精神分析療法の道
フロイトの1919年に書かれた「精神分析療法の道」についての解説です。本論文でフロイトはフェレンツィとの対話を通して、能動性について考察しています。さらに未来の精神分析のあり方として暗示や催眠を加味した合金の精神分析について論じています。
目次
1.はじめに
この論文は1918年9月28日~29日にブダペストで行われた、第5回国際精神分析学会学術大会でフロイトが発表したものである。
それは学会の前の夏の間に、フロイトがアントン・フォン・フロイントとともにブダペスト郊外のシュタインブルグの彼の家で過ごした時に書かれた(ストレイチー)。フロイトは特にフェレンツィを強く意識しており、その対比から論を進めている。
2.シャーンドル・フェレンツィについて
図1 シャーンドル・フェレンツィの写真
1873年7月7日にブダペスト郊外のミシュコルツにて、ポーランド系移民の子どもとして出生した。12人兄弟の8番目であった。ウィーンで医学を学び、帰国して精神科医として仕事を始めた。1906年にユングの言語連想検査の追試を試みた経緯からユングと文通が始まり、その後、ユングを介して1908年2月2日に初めてフロイトと出会った。
1909年にはフロイトとユングのアメリカ講演旅行に同行するほど、フロイトから愛される存在となっていった。その後、フェレンツィの技量は飛躍的に向上し、「馬の神経症でも治せる」と評されるほどであった。そのため、他の精神分析家の手に余るような難治例はフェレンツィに紹介されることが増え、そのことから困難事例に対する効果的な精神分析技法についてフェレンツィは生涯を賭けて取り組むこととなっていった。
1913年にはブダペスト精神分析協会を設立した。また、最初の訓練分析はフロイトではなく、フェレンツィがジョーンズに行ったものであるとされている。そして、1914年にはフェレンツィはフロイトから訓練分析を受けたが、それは期間が短く、また陰性転移を扱われないものであり、少なからずの不満が残っていたようであった。1919年に離婚歴のある女性と結婚したが、後年、妻の連れ子の娘と恋に落ちるということもあった。
1920年代前半に積極技法を考案し、1920年代後半には弛緩技法へとうつっていった。これらの変法については他の精神分析家から激しく非難されることもあった。フロイトからも技法を忠実に守るようにとの指示があったが、フェレンツィは幾度となくこの件でフロイトと論争し、また文通した。また、フェレンツィは非医師の精神分析家を擁護しており、そのこともあって、精神分析学界から徐々に離れざるをえなくなっていった。
晩年には弛緩技法を最大にまで拡大した「大実験」を行った。そのことが間接的に影響しているのかもしれないが、1933年に死去した。ジョーンズはフェレンツィについて「気がふれて死んだ」と貶めていた。
後年の技法の修正やジョーンズの影響もあり、フェレンツィは長い間、精神分析学界から禁書扱いとなっていた。しかし、フェレンツィの影響は非常に強く、名前こそ出ないが、数多くの理論的・技法的な革新が現在の精神分析に色濃く残っている。フェレンツィの弟子にはメラニー・クライン、ジョン・リックマン、マイケル・バリント、クララ・トンプソンがいる。そして、フェレンツィの技法は少なからず治療者と患者の生身のぶつかるものであり、転移と逆転移をフロイト以上に取り上げる素地となっていった。これらはいう間でもなく、現在の精神分析の王道となっている。
フェレンツィの重要論文「大人と子どもの間の言葉の混乱(1933)」については以下をご覧ください。
3.フェレンツィの積極技法と弛緩技法
フェレンツィはいわゆる古典的な精神分析技法に修正を加えた。特に神経症ではおさまらないような重症例・難治例に対して効果的な精神分析技法の探索を続けた。その試行錯誤の中で、まずは積極技法と言われるものを作り上げた。
これは、禁欲原則を極端にまで厳格にし、性交から排尿、排便に至るまでの生理的欲求を禁止し、患者を過度な欲求不満状態に置いた。確かにそのことで激しい情動を生起させることはできたが、抑圧された葛藤やコンプレックスとは無関係で、単に制止によって作り出された不快反応に過ぎないことが明らかになっていった。
その後、積極技法とは正反対の弛緩技法の方向に舵をきった。弛緩技法とは、幼少期に十分な愛情や世話が不足したために神経症になったという仮説の下で、患者に心地よい環境や状況を提供するというものである。これによって、確かに症状が軽減する事例が多くみられたことも確かなようであった。これらが後世の抱っこ療法に多少影響を与え、その失策や問題を孕むこととなった。
さらに、フェレンツィは相互分析に挑戦した。これは、精神分析家が患者を精神分析するだけではなく、患者が精神分析家を精神分析し、その相互に酌み交わされる精神分析素材を取り扱っていくというものである。
フロイトはもちろんフェレンツィのこの技法を厳しく非難した。欲求充足による治癒は一時的であり、本当の解決は葛藤を解消することにある、という理由が主であった。確かにそれはその通りであるが、部分的にこのフェレンツィの弛緩技法や相互分析における精神分析家の態度というのは逆転移の活用や人間としての精神分析家という文脈の中で臨床的に生きてくることにもなっていった。
小此木はこうしたフェレンツィの治療態度とフロイトの治療態度を対比させ、両者を区別、整理した。
表1 フロイト的態度とフェレンツィ的態度の違い
フロイト的態度 | フェレンツィ的態度 |
---|---|
言語的コミュニケーションの重視 | 非言語的コミュニケーションの重視 |
精神内界主義 | 外界志向的接近 |
受動的 | 能動的 |
合理主義と科学的厳密性 | 人間的温かみと情緒交流 |
精神分析家としての分別の重視 | 精神分析家のパーソナリティの重視 |
フェレンツィはジョーンズの影響もあったが、四半世紀は発禁扱いとなり、精神分析の歴史から抹殺されていた。しかし、明らかにフェレンツィ的態度は現在の精神分析、特に対象関係論における精神分析家のあり方とかなり一致しており、フロイト以上に影響を与えていると思われる。
理由はいくつかあるが、特に重篤な患者を治療しなければならなくなったこと、その過程で精神分析家のパーソナルなものが好むと好まざるとに関わらず治療関係に持ち込まれるようになったこと、さらにそのために逆転移を扱う必要性が出てきたことが考えられる。それらがいわゆるフェレンツィ的な態度が現代の精神分析に息づくことになったのであろう。
フェレンツィは晩年に「大実験」と言われるものを行った。ある患者に対して、患者が望むなら週7回以上、1日何回でも、1回何時間でもセッションを無制限に行うというものである。精神分析家の献身を最大限に提供することにより治療が進展するのかという果敢な試みであった。その事の顛末は2000年に邦訳された「臨床日記」に詳しいが、患者の極度の退行、精神分析家の生命をも脅かす労力、そして不完全な治癒という結果であった。
この大実験は失敗といっても良いだろうが、ここでの経験はセラピーでは何が必要なのかという議論を残すものとなり、それはそれなりに意味があったといえるだろう。つまり、献身は大切であるが、無制限にするものではなく、限られた中で適度に適切に提供することのほうが治療的である、ということなのであろう。
4.精神分析・精神分析的心理療法における能動性
フロイトの禁欲原則、中立性、分析の隠れ身、受動性といった医師の分別に対するアンチテーゼとしてフェレンツィは様々な試みを行ってきた。それにより、フロイトの頃には戒められていた能動性というもの必要性が認識されるようになってきた。とはいっても、フェレンツィが行ったような無制限の献身や相互分析のような精神分析家の生身を患者にさらけ出すことではない。
主には逆転移になるが、精神分析関係に積極的に関わり、そこで沸き起こる情緒を吟味し、そこから理解しうることを患者に解釈として伝えていくという能動性である。そうした中に精神分析家と患者の情緒的な交流が起こり、そうしたところに治療的な効果がみられるのである。
さらに、精神分析家の能動性が一番に表れてくる箇所は構造設定であるだろう。つまり、場所、料金、時間、部屋の配置といった精神分析・精神分析的心理療法を行うための構造を設えることである。それは患者に押し付けるものではないにしろ、かなりの部分で精神分析家が積極的に提示し、維持することになるだろう。
そして、状況や事情にもよるだろうが、精神分析・精神分析的心理療法のプロセスの中で、安易にその構造を変更することなく、維持しつづけることは意外とかなりの労力が必要となる。構造を変えようとする圧力は患者だけではなく、周りの環境からも持ち込まれる。さらには、精神分析家自体が構造を変えたいという誘惑にさらされることもある。
しかし、そうした圧力に屈することなく、構造を維持することは能動性と言っても良いだろう。そうした精神分析・精神分析的心理療法という構造設定があるからこそ、精神分析関係という非常に脆く、柔く、移ろいやすいものをとらまえていくことができるのである。
5.保険や無料での精神分析の可能性
フロイトは本論文の中で保険での支払いや無料での精神分析の可能性について言及している。フロイトは1人に対して、1回60分(50分)を週6回も提供していた。そのため、一度に受け持てる患者は多くても8~10人程度であった。とすると、その8~10人がフロイトやその一家の経済を支えることになり、必然的に一人の負担はかなり多くなっていた。それぐらいの費用を賄えるのはやはり中流階級以上になるのだろう。
昨今の日本では、そうした人だけでなく、いわゆる労働者層や一般層を対象にすることが非常に多いだろう。そうなると、毎週1回1万円という負担でさえ、大変となっている。
また、教育や福祉の現場では基本的には無料での治療が多くを占めている。医療では健康保険による診療がほとんどである。生活保護であれば医療費も無料となる。産業領域であれば、会社負担というのもあるが、その場合も回数限定になっているところが多いようである。
無料や健康保険といっても、多くは税金というシステムで間接的にお金を支払っているので、全く負担がないわけではないが、直接的に支払わないので、身銭を切ってセラピーを受けているという感覚が乏しくなるのは当然である。身銭を切っていないから動機づけが弱いということではないが、身銭を切ることによって、より動機づけが高まることは多いだろう。無料や保険でのセラピーは動機づけを物理的に上げないままでの導入になるので、自費に比較するとセラピーが難しくなるだろう。
しかし、無料や保険でのセラピーは経済的に余裕のない人にも提供することができ、セラピーの効果を享受できるのは重要である。景気や財源に左右されるので、無尽蔵にということはできないだろうが。また、セラピーといっても、回数が限られていたり、1回の時間が30分などという短いものになったり、頻度も隔週どころヶ月1回程度しかできなかったりという制限はつくだろう。
そして、時として、セラピーの目的や手法によってはその致命的な制限によって提供できないという場合も時としてあるかもしれない。セラピストとて万能ではないが、そうした制限の中でできる範囲のことを提供し、できないことはできないことであると率直に認め、資源以上のことを献身的に、それこそフェレンツィのように提供することは慎まねばならない。
万能的になることなく、驕ることなく、自身にできるささやかなことを細々と営んでいくこともセラピストの仕事になるのだろう。できること以上に、献身を使って行うことはセラピストにも患者にも双方にとっておそらく害が生じてしまうと容易に想像できる。
6.精神分析と精神分析的心理療法
フロイトは純金としての精神分析、合金としてのセラピーや暗示を本論文で論じている。フロイトは1回60分(50分)で、週6回のセッション、カウチの上で自由連想法をもちいたものを精神分析と称した。フロイトは生涯にわたって、その設定を維持した。そうした方法によってこそ、ヒステリーの治療はできると考えていた。しかし、それはあまりにもコストのかかる設定であることは明らかである。
現在、盛んに議論されていることが頻度の問題である。日本では伝統的に週1回という頻度が比較的多く用いられていた設定である。頻度が1/6になると、それだけ対象とできる患者は単純計算で6倍になる。隔週になると12倍である。数少ないセラピストが多くの患者に対応するためにはそうした工夫をせざるをえない。
また、患者も週6回の頻度に対して支払う経済的余裕もなく、また仕事をしていればその時間的余裕もない。もちろん、週複数回の設定を用いられないのは物的な条件のみに縛られるものではない。そこに投資するだけの動機と希望と熱意があると、週複数回の設定に入ることは意外とできることもある。
頻度が週6回と週1回では、治療効果に差はあるのか?治療機序は同じなのか?同じ精神分析と言っても良いのか?などの議論がある。つまり頻度の差は、質的な違いに至るものなのか、量的な違いに過ぎないのか、ということである。もし質的に違うものであれば、フロイトやその後の精神分析家が書いた論文や、提起した概念は週1回の頻度のセラピーでは使用できないこととなる。
合金どころか別物となる。また、フロイトの時には週6回だったものが、現在では週4回以上が精神分析となっているが、その変遷の時には、そうした議論はあまり沸かなかったようである。しかし、週3回を精神分析というのかどうかは議論がある。この違いは何なのだろうか。
いずれにせよ、頻度というのは精神分析の本質ではないが、精神分析的なプロセスを後押しする重要な要因であると言える。
7.精神分析の対象の広がり
元々、精神分析はヒステリーの治療方法として作られた。その後、フロイトは強迫神経症や恐怖症といった対象をも含めた。また心気症や精神病といった自己愛神経症についても精神分析的な理解を論じたが、転移が生じないという理由で精神分析の適用からは除外した。しかし、その後のフロイトの弟子たちが精神分析の対象を拡大していった。例えば以下のようなものがある。
- 幼児・児童:A,フロイト、M,クライン
- 乳児:E,ビック、J,ボウルヴィ、D,N,スターン
- 躁うつ病:K,アブラハム
- スキゾイド:W,R,フェアバーン
- 精神病・統合失調症:D,W,ウィニコット、W,R,ビオン、H,ローゼンフェルド、H,シーガル
- 発達障害:D,メルツァー、F,タスティン、A,アルヴァレズ
- 境界性パーソナリティ障害:O,F,カーンバーグ、J,F,マスターソン
- 自己愛性パーソナリティ障害:H,コフート
いずれも理論の拡張と、それにともなう技法の拡充がなされた結果である。特にフロイトが想定していたよりも早期の乳児の心の在り方の理論があってこそである。そこには母子関係というものの理解が非常に重要となっている。さらには、精神病的な転移の発見と、逆転移の活用という技法的な革新が精神分析の対象を広げることに大きく貢献している。
8.さいごに
フロイトやフェレンツィの精神分析について興味のある方は以下のページを参照してください。
9.文献
この記事は以下の文献を参考にして執筆いたしました。