精神分析とメンタライゼーション

新しくて古いメンタライゼーションについて考える

白波瀬丈一郎先生による「メンタライゼーションという概念-独創的でありながら、ありふれて見える不思議-」のセミナーを開催しました。そこからメンタライゼーションについて考えたことを書いてみたいと思います。

1.メンタライゼーションとは

メンタライゼーションというのは最近、フォナギーやベイトソンによって精神分析の中から出てきた概念です。

メンタライゼーションとは「心で心を思うこと holding mind in mind」と一言で表現できます。もう少し平易に言うとすると、「行動を内的な精神状態と結びついているものとして想像力を働かせて捉えること、あるいは解釈すること」とフォナギーは説明しています。また、「他者または自分自身についての創造的な心的活動の一形態であり、人間の行動を志向的な心理状態(欲求、願望、感情、信念、目標、目的、理由など)の観点から理解し、解釈すること」とも述べられています。

つまり、メンタライゼーションは、人に備わった基本的な能力であり、他者や自分の対人関係を理解することに関連した能力と言えます。

2.メンタライゼーションと脳機能

このメンタライゼーションという機能は誰でも持っていますが、様々な状況や環境によって機能が低下したり、回復したりする流動的なもののようです。そして、これはおそらく脳の前頭前野や大脳辺縁系との関連があるようです。

ストレスや恐怖、不安という事態に陥ると、前頭前野の機能が低下し、大脳辺縁系が活性化し、人は現実的で妥当な思考を消失してしまいます。そうしたことは被害感を増したり、時には妄想的になったりします。精神分析的にいうと、投影同一化やスプリッティングなどの原始的な防衛機制が作動する、というように理解できるかもしれません。

3.メンタライゼーションと臨床

実際の臨床では、このメンタライゼーションの機能に着目し、その回復を目指した介入をします。その介入は古典的な精神分析的な転移解釈ではなさそうです。そもそも、質問などの対話が重視されているようで、自由連想という設定ではないようでもあります。この臨床的スタンスはサリヴァンからはじまる、対人関係論学派に近いように見えます。

また、メンタライゼーションではNot Knowing(分からない)という姿勢を重視しています。これはカウンセラーも分からないという姿勢からカウンセリングが出発するということです。だからこそ、解釈も「あなたは~~だ」という断定ではなく、「私から見ると、あなたは~~に見える」という形になります。

これはビオンの「理解なく」に近いようにも思います。メンタライゼーションという概念により、これまでの精神分析の概念がよりシャープになりそうです。そして、メンタライゼーションという視点から組み換えられそうです。

4.メンタライゼーションの広がり

こうした精神分析からはじまったメンタライゼーションですが、その機能や役割からすると、精神分析のみならず、メンタライゼーションという観点から他の心理療法技法を俯瞰できるようにも思えます。さらには、俯瞰だけではなく、他学派に取り入れられ、使用されていく可能性を秘めているように私には思いました。

認知行動療法などがさまざまなツールを駆使して、現実的で、機能的な認知を獲得していくプロセスなどは、このメンタライゼーションから理解しなおすことは可能です。

古来からある精神分析の用語である、転移や逆転移、防衛機制などが他の心理療法学派も使用するようになっていることに匹敵するようにも思います。

5.メンタライゼーションは精神分析といえるのか

一方で、メンタライゼーションの考えはともかく、その技法や設定が精神分析といえるのか、という議論はありそうです。精神分析は無意識という領域を想定し、その解明を目標にします。そして、そのために、治療構造を設え、クライエントには自由連想をしてもらい、セラピストは解釈をします。こうしたシンプルだけど、奥の深い営みや設定が古典的には精神分析と言われてきましたが、そうした枠組みの中でメンタライゼーションを考えられるのでしょうか。

これも単純に、クライエントのためになるのであれば、精神分析と呼ぶかどうかは意味がない、と切って捨てる態度もあるかもしれません。それはそれで一つの精神分析やメンタライゼーションに対する姿勢でしょう。

ただ、そうした姿勢は、思考することや考えることを放棄し、葛藤のない安易な道に進んでいる姿勢にも私からすると見えます。なので、意味があるかどうかを含めて、こうしたことを考え続けていく営みは極めて精神分析的であるといえるかもしれません。

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