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N,コルタート『楽しみながら生き残る(1993)』要約と解説

N,コルタートが1993年に発表した論文『楽しみながら生き残る』の要約と解説です[1]精神分析的精神療法を仕事とすることは、しばしば専門職としての充実感と結びつけて語られますが、その実際は情緒的にも心理的にも大きな負荷を伴う営みです。トレーニングの過程、経済的・時間的制約、家庭生活との両立、さらに教育分析やスーパービジョンからの別離や終結といった局面は、いずれも臨床家にとって避けがたい試練として立ち現れます。本論考では、コルタートの視点を手がかりに、これらの困難がどのように臨床家としての成熟と結びついていくのかを検討していきます。

精神療法家の苦難

精神分析的精神療法を仕事とする生活は、情緒的にも心理的にも大変なものです。その苦難の性質を考えれば、生き残る(survival)という言い方は妥当なものだと言えるでしょう。楽しみながら生き残る(survival-with-enjoyment)ことは、ある種の問題と出会い、それが解決されるというニュアンスを含んでいます。忍耐や緻密な工夫、労力を必要としますが、それらが実って過去のものとなるにつれて、特別な満足が得られるような苦難です。

「精神療法」という構造それ自体が、特殊な苦難を否応なしに含んでいます。そこにある問題は克服不能であり、精神的な困難も本物です。この(精神療法という)構造における苦難とは、ある種の孤独であり、また、何かしら治療的助けが見いだせるだろうという希望―もしくは信念に基づいて、自分自身を他人の内面の苦痛に主体的に捧げ続けることから生じる情緒的重圧のことです。

私たちは、自分たちが自分自身でそれに取り組もうと決めたのだと自覚しています。私たちは、私たちの苦難を理解してくれるごく限られた人たちにだけ、愚痴や不平を言うように慎重に気を付けています。私たちは、仕事そのものが豊かな満足の源になりうると知っています。だからこそ、最大限楽しく生き残る方策を探すことに興味があるのです。

この本は、たんなる「How To」本ではなく、これからの苦難の「危険地帯」についての大まかな地図であり、「今までのところ楽しみながら生き残っている先人」からの情報でもあります。

トレーニングを生き残る

「精神療法家になること」と「精神療法家であること」は根本的に異なります。「~である」段階の初期は最も厳しい時期であり、「~になる」段階は穏やかな道のりです。精神療法家は、年を取ってから新たに認定される専門職だと言えます。精神療法家が新たに資格を取得するのは、おおよそ30代か40代になる頃です。

第一段階の「精神療法家になる」では、細心で綿密な体制が、過保護な母親のように研修生を取り巻いています。第二段階の「精神療法家である」になると、この綿密に支えられた体制は、徐々に、あるいは突然に、すっかりなくなり、研修生は独立することになります。自信と責任のある中年期の成人として世間に戻る一方で、トレーニングから経験不足で裸のまま表に出ることになるという、主観的な矛盾を体験します。

力動的精神療法家や精神分析家になるトレーニングをしている研修生は、他の分野の学生とは異なります。私たちの研修生は、すでに医学、心理学、ソーシャルワーク、人類学、時にはもっと周辺の分野の大学を卒業し、少なくとも学士を得ている人たちです。研修生の中には、再び勉強する立場になり、与えるより受ける側になったことを新鮮に感じ、少なくとも人生のひとときを正式な責任から解放されたことを喜ぶ者もいます。私は、こうした喜びを享受することが、生き残るのを助けるように思います

経済・時間・家庭の苦難

トレーニングには多大な費用と時間を要するため、自分で始めたことなのだとしっかり自覚しておかないと、苛立ちの原因になります。研修生は、標準型精神分析か濃密な精神分析的精神療法を受けることになります。それに加えて、週の2、3日の夜は講義やセミナーがあり、全トレーニングの最後の2年は、トレーニングのために無料で患者に精神療法を行い、その各々の症例について異なるスーパーバイザーに毎週相談するため、さらに数時間の無給の時間が増えます。

古典的な精神分析家の訓練よりも、精神分析的精神療法家の訓練は求められるものが少ないとはいえ、十分に厳しいものです。訓練のために自分や患者の治療に必須とされている頻度は週3日ずつですが、精神分析的精神療法家をめざす研修生の多くは、標準型(週5回)の精神分析療法を受けようとします。トレーニングを終えて独立独歩の生活をしていきたい―いえ、取り戻したい―という目標に向かっている研修生にとっては、「生き残る」という表現がふさわしいと言えます

既婚の研修生にとっては、家族との時間が犠牲になる可能性があります。古参の精神分析家の中には、「精神分析」に全力を尽くせば研修生の抱える問題はどれも乗り越えられるとでもいうように振る舞う人もいますが、これはナンセンスです。使命感(vocation)は強固なものかもしれませんが、継続するための困難は恐ろしく現実的なものです。教育精神療法や教育分析で家庭が破綻することもあります。

精神療法の指導者の中には、精神分析が精神的な病すべてに対する至高の治療だと言わんばかりに、研修生の家族も精神療法や精神分析を受けるのがよいという人がいますが、それは研修生にさらなる負担となり、助けになるとは思えません。

「楽しみながら生き残ること」は、かなり工夫したり、初めの決心の背後にある強い使命感によって達成可能ですが、現実には大変なことです。しかしながら、「精神分析」を理想化する独特の傾向や、そこから生じる諸々は、なかなか解消するものではありません。

分析を理想化する傾向はどうしても育まれるものです。しかし、彼らが資格を得て間もなく、その理想化は減少し、ときに全く消失します。それがまったく正しく、望ましいことである点は注目に値します。理想化は、トレーニングが持つ幼児退行的な効果と不可分です。研修生はみな自分の精神療法を受けており、それによって退行的な方向に引っ張られます。さらに、有望な研修生は往々にして安定した性格の持ち主ではなく、「普通の」人が優れた治療者にはなりにくいことは、私たちの業界の定説になっています。

使命感

森の中の線路を歩く女性

「使命感(vocation)」という考えを使う際、私は、個人がまったくその人にとって正しいと思える目標を追求する時の、深い感情に根差した知性的な信念について述べているのであって、宗教的な考えによるものではありません。

この特別な生き方が自分自身にとって正しいという強い感覚は、使命感と呼ぶにふさわしいものです。楽しみながら生き残るという経験の源泉は、こうした使命感にあふれた性向にあるのだと思います。使命感を達成するには、大変な苦難に持ちこたえる必要があります

大量の文献を生き残る

自分を信じろ

現代では、大量の文献が毎週のように増えています。研修生は空き時間が限られているので、必読書リストは最小限にすべきです。修了年次の研修生は技法についての助けが必要だと痛感しはじめるので、フロイトの技法に関する5、6篇の論文(1912-14)だけを読むとよいでしょう。もし訓練期間中に研修生ができるだけ多くフロイトの文献を読めたなら、少なくとも他の膨大な文献の基盤となったものを取り入れることができると言えます

トレーニングや教育精神療法からの別離

ジョギングする二人

認定を受けた後、研修生がそれまで受けていた配慮や関心は消え去ります。多くの研修生は、それらを失って初めて、その喪失の大きさを理解します。資格認定後も数年続くことが多い教育精神療法の終結は、最も辛い離別になります。それぞれの研修生には、トレーニング期間中、進行アドバイザーがあてがわれます。それは教育分析家やベテランの教育精神療法家が担い、生活指導チューターのような機能を果たします。そのアドバイザーとの関係は、資格取得と同時に終わりを告げます。

トレーニングのためのケース・スーパーヴィジョンの扱いはスーパーバイザーによってそれぞれですが、研修生が資格を取得したら、すっぱりとスーパーヴィジョンを終えるSVorもいます。精神療法は基本的に自己への信頼を基盤とした技術です。なるべく早く訓練という繭から出られたほうが、より早くそのことに気付くことができます。

完全にそのことに気付くのは、自分の教育分析や教育精神療法が終わるときでしょう。これら一連の喪失体験を生き残ることは、精神療法家としての自分の人生の中で、最も大変な過程になりえます。それまで注ぎ込んだ情緒を回収し、それを再配置しなければなりません。この別離はとても生々しく、多くの場合、その人の人生の中で最も重要だった関係との別離に次ぐものです。

治療終結についての論文で、フロイトの「終わりある分析と終わりなき分析」(1937)[2]を超えるものはありません。患者と治療者との/研修生とSVorとの重要な関係性は、それに関わる二人ともが本気で取り組まないと、成り立ちも「機能(work)」もしません。精神分析的精神療法の中で経験するすべての感情はリアルなものであり、精神療法の作業や洞察を通じて得られる心の領域の拡大も本物です。また、転移の強度やその(幻想上の)力もまたリアルです。あらゆる意味で独特であるその関係は、独特な意図のもとで終結を迎えます。終結は、まったくもって人為的なものです。終結は、患者が私《治療者》からの自由を得るために、できるだけ完全なものであるべきです。治療過程全体に本来備わっている、この深刻な喪失における意図的で、初めから予期もされている性質を強調したいと思います。

どんな分析や長期の精神療法でも、終結期に短期間の症状の再燃が起こったり、患者の人生の別離体験がワークスルーされる可能性をもって情緒的に呼び起こされたりすることが認められます。終結のこうした喪失体験こそが、ある経験の次元から別の次元に移行する変化の特別な構成物です

喪と成長としての終結

肩を抱く女性

力動的な精神療法は、辛い別離の痛みへの強さや柔軟さ、対処能力の向上といった自我の変化をもたらします。精神療法は、喪の仕事をするためのより適切な能力の下地を準備するものであり、それによって自我がもっと柔軟に感情を許容できるようになります。そのため逆説的ではありますが、喪失感情は以前よりも痛々しく感じられます。フロイトやその他多くの論者が主張するように、分析やそこから派生した治療法は、人を現実からかくまうためではなく、現実をより豊かで、より扱いやすくするためのものです。「やすらげるコンテイナー」に入り込むことが不可能になるという終結による苦痛、離別する時の痛み、さらには症状といったものが、治療そのものの価値全体をまさに試すことになります。

喪の作業が新たな段階に到達し、ワークスルーされ、過去のものになるにつれ、公平で客観的な自己がそれらを観察できるようになります。自分の中の情緒的な進歩に真の興味を向けることができるくらい鍛えられた能力を試すことが、新たな形の生き残りを生みます。健全な喪の過程の中で、失われた人に同一化することは大きな意義をもちます。

認定を受けるという事態そのものが、研修生を一夜にして「分析家」「精神療法家」にするわけではありません。技法が巧みで柔軟なものに進歩したり、知的にはすでに知っていることに新しい視点が加わったり、不安が緩やかに減少していったりするには、どれも長い時間がかかります。

とても大きい「初心者の不安」から自由な心の空間を、いくらか作るように心がけるとよいでしょう。本当に自分のものだと言えるものが、ゆっくりと身につき内在化されるにつれ、その不安は徐々に消え去っていきます。新規に資格を取得し、自分自身の精神療法から去っていきつつある治療者は誰も、この時期に喪を悼むことを学ぶ必要があり、こうした経験が彼らをたくましくします。自分自身が受けた治療という大きな人生上の出来事とその終焉は、少しずつ心の中でぴったりの場所を見つけ、落ち着いていくでしょう

『楽しみながら生き残る』の解説

ジョギングする女性

(1)コルタートの生涯

N,コルタートの写真
N,コルタートの写真

1927年11月21日に、イギリスのケント州ショートランズで出生しました(本書では1928年ロンドンで出生と誤記されています)。父親は一般開業医(GP)、母親は専業主婦でした。また、4歳下に妹がいます。彼女は出生後から乳母に育てられていましたが、この乳母は非常に厳しい人であったといいます。1940年に戦争のため、コーンウォールに乳母と妹とともに疎開していました。彼女はこの時12歳でした(本書は11歳と誤記しています)。1940年11月4日に妹がウイルス性の熱病に罹患したため、両親がロンドンからコーンウォールに列車で来ることになりましたが、その際、両親は大規模な列車事故で死亡しました(ノートン・フィッツワレン列車事故。イギリスのサマセット州のトーントン〜ノートン・フィッツワレン間で起こった列車事故で、運転手の信号機確認ミスにより脱線転轍機に進入して脱線したものです。死者27人、負傷者74人という大事故でした)[3]両親を亡くした彼女は、ノースドーセットにあるシェルボーン女子寄宿学校に入学しましたが、その後15歳になるまで抑うつに悩まされていたようでした

その後、オックスフォードのサマービル大学に進学し、英語と現代語を専攻しました。卒業後はスイス留学などを経て、医師の道を志しました。父親に対する同一化や理想化が働いていたと言われています。彼女は聖バーソロミュー病院の医科大学に進学し、学位を取得すると同時に、医師の免許を取得しました。その後は研修医を経て、精神医学の専門研修も開始しました。そこで知り合った精神分析候補生から紹介され、英国精神分析協会の訓練を受けることになりました。そこではエバ・ローゼンフェルドから訓練分析を合計7年間受けていました。エバの分析はクラシカルなものであり、彼女は部分的に満足していなかったようでした。彼女はビオンの分析を受けることを希望しましたが、ビオンがアメリカのカリフォルニアに移住してしまったため、実現することはありませんでした。

1961年(34歳)には精神科の一般開業医を開業しました。しかし、1964年(37歳)に精神分析家の資格を取得した後は、一般開業医の役割を終え、精神分析と精神療法を専門にする開業に移行しました。1969年(40歳)に正会員に、1971年(42歳)(本書では1972年と誤記されています)に訓練分析家となりました。また、1972年から1982年まで、彼女はロンドン精神分析クリニックのディレクターとなり、ここで多数のインテーク・コンサルテーション面接を行いました。一説には、3,000人の紹介患者のインテーク・コンサルテーション面接を行ったとも言われています。さらに、1984年から1987年まで、英国精神分析協会の副会長および理事会と評議会の議長を務めました

しかし、彼女はこうした公的な立場にありながら、次第に精神分析を離れ、精神療法に専念するようになりました。そして、ついに1994年には精神分析家の資格を返上しました。さらには、精神療法を行うこともなくなりました。彼女は、興味を失ったと述べていました。彼女はベッドフォードシャーのレイトン・バザードに移住し、晩年は少しの講演と執筆活動、趣味の旅行やガーデニング、仏教活動をして過ごしていたようです。また、小学校の校長も務めていたようです。

彼女は、長時間座って仕事をしていたことと、何年にもわたる大量の喫煙により、椎骨が虚脱し、絶え間なく激しい痛みを感じていました。彼女は鎮痛剤を多用していましたが、それにより穿孔性胃潰瘍を引き起こし、状態を深刻に悪化させていました。また、1997年にはがんを発症しましたが、治療することを拒否しました。尊厳死のような、自殺に近い形で、1997年6月24日に死去しました。69歳でした(本書では67歳と誤記されています)。

(2)コルタートの臨床と業績

a.インテーク・コンサルテーション面接

彼女はロンドン精神分析クリニックのディレクターを約10年務め、その間に約3000ケースものインテーク・コンサルテーション面接を行いました。これは単なる初期面接の数の多さを示すだけでなく、精神分析的臨床における導入過程の重要性を実践的に積み重ねてきたことを意味しています。インテーク・コンサルテーション面接は、クライエントの主訴や背景を把握するだけでなく、治療の適応や治療枠の設定、今後の治療方針を見極めるための重要な場面です。彼女はこの過程を単なる事務的な振り分けではなく、すでに治療的意味をもつ出会いの場として位置づけていました。その実践と考え方は、彼女の在任期間を超えてクリニックの文化として受け継がれ、現在に至るまで臨床実践の基盤の一つとなっています。

b.精神分析の中の笑い

彼女は、精神分析や精神療法の場面における「笑い」を、単なる防衛や回避のサインとして一律に否定的に捉えるべきではないと考えていました。笑いが防衛として機能している場合も確かにありますが、それが自然な感情の流れの中から生じているものであれば、無理に解釈や修正を加えるのではなく、むしろ自然に任せることが治療の進展に寄与すると述べています。治療場面における笑いは、緊張の緩和や関係性の変化、あるいは新しい理解の芽生えを示すこともあります。彼女は、こうした微妙な情緒の動きを丁寧に尊重する姿勢こそが、精神分析や精神療法のプロセスを豊かにし、クライエントの体験の幅を広げると考えていました。

c.高齢者の精神分析

フロイト以降、人間は高齢になればなるほど柔軟性が失われ、変化が乏しくなるため、精神分析は有効ではないと考えられてきました。そのため、高齢者は精神分析の適応から外されることも少なくありませんでした。しかし、彼女は高齢者の精神分析の臨床経験を通して、こうした見方に疑問を呈しました。高齢期には、人生全体を振り返り、これまでの経験を再構成するという心理的課題が前景化します。その過程において、精神分析は依然として重要な意味をもち、むしろ人生の統合や意味づけに大きく寄与しうると彼女は主張しました。高齢であっても内的世界は動き続け、変化や再編成の可能性は残されているという視点は、精神分析の適用範囲を広げる意義ある提案であったと言えます。

まとめ

会話する女性たち

本論考では、精神療法家が直面する苦難を、トレーニングの過程、経済・時間・家庭への負荷、使命感、大量の文献への対処、そして教育精神療法やスーパービジョンからの別離と終結という複数の側面から整理してきました。これらはいずれも、専門職として成熟していく過程で避けがたく経験される現実であり、単なる負担ではなく、臨床家としての自己を再編成していく契機でもあります。とりわけ終結と別離の体験は、喪の作業を通して自我の柔軟性や現実への耐性を育て、臨床家自身の内的世界を更新していく重要なプロセスであることが確認されました。

コルタートの論文『楽しみながら生き残る』が示しているのは、これらの苦難を回避することではなく、それらを引き受けながらも、仕事そのものの中に見いだされる満足や意味を手がかりに、臨床家として生き延びていくという姿勢です。楽しみながら生き残るという表現は、安易な楽観ではなく、忍耐や工夫、そして繰り返される喪失と再編成の作業を含み込んだ、現実的で厳密な態度を指しています。本論考で扱ってきた諸点は、まさにその態度を具体的に支える条件であり、精神療法が人を現実からかくまうための営みではなく、現実をより豊かで扱いやすいものにしていくための実践であることを、あらためて示していると言えるでしょう。

もし現在、トレーニングの途上や臨床の節目において、迷いや負担、終結や別離の困難さに直面しておられるのであれば、それを一人で抱え込む必要はありません。当オフィスでは、精神分析的理解に基づく継続的な治療と、臨床実践を支えるスーパービジョンを通して、臨床家がこの過程を安全に、かつ実りあるものとして歩めるよう支援しています。ご自身の臨床を振り返り、次の一歩を確かなものにする場として、ぜひご相談ください。

文献