精神分析臨床家の流儀
松木邦裕(著)「精神分析臨床家の流儀」金剛出版 2010年を読んでの感想です。
1.精神分析家と精神分析臨床家
精神分析家と精神分析臨床家の違いについては重要なポイントです。本書ではつねに精神分析的な姿勢を保ち続け、分からんないことに耐えつつも、分かろうとし続けることを後者としています。極端にいえば精神分析家という資格を持っていても、このような姿勢を保ち続けていなければ、精神分析臨床家とはいえないということもできるでしょう。
そして、反対にいえば、精神分析家の資格を持っていなくても、精神分析的な姿勢を持ち続けることはできるので、精神分析臨床家であるということもできます。そうはいっても、精神分析の訓練(訓練分析、教育分析、スーパービジョン、コースワークなど)を経る必要はあるでしょうが。
2.精神分析臨床家とは
そして、本書では精神分析臨床家としての姿勢やその営みについて語られています。例えば、
- 設定を一定に保ちつつ、容易にアクティングアウトをしないようにする
- 外的事実ではなく、内的空想から接近していく
等です。アクティングアウトをカウンセラーがすることは決して悪いことではないし、それがクライエントさんの利益につながることもあります。また、新たな理論構築につながることもあるでしょう。しかし、それは精神分析ではないし、精神分析臨床家の在り方ではないということかもしれませんが。
3.精神分析臨床家の訓練
後半ではそうした精神分析臨床家の訓練の在り方について述べられています。訓練分析、教育分析、スーパービジョン、コースワークの他に研修会や古典の読み方なども書かれており、大変刺激的です。
4.超自我的側面
ただ、敢えて否定的側面を述べると、精神分析は分かっていることに囚われず、自由に考え続ける姿勢を力説している反面、「~~すべき」「~~であるべき」という超自我的な教えが多くみられるように思いました。著者である松木が指導的な立場にいることも影響しているのであろうし、精神分析を銘打っていても精神分析ではないものが多く氾濫しているがゆえに、言わざるをえないのかもしれません。