オンラインカウンセリングによって遠ざけられる心的苦痛

オンラインでは扱えない何か

COVID-19(新型コロナウイルス)によりカウンセリングはオンライン化への大きく傾いています。来所できない遠方の人には非常に便利であると言えるでしょう。しかし、その利便性の陰に隠れてしまっているところにカウンセリングの本質があります。ここではそのことについて書きます。

1.カウンセリングにおけるノンヴァーバルな情報の必要性

GoogleMeetなどでのオンラインカウンセリングの経験が増えてきましたが、私にはやはりやりにくさは変わらないように感じています。これは慣れの問題ではないようです。つまり、オンラインでは雰囲気や動作、語感、視線などのノンヴァーバルな情報が削ぎ落されてしまうことからくる困難さなのでしょう。

これは慣れで克服できるものではなく、ノンヴァーバルな情報がカウンセリングをする上で必要不可欠な中核的な要素であることを我々に教えてくれているようです。我々はカウンセリングをするときにはこのノンヴァーバルな要素に強く依存しているのでしょう。このことからもオンラインでも問題ないようなカウンセリングはカウンセリングとは呼べないのかもしれません

2.心的苦痛の交流

さらに、このCOVID-19(新型コロナウイルス)は対面でのカウンセリングにおいて、さらに重要な側面を我々に教えてくれたようにも思います。それはカウンセラーとクライエントがやり取り、交流しているのは単に言葉だけではなくて、心の苦痛な部分を相互に交流しているという側面です。心の苦痛な部分はビオンでいうなら毒素やベータ要素であるといえるでしょう。

この毒素やベータ要素はカウンセラーとクライエントの双方の中にあり、自身で持っていても苦痛だが、相手に手渡しても苦痛です。なぜならそれは相手を傷つける可能性のあるものであり、もし本当に傷つけてしまうと強烈な罪悪感を引き起こしてしまうからです。対面でのカウンセリングではこうした毒素の交流が無意識的にやりとりされているのですが、通常はあまり意識にのぼらないものです。

3.オンライン化による交流の遮断

その毒素の交流を具象的に表現したのが、今回のCOVID-19であるといえます。COVID-19は実際の厄災であると同時に、我々の心の中にある毒素やベータ要素であるともいえます。今回の心理療法やカウンセリングのオンライン化は確かに防疫という観点からは妥当な選択ではあるかもしれません。

しかし、そこに含まれる心の中の毒素やベータ要素をコンテインしなくても良いという都合の良い理由を我々にもたらしてしまいます。そのため、安易にオンライン化して、距離を取り、直接交流を遮断するという選択に傾いてしまうのでしょう。

直接会い、対面でカウンセリングをすることは、危険を肌で感じるほどに毒素をリアリティある形で突き付けられます。ここにカウンセリングのある種の本質が内包されているように私には思えます。我々が忘れていたこの交流の苦痛さ、もしくは苦痛の交流についての重要性を、今回のCOVID-19によるオンライン化は知らしめてくれたと言えるでしょう。

4.限界を知りつつ供給する

それでも、実際に会えない人、手の届かない人に対してカウンセリングを供給することも現実的にカウンセラーの仕事であります。重要な要素が欠けているとしても、現状でできることを実施していくことは専門家としての責務といえます。欠けていること、限界があることを否認するのではなく、欠けていることを抱えながら、可能な範囲で可能なことをしていくことが我々には求められています。

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