M,バリント『外傷と対象関係(1969)』要約と解説

本稿は、対象関係論学派の精神分析家マイケル・バリントが1969年に発表した論文『外傷と対象関係』の要約と解説です[1]。バリントはこの論文において、精神分析における外傷概念の歴史的変遷を整理しながら、外傷を単なる出来事としてではなく、幼児期の対象関係、とりわけ初期母子関係の中で形成される関係的過程として理解する視点を提示しました。また、そのような外傷体験が成人期の対人関係や精神分析の転移関係の中でどのように再演されるのかを検討し、精神分析技法に対する重要な示唆を与えています。本稿では、外傷概念の発展、初期対象関係との関連、そして臨床技法への影響という観点から、この論文の内容を整理し、その理論的意義について概観します。
目次
外傷の意味と定義
外傷という語は、文脈によっていくつかの意味で用いられてきました。まず本来的な意味では、外的な負傷によって生じた重度の怪我を指します。たとえば「外傷手術traumatic surgery」という表現に見られるように、身体的損傷に関連する医学的文脈で用いられてきました。
次に精神医学や神経学の領域では、「外傷」という語は、個人に突然襲いかかる強烈なショックによって生じる状態を指す言葉として用いられるようになりました。爆発や鉄道事故など、当人がそれまで関わりを持っていなかった出来事によって引き起こされる衝撃的体験が、その典型的な例です。
さらに精神分析においては、フロイトとブロイアーがヒステリー患者の研究の中で、患者が意識から隔てられた激しく情動的な過去の出来事の結果として苦しんでいることを発見しました。そして、その状態を引き起こす力を「外傷」と表現しました。[2]
この意味における外傷とは、理解と治療のために忍耐強い治療的努力を必要とし、長期にわたる変化を伴う重度の心的激変を引き起こす外的出来事を指します。
外傷観念がたどる発展
外傷という観念は、精神分析の理論形成の過程において段階的な発展をたどっています。とくに『ヒステリー研究』から『性欲論三篇』に至るまでの過程において、その理解は大きく変化しました。[3]
第一段階では、神経症の原因は、遷延性変化を伴う重度の心的激変を引き起こす外的出来事にあると考えられていました。すなわち、外部から生じた出来事が外傷となり、それが神経症の病因になると理解されていたのです。
第二段階では、この理解がさらに限定され、神経症の病因として重要なのは子ども時代に経験された性的外傷であると考えられるようになりました。
しかし第三段階になると、外傷は現実に起こった出来事ではなく、患者の空想の中で形成されたものに過ぎないのではないかという見方が提示されました。この転換は、夢の意味の理解や幼児性欲の科学的探究など、精神分析研究の新たな可能性を切り開く契機となりました。一方で、この見解は実際の性被害を矮小化したのではないかという批判も招くことになりました。
その後、『快感原則の彼岸』においてフロイトは臨床観察から重要な事実を見いだしました[4]。外傷神経症の患者は、元となった外傷を反復する夢を見ることが多く、その夢の中では当時の恐怖やショックの感情がそのまま伴われています。このような反復構造は、子どもの遊びや転移のパターンにも同様に認められます。こうした観察から、反復しようとする強迫は外傷体験に由来すると考えられるようになりました。
フロイトは、外傷を「刺激に対する保護障壁に開けられた大きな裂け目」と表現しました。すなわち、心的装置が不安に対して十分に準備されていないときに過度な刺激が流入し、本来それを受け取るべき部分が適切に過剰備給されない場合、「流入する興奮の量が繋ぎとめられない」状態が生じます。そして、そのような状況のもとで外傷が発生すると考えられました。
精神分析における神経症の病因論
精神分析における神経症の病因論には、大きく二つの考え方が示されています。第一は経済論的病因論です。この立場では、早期の性的外傷の存在を仮定し、出来事は外側から到来すると考えられます。そして、その出来事に対する備えがない場合、保護障壁に裂け目が生じ、過剰な興奮が心的装置に流入します。その結果として、反復強迫が生じると理解されます。
第二は構造論的病因論です。この立場では、外傷は外部の出来事としてではなく、空想を通してその人の内部に生じるものと考えられます。つまり、心的装置のさまざまな部分のあいだに非常に強い緊張が生じ、その緊張が神経症の形成に関わると理解されます。
フロイトは、『終わりある分析と終わりのない分析』や『防衛神経―精神病に関するさらなる考察』などの著作において、これら二つの病因論がどのように関与するのかをさまざまに検討しています。[5]
これらの議論から示唆されるのは、外傷とその帰結に関する概念が主として経済的、すなわち量的な考察に基づいているという点です。しかしながら、その質的決定については必ずしも十分に明確とは言えず、ある程度恣意的な側面を残しています。言い換えれば、神経症の病因論において外傷が関わっていること自体は明らかであるものの、それがどのような位置づけで、どのように作用し影響しているのかを理論構築のみで完全に説明することには限界があるということです。
この点から、外傷の理解には理論的考察だけでなく、膨大な臨床経験の蓄積と報告が不可欠であることが示唆されます。
精神分析の臨床経験の報告による概念の発展
精神分析における臨床経験の蓄積は、外傷概念の理解をさらに発展させてきました。とりわけ病因論的観点から見ると、最も重要な外傷は幼児期に起こるものであると考えられています。
精神医学における外傷概念では、外傷は外的あるいは内的であっても、個人とは無関係なところから突然到来する出来事として理解される傾向があります。そのため、治療的には外傷を取り除く、あるいは影響を除去するという発想が強くなります。これに対して精神分析の臨床経験では、外傷は個人の生活史や対人関係の文脈の中で、とくに親密な関係の中で生じるものとして理解されます。そのため、外傷の理解や治療においては、関係性そのものを扱うことが重要になります。
子どもの外傷原対象は、しばしば子どものエディプス対象、あるいはエディプス対象から権威を与えられている教育者として現れます。すなわち、子どもと外傷原対象とのあいだには、一定の強さをもつ関係が存在しており、それは主として信頼や愛情を基盤とする関係です。このような関係性の中で外傷が生じる点が重要です。
さらに、神経症症状の発生因として原光景の重要性が認められるようになったことにより、家族関係における理解にも変化が生じました。すなわち、父親の役割が相対的に後景化し、母親の役割の重要性がより強く意識されるようになりました。子どもの発達初期においては、母親の影響は父親と比較してもはるかに大きく、より深いものであると考えられるようになったのです。
精神分析における外傷の構造論と初期母子関係論の再考
外傷の理解は、精神分析における構造論的観点と初期母子関係論の観点とを結びつけて考えることができます。ここでは外傷の形成過程を三つの段階として整理し、それを初期母子関係の理解と対応させて捉えることができます。
第一段階は、未熟な子どもが大人に依存する関係であり、その基盤は主として信頼にあります。この段階は、初期母子関係論における原初的で未分化な母子関係、すなわち一次対象関係に対応します。この時期の子どものコミュニケーションは、言語として明確に表現されるものではなく、大人によって気づかれ、読み取られることによって成立します。そこには合意された意味をもつ言葉はまだ存在しておらず、相互理解や相互的な思いやりが関係の安全弁として機能しています。
第二段階では、大人と子どものやり取りにおいて失敗やズレが生じます。これは過干渉として現れる場合もあれば、完全な拒否として現れる場合もあります。初期母子関係論の観点から見ると、母親が子どものコミュニケーションに気づかなかったり、それを正しく読み取ることができなかったりする場合、母親の反応は誤ったものとなり、不適切な応答になります。その結果、子どもの内部に反復への強迫を引き起こす契機が形成されることになります。
第三段階では、大人と子どもの関係に強い緊張や激しい交流が生じます。母子間の緊張が増大することによって、子どもの中に強烈な感情が喚起され、その結果としてさまざまな形の自我の歪みが生じると考えられます。
このような外傷は、それぞれの段階において経験された情緒体験が保持されたまま、成人後に現在のパートナーとの関係の中で同様の関係性として再演されるときに完成すると理解することができます。
適切な力動的外傷理解のためには、これら三つの段階はいずれも同様に重要です。また、原初体験における外傷と、より厳密な意味での外傷とを区別する際には、子どもの生活年齢や発達年齢を考慮する必要があります。
年齢が比較的高い場合には、「性的誘惑」のような関係が形成される可能性があり、それが性的あるいは性器的な乱暴にまで及ぶこともあります。この場合、外傷原対象は母親以外の大人であることが多くなります。これに対して、年齢がより低い場合には、性器的・性的な乱暴の可能性は低く、体験は前性器段階の水準にとどまります。この場合には、外傷原対象は母親であることが多いと考えられます。
技法への影響と転移の理解
外傷理解の発展は、精神分析の技法および転移理解にも重要な影響を与えています。ここでも外傷の三段階に対応する形で、分析過程における患者の体験の様相を整理することができます。
第一段階は、患者が自らの環境との平安で満ち足りた関係への幻想を、なおある程度保持している期間です。この段階では、患者はまだ関係の安全性を信じようとする傾向を保っています。
第二段階は、外傷がそのまま再体験される、極めて苦しく激しい期間です。この段階では、患者の体験は強い情動を伴い、転移関係の中で外傷体験が反復されます。このとき分析家は、患者のあからさまな「誘惑」に巻き込まれ、外傷原対象がかつて行ったように興奮に関与してしまうことを避けなければなりません。むしろ、反復を正確に解釈しながら、好意的で受動的な客観性を一貫して保つことが強く求められます。
第三段階では、患者がこの種の反復に到達している場合、分析家は外傷原対象の態度とは異なるものになるよう、自らの態度を注意深く選択する必要があります。すなわち、患者との関係の中で新しい治療関係を創造していくことが課題となります。この点については、今後さらに研究を発展させる余地があると考えられます。
教育領域への適用
外傷概念は、精神分析的治療の領域だけでなく、教育の領域にも重要な示唆を与えます。たとえ子どもに対して十分な共感と理解をもって教育を行ったとしても、子どもの発達過程において危機、すなわち外傷的体験を完全に回避することはできません。
しかし、子どもが体験した危機が深刻な外傷へと発展するかどうかは、その危機に対して大人がどのように関わるかに大きく依存します。子どもの体験をどのように理解し、どのように応答するかが、その後の発達に大きな影響を及ぼすのです。
したがって、信頼できる診断に基づき、子どもに対する関与の仕方を慎重に決定することが不可欠の要請となります。この観点は、教育や養育の実践に対しても重要な示唆を与えるものであり、今後さらに検討されるべき興味深い議論へとつながっていきます。
『外傷と対象関係』解説
マイケル・バリントの生い立ちと、『外傷と対象関係』について4つの要点について解説します。
(1)マイケル・バリントの生い立ち
バリントは1896年12月3日に、ハンガリーのブダペストでユダヤ人家庭に生まれました。3歳下に妹エミーがいました。父親は開業医であり、バリントは幼い頃から父親の診療を見学することを好んでいたとされています。しかし父親は親ドイツ派であり、親ハンガリー派であったバリントとのあいだには、政治的立場をめぐって葛藤があったといわれています。
1914年、父親の意向に従ってブダペスト大学医学部に入学しましたが、これはバリント自身にとっては必ずしも望んだ進路ではなかったとされています。その後、大学在学中に第一次世界大戦が勃発し、出征します。約2年後に負傷して帰国しました。この時期にバリントは、それまでのドイツ風の名前(Mihaly Maurice Bergmann)からハンガリー風の名前(Mihaly Balint)へと改名しています。帰国後は大学医学部で学業を再開しました。1919年には大学で開講された精神分析学の講義に出席し、大きな感銘を受けました。このときの講師はS.フェレンツィでした。また同じ頃、妹の同級生であったアリス・セーケイ・コヴァーチと交際を始めます。バリントはアリスからフロイトの論文を紹介され、精神分析への関心をさらに深めていきました。
1920年に大学を卒業し、同時に医師資格も取得しました。同年にアリスと結婚しています。しかし1921年、クーン共産主義共和国が崩壊したことにより、夫妻はベルリンへ移住しました。ベルリンでは、心身症の先進的な治療を行っていたベルリン・シャリテ病院に勤務します。この時期にメラニー・クラインとも知り合いました。1922年には、妻アリスとともにハンス・ザックスのもとで訓練分析を受け始めます。ただし、この訓練分析は十分なものではなかったといわれています。1924年にブダペストへ戻り、S.フェレンツィのもとで改めて訓練分析を受け始めました。そして1926年に精神分析家の資格を取得します。1933年にフェレンツィが死去した後は、バリントがその著作権管理者となりました。
1939年に第二次世界大戦が勃発すると、バリントは妻アリスと息子ジョンとともにイギリスのマンチェスターへ移住しました。しかし移住後まもなく、妻アリスは動脈瘤破裂により1939年8月、40歳で亡くなりました(戦争による空爆が原因であったという説もあります)。その後バリントはイギリスで医師資格を取得し、さらに心理学の学位も取得しました。1944年には、以前に精神分析を行っていた被分析者であるエドナ・オークショットと再婚します。1945年にはロンドンへ転居しました。しかし当時のロンドンには多くの精神分析家がすでに活動しており、安定した職を得ることが難しく、英国精神分析協会の事務員として働く状況にありました。また、アーネスト・ジョーンズによって師フェレンツィに対するネガティブキャンペーンが行われており、その影響もあってバリントは不遇な状況に置かれていました。さらに1945年には、両親がナチスの迫害を受けて亡くなりました。加えて、1947年には二度目の結婚も破綻し、別居に至っています。
その後、1947年からタビストック・クリニックのスタッフとなり、さらに家庭裁判所における夫婦問題相談の部門でも働くようになりました。そこでソーシャルワーカーのイーニッドと出会います。1953年に二度目の妻と離婚し、その直後にイーニッドと三度目の結婚をしました。またこの時期、一般家庭医を対象としたセミナーを開始しており、これが後に「バリント・グループ」として知られる活動へと発展していきます。
1961年にタビストック・クリニックを退職しました。1968年には英国精神分析協会の会長に就任します。そしてその2年後の1970年12月31日、心筋梗塞により死去しました。享年74歳です。
(2)外傷理解を関係性の文脈に位置づけ直したこと
バリントの重要な貢献の一つは、外傷の理解を個人の内部に生じる出来事としてではなく、対人関係の文脈の中で捉え直した点にあります。従来の医学や精神医学では、外傷は外部から突然侵入してくる出来事として理解されることが多く、その結果として生じる症状や反応を個人の内部過程として説明する傾向がありました。これに対してバリントは、精神分析の臨床経験を踏まえ、外傷は単なる出来事ではなく、人と人との関係の中で生じる出来事として理解されるべきであると主張しました。
とくに幼児期の対人関係、なかでも母子関係のような強い依存関係の中で生じる関係的失敗が、外傷の形成において中心的な意味を持つと考えられます。すなわち、外傷は単に外部から加えられる刺激の問題ではなく、信頼や依存を基盤とした関係の中でその期待が裏切られることによって生じる心理的体験として理解されるのです。この視点は、外傷を個人の内部の問題としてのみ捉える立場から、関係性の破綻として理解する対象関係論的視点への転換を示しています。
(3)外傷を三段階の関係過程として捉えたこと
バリントは、外傷を単一の出来事として理解するのではなく、子どもと養育者との関係過程の中で段階的に形成されるものとして捉えました。
まず第一の段階では、子どもは養育者に強く依存し、信頼に基づく関係の中で生活しています。この時期の関係は、子どもにとって安全と安心を保証する基盤となるものです。しかし第二の段階では、子どもと養育者とのあいだのコミュニケーションに失敗やズレが生じます。養育者が子どもの情緒的なサインを読み取れなかったり、不適切な応答を返したりすることによって、関係の中に不一致や断絶が生まれます。そして第三の段階では、このズレや失敗が蓄積され、関係の緊張や情動的な激化を引き起こすことになります。
この過程の中で、子どもは強い不安や混乱を経験し、その結果として自我の歪みや神経症的な傾向が形成されると考えられます。このように、外傷を関係の中で進行する三段階の過程として理解することによって、外傷は単なる事件ではなく、対人関係のダイナミクスの中で形成されるものとして位置づけられます。
(4)外傷体験は成人の対象関係の中で再演されること
バリントによれば、幼児期に形成された関係的外傷は、単に過去の体験として心の中に保存されるのではなく、その情緒的構造を保ったまま成人期の対人関係の中で繰り返し再演されます。人は無意識的に、過去に経験した関係のパターンを現在の関係の中で再現しようとする傾向を持っているためです。そのため、幼児期に経験された信頼の裏切りや関係の断絶は、成人後の恋愛関係や対人関係、さらには精神分析的治療関係の中でも繰り返し現れることになります。
精神分析の場面では、この再演は転移として現れ、患者は分析家に対して過去の対象に向けられていた感情や期待を向けることになります。このような再演を理解することによって、外傷は単なる歴史的出来事ではなく、現在進行形の対人関係の中で生き続けている心理的現象として把握されます。したがって、外傷理解は転移の理解と密接に結びついており、精神分析的治療の中心的課題とも深く関係しています。
(5)外傷理解は精神分析技法に直接的な影響を与えること
外傷が転移関係の中で再体験されるという理解は、精神分析の技法にも重要な示唆を与えます。患者は分析関係の中で、かつて外傷をもたらした対象との関係を無意識的に再演しようとします。そのため分析家は、患者の反復の中に巻き込まれ、外傷原対象と同じ役割を再び演じてしまう危険に常に直面しています。もし分析家が患者の誘惑や挑発に応じてしまえば、過去の外傷的関係が再び再現されるだけになってしまいます。
したがって分析家には、患者の体験を理解しながらも、その反復に同一化してしまわない態度が求められます。具体的には、患者の反復の意味を丁寧に理解し、それを適切に解釈しながら、外傷原対象とは異なる応答の仕方を選び取ることが必要になります。このようにして分析家が異なる関係のあり方を提示することによって、患者はこれまでとは異なる対人関係の経験を得ることができ、新しい治療関係が形成されていきます。ここに、外傷理解が精神分析技法の中心に関わる理由があります。
まとめ
本稿では、マイケル・バリントの論文『外傷と対象関係』を手がかりに、外傷概念が精神分析の理論と臨床においてどのように再検討されてきたのかを整理しました。バリントは、外傷を単なる出来事としてではなく、幼児期の対象関係、とりわけ初期母子関係の中で形成される関係的過程として理解しました。そして、その体験が成人後の対象関係や転移関係の中で再演されることを示し、精神分析技法にも重要な示唆を与えています。このような視点は、外傷理解を個人内部の問題から関係性の問題へと拡張するものであり、今日の心理臨床においても重要な意義を持つものと言えるでしょう。
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文献
- [1]:Balint, M. (1969). Trauma and object relationship. The International Journal of Psychoanalysis, 50(4), 429–435.
- [2]:S,フロイト、ブロイアー(著)『ヒステリー研究』中央公論新社 2013年
- [3]:S,フロイト(著)『フロイト全集6 1901-06年 症例「ドーラ」 性理論三篇』岩波書店 2009年
- [4]:S,フロイト(著)『自我論集』筑摩書房 1996年
- [5]:S,フロイト(著)『フロイト全集 第21巻 続・精神分析入門講義 終わりのある分析とない分析』岩波書店 2011年






