト自らにおける確認として読むと興味深い。

2.論文の概要

早期幼年期の時期の印象には、重大な病因としての意義が帰せられなければならない。ヒステリーの人の病的な健忘が、幼年期についての正常な健忘と相似していることは、神経症の心的内容と子どもの生活との間の密接な諸関係についての貴重なヒントである。

(1)V・アンリとC・アンリによるアンケート(1895年)

「遮蔽想起」の導入を可能にするために、1895年にV・アンリとC・アンリが行った「幼年期の最初の想い出についてのアンケート」について触れている。それによると、最早期の幼年期想起の年齢は、たいていは2歳から4歳までの間であった。そして、かなりの数の人において、最早期の幼年期想起の内容は日常的で重要でない印象であり、その印象は体験した当時の子どもにとっても感情的な効果を発揮できず、そしてありとあらゆる細部をもって(鮮明過ぎるほど)憶えられている。

(2)なぜ意味深長なものが抑え込まれ、どうでもよいものが保持されるのか?

二つの心的な力が想起の成立に関与している。一方は体験の重要性を想起しようと欲する動機を持ち、もう片方はそうした重要性を強調することに逆らう(抵抗)。この拮抗して働く二つの力は互いを相殺するのではなく、平行四辺形を作る図解のように妥協的な作用が成立する。

妥協は次のようになされる。想起された光景が前面に現しているのは、問題になっている体験自体ではないが(このあたりでは抵抗が通用している)、しかし別の心的要素であって、それは近くにある連想の経路によって不愉快な心的要素と結びついている(このあたりで再現可能な想起された光景を修復することで意味深長な印象を固定しようとする威力が再び現れる)。

したがって葛藤の結果、本来は正当であるはずの情景の代わりに、別の想起された情景が成立する。それは連想の中で、前者に対して少し遷移されたものである。印象の重要な構成要素は、まさしく不快感を呼び起こしたものであるから、代替物となる想起にはこの重要な要素が欠けており、月並みな結果になりがちである。

このような葛藤、抑圧、妥協形成のもとでの代替作用は、全ての神経症的症状において回帰してくるのであり、症状形成の理解の鍵を与えるものである。⇒この事象が、正常な人間においては幼年期想起そのものの選択に影響するということは、子どもの心の生活と神経症の心的素材との間の、すでに強調されている緊密な関係をあらためて示唆している。

(3)ある男性の例

38歳の大学教育を受けた男性。この男性の例はフロイト自身のことであろうと考えられている。

a.想起の内容

「緑の草が一面に生い茂っている牧場にたくさんの黄色いタンポポの花が咲いている。牧場の上方には1軒の農家があって、その戸口に二人の女性、スカーフをした農夫と子守の女性がいる。牧場で私(2歳から3歳の年齢)は1歳年長の従兄(甥のヨハン)とその妹(姪のパウリーネ)と、黄色いタンポポを摘んでいる。私と従兄は、最も美しい花束を持っていた従妹に襲いかかり、彼女から花を奪い取る。彼女は泣きながら牧場を走って上がり、農夫から大きな黒パンを一つもらう。私と従兄も花を投げ出してパンをもらいに行く。このパンはとてもおいしかった」

b.この想起が呼び起こされた誘因

(a)第一の誘因となる想起

17歳の時の休暇に、昔から親しくしていた一家のお客として初めて故郷の地に戻った。私は、その一家に行き渡っている快適さと、町での私たちの家庭の居心地の悪い暮らしぶりを比較する機会を持った。その一家には15歳の娘(ギーゼラ)がいて、私はたちまち彼女に夢中になった。それは私の初恋であった。(彼女が最初に出会った時に着ていた服の黄色は黄みがかった茶色。アルプス山地に咲く暗い黄色の花の色と一致する。山歩きは当時の唯一の楽しみ)

(b)第二の誘因となる想起

その3年後、休暇に叔父を訪ね、幼年期想起に登場する遊び友達の子どもたちに再会した。この家族は私たちと同じ時に私の出生地を離れたが、遠くの町で再び素晴らしく裕福になっていた。私は従妹(パウリーネ)にはまったく興味がなかったが、父と叔父が私と従妹(パウリーネ)との結婚を計画していた。

c.フロイトの解釈

(a)第一の誘因における空想

もし故郷に留まってあの少女と結婚していたのなら、生活はいかに快適であったか。

(b)第二の誘因における空想

もし私が従妹と結婚していたなら、生活はいかに快適であったか。

(c)隠されていた記憶

第一の誘因(系列)から「黄色」と「田舎」パンを取り出し、第二の誘因(系列)から「花を投げ捨てること」(パンと交換するために花を投げ捨てる=役に立たない理想を放棄して「パンのための学問」に就く)と「人物たち」とを取り出した。2つの空想はお互いの上に投射され、1つの幼年期想起がつくられた。

タンポポの黄色が色鮮やかなのは、抑圧された表象の周辺の表象が、通常以上の鮮明さを獲得するから。アルプスの花が出てきたのは、この想起がつくられた時期を示すもの。

その光景を無数に多くの似たようなもののなかから探し出したのは、それが内容からして、その男性にとって十分に意味深長であった両方の空想を物語るのに適しているから。

その男性の生涯の歴史において最も重要な方向転換、空腹と愛(愛は花の黄色にある。少女から花をもぎ取る、すなわち、処女を奪う)という最も強力な二つの原動力の影響を説明する。

その空想が意識的な空想へと発展せずに、婉曲な形での仄めかしとして幼年期の光景のなかに受け入れられることで満足しなければならないのは、まさに空想の粗野で官能的なところが理由である。なぜ、よりによって幼年期の光景のなかになのか?まさに無邪気さのためかもしれない。

(4)遮蔽想起の概念

遮蔽想起の概念は、その記憶の価値がそれ自体の内容にあるのではなく、その内容と別の抑え込まれた内容との関係にあるような想起というものである。

遮蔽するものと遮蔽されるものとのあいだの時間的関係の方向性によって、遮蔽想起を逆行性(男性の例)あるいは先行性と命名することができる。別の観点からは、陽性と陰性とに区別することができ、陰性遮蔽想起の内容は、抑え込まれた内容とは対立する関係にある。

この想起の複雑な過程は、ヒステリーの症状形成と全く類似している。重要な体験についての幼児的な想起のうち、いくつかの場面は統制を受けながら(例えば成人してからの想起によって)改竄されている。その場面が自由に捏造されているわけではなく事実と違っている範囲は限られている。改竄は不愉快なあるいは好ましくない印象の抑圧や代替という目的に役立つ。

この改竄された想起もそれゆえ、そうした葛藤や抑圧への動因がすでに心の生活において効力を発揮できるような人生の時期に発生していなければならない。したがって、改竄された想起がその内容において想起させる時期よりもずっと後の時期である。

このように理解すると、幼年期に由来する遮蔽想起とそれ以外の想起との隔たりは小さい。幼年期想起は人生の最初の年月を見せてくれるが、その年月がそうであったようにではなくて、その年月が後になって呼びさまされた時にそう見えたようにである。こうして呼び覚まされた時に幼年期想起は形成され、歴史に忠実であろうとする意図からは程遠い一連の動機が一緒になって、想起の形成と選択とに影響を及ぼす。

3.遮蔽想起についての議論

アセスメント面接で最早期記憶を聴くことの重要性が理解できるだろう。

早期幼年期の時期の印象には、重大な病因としての意義が帰せられなければならない。なぜなら、早期幼年期の印象の内容そのものに病因があるのではなく、早期幼年期の印象には病因と関連する欲求や感情などが集約・投影されているということ。

ヒステリーの人の病的な健忘が、幼年期についての正常な健忘と相似している⇒幼年期もヒステリーの人も性的なものの抑圧が強いという意味か?

幼年期の健忘はなぜ起こるのか?性的なものの抑圧だけでなく、脳の発達が未熟なことが原因では?

フロイトの時代よりも性に対して開放的かつ早熟な現代においては、幼年期想起は変化しているのか?

面接などの臨床場面における幼年期想起の取り扱いについて、どのように考え、どのように実践しているのか。

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