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オットー・ランクの出生外傷論について

オットー・ランク(著) 細澤仁、安立奈歩、大塚紳一郎(訳)「出生外傷」 みすず書房 1924年/2013年を読んだ感想を書きました。

1.はじめに

タイトルのドイツ語では、das trauma der geburtとなり、以前は出産外傷と訳されていました。しかし、これでは出産する母体が傷つくような意味となってしまうため、出生外傷の方がより実態に即した訳と言えるでしょう。出生外傷という言葉は精神分析業界ではあまりにも有名ですが、今までその訳本がなかったのは不思議に思えます。

カウンセリングにおいては短期精神療法の先駆けとなったいった反面、精神分析から破門されたという歴史があるからでしょうか。フェレンツィのように発禁扱いレベルといっても良いかもしれません。

2.出生外傷の提起

第1章ではフロイトの父親重視を超えて、母親との関係重視について書かれています。この一つの原型が母親との分離、即ち出生であり、それが外傷になります。すると出生外傷は象徴レベルの話では分離不安となり、具象レベルでは身体言語を使い、出生外傷ということができるでしょうか。そして、この出生外傷が人間の根本のところにあり、それを明確に目的的に扱うことにより、治療を短期で終わらせることができる、とランクは主張しています。あまりにも有名な論点が既に1章から展開しています。

ランクは子どもの様々な不安は出生外傷の置き換えであると論じています。そして、これらを遺伝的要因から説明することは不適切としています。子どもにとっての第1の外傷はもちろん出生です。さらに、第2の外傷は離乳であり、第3の外傷は去勢としています。フロイトが重視した去勢はここでは3番目となってしまっています。

第2章では、母体回帰空想について論じられています。死ぬことも母体回帰であり、憧れとなります。一方で、やはり死ぬことは恐怖の対象でもあるのは、出生における外傷の反復を惹起させるからかもしれません。「性的結合において頂点に達する性愛とは、母親と子どもとの間の原状況の部分的再建に向けた際立った試みだということが分かる」とランクは述べています。

3.出生外傷からみる文化、宗教、神話

第4章では、人間の様々な神経症症状や精神病症状の原型はほとんが出生外傷に行き当たるとしています。いずれもフロイト流の症状による象徴言語的な解釈から導き出されているようですが、1920年代という時代を感じさせます。

第5章の、文化的営み、宗教的儀式、神話等はほとんどが母体回帰空想や出生外傷を象徴的に表したものであるとランクは述べています。ここでは日本の天皇制にまで言及されていたのは驚きでした。ランクは宗教、文化、神話、芸術は出生状況のことが表現されているとしています。この出生状況をエディプス状況に変えるとフロイトと言っていることはさほど変わらないかもしれません。そういう意味でランクの論点は二番煎じ的であり、正直あまりワクワクしませんでした。

第9章では、哲学のこれまでの歴史の中で、出生外傷を原点として、思索がなされてきたことを示しています。

さらに第10章では精神分析的思索の中に出生外傷の概念を入れ込もうとしています。そういう意味ではランクの野心が伺えます。

4.精神分析の短期化

ランクは原外傷である出生状況さえ精神分析的に扱えば良くて、その他のことを扱っても無意味であると言い切っています。そして、「精神分析の期間中、転移とその解消の中で、出生外傷を反復させ、理解させること、そして精神分析家からの切り離しの際には患者に出生外傷を反復させないこと」が必要であるとのことでした。

精神分析治療は開始当初から終結に向かって進んでいきます。これはすなわち最初から分離、出生状況を目しているということのようです。その過程で、先ほどのような出生状況や出生外傷を扱うことが必要であり、その他の、例えばエディプス状況などは副次的なものであるとしています。そういう意味で体験重視というよりはかなり操作的な印象を受けます。

5.ランクの生育歴から

解題に進みます。ランクは元々、ローゼンフェルトという姓だったとのことでした。しかし、後に戯曲「人形の家」のランク医師から名前を取り、19歳でランクと名乗るようになったそうです。そして、25歳の時に戸籍変更をしています。これは暴力的な父親との葛藤が背景にあるのでしょう。そして、ランクのフロイトに対して熱烈な敬愛ぶりでした。その姿はカルト宗教的とも思えるほどです。そこまで入れ込めるというのはある意味では羨ましいといえなくもありません。

ちなみにランクは誰から教育分析や個人分析、スーパービジョンを受けたのかははっきりしていません。

またランクは出生外傷の発案によって精神分析から離反していった、というのがよく聞く話です。しかし、実際には出生外傷という着想が精神分析には受け入れられなかったから、というだけではないようです。というのもフロイト自身が当初は全面的ではないとはいえ出生外傷を認めていましたから。それよりもジョーンズやアブラハムなどの兄弟弟子との軋轢も大きかったようです。

ランクはフロイト以後の流れである父親より母親、エディプスよりプレエディプスをいち早く重視していました。このことからラドニツキィという精神分析家は「ランクは実質的にクライニアンであった」とまでいっているようです。