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心理学草案

脳の中の心を知る

S,フロイトの1895年の論文「心理学草案」についての要約と議論です。心と脳機能を結び付けて、人間を解明しようとしたフロイトの意欲作です。

本論文は1895-99年――心理学草案 遮蔽想起  (フロイト全集 第3巻)に収録されています。

1. 心理学草案の背景

(1)出版までの経緯

「心理学草案」は、フロイトが執筆途中で放棄して未完成に終わり、その後も公表されることはなく、生前には言及されることもなかった論文である。この論文が出版されるまでの経緯は以下の通りである。

「心理学草案」は、友人フリースの死後、フロイトが彼に送った書簡の中から発見された手稿である。1895年にフロイトが送った書簡にはこの草稿に対するフロイトのすさまじい情熱、しかし次第に苛立ち、焦りなどがみてとれる。1896年1月の手紙では、この論文に対する推敲、修正する試みを行っているが、その手紙以降、この論文についてはフロイトの心からもフリースの視野からも50年もの間その姿を消した。1927年にフリースが亡くなった後、その未亡人がこの「草稿」を発見した。フリースの妻はこれをゲシュタポから隠蔽するためにパリの本屋に売却した。

その後フロイトの弟子であったマリー・ボナパルト夫人がこれを高額で買い取り、それをきいたフロイトはそれを取り戻して破棄しようとしたものの、婦人は学問的価値をもつと確認してウィーンの銀行に預けたという。ナチス占領下ではパリに持ち帰り、今度はパリのデンマーク公使館に預け、第二次世界大戦中にドイツ軍がパリに侵攻してきたときは、彼女は巧妙な方法でロンドンに送った。その際、貨物船が潜水艦に沈められる可能性があると憂慮して、防水までして送ったという。こうして、最後にロンドンに送り届けられ、保管されフロイトの死後、1950年に発表された。

以上のような手紙群の発見・保管は奇跡的なものだったと言える(衣笠,2008)。

(2)神経学との関連

ヒステリー研究」の出版と同時期(1895)に書かれた論文。脳生理学と深層心理学とを結び付けようとするフロイトの野心的で難解な論考であるが、その後もフロイトが研究の骨子としてその理論に反映させていったことが明らかとなる重要論文である(衣笠,2008)。

「心理学草案」が執筆された1895年頃は、フロイトがブロイアーやシャルコーの影響でヒステリーに関心を持ち、催眠、浄化法、前額法などを積極的に使用していた時期である。またこの頃、フリースとも緊密な交流を重ねており、フリースとの手紙の中ではフロイトの自己分析が報告されている。さらに1895年3月4日の記録にフロイトが最初に分析した夢の報告があり、そのときすでに夢の願望充足についての論考が見られる。

1881年にウィーン大学を卒業したフロイトは1885年までマイネルトの解剖学研究室で、主に延髄の伝導路に関する組織学的研究を行ったり、ウィーンではじめて急性多発性神経炎の診断をしてそれを実証したりしていた。また1885~1886年、パリのシャルコーのもとに留学し、帰国後は小児神経学の先駆者となり、ヨーロッパにおける神経学者としての地位を不動のものとしていた。しかし一方で、シャルコーやブロイヤーの影響のもとに、次第に神経症の治療に関心を向け始め、1884年~1887年にかけてはコカインによる神経症や鬱病の治療を企て、それと同時に局所麻酔剤としての使用を歴史上最初に試みた。さらに1887年からは、ヒステリーの治療に催眠を用いるようになり、やがて1892年から1895年にかけて、催眠暗示、浄化法、前額法といったものを試みながら次第に催眠を放棄し、彼独自の自由連想法への確立へと向かっていった。

当時のフロイト(1895~1896年)は、自身の精神療法的観察に基づく精神病理学的理論を、純粋な心理学的過程と概念によって構成するような彼のそれ以後の精神分析的理論に向かって踏み出す決断をしかねていた。この「心理学草案」はフロイトがすべての心理現象をニューロンの働きとの関連性で説明しようとした努力がみられ、こういった理論構成上のフロイト自身の迷い、また医学者(生物学者)としての同一性を貫くか、精神療法家(心理学者)としての新しい同一性を確立していくかの、迷いの中で執筆されたものといえる。

2.心理学草案の概要

本論文では、心的過程の全体を一つの慣性系と見なし、その土台にニューロンシステムを考えて、意識や記憶を始めとする心的諸現象をその上に位置づけている。

(1)第一公理と第二公理

量を表す記号としてQとQ’ηを導入。Qは知覚のエネルギーとして外的世界から感覚器官などを介して神経系へと侵入してくる量(外的量)であり、Q’ηはニューロンを備給する量、ニューロン間を流れる量である(心的量)。ニューロンはQから免れようとする(慣性の原理)。

このQ’η理論をニューロンの知見に組み合わせると、細胞体あるいは細胞突起で受容し、軸索から放散する、という流れを想定できる。一方、ニューロンにはQ’ηの蓄積という機能もあり、接触部分に抵抗を想定することができる(接触障壁)。

(2)接触障壁

接触障壁を想定することでニューロンを2つのクラスに分類することができる。

  1. φ…外的知覚に関わる。透過性があり、抵抗を行使せず、何も保持しない。
  2. ψ…記憶に関わる。非透過性で、抵抗を帯び、Q’ηを保持する。

ψは興奮の通過によって持続的に変化する(非透過性が減じ、φに近づく)。このことは通道の程度と呼ばれ、記憶はψニューロン間に存在する通道(の差異)によって体現される、と言える。

通道は印象の大きさと反復回数に依存し、通道を作り出すことによってQ’ηの充足(保持?)を部分的に免れることができる。

(3)痛み

痛みとは大きなQがψに向かって侵入してくることにある。痛みは①量が増大するとき、②外的Qが神経終末装置を通じてではなく直接ψの終末に作用するとき、という二つをきっかけにして生起する。痛みは接触障壁の抵抗を完全に破棄し、φのような伝導路を確立するかもしれない。

(4)質の問題と意識

意識は、質(感覚)を提供する。質(感覚)は外部からも、φからも、ψからも生まれない。そのためωという第三のニューロン系が存在すると仮定される。ωは知覚の際は一緒に興奮するが、再生のときは興奮しないという特徴があり、ωニューロンは他と同様、放散は運動性の側に向かい、Q’ηはψから満たされると考えられる。

意識の内容は感覚だけでなく、快・不快感覚の系列がある。不快はQ’η水準の上昇あるいは量的圧力の亢進であり、快は放散感覚である。

(5)装置の機能、伝導路、充足体験

ψニューロンは①φから備給を受ける外套ニューロンと②内因性の伝導路から備給を受ける中核ニューロンに分けられる。身体内部からψニューロンへと直接経路が通じているため、ψは無防備な形でQに曝されており、ここに心的機制の原動力がある。ψの中核ニューロンが充実されると、以下の放散努力が生じる。

  1. 内的変化への軌道(赤ちゃんが泣く)。しかしこうした放散は負荷を軽減する効果は持たない。
  2. 他からの援助によって特異的行為が生じる(母乳が与えられる)。
  3. 他の個体が外的世界での特異的行為を行うと、無力な個体は反射の仕組みを通じ、内因性の刺激除去に必要な働きを自分の身体内部において遂行することができる(飲む、吸う)→充足体験。

(6)情動と欲望状態

情動は分泌性ニューロンからの突然の迸出によって生起する。欲望は内因性刺激の加算によって生起する。欲望状態は欲望対象への魅力が生じるが(一次的な欲望吸引)、痛み体験は敵対的対象への反発・嫌悪が生じる(一次的な防衛)。

(7)「自我」の導入

内因性のQ’ηが特定のニューロンに規則的に受容され、そのニューロンから通道作用が発すると、特定のニューロングループが生み出される。それが常に備給され、二次的機能に要求される貯蔵の担い手となる。これが自我である。

(8)ψにおける一次および二次過程

自我が欲望状態にあるとき、対象は現実ではなく空想表象に存在しているので、充足は起きない。ψは現実と空想表象の区別がつかない。敵対的想起像から生じる不快を側方備給によって妨害するためには、ωニューロンの指標が必要である。知覚と空想は自我によって区別される。

幻覚に至るまでの願望備給と十分な防衛の消費を伴う不快の完全な発展を一次過程という。一方、自我の適切な備給によってのみ可能となり、一次過程の調節を示すような過程を二次過程という(現実指標が正しく用いられ、自我制止が機能している)。

(9)想起することと判断すること

欲望備給と知覚備給が食い違っている場合、思考作業行われる。まずQ’η流れは呼び起こされた想起に向かい、目標を欠いた想起作業を作動させる。続いてQ’η流れは新たに出現した構成部分に留まり、同じように目標を欠いた判断作業を体現する。知覚複合体は自身の身体情報へ帰着できる部分(想起)と、そうでない部分(判断)に分けることができる。

(10)思考と現実

思考過程の目標は何らかの同一性をもたらすことである。判断は身体備給との同一性を、再生は自身の心的な備給との同一性を求める。判断は自身の身体経験、感覚、運動像に基づいている。

(11)睡眠と夢

ψの一次過程は睡眠中に目にしているものである。睡眠の条件はψ中核における内因性の充填の低下であり、自我の脱備給と言える。夢の特徴は以下の通り。

  1. 夢は運動性放散を欠いている。
  2. 夢における諸要素の結合は、一部は矛盾しており、一部は意味薄弱である。
  3. 夢の表象は幻覚の類であり、意識を喚起し、信憑を見出すものである。
  4. 夢は願望成就であり、充足体験に向かう一次過程である。
  5. 夢が他の一次過程に比べて、記憶に残りにくいことと有害さに乏しいことである。
  6. 意識が夢の中でも覚醒時と同様に、支障なく質を提供することである。

(12)事後性

場面Ⅰエマは現在、一人では店にいけないという強迫のもとにある。12歳のころ、買い物にいきそこの店員二人が笑いあうのをみて、何らかの驚愕の情動に駆られて店から走り去った。このことに関して呼び起された考えは、二人は彼女の服装をみて笑ったのだということ、店員の一人が性的に彼女を気に入ったということである。

場面Ⅱ二つ目の思い出:八歳のころ、店にお菓子を一人で買いに行った。店主が衣服の上から彼女の性器をつまんだ。彼女は二度目も見せに出向いた。ここまで話して彼女はあたかも襲われるのを挑発したかったかのように出向いた自分を責めた。

店員の笑いは彼女が八歳のときに店主が自分を襲ったときに浮かべていたほくそえみを思い出させた。状況はさらに似ており、またも店に一人でいる。8歳のときの思い出が想起されたが、あれから彼女は性的成熟を迎えていた。想起は、性的排出を喚起し、これが不安に変換された。フロイトによると、特に8歳までは、性についての認識の薄さのために、性的体験の想起は抑圧される。そして性的経験はしばしば、事後的に別の作用を受けて初めて、心的外傷になる。患者が最初の心理的外傷の性的性質を知らなかったことをプロトン・プセイドス(ヒステリー者の最初の嘘)(実際には、「最初の嘘」というよりも「最初の誤謬」という意味をもつ)とフロイトは呼んだ。

(13)メタサイコロジーの源流

心的過程の全体を一つの慣性系とみなし、その土台にニューロンのシステムを考えて、意識や記憶を始めとする心的諸現象をその上に位置付けていこうとしており、のちのフロイトのメタサイコロジーの源流がこのテクストの中にみてとれる。

3.心理学草案についての議論

フロイトが自身の同一性に悩み、自身のオリジナルな考え方をつくっていく大きな転換期に書かれたものといえる。心理現象を神経学的で説明しようとした試み、またすでにメタサイコロジーの起源がこの草稿の中にみられるというのは驚きである。記号の多用からは、ビオンもフロイトから大きな刺激を受けたのだろうか。1896年には父親の死、1900年にはフリースと最後の「会議」をもっており、フロイトの人生最大の危機の中、それを乗り越え精神分析を確立していった過程を考えるだけで感慨深い。

この草稿が書かれた時期にはすでにフロイトは精神療法的アプローチをしていたわけだが、この論文のどこまでが彼の精神療法的な実践に基づいたものなのか、どこまでが神経学者としての経験や知識によるものなのか。

最新の脳科学や神経学、生理学とフロイトの考えた理論との整合性はどの程度あるのか。そして、脳とこころの関係について、心理療法に携わる者が、脳や神経学について知識をもっていることの意義はどんなところにあるのか。素因・遺伝なども?

エビデンスベイスドと言われることが多いが、精神分析的な観点を持ち続けることの意味はどんなところにあるのか。自分自身を振り返ると、面接の中で、分析的な視点から理解をしたら役に立った、相手を以前より理解できたという実感があって、その有効性を確認している気がするが、それを他の人に説明したり、共有したりするのは難しく苦しむことが多い(特にカルテに記載するとき、Drに説明するときなどの工夫など)。

「心理学草案」に対しては批判的なものも含めて様々な評価があるらしいが、(現代に比べて)脳生理学の分野が発展途上であった当時において、それでも当時の知見をフルに活用し緻密に論考されている本論文からは、脳生理学と心理現象との関係を説明しようとするフロイトの熱意を感じた。さらに精神分析創始以前と呼べる時期に、これだけの構想がフロイトの中にあったことも驚かされた。「ヒステリー研究」などに見られる治療者としてのフロイトではなく、科学者としての(科学者であろうとする)フロイトが見られる論文だと思った。

本論文からはフロイトの綿密な論考が感じられる一方で、この論文が未完のままフリースへ送られ、その後も公表されなかったことについては様々な推測をすることができるように思う。勉強会ではこの論文に対するフロイトの思いや公表されなかった理由について議論できればと思う。またこの論文は(個人的に)難解な箇所がいくつかあったので、勉強会参加者同士で分からなかった部分を取り上げ、互いの理解を高めていければと思う。

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