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エディプス葛藤の早期段階

子どもの攻撃性

メラニー・クラインの1928年の論文「エディプス葛藤の早期段階」についての要約です。クラインはフロイトが想定したよりも早期にエディプス期を置きました。それにより、より重篤な患者の精神分析の道を開いたといえます。

本論文は子どもの心的発達(メラニー・クライン著作集1)に収録されています。

1.論文の背景

フロイトは、エディプス・コンプレックスが3歳になる頃に始まると考えたが、クラインはより早期に始まると考えた。1923年の段階では2歳から3歳の間に、1927年の段階では生後1年目の離乳の時期に始まるとした。

この論文を執筆した段階では不安の区別(迫害的不安と抑うつ不安)がなく、また憎しみを中心に探求していた時期に書かれている。1945年の段階では、いくらか意見が変わっている。

2.早期のエディプス・コンプレックス

「早期分析の心理学的原理」(1926)でクラインは、1歳の終わり頃から2歳の始めにかけて、離乳期の欲求不満に続いて始まり、トイレット・トレーニングの時期の肛門愛的欲求不満を通じて強化されるとのべている。

身体的な性差が心的過程に影響を与える。男の子は性器愛が中心の時期になると「貫通する」ことが目標になり、本来の愛情対象(母親)を保持出来る。

女の子は一貫して「受け入れる」ことが目標であり、愛情対象を母親から父親に変えなければならない。

3.1歳頃の子どものエディプス傾向

1つの論証として、前性器愛的な罪悪感はエディプス的愛情対象の取り入れに伴って起きる。罪悪感は超自我形成の産物である。

(1)1歳頃の子ども

おっぱいを「噛みつき食い尽くし切り刻み」、リビドー対象を破壊したいという願望と、取り入れられた対象に罰せられる不安がある。そのため、取り入れられた対象(超自我)が“噛みつき食い尽くし切り刻む”ものになる。大人になってからは懲罰的な不安を惹起する可能性(超自我前駆体)がある。

罪悪感は、口愛的サディズム期・肛門愛的サディズム期に属しているが、超自我もこれらが最も優勢な時期に現れる。そのため超自我がサディスティックな厳格さを持つ。

サディスティックな超自我の不安から身を守るのは抑圧であり、この抑圧の程度によって固着が決まり、その後に影響することもある。

エディプス傾向に伴って生じる性的好奇心について、疑問に圧倒されても言語化出来ない苦痛や、言葉・会話を理解出来ない恥辱がある。知識を求める衝動の制止が起きることも。また、“知らない”ことで“出来ない”“気力がない”といった感情が生じ、去勢コンプレックスが強まる。

知識を求める衝動は、肛門愛的サディズムと相まって、“母親の身体の中身を自分のものにしたい”という独占欲と結びつきつつ、エディプス葛藤の始まりによって目覚めた罪悪感とも結びつく。

(2)男の子の性的発達

肛門愛的サディズム段階の早期は、対象を破壊しようとする傾向が優勢な時期。欲求不満から母親の身体の中に入り込んで“切りきざみ食い尽くし破壊する”ことで母親の排泄物を独占したい。男の子は、性器愛的な衝動が出て来ると、母親を破壊したい傾向と母親への対象愛が対立し、さらに父親による去勢恐怖も体験する。母親との陽性の関係をつくることへの障壁となったり、父親からの虚勢恐怖の強さ故、サディズムの水準へのしがみつきが起こったりする。性器愛的態勢の達成の程度には、このような不安に耐える能力に左右される。サディズムへの固着が超自我の過酷さにも影響する。次の段階では、異性愛的態度と母親との同一化が見られる。

女性らしさの時期として、排泄物は待ち望まれる子どもと等価物となり、子どもを求める欲求と、誕生が望まれている弟や妹への嫉妬、母親の中の弟(妹)を破壊したい願望が生じる。母親を破壊したい願望は、懲罰の恐れと結びつき、加えて“子どもの排泄物を取り去る母親”が去勢者となる。父親からの去勢恐怖もあるため、子どもを圧倒するような恐怖となる。すなわち、父親イメージと母親イメージから形作られた食い尽くし切断し去勢する超自我の圧制に男の子を従わせる。

男の子のコンプレックスの源泉には、膣や乳房がないことも関連している。男の子は、ペニスを所有している優越感や女性との知的競争の態度を通し、子どもでありたい願望を知的なものへ置き換えていく。時に非常に攻撃的となり、軽蔑や強い知識欲となる。

前性器愛的態勢と性器愛態勢の闘い(3~5歳)は、エディプス葛藤がはっきりと現れる時期である。父親による去勢の恐怖は肛門愛的サディズムの水準への固着を強め、女性らしさの時期に伴う不安は父親との同一化を促す。格闘の決着がつかないと、神経症や性的不能を引き起こすこともある。

(3)女の子の性的発達

口愛的なリビドーを性器愛的なリビドーにうまく置き換えることで完了する(Deutsch,H.)。離乳や肛門愛的剥奪によって、女の子は母親に背を背けるようになる。口愛的リビドーの性器愛的リビドーへの置き換えは、性衝動の興奮から始まり、性器の口愛的・受容的目的が父親に向かうことに影響を与える(クライン自身の振り返り)。

性器の受容的性質は、満足の新しい源泉を求める欲求によって作動し、父親のペニスを内包している母親への羨望・憎しみが、女の子が父親に向かう更なる動機となる。エディプス衝動が作動し始めると、父親の愛撫は異性への魅力となる。

母親との同一化はエディプス衝動から生じるので、男の子の場合のような去勢不安との闘いはない。口愛的・肛門愛的サディズムの傾向が強い段階で母親との同一化が起こると、母親が原始的超自我となり、この時期での固着が起こったり、母親と同一化出来ずに父親との同一化が始まったりする。

女の子の知識を求める衝動は、ペニスがないことに気付くことに繋がる。女の子は、ペニスがないためさらに母親を嫌うように思うが、その罪悪感と罰からペニスがないことを認める。ペニスがないと気付くことが、リビドーの対象が母親から父親に移る原因(フロイト)というよりも、乳房の剥奪が父親に向かうことになる原因である。乳房の剥奪が父親との同一化を進めていく。また母親への憎しみと罪悪感が生じると、新鮮な母親との愛情関係が出来ていく。母親を憎み競うことで、父親との同一化をやめ、愛し愛される対象として父親に向かうようになる。

父親を独占したい欲求の奥には母親への憎しみ・羨望があるが、性器愛的態勢の上に母親との陽性の関係が築かれていれば、感謝やペニスへの敬愛の念が生じ、相手に身を委ねる女性的能力となっていく。

女の子のハンディキャップは、将来女性性を持とうとすることを妨げる要因となる。男の子がペニスを持っていることに対し、女の子は満たされることのない母性性を求める欲求があるだけ。これは漠然とした感覚でしかない。

母親の身体や子宮の中の子供に向けた破壊的傾向のため、女の子は母性性、女性の器官、自分の子どもを破壊されるのではないかと報復に怯える・大人になってからの母親としての能力に深刻に影響することもある。美容への関心という形で、傷つけられた美容を取り戻したいという動機が見られることも見られる。

上記の不安や罪悪感があるため、女性役割への誇りや喜びを抑圧せねばならず、転換ヒステリーや器質的疾患に繋がっているのだろう。男の子と比べて、慢性的な不安というより「急性の不安」。また母親からの超自我によって決定される。

男性より女性の方が嫉妬が重要な役割を果たすのは、ペニスがないことでの男性への歪んだ羨望によって強められているから。他方で、自らの願望を無視し倫理的で社会的な仕事に自己犠牲を顧みず心を傾ける能力がある。嫉妬から無私無欲の慈愛までの広い幅をとるのは、超自我形成の特有の条件がある。肛門サディズムが優勢な段階では、残忍な超自我が形成される/母親との同一化の性器愛的な基礎が安定すると、寛大な母親の理想像の献身的な愛情が取り入れられていく。すなわち、前性器愛的な特徴、性器愛的な特徴をどの程度帯びるか、という問題がある。

これらが社会的、あるいは、他の活動に向けられていくときには、父性的な自我理想が働いている。父親の性器愛的活動に対する敬愛に次いで、父性的な超自我形成が起きている。

父性的な超自我形成は、女の子が十分に達成出来ない積極的な目的の前に整い、達成出来ないことと母性的な超自我から生まれる自己犠牲の能力が結びつくと、特殊な能力となっていく。

(4)性交の目撃

性器愛的段階では外傷体験の性質を帯びるが、より早期の段階では固着して性的発達に影響し、形成過程の超自我に影響することもある。

しばしば性交の目撃の後、兄弟や遊び仲間と性的なことを行う。これは抑圧され、罪悪感にエネルギーが備給されていく。子どもが父親や母親の代理のように感じ、具現化されたエディプス関係の性格を帯びる。そして懲罰を求める欲求や反復強迫の結果、性的外傷に屈してしまう要因になる。

4.議論

この論文はフロイトが提唱した時期よりも早い段階でエディプス傾向が見られ、肛門期的なサディズムと結びついて、より残忍な超自我が形成されることを述べている。その後、理論が洗練されていくと、超自我はエディプス・コンプレックスの結果形成されるものではなく、“死の本能に由来する攻撃性の投影・取り入れによって生じる迫害的な乳房が残忍な超自我を形成する”とし、エディプス・コンプレックスを促進する要因と考えるようになっている。この理論が形作られていく初期の段階での考察をこの論文はしており、“リビドー対象を破壊したい願望と取り入れられた対象による懲罰”という乳房との関係での考察が、フロイト理論から進んだ点であろう。また、結合両親像と、そこから排除されるという幻想の素地にも触れられていることも進展である。

この論文は、特に性器愛的な発達段階以前のエディプス・コンプレックス、超自我、罪悪感について述べており、主に肛門愛的サディズム期と結びつけて論じている。Abraham,K.の理論を援用しながらの見解であるが、後には抑うつポジションの開始に伴ってエディプス傾向が生じると考察し、サディズムよりも愛情や愛情対象の喪失との関連を指摘しているようである。以上から、まだ若いクラインが先駆者の理論を前提としながら書いた論文で、クライン自身が攻撃性を扱い兼ねていた時期なのかも知れないとも想像させる。

また、この論文で述べられている「罪悪感」は、どこか漠然としている。“超自我形成に伴って生じる罪悪感”というフロイトの理論をそのまま援用しているに過ぎないのではないだろうか。「罪悪感」という性質のものの存在も、抑うつポジションと妄想分裂ポジションの概念が導入されてから洗練されていくことになる。

この論文の後、抑うつポジションの開始に伴って、結合両親像とそこから排除される空想、そこで生じる羨望、という図式が出来上がっていくが、発達心理学的に考えても妥当なのだろうか。

さらに、臨床上、エディプス的な布置を想定したり、ペニス羨望のようなものがありそうだと考えたりすることはあるが、“これは母親の中の男根への攻撃性だ”とか考えることがないかもしれない。臨床的に有用な概念と言えるだろうか。

本論文の用語の読んでいると刺激が強いように思われる。例えば、乳房を食い尽くして切り刻みたいなど。思考が出来ず概念を持たない赤ん坊が、空腹をもの凄い圧倒的なものとして体験している、そこに乳房が出て来るとえらい勢いで吸おうとする、歯が生えてきたらちょっと噛んでみたくなる、ことが、噛みついて食い尽くして切り刻みたいとまだ体験されるのは、ある意味では恐ろしい思いがする。

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