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(株)心理オフィスK バナー

開業臨床において特定のカウンセリング技法を掲げることの功罪

近年、心理臨床家が独立して個人オフィスを開業することは、特別な選択ではなくなりつつあります。それに伴い、各オフィスが特定の心理療法を看板として掲げ、専門性を明確に打ち出す場面も増えています。本論考では、心理療法を看板に掲げることが、クライエントの期待や臨床的判断にどのような影響を及ぼすのかを検討し、独立開業における心理臨床家の姿勢と責任について考察します。

独立開業と心理療法を看板に掲げるという選択

心理臨床家が独立して個人オフィスを開業するケースは、近年、確実に増加傾向にあると言えます。かつては、心理臨床家の主な就労先として、病院や学校、福祉機関、行政機関といった公的領域が中心であり、個人で開業することは一部の経験豊富な臨床家に限られた選択肢でした。しかし、心理職を取り巻く社会的環境や制度、働き方に対する価値観の変化とともに、個人オフィスを構え、独立開業することが、現実的かつ身近な選択肢として受け止められるようになってきています

こうした独立開業の広がりに伴い、各オフィスがどのような専門性を掲げるかという点も多様化しています。開業オフィスの看板には、認知行動療法、精神分析、家族療法、ブリーフセラピーなど、特定の心理療法や理論的立場を前面に打ち出している例も少なくありません。これは、数あるカウンセリング機関の中で自らの立ち位置を明確にし、専門性や特徴を分かりやすく示すための工夫であるとも言えます。

このような看板は、心理臨床家自身の訓練歴や得意とするアプローチを示す役割を果たす一方で、クライエント側の期待や来談動機を強く方向づける機能も持っています。クライエントは、その看板に示された心理療法に対して一定のイメージや効果への期待を抱いた上で来談することが多く、その期待は、カウンセリング関係の初期段階から治療の枠組みや進め方に影響を及ぼすことになります。

看板技法が生み出す期待と臨床的判断のずれ

特定の技法を看板として掲げることで、クライエントはその技法による支援が提供されることを前提として来談することが多くなります。看板は単なる情報提示にとどまらず、この場に来れば自分の悩みはこの方法で扱われるはずだという期待を形成する機能を持っています。そのため、来談時点ですでに、相談内容の捉え方や治療への見通しが、特定の技法の枠組みによって方向づけられている場合も少なくありません

たとえば、認知行動療法を掲げるオフィスであれば、クライエントは自分の悩みも認知行動療法によって改善できるだろうという期待を抱いて申し込むことになります。治療者側としても、その期待に応えたいという思いから、要望どおりの技法を早期に提示し、安易に適用してしまいがちです。しかしながら、クライエントの抱える問題や課題が、看板に掲げられている技法によって必ずしも十分に扱えるとは限りません。問題の背景や複雑さによっては、他のアプローチが必要となる場合もあります。心理臨床の現場においては、クライエントの期待に流されることなく、技法の適応範囲と限界を慎重に見極める姿勢が何より重要です

技法の適応範囲と限界をどう判断するか

実際、いかなる心理療法も万能ではなく、適応範囲を超えた問題や病態に対しては、十分な効果を発揮できないことがあります。とりわけ、認知行動療法やブリーフセラピーのように、広範な対象に適応できるとされる技法については、どのようなケースにも適応できるだろうと安易に判断してしまいがちです。しかし、うつ病や不安障害などの比較的明確な症状に対しては一定の効果が期待できても、複雑な人格的問題や深層心理の葛藤に対しては、十分に対応できない場合もあります。そのような場合、心理臨床家はクライエントに対して技法の適応外であることを明確に説明し、他の技法を用いる必要性や、必要に応じてその技法を専門的に実践している他の心理臨床家を紹介する責任を負うことになります。

一方で、精神分析のようにもともと適応範囲が狭く、長期にわたる関係性や高いモチベーションが前提となる技法の場合、心理臨床家自身がその限界を強く自覚していることが多いです。そのため、クライエントが精神分析的心理療法を強く希望して来談したとしても、心理臨床家が安易に実施することはあまりありません。むしろ、まずはアセスメント面接を丁寧に行い、その上で本当に精神分析的アプローチが適切かどうかを慎重に判断するのが一般的です。私自身の臨床経験においても、精神分析的心理療法を求めて申し込みをされるクライエントに対しては、すぐに実施に移るのではなく、まずはアセスメント面接を数回行い、適否を見極めた上で、必要に応じて他のアプローチを提案することを常としています。

また、特定の技法を開業の看板として掲げている場合、その枠組みの中で他の技法を用いることに対して、心理臨床家自身が心理的な抵抗感を抱くこともあります。クライエントの立場からすれば、このオフィスは認知行動療法の専門だと認識して来談したにもかかわらず、実際には他の技法が用いられるとなれば、なぜ看板通りの技法を実施してくれないのかという不信感を持たれるリスクも生じます。もっとも、治れば技法は問わないという柔軟な考えを持つクライエントも多い一方で、専門技法への強い期待やイメージを持つクライエントにとっては、期待との齟齬が信頼関係の構築を妨げる要因となることも否めません。

技法の限界を引き受ける臨床家の姿勢と責任

このように、特定の心理療法を独立開業の看板として掲げることは、心理臨床家自身を一定の困難な状況に置く可能性を常に孕んでいると言えます。看板によって形成されたクライエントの期待と、実際に臨床場面で行われる専門的判断との間には、少なからずギャップが生じやすく、その調整には丁寧な説明や対話が不可欠となるからです。その意味で、看板を掲げることは、臨床家にとって責任の所在をより明確に引き受けることでもあります。

もっとも、こうした問題が必ずしも深刻な対立や不信へと発展するとは限りません。一定の臨床経験を積み、自らが用いる技法の適応範囲や限界を冷静に把握している心理臨床家であれば、その点を率直にクライエントに説明し、状況に応じて柔軟な対応を取ることが可能です。一方で、自身の専門技法に対して自己愛的に過剰な自信を抱き、独善的で万能的な姿勢を持ち続けている場合には、臨床的判断が歪められ、結果としてクライエントの利益を損なう危険性が高まることは否定できません

まとめ

まとめると、心理臨床家が独立開業する際に特定の技法を看板として掲げることは、専門性や差別化という観点からは一定の意義がありますが、クライエントの多様なニーズや問題の複雑さに十分応えられるかどうかを、常に自問自答する必要があります。看板となる技法が万能であるかのような誤解を与えないよう、適応範囲や限界について誠実に説明し、必要に応じて他の技法や他の専門家の力を借りる柔軟性を持つことが不可欠です。心理臨床家自身が自らの技法に固執せず、クライエントの利益を最優先に考える姿勢こそが、信頼される心理臨床の実践に不可欠であると私は考えます。

本論考で述べてきたように、特定の技法を看板として掲げるか否かにかかわらず、心理臨床家には常に、自身の用いる技法の適応範囲と限界を見極め続ける姿勢が求められます。そのためには、日々の臨床経験だけでなく、体系的な訓練や継続的な学びの場に身を置き、自らの臨床を相対化し続けることが不可欠です。特に独立開業の場では、判断を一人で抱え込みやすくなるからこそ、理論と実践を往復しながら検討できる訓練環境の重要性は一層高まります。

本論考で扱った問題意識に関心を持たれた心理臨床家には、教育分析やスーパーヴィジョンといった訓練の機会を積極的に活用し、自身の臨床的判断を磨き続けていくことを勧めます。それが結果として、クライエントの利益を守り、信頼される心理臨床の実践につながるはずです。当オフィスで教育分析やスーパービジョン、セミナーをご希望の方は以下からお申し込みください。