P,ケースメント『心の中のスーパーバイザー(1985)』要約と解説

臨床の場で治療者は、患者から転移の対象として投影されると同時に、現実の他者として関係を求められます。親密さと距離のいずれかに傾けば、治療過程は硬直し、解釈は講義や操作に近づいてしまいます。本論考は、パトリック・ケースメントの『心の中のスーパーバイザー』(1985)を要約・解説しながら、こうした緊張の中で治療者がどのように臨床的判断のバランスを保っているのかを、心の中のスーパービジョンという視点から考察します[1]。試みの同一化、遊び、焦点を合わせない傾聴といった機能が、解釈のタイミングや方向性の選択をどのように支えるのかを論じます。
目次
心の中のスーパービジョン:バランスを求めて
心の中のスーパーバイザーとは、外在する指導者の声をなぞるものではなく、治療者が臨床の只中で自らの思考と感情を点検し、判断を調整する内的な機能を指します。患者の語りや沈黙に圧倒されることなく、複数の可能性を保持しながら、解釈のタイミングや関わり方を見極める働きです。個人分析やスーパービジョンの体験を通して育まれ、治療者の自律性を支えます。
しばしば治療者は、患者から転移対象として投影を向けられますが、同時に現実対象としてもつながりを求められます。治療者は、遊んでいるわが子と一緒にいて侵入的でない母親のように、過渡的な存在、潜在的な存在であり続ける必要があります。これによって患者は、内的現実において、できる限り自由に治療者と関係を創ることができます。これは、潜在空間の世界で錯覚の概念を用いることに相当します。この空間を保持するために、治療者は、精神分析的に患者と親密でありながら離れている、離れていながら親密でもあるという、ダンス・デュエットのようなバランス感覚を身につけておく必要があります。
そのためには、スーパーバイザーや分析家からの支持によって授けられる後から考える力や先見力だけではなく、より即時の洞察をもって機能する能力を発達させる必要があります。内在化されたスーパーバイザーだけでは不十分であり、心の中のスーパーバイザーという観点から考えることが役立ちます。これらの点は、スーパービジョンを受けている訓練生がスーパーバイザーのアドバイスやコメントに頼りすぎ、その結果、患者との間にバリアを築いてしまうことがある、という事実から理解されます。
心の中のスーパーバイザーの成長
心の中のスーパーバイザーは、スーパービジョンの体験以前に起源があり、その成長はスーパービジョンの体験後も続いています。
(1)個人分析のあいだに
Sterba(1934)は、患者の自我のうちに「治療的自我-解離」ができるようにすること、すなわち、転移解釈によって「観察する自我」と「体験する自我」が育まれることが大事であると述べています[2]。治療者の個人分析においては、自身の中に「知的熟考の島」を見出す必要性を体験し、これが心の中のスーパーバイザーの源泉を築きます。
(2)スーパービジョンを受けること
スーパービジョンの機能は、以下の三つの段階に分けて考えることができます。
a.第一段階
研修生が初めて患者を治療するとき、理論として知っていること、自身の分析で体験したこと、書籍や論文など、利用できる資質は限られています。研修生が患者を分析的に抱えることを学ぶ間、スーパーバイザーはその研修生を抱えるという重要な機能を担い、これがのちに独立して働くための基礎となります。最初はスーパーバイザーからのアドバイスやコメントに研修生はかなり頼りますが、いずれは患者との作業の中へと統合されます。ときに、それらは借りてこられた思索の要素として侵入し続けます。
b.第二段階
スーパービジョンを受けている間に、内在化されたスーパーバイザーだけではなく、セッションの中で内省する力も獲得しなければなりません。知的熟考の島を用いることで、自分自身を見ることを学びます。
c.第三段階
訓練の終わりごろには、外界のスーパーバイザーと心の中のスーパーバイザーとの対話へと発展します。資格を取るに際して期待される、より自律性をもって機能することを、治療者自身が発達させていきます。
(3)正式なスーパービジョンなしに働くこと
治療者が初めて資格を得た後には、強化統合という重要な時期があります。真の分析家になるには、資格を得た後に少なくとも10年はかかり(John Klauber)、常に「なっていく状態」にあるべきである(Bion 1975)とされています[3]。資格を得るころには、治療者の中により自立した心の中のスーパーバイザーが形づくられますが、治療者が「なっていくこと」をやめたり、「到達した」と思ったりする時期は決してやってきません。
(4)スーパーバイズをすること
治療者が他の人たちをスーパービジョンする機会をもつようになると、これまでに過ぎ去ったことの多くを総括する、成長のさらなる段階に入っていきます。その流れは螺旋のようで、訓練や治療の初めに戻っていることに気づきますが、それはこれまで行ったことのないところでもあります。スーパーバイジーの作業を注意深く見ていくことは、治療者自身の作業を再吟味する無限の機会でもあります。相互交流という見地からスーパーバイジーの作業を追うと、患者がいかにきめ細かに治療者の作業を追っているかを痛感させられ、治療者が患者に対して無意識的に正体を示していることを理解できます。
(5)新たな反映
スーパーバイジーを通じて、より綿密に自分の作業をモニターしていくことが必要不可欠となります。疑問を抱くようなスーパーバイジーの介入方法に、自身がしばしば陥っていることに気づきます。この気づきが、技法を学ぶことや転移-逆転移関係の理解について、新たなサイクルに生命を吹き込みます。
試みの同一化
試みの同一化とは、治療者が患者の立場に身を置き、もし自分がその状況にあったらどのように感じ、考えるだろうかと想像してみる心的作業を指します。ただし、患者と同一化してのみ込まれるのではなく、自分に戻る往復運動を含みます。この往復によって、患者の体験を内側から理解しつつ、解釈や関わり方を吟味することが可能になります。
心の中のスーパービジョンの一部として、試みの同一化(Fliess, 1942)を用いることが役立ちます[4]。Reik(1937)は、治療者は、自分と似たようにではなく、自分自身と同じように他者の体験をともにする能力としての共感を発達させると指摘しています[5]。Money-Kyrle(1956)はこの点を、分析家が自身の無意識になじんでいることと結び付け、分析家の共感や洞察は、被分析体験によって理解される部分的な同一化(とり入れ型、投影型)によって可能になると述べています[6]。これによって、治療者は患者を内側から理解し、再投影して解釈を与えることができます。
自我のなかの治療的な解離の能力を発達させる必要があるのは、患者だけではありません。治療者もこの良性の分割を維持しなければならず、これによって治療者自身/患者、考えること/感じることの間を自由に動くことができます(=「自我に奉仕する退行」(Kris, 1950))[7]。分析家の意識的(合理的)思索と無意識的(一時的/不合理な)思索との境界を乗り越えるために、制御可能な退行を行うことで、患者の話を聞きながらもの思いにふける状態に入り、患者ならどのように感じるだろうかとモニターできるようになります。このように、「患者の靴を履く」ことで、そうしなければ見過ごされてしまう患者の対象関係のあり方の要素を拾い上げることができ、患者に適したことば選びや、解釈の焦点やタイミングを理解しやすくなります。
臨床実践を重ねるうちに、患者自身と治療者自身の二つの視点を同時に用いることができるようになっていきます。同時に二か所にいるこの能力は、一見矛盾している自我状態を統合する能力を治療者が発達させうるときにのみ成し遂げられます。ここで、心の中のスーパーバイザーの機能が花開き、それは自己分析以上のものであり、自己スーパービジョン以上のものです。
心の中のスーパーバイザーと遊びによる先入観への抵抗
心の中のスーパーバイザーと遊びについて考えるとき、「患者の遊ぶ領域と治療者の遊ぶ領域というふたつの遊ぶ領域の重なりのなかで精神療法は行われる。」(Winnicott, 1971)という指摘が示すように、遊ぶことは治療過程の中核に位置づけられます[8]。遊ぶことは心の中のスーパーバイザーの機能のひとつであり、この営みを通してこそ、治療者は患者の創造性をわかちあい、無意識の性質について知っていることと、早まった仮説の落とし穴との間のバランスを見出すことができます。
また、先入観に抵抗するという視点を幾何学からの類推で考えるなら、無意識の派生的なコミュニケーションが、たびたび防衛的な言及の型を用いていることを認識したうえで、そこで言及されている「オリジナルな」イメージや意味に、どれほど異なった版がありうるかを考える必要があります。
たとえば、長さの等しい三本の線からなる形で、六十度角が二つ、九十度角が一つあるものを理解しようとするとき、それを三角形と想定すれば、九十度角は置きかえられているもの、正三角形の派生的表象と考えることもできるでしょうし、直角に着目すれば、六十度角は置きかえられているもの、正方形の派生物として、「U」や「容器」、「ふた」といったイメージに結びつけて考えることもできるでしょう。このように患者のイメージと遊ぶ能力こそ、Bion が「もの思い」を用いることを語った際に奨励したものなのです。
焦点を合わせない傾聴
焦点を合わせない傾聴は、コミュニケーションの流れ全体に耳を傾ける均等に漂う注意を超える第一歩です。患者の語っていることから認識できる主題を抽出し、それらを表面上の文脈から一時的に切り離すことは、先入観を避けるのに役立ちます。心の中にある無意識の対称性を思い浮かべながら、同定された主題に耳を傾けていくと、異なった意味が浮かび上がるのを照らし出す助けになります。
たとえば、患者が上司が自分に腹を立てていると語るとき、その表現は、誰かが誰かに腹を立てているという一般的な構図へと置き換えて考えることができます。そこから、上司に対する患者自身の怒りである可能性、治療者が怒っているように見える転移への置き換えである可能性、あるいは患者が治療者に腹を立てている可能性など、複数の意味の広がりが見えてきます。このように、さまざまな潜在的な意味あいのあいだでバランスをとる作業は、心の中のスーパービジョンの正常な過程へと統合されていくことが必要です。
活動中の心の中のスーパーバイザー:応用練習
治療者が圧迫されていないときのほうが、臨床でのさまざまな選択を認識することを学びやすいと考えるため、ここでは臨床素材を「練習」に用いるつもりです。これは、何らかのモデルを示そうとしているわけではなく、治療者の「自由に漂う注意」を妨げることを許容するものでもありません。セッション中に心の中のスーパーバイザーがより無意識になじむようにするために、臨床素材をセッション外で用いることは価値があります。音楽家が音階や技法練習曲を練習するのは、それらが技法の自然な部分となっていくようにするためであり、精神療法にも同じことが言えます。そうすることで、最も必要なときに、心の中のスーパービジョンの過程がより着実に利用できるようになるでしょう。
事例は、40代前半の未亡人であるJ夫人と、男性治療者とのセッションです。あえてセッションの背景を出さなかったのは、ある素材がこれまでの作業からのある特別な記憶を呼び覚ますに任せておくことの有益性を描き出したかったためです。セラピーの進行をおおよそ見渡しておくことは絶対に必要ですが、同時に、必要に応じて想起されるよう横に置いておけるという、一見矛盾していることもまた必要です。
焦点を合わせない傾聴を用いて臨床素材と遊ぶにつれて、繰り返されているいくつかの主題があることに気づきます。ここで無意識の対称性を応用し、過去と未来は一次過程では等価でありうることにも注意を払います。たとえば、透視者という主題は未来のことを知りたいという願望に結びつき、近づき難い誰か、あるいは近づけない誰かというイメージは、夫や治療者、さらには治療そのものへと連なっていきます。また、終わっていないものという主題は、一部しか読まれていない本というイメージを介して、夫との関係や治療者との関係、あるいはその両方へと結びついていきます。さらに、プルースト『失われた時を求めて』は失われた時間という主題を喚起し、それは短く終わった結婚や治療、あるいは予定されている終結へと連想を広げます。父と息子の関係、すなわち親と子の関係という主題は、夫との関係や早世した実父との関係、さらには治療者との関係へと重ね合わされていきます。これらの連なりは、J夫人の幼少期、結婚、そして現在の治療へとつながっていくものとして理解されます。
解釈の選択:いくつかの例
先述の臨床素材への対応には、たくさんの可能性があります。心の中のスーパービジョンの仕事の一部は、患者と治療過程にとってもっとも有益と思われるものを査定することです。介入する前に「ためらいのとき」(Winnicott, 1958)を持てたならば、ひらめいたであろう選択肢を詳しく述べることで、いくつかの異なった可能性を示してみたいと思います[9]。
患者の発話量や衝撃に治療者が溺れていると感じなければ、ゆっくり考え直すことも、素早く働くこともできます。もし治療者が圧倒されていると感じるのであれば、その詳細な内容に途方に暮れる危険を冒す前に、そのコミュニケーションの形にまず耳を傾けてみることが、しばしば役に立ちます。
(1)細部を治療に結びつけること
ここでのおおよそ一般的な解釈は、患者のコミュニケーションの細部を治療に結び付けて再生することです。あまりに包括的すぎると、解釈ではなく講義になってしまい、どの部分がもっとも差し迫ったものかを鑑別するのに、患者が自身の手がかりを提供する余地を残さず、治療過程の進展が難しくなるでしょう。
(2)充ち足りた転移解釈
充ち足りた転移解釈とは、患者の現在の生活、治療関係、患者の過去の三要素すべてを含む、力動的に完璧な転移解釈です。心の中のスーパービジョンは、そのような解釈に対して予期性を指摘します。均等の取れた標準的な解釈を受けてきている患者は、彼らが語るどのようなことに対しても、治療者はまったく同じことをすると予期しています。「あなたがそう言うのではないかと思っていました」ということばは、解釈の予測性の証明であっても、正確さの証明にはなりません。留意すべきは解釈のタイミングであり、患者が必要としていることが明らかになるまで治療者が待てば、解釈はより確信をもたらすでしょう。
(3)もっとも深い不安
治療者があまりに早い時期に解釈すれば、患者には、治療者が「解釈のように感じるべきだ」と示唆しているように体験されるでしょう。患者が気づく前に、治療者が解釈の証しや想像できる原因などを分かっていると主張するなら、そうした仮定は患者の投影や転移として見なされるわけにはいかないでしょう。
試みの同一化を用いることで、無意識の探索への心の準備を患者に知らせてきているかどうか、また、セッション内でワークスルーをする時間がないまま無意識的課題を引き起こすだけになっていないかについて、より感覚を鋭くして評価できるようになります。
(4)解釈への架け橋を見つけること
患者自身に浮かんでくる考えの流れを妨げない解釈の仕方を見出すこと、患者の体験を先取りしないことがとても大事です。患者が語っていることを治療者が理解していると伝えるだけで、患者はずっと上手く続けていくことができます。解釈する代わりに、取り扱いやすい焦点をもたらす中間のステップを、治療者が探すことが必要なときがあります。これには、どの方向にも続けられる患者の自由さを、できるだけ保つべきです。
(5)もっとも差し迫った不安
解釈の焦点を合わせるやり方のひとつは、はっきりと示された切迫感にまつわることです。患者が語る内容の中でもっとも差し迫っている文脈は、事実と結びついています。ここで、試みの同一化は、解釈を与える前に少し待つよう促します。治療者が解釈を与えたいという願望に基づいて振る舞うと、患者は治療者に操作されている、あるいは誘惑されていると体験するかもしれません。半解釈から、患者は独自にこのことに行きつくかもしれません。
治療者は、患者が得そうなものと失いそうなものを天秤にかけなければなりません。もし治療者が患者の気づきを先取りしなければ、患者は独力でたどり着き、自身のものとして、よりはっきり受け入れるでしょう。一方で、もし患者の無意識的課題が否認されているなら、治療者が異議を唱えないことは共謀していることになるかもしれません。患者に直面化させるかどうかを決める前に、治療者は、患者が独力で認識しようとする心構えがどれほどか、また、無意識の抵抗がどの程度かを査定しておく必要があります。患者ごとに、ここにはさまざまな軌跡があるでしょう。
スーパーバイザーから心の中のスーパービジョンへ
外界のスーパーバイザーへの初期の依存から、内在化されたスーパーバイザーを経て、より自律した心の中のスーパービジョンへと移行していく過程は、ゆっくりとしたものであり、いつも着実であるとは限りません。
(1)心の中のスーパービジョンがないこと
有効な解釈の一つの指標は、患者から新しい素材が出てくることにあると、治療者は教えられています。しかし、治療者と患者との間に等しく試みの同一化を漂わせながら、相互交流という視点からその流れを追うと、まったく異なった見方へとたどり着きます。心の中のスーパービジョンがなく、試みの同一化が用いられない場合、セッションの焦点がそらされ、患者の防衛に共謀することになり、患者の無意識的なコミュニケーションが再演されるでしょう。
(2)内在化されたスーパーバイザーを使うこと
治療者が内在化されたスーパーバイザーに頼っている状態は、治療者として自律して機能できていないことを示しています。しかし、その次のセッションで、治療者が患者のヒントを認識し、それに対応する過程の中で、治療者自身の心の中のスーパービジョンを発達させ、用い始めていることも示されます。
(3)心の中のスーパービジョンを使うこと
治療者は患者の立場に身を置き、患者が感じていることについて思いをめぐらします。それによって、患者がどのような圧迫を感じ、そこからどのように身を守ろうとしているのかに気づきます。そして、これまでとは異なったアプローチをとることを心に決めます。試みの同一化を用いることで、患者とのやりとりの本質に気づき、患者が自発的にセッションを利用し始めるための基礎を置くことができます。
『心の中のスーパーバイザー』解説
(1)ケースメントの生涯

ケースメントは1935年に英国のウォルディンガムに出生しました[10]。4人兄弟の2番目で、上に兄が一人、下に妹が二人います。海軍の家系であり、父方の祖父は海軍提督、父は海軍大佐、兄は海軍将校でした。このこともあり、家族はかなり裕福でした。幼少期のケースメントは非常に活発であったとされています。8歳で寄宿学校に入学しました。寄宿学校ではやや適応に問題があったようですが、監督生に任命されてからは模範的な生徒に変わっていったようです。
その後、ケンブリッジ大学に進学しましたが、海軍には入隊したくないと考え、海軍とはまったく関係のない人類学と神学を専攻しました。大学卒業後は聖職者になるための訓練プログラムに入りますが、その間、レンガ職人見習いやトンネル工事夫などの仕事もしていたようです。その後、ケースメントは自分は聖職者には向いていないと考え、オックスフォード大学に進学して社会学を専攻しました。さらにその後、保護観察官の訓練に入りました。この時期に、ケースメントは恋人が余命わずかな病気にかかったこと、しかもその恋人が他の男性と結婚してしまったことから、精神的に破綻し、精神病院に入院しました。入院期間は3ヶ月でした。退院後に保護観察官の訓練を再開し、ケースワーカーとなりました。1966年、31歳のときに結婚し、二人の女児をもうけました。
ケースメントはその後、ロンドン家族福祉協会の家族ケースワーカーとして10年間勤務しました。さらに、英国心理療法家協会の訓練コースに入り、心理療法家への道に転身しました。その後には、英国精神分析協会の精神分析家訓練コースに入り、精神分析家を目指すことになります。この訓練コースでは、ハロルド・スチュアートに訓練分析を受け、アダム・リメンターニとジョン・クラウバーにスーパーヴィジョンを受けました。1977年、42歳のときに精神分析家の資格を取得しました。
1985年に最初の著作「患者から学ぶ」を刊行しましたが、当初はあまり反響がなかったようです。しかし、徐々に読者を増やし、世界中で翻訳されることとなりました。また、2002年に著書「あやまちから学ぶ」でグラディーヴァ賞を受賞しました。2005年、70歳のときにオフィスを閉鎖し、その後はスーパーヴィジョンと数ケースのみを担当するようになり、臨床ケースは受け付けを終了しています。
(2)ケースメントの理論
ケースメントの理論は、まず他者の他者性を尊重する立場から出発します。その人のことは、その人からしか学べないという前提に立ち、治療者は不確かさに身を置き、いつでもこころを開かれた状態でいることが求められます。ここでは、ことばだけでなく、ふるまいそのものによってもコミュニケーションが行われていることに気づく必要があります。理解し、関与するということは、相手の心的状態にこちらもなっていくことであり、いわばインパクトによるコミュニケーションが生じるということです。さらに、無意識の希望という観点から見れば、一見すると問題行動に見える行為であっても、それはかつて失われたものを取り戻そうとする試みである場合があります。良い対象や良い体験についても、それを与えることが目標なのではなく、単に見いだされるものにすぎないと考えられます。
また、患者はしばしば、耐えがたいものが分析家を破壊してしまうと空想するため、情緒を切り落とし、ただ語ることに終始しようとすることがあります。この意味で、患者は分析家を保護しているとも言えます。トラウマとは、一人では到底持ちこたえることのできない体験を指し、だからこそ関係の中で取り扱われる必要があります。しかし、患者を安心させることが、必ずしも患者を安心させることになっているとは限りません。患者による分析家への無意識の批判は、直接的な形ではなく、間接的であったり、比喩的であったり、あるいは逆転した形で表現されることが少なくありません。
一方で、分析家側の転移という問題もあります。過去の別の場面で役立ったことを、目の前の患者にそのまま適用しようとするとき、分析家はその患者を一人の個人として見ることに失敗していることになります。ここで重要になるのが、いわば両手を使って聞くという姿勢であり、複数の見方や解釈、道筋を見出していくことです。焦点を絞らない聞き方は、コミュニケートされている事柄に対して、より幅広く、可能性に満ちた感覚を強めることを可能にします。
解釈の方向性についても注意が必要です。現在から過去へと向かう解釈は、今ここでの関係から注意を逸らしてしまうことがありますが、過去を現在へと向け直す解釈は、いま抱えている困難に取り組むことを可能にします。分析空間は、持ち込まれたものによってプロセスが歪んでいく場でもありますが、同時に理論のための場所でもあります。理論は命綱ではあるものの、道標として指定されたルートをなぞるためだけに使うのではなく、むしろそこから離れて探索する自由を手に入れるためのものと考えられます。そして最後に、解釈する理由について言えば、私たちはしばしば患者のためではなく、分析家自身のために解釈をしていることがある、という点にも自覚的である必要があります。
まとめ
本稿では、心の中のスーパービジョンを、転移的投影と現実的要請のあいだで治療者が親密さと距離のバランスを保つための内的機能として整理しました。これは後から考える力だけでなく、セッション中に働く即時の洞察を含みます。その形成には、個人分析での観察する自我と体験する自我の分化、スーパービジョンの段階的学習、資格取得後の強化統合、さらにスーパーバイズ経験による反復的な学びが関与します。試みの同一化、焦点を合わせない傾聴、遊びの機能は、無意識的コミュニケーションを複数の可能性として保持し、介入と解釈のタイミングを見極める支えになります。
心の中のスーパービジョンは、知識だけでなく、治療関係の揺さぶりを内省と検討に結び付ける反復によって育ちます。転移・逆転移、解釈のタイミング、沈黙やインパクトの扱い、圧倒される局面での足場づくりなどは、教育分析とスーパービジョンを通じて臨床の言葉として整え直されます。臨床を精密に見立て直したい方、介入が講義や防衛に傾く感覚を点検したい方は、教育分析やスーパービジョンの利用をご検討ください。守秘を前提に、個別の臨床課題に即して支援します。
文献
- [1]:パトリック・ケースメント(著)松木邦裕(訳)『患者から学ぶ―ウィニコットとビオンの臨床応用』岩崎学術出版社 1991年
- [2]:Richard Sterba’s (1934) “The fate of the ego in analytic therapy.” Journal of the American Psychoanalytic Association, 42(3)
- [3]:クリス・モーソン(編)福本修(訳)『ウィルフレッド・R・ビオン ブラジル講義 1973-1974』誠信書房 2025年
- [4]:Fliess, R. (1942). The metapsychology of the analyst. The Psychoanalytic Quarterly, 11, 211–227.
- [5]:Reik, T. (1936). Surprise and the psycho-analyst. Kegan Paul.
- [6]:E.B.スピリウス(著)松木邦裕(訳)『メラニ-・クライン トゥデイ: -臨床と技法- (3)』岩崎学術出版社 2000年
- [7]:Kris, E. (1950). On preconscious mental processes. The Psychoanalytic Quarterly, 19, 540–560.
- [8]:D.W.ウィニコット(著)橋本雅雄、大矢泰士(訳)『改訳 遊ぶことと現実』岩崎学術出版社 2015年
- [9]:D.W. ウィニコット(著)『小児医学から精神分析へ―ウィニコット臨床論文集』岩崎学術出版社 2005年
- [10]:P.ケースメント(著)『道のりから学ぶ―精神分析と精神療法についてのさらなる思索』岩崎学術出版社 2021年






