W,R,D,フェアバーン『人格におけるスキゾイド的要因(1940)』要約と解説

本稿は、W,R,D,フェアバーンによる1940年の論文『人格におけるスキゾイド的要因』の要約です[1]。フェアバーンは、スキゾイドを特殊な病理に限定せず、人格の基盤に関わる普遍的要因として位置づけました。本稿では、その理論的枠組みを踏まえ、早期口愛期の体験、自我の分裂、内的対象関係といった観点から、スキゾイドの心的構造と対人様式を整理します。
目次
スキゾイドとは
スキゾイドとは、対人関係よりも内的世界に重心を置き、自我の内に分裂や亀裂を抱えやすい心的構造を指します。早期口愛期の体験を基盤とし、愛することが対象を傷つけてしまうのではないかという不安を抱えるため、他者との情緒的関わりを避け、距離を取ろうとします。その結果、相手を全体的な人格ではなく部分的対象として扱ったり、与えることを自己の枯渇として体験したりします。一見冷静で孤高に見えますが、内面では愛と破壊への不安の葛藤を抱えているのが特徴です。
スキゾイドのケースは、精神病理学全体の中でも最も興味深く、かつ実りの多い素材を提供してくれます。なぜなら、スキゾイドは人格の基礎を成すものであり、彼らがあらゆる防衛手段を用いてきた事実が研究上きわめて有用だからです。また、彼らは一般に思われている以上に心理的洞察が可能であり、転移も生じることから、治療効果も期待できます。
スキゾイドのグループは、四つに分けることができます。第一に、厳密な意味での統合失調症です。第二に、スキゾイド型の精神病質人格であり、これは精神病質人格の大部分を含み、てんかん性性格も含まれます。第三に、スキゾイド性格で、スキゾイド特性はあるものの精神病質とはみなしがたい人々を含みます。第四に、スキゾイド状態、あるいは一過性のスキゾイド的エピソードであり、青年期のつまずきなどがこれにあたります。
Masserman&Carmichaelの研究によれば、統合失調症の患者の中には、発症に先立ってヒステリーや強迫思考・強迫行為が認められることがあります。また、フェアバーンが軍で診察したケースにおいても、統合失調症やスキゾイド人格と診断された患者のうち約50%が、不安神経症やヒステリーという暫定診断を受けていました。これらの結果は、彼らが人格を守るために精神神経症的な防衛を用いていることを示しています。同時に、防衛がうまく機能することで、背後にあるスキゾイド的側面が覆い隠される場合があることも示唆しています。
診断を下しにくい患者、たとえば対人関係がうまくいかない、仕事に集中できない、性格上の問題を訴える、性倒錯やインポテンツ、強迫的自慰を呈する人々の中にも、スキゾイド的側面を見出すことができます。また、単一の症状のみを訴える人々、たとえば発狂するのではないかという恐怖や、露出狂になるのではないかという不安を抱える人々、さらには場にそぐわない理由で来談する人々、たとえば良いことをしてくれそうだから、面白そうだからという動機で訪れる人々の中にも、同様の側面が認められます。比較的軽症の場合や、一過性の現実感の障害、なじんだものに親しみを持てない、なじみのないものに親しみを感じる傾向も、本質的にはスキゾイド的な現象と考えられます。
スキゾイドは、次の三つの特徴を有します。第一に、万能的な態度です。第二に、孤高で距離を取った態度です。第三に、内的現実へのとらわれです。なお、これらの特徴は常に表立って現れているわけではありません。
スキゾイド現象の根本には、自我の内に亀裂、すなわちスプリットが存在することがあります。重大な危機の中で不自然なほど落ち着いている体験や、無力感を感じる場面で傍観者のように振る舞う体験、あるいは既視感のように過去と現在、幻想と現実が交錯する感覚は、スキゾイド的体験といえます。さらに、夢や超自我が自我と分かれて存在しているかのように感じられる構造も、スキゾイド的ポジションを示しています。
スキゾイドを規定する早期口愛期の特徴
最も特徴的なスキゾイド現象は自我の分裂であり、その萌芽はAbrahamのいう早期口愛期に始まります[2]。これは「口の自我(mouth ego)」の時期と呼ぶことができ、この時期にどのような性質の関係が形成されるかが、その後の対人関係や社会的態度に大きな影響を与えます。
早期口愛的態度の特徴として、第一に、対象が部分対象の形を取ること、すなわち母親の乳房として経験されることが挙げられます。第二に、リビドー的態度においては「摂る」側面が「与える」側面よりも強いことです。第三に、「摂る」ことだけでなく、合体や内在化への態度も示されることです。第四に、「満ちている」と「空っぽである」という見方が重要であることです。
第四の特徴について説明します。空腹の幼児は自らを空っぽと感じ、母親を満ちている存在として体験します。授乳後には、幼児は満ちていると感じ、母親は空っぽであると体験されます。しかし、剥奪的な環境下では、自分も母親も空っぽであると体験され、さらに自分が母親を空っぽにしてしまったと感じられることがあります。その理由は、剥奪状況では口愛的欲求と同時に攻撃的な性質も高まるためです。加えて、剥奪下では合体欲求が拡大し、乳房の中身だけでなく母親全体を取り込もうとする傾向が強まります。この姿勢は、自分のリビドー的対象を破壊してしまうのではないかという不安を生じさせます。さらに、授乳後に母親が去ってしまう体験を通して、自分がリビドー的態度を向けると対象は消失したり破壊されたりしてしまうという理解が形成されるのです。
部分対象、すなわち身体器官の方へ向かう傾向
部分対象へと方向づけられている例として、いくつかの臨床像が挙げられます。
第一に、妻との関係に悩む男性患者の例です。この患者は、何かにつけて妻に文句を言いたくなります。さらに、妻に限らず他者に対しても利己的な態度を取り、相手をあたかも下等生物であるかのように扱ってしまいます。ここでは、相手を全体的な人格としてではなく、自己の欲求を満たすための部分的対象として扱う傾向がみられます。
第二に、統合失調症の患者の例です。この患者は、人と会う際に、まるで未開部族と対面しているかのような態度を示します。相手を対等な主体としてではなく、距離を置き、対象化された存在として扱っている点に特徴があります。
第三に、結婚した兵士の例です。彼は結婚して幸せかと問われると、驚いた様子で、そのために結婚したのですよ、と見下すように答えます。ここでは、結婚が相手との相互的関係ではなく、自分に必要なことを満足させる手段として理解されています。
このような部分対象への方向づけは、概して退行的な現象です。それは、子ども時代のある段階において、両親、とりわけ母親との間に生じた情緒的な不満足を伴う関係性によって規定されます。所有欲の強い母親や無関心な母親のもとでは、子どもは自分が一人の人間として愛されているという確信を持つことができません。その結果、母親との情緒的関係を安定した基盤として内在化することが困難になります。
こうした状況において、子どもはより早期の、単純な関係様式へと退行しやすくなります。それは、母親の乳房という部分対象との関係です。すなわち、全体的な人格との情緒的な結びつきではなく、身体的接触や摂取の関係へと後退するのです。その結果、情緒的な触れ合いは身体的な触れ合いによって代理され、対象の脱人格化や対象関係の脱情緒化が生じることになります。
リビドー的態度において摂ることの方が与えることよりも優位を占めている傾向
摂ることは口愛的な活動であり、それに対置される活動は排泄です。排泄は自分の中身を外在化することを意味し、それは自分を与えることにほかなりません。精神的な水準が身体によって代替されている場合、他者に向かって情緒を表現することは、自分の中身を相手に与え、それによって自分が失われることとして体験されます。
そのため、情緒表現が苦手であったり、感情を抑圧して距離を取ろうとする態度がみられます。たとえば、婚約者と連日一緒にいると自分が枯渇してしまうと感じる例があります。また、試験官に対して苦労して手に入れた答えを与えることができず、その結果、試験に合格できないという事態も生じます。ここでは、与えることが自己の消耗や喪失として体験されているのです。
役割を演じる技法:スキゾイドの人は、ある役割を演じることで、自分の人格そのものを関与させない方法を取ることがあります。その結果、他者からは感じの良い人として映ることもあります。しかし、それが意識的な演技であるかどうかは個人差があります。いずれにせよ、ここでは自己の中核を差し出さずに社会的関係を維持しようとする防衛が働いています。
露出的な技法:文学や芸術活動は、直接的な対人関係を持たなくても自己を表現できる手段となります。その意味で、失うことなく与えることが可能な形式として機能します。しかし、露出しているという体験が、やがて暴露される不安、すなわち見られてしまうという感覚へと転化すると、露出の状況はきわめて苦痛の大きいものとなります。この技法は概して無自覚的に用いられますが、自己保存と自己表現との間の緊張を如実に示す現象といえます。
リビドー的態度における合体的要因
早期口愛的な態度が再活性化されやすいのは、母親が一人の人間として子どもを愛しておらず、子どもが母親を愛していても、その愛に母親が価値を見いださず、受け入れていない場合です。この体験はきわめて外傷的です。子どもは母親を悪い対象とみなし、さらに自分の愛を外に表現すること自体も悪いことだと捉え、愛情を内にとどめがちになります。その結果、外的対象との愛情関係を、悪いもの、あるいは相手次第で不安定な危ういものとして感じるようになります。
その帰結として、子どもは自分と対象との関係を、外的対象の領域ではなく、自身の内的現実の領域へと移します。そこでは、母親と乳房が内在化された形で存在しています。挫折を経験するたびに対象を内在化することが、防衛手段として用いられるようになります。
(1)与えることは枯渇すること
スキゾイドの人は、外界よりも内的世界の対象関係に同一化する傾向があります。外的対象に与えることは、自分の価値を低下させ、自尊心を損なう行為として体験されます。それは自分を枯渇させることに等しいのです。
臨床的には、出産後に空っぽになったと感じる体験や、芸術家が作品を完成させた後に大切なものが自分の中から出ていったと感じる体験に、この傾向がみられます。こうした不安に対する防衛として、自分が創造したものには価値がないとみなす態度を取る場合があります。また、喪失感から自分を守るために、創造した後もそれを依然として自分の中身の一部であるかのように扱う態度を示すこともあります。
(2)知性化による防衛
内的世界へのとらわれを示す現象として、知性化の傾向があります。情緒的な問題を内的世界の中で知的に解決しようとするため、思考過程がリビドー化され、情緒的価値が知的価値によって代替されます。ここでは、自我の高次の部分である知性と、低次の部分である情緒との間に亀裂が生じていると理解することができます。
(3)秘密を持つことによる優越感
さらに、自分の内に備わっている内容全般を秘密裏に過剰評価したり、内在化されたリビドー対象を自分だけのものとして秘密裏に同一化し、自己愛的な膨張を生じさせたりすることがあります。秘密にしておく理由は、内在化された対象を盗んできたかのような罪悪感と、その対象を失うことへの恐怖にあります。内在化された対象を自分のものとすることで、他者とは違うという優越感を得ることができます。
子ども時代には、学校生活において母親から向けられるほどの賞賛を得ることができないため、一人で行う学業やスポーツにエネルギーを注ぐ傾向を示すことがあります。
彼らは、母親が自分に価値を見いだしていないと確信しており、剥奪感や劣等感を抱えたまま母親に固着します。この固着は、自我を脅かす不安に直面すると、早期口愛的態度へと退行する傾向を強めます。そして、内在化された乳房―母親へとリビドーを向けるのと同様に、他の対象とも同型の関係を築いていきます。その結果、内的世界が過剰に価値づけられるようになるのです。
リビドー的態度を向けると対象を空っぽにしてしまうという不安
早期口愛期にみられる合体的な性質には、対象を空っぽにしてしまう、あるいは破壊してしまうのではないかという不安が伴います。発達の進行とともに、そうした事態は現実には起こり得ないことだと理解されるようになります。しかし、母親が自分に価値を置いていないと感じられたとき、この不安は再び活性化します。
後期口愛期には、噛みつくという姿勢、すなわち憎しみが前景化し、早期口愛期の吸うという姿勢、すなわち愛とのあいだに分化が生じます。その結果、愛と憎しみのアンビヴァレンスな状態が形成されます。母親の愛を感じられないとき、後期口愛期に固着している子どもは、母親の愛情を破壊したのは自分の憎しみであると理解することができます。そうすることで、自分の愛そのものは良いものとして保持することが可能になります。
しかし、早期口愛期にとどまっている子どもは、自分の愛それ自体が破壊的であると理解します。すなわち、愛することそのものが対象を損なうのだと感じるのです。このような心的態勢は、スキゾイド・ポジションと呼ぶことができます。
彼らは、自分の愛は危険なものであると考え、それを内に閉じ込めます。同時に、自分に向けられる他者の愛に対しても防衛の必要性を感じます。いわば赤ずきんちゃんの物語にみられるように、愛が接近してくること自体が脅威として体験されるのです。
そのため、分化した攻撃性を対象に向け、喧嘩をしたり異論を唱えたりすることで他者を遠ざけようとします。このようにして、対象が自分を愛するのではなく、むしろ憎むように仕向けることで、自らを防衛するのです。
『人格におけるスキゾイド的要因』の解説
(1)フェアバーンの生涯

フェアバーンは1889年8月11日、スコットランドのエジンバラに生まれました。家庭は熱心なプロテスタントでした。彼は当初、弁護士を志してエジンバラ大学に進学し、哲学を学びました。その後、キール大学、ストラスブール大学、マンチェスター大学などに留学し、神学やギリシア語を学びました。
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、彼は兵役に志願し、パレスチナなどで従軍しました。このとき戦争神経症に苦しむ兵士たちを目の当たりにし、自身も戦争体験を重ねる中で、精神療法および精神分析を志すようになったといわれています。復員後はエジンバラ大学医学部に入学しました。在学中にはE・H・コルネルのもとで個人分析を受けています。1923年に卒業し、医師資格を取得しました。
卒業後は約1年間、王立エジンバラ精神病院で研修を積みました。1924年にはエジンバラで精神分析の個人開業を開始します。同時に大学講師も務め、1927年には学位を取得しました。しかし、大学内には精神分析に対して敵対的な雰囲気があり、1935年に退職しました。
また、児童クリニックで非行や虐待を受けた子どもたちの診療にも携わりました。こうした臨床経験は、後の愛情希求性などの理論形成に大きく寄与したとされています。
彼は正式な精神分析家としての体系的な訓練を受けていませんでしたが、その理論的功績が評価され、1939年に精神分析家の資格を取得しました。1952年には妻が死去し、同時期に悪性インフルエンザに罹患して体調を崩しましたが、その後回復しました。1959年に再婚し、1961年には一部の仕事を残して引退しました。そして1964年12月31日、大晦日に75歳で死去しました。
(2)スキゾイドの原因論
母親から無視されたり、逆に独占的に扱われたりすることによって、子どもは一人の全体的な人格としてではなく、部分対象として扱われます。その結果、被剥奪感や劣等感を抱えたまま母親に固着し、同時に自己愛的な態度や内的世界の過大評価を発達させます。
このときの母親の二つの側面は、「拒絶対象」と「刺激対象」として概念化され、のちにフェアバーンの精神構造論の中に組み込まれていきました。
このように考えると、幼児期早期は心的外傷と分離不安によって始まっているといえます。
(3)スキゾイドの特徴
スキゾイドの特徴として、まず挙げられるのは万能的な態度です。これは、自分の内的世界の中では全能であり、自分だけで完結できるという感覚に支えられた心的姿勢を指します。他者に依存せずに済むという感覚は一見自立的に見えますが、その背後には、依存することで傷つくことへの強い不安が存在しています。
次に、他者から孤立し、感情的に距離を取ろうとする態度がみられます。対人関係において深く関わることを避け、一定の距離を保つことで自己を守ろうとします。そのため、冷静で理知的、あるいは淡々としているように見えることがありますが、実際には情緒的な巻き込まれや喪失への不安が背景にあります。
さらに、外的現実よりも内的現実に没頭しやすい傾向も重要な特徴です。現実の対人関係よりも、空想や思考、内在化された対象との関係に重きを置きます。内的世界は安全でコントロール可能な領域であるため、そこに退避することで心的均衡を保とうとするのです。しかし、その結果として外界との接触が乏しくなり、孤立が深まることもあります。
(4)スキゾイドの3つの悲劇
- 自分の愛は愛するものを破壊してしまう
- 憎み・憎まれることへの強迫的な衝動によって駆り立てられながら、奥底では愛し、愛されることへの願望を常に持っている
- 愛によって破壊してしまうことよりも、憎しみによって破壊してしまう方がましである
上記の3つの悲劇は、スキゾイドの心的葛藤を理解するうえで重要なポイントです。
まず、「自分の愛は愛するものを破壊してしまう」という感覚です。これは、愛することそのものが相手を傷つけたり、空っぽにしてしまったりするのではないかという深い不安を意味します。とくに早期口愛期の体験に由来する心的構造では、愛することが合体や取り込みと結びつきやすく、その結果、対象を消耗させたり破壊したりするのではないかと感じられます。そのため、愛すること自体が危険な行為として体験されるのです。
次に、「憎み・憎まれることへの強迫的な衝動によって駆り立てられながら、奥底では愛し、愛されることへの願望を常に持っている」という点です。表面上は攻撃的であったり、他者を遠ざけたりする態度を取っていても、その内面には愛したい、愛されたいという強い願望があります。しかし、その願望を直接表現すると対象を破壊してしまうという不安があるため、結果として憎しみや対立を通じて関係を維持しようとするのです。
さらに、「愛によって破壊してしまうことよりも、憎しみによって破壊してしまう方がましである」という逆説的な心情があります。自分の愛が破壊的であると感じている場合、憎しみのせいで関係が壊れたと理解できる方が、まだ耐えやすいのです。憎しみは分化した攻撃性として意識化しやすいのに対し、愛そのものが破壊的だと感じることは、自己の根幹を揺るがすからです。
この葛藤は、早期口愛期における核心的な問いに集約されます。それは、「愛によって破壊することなしに、いかに対象を愛するか」という問題です。Love is Destructiveという命題が示すように、愛と破壊が未分化な段階では、愛すること自体が危険なものとして体験されます。スキゾイドの心性は、この葛藤を背景に形成されていると理解することができます。
(5)フェアバーンによる人格構造論

図はフェアバーンの人格構造を図式化したものです。
フェアバーンの人格構造論では、自我は生まれたときから存在する主体的な心的構造であると考えられています。自我はイド、すなわちエスから分化して成立する二次的な装置ではなく、最初から対象と関係を結ぶ存在として想定されます。そのため、フロイト理論におけるイドのような、本能的衝動の貯蔵庫としての独立した心的機関は認められません。心の根本にあるのは快楽原則ではなく、対象希求性です。すなわち、人間は快楽そのものを求める存在ではなく、他者との関係を求める存在であると理解されます。
この立場からすると、攻撃性もまた独立した本能ではありません。攻撃性は、対象との関係を求める愛情希求が挫折したときに生じるフラストレーションへの反応として位置づけられます。したがって、攻撃は愛の対極にあるものではなく、むしろ愛が阻まれた結果として生じる二次的現象と考えられます。
さらに、発達の過程で内在化された対象は単一ではなく、興奮させる対象と不満を与える対象という二つの側面をもって心内に取り込まれます。対象は常に両価的に体験され、その相反する性質が分裂した形で内在化されます。こうした矛盾する対象表象を処理するために、自我は分裂し、対象をなお求め続けるリビドー自我と、対象を拒絶し攻撃する反リビドー自我、いわば内的破壊工作員が形成されます。このようにして、人格の内部には分裂した自我と内的対象関係の構造が組織化されるとフェアバーンは考えました。
(6)フェアバーンの技法
フェアバーンの技法の特徴として、まずカウチの放棄が挙げられます。彼は、分析家が患者の背後に位置し、沈黙を保つ古典的な技法を、乳児の悲劇を見て見ぬふりをする親の態度になぞらえ、外傷的であると考えました。そのため、分析家はより応答的で関与的な姿勢を取る必要があるとしました。
また、治療においては構造的再構成を重視しました。患者の内的世界における葛藤や分裂を明らかにし、その構造を再編成していくことが目標となります。その過程ではドラマタイゼーション、すなわち心内の対象関係が治療場面で演じられる現象が重要な手がかりとなります。夢や自由連想にあらわれる登場人物は、単なる外的他者ではなく、分裂した自我の諸部分を示していると理解されます。
さらに、悪い対象の回帰を治療的にワークスルーすることが重視されます。転移の中に再現される悪い対象との関係を丁寧に扱い、それを反復的に検討し、乗り越えていく作業が中心となります。
最終的な目標は、良い関係の発展です。分析家との関係を通して、より統合された対象関係を形成し、外的世界においても安定した愛情関係を築けるようになることが目指されます。
まとめ
本稿では、フェアバーンの1940年の論文『人格におけるスキゾイド的要因』を手がかりに、スキゾイドを特殊な診断名に限定せず、人格の基盤に関わる心的構造として捉え直しました。スキゾイドでは、自我の分裂と内的対象関係が中核にあり、早期口愛期の体験を背景として、対象を求めながらも近づくことが危険であるという逆説が成立します。そのため、相手を部分対象として扱う傾向、与えることを枯渇として体験する傾向、内的世界への退避、そして愛が破壊に結びつくという不安が、対人様式や臨床像として現れます。これらは単なる性格特徴ではなく、対象を失わずに関係を維持するための防衛の体系として理解できます。フェアバーンの理論は、転移の中で回帰する悪い対象を扱い直し、良い関係の発展へとつなげるという治療の方向性を示しており、スキゾイド的心性の理解にとどまらず、臨床技法の基盤としても重要な示唆を与えます。
精神分析的心理療法では、理論理解だけでなく、治療関係の中で生じる情緒反応や転移・逆転移をどのように扱うかが治療の質を左右します。とりわけスキゾイド的力動が関与するケースでは、距離の取り方、関与の度合い、沈黙や言葉の重みが、治療の進み方に直接影響します。こうした臨床上の判断を支えるためには、治療者自身が内的対象関係を含む自らの心的構造を継続的に点検し、臨床場面で起こっていることを精密に言語化していく作業が欠かせません。
当オフィスでは、臨床家や、これから学びを深めたい方を対象に、教育分析とスーパービジョンを行っています。ケースの理解に行き詰まる場面、治療者側の感情が強く揺さぶられる場面、関係が停滞しているように感じられる場面などを、事実経過と治療者の内的体験の両面から丁寧に検討し、次の一手を組み立てることを目的とします。教育分析についても、臨床実践を支える基盤として、ご希望や状況に応じてご相談をお受けしています。ご関心のある方は、当オフィスの案内ページよりお問い合わせください。







