「当事者だから分かる」の落とし穴-当事者カウンセラーの危険性を考える-

近年、自身の体験を生かして支援を行う「当事者カウンセラー」が注目されるようになっています。当事者性はクライエントへの深い理解や共感につながる可能性がある一方で、扱い方を誤れば臨床や治療関係を損なう危険性もあります。本稿では、当事者性がもつ可能性と危険性を整理し、心理臨床において求められる専門性について考えていきます。
目次
カウンセラーの当事者性とは
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カウンセラーの実践において、当事者性は自己の体験を通して得られた理解を臨床に生かすことができるという点において、大きな可能性をもっています。当事者性は、クライエントの語りに対する感受性を高め、言葉になりにくい苦痛や揺らぎに近づくための重要な資源となり得ます。しかし一方で、当事者性は扱い方を誤れば、心理臨床の枠組みを揺るがし、クライエントに不利益をもたらす危険性も同時に含んでいます。当事者カウンセラーとは、この可能性と危険性の両方を常に引き受けながら臨床に立つ存在であると言えるでしょう。
そもそも当事者性とは、特定の疾患や体験をもつ人にのみ限定されるものではありません。人は誰しも、生きる過程で困難や喪失、葛藤や挫折に直面し、何らかのニーズをもった瞬間に当事者となります。したがって、心理職もまた、専門家である以前に一人の人間であり、当事者性を免れ得ない存在です。当事者カウンセラーとは、その当事者性が比較的明確な形で意識化されやすい立場にある人だと言えます。
問題となるのは、当事者性をもっていること自体ではなく、それをどのように臨床に持ち込むかという点です。当事者性は本来、クライエントの体験を理解するための内的な感受性として機能すべきものです。しかし、それが前面に出過ぎると、治療者自身の体験や感情が臨床の中心に据えられてしまい、クライエントの語りや主体性が後景化する危険があります。治療の場が、クライエントのための場から、治療者自身を満たすための場へと変質してしまう可能性があるのです。
当事者カウンセラーが抱える3つの危険性
当事者カウンセラーの第一の危険性は、自己の体験を過度に一般化してしまう点にあります。自分が経験した苦痛や回復の過程が、あたかも他者にもそのまま当てはまるかのように感じられてしまい、それゆえにクライエントの個別性が見えにくくなります。共感のつもりで語った言葉が、実際にはクライエントの体験を狭い枠に押し込めてしまうことも少なくありません。当事者性は共感の源泉となり得ますが、同時に理解を歪めるフィルターにもなり得るのです。
第二の危険性は、治療関係の境界が曖昧になることです。当事者性が強く意識されると、治療者とクライエントの関係が、専門的関係というよりも、仲間関係や対等な人間関係に近づいてしまうことがあります。しかし心理臨床においては、両者は対等な存在ではなく、役割の非対称性が構造的に存在しています。この非対称性が崩れると、治療者はクライエントの保護者や友人、あるいは仲間のような位置に立ちやすくなり、専門的な判断や枠組みが維持できなくなります。
第三の危険性は、当事者性が自己正当化や価値づけの根拠として用いられてしまう点です。自分は当事者だから分かる、自分は経験しているから正しい、という姿勢は、専門性に基づく検討や他者からの批判を遠ざける働きをもちます。これは臨床を独善的なものにしやすく、結果としてクライエントの安全を損なう可能性があります。
当事者性を「外に示す」ことの問題
さらに、当事者性を外的に示すこと、すなわち自己の体験を前面に出して専門性を主張したり、支援の根拠として用いたりすることも、大きな問題を含みます。当事者性は本来、治療者の内側で静かに機能するべきものであり、広告や集客、自己の価値づけの材料として用いられるべきものではありません。それが表に出た瞬間、当事者性は臨床的資源ではなく、関係を歪める力へと転化します。
また、当事者カウンセラーは、自身の揺れや脆弱性が臨床に直接影響しやすいという点にも注意が必要です。自分自身がまだ十分に整理できていないテーマや傷つきに触れる事例に出会ったとき、治療者は強い感情的反応を抱きやすくなります。その結果、過剰な介入、過度な同一化、あるいは逆に距離を取りすぎるといった形で、関係性が不安定化することがあります。
当事者性を抱えながら臨床を続けるために
このように考えると、当事者カウンセラーにとって重要なのは、当事者性を活かすこと以上に、当事者性を適切に抱え続けることだと言えます。当事者性を否定せず、しかし利用もせず、前面にも出さず、専門的枠組みの中に静かに置き続ける態度が求められます。そこでは、自分は自分であり、他者は他者であるという線引きを保つことが不可欠です。
さらに重要なのは、当事者性を一人で抱え込まないことです。スーパービジョンやコンサルテーション、教育分析など、第三者の視点が入る場をもつことは、当事者カウンセラーにとって特に重要な意味をもちます。自分の体験や感情が、臨床にどのような影響を及ぼしているのかを点検し続ける仕組みがなければ、当事者性は容易に独善や暴走へと転じてしまいます。
専門性とは当事者性を扱うスキルである
当事者カウンセラーの危険性とは、当事者であることそのものにあるのではありません。それは、当事者性を専門性と切り離して扱ったり、逆に免罪符として当事者性を無制限に持ち込んだりする点にあります。専門性とは、知識や技法だけでなく、自身の当事者性を扱う力そのものを含んでいると考える必要があります。
当事者性は、心理臨床において極めて繊細で、同時に強力な資源です。それは共感と理解を深める一方で、境界を壊し、関係を歪める危険も内包しています。カウンセラーに求められるのは、その二面性を十分に自覚したうえで、当事者性を臨床の中心に据えるのではなく、臨床を支える背景として慎重に保持し続ける姿勢であると言えるでしょう。
この緊張関係を引き受け続けることこそが、当事者カウンセラーにとっての専門性の核心であり、同時に最も困難で、最も臨床的な営みであると考えられます。
おわりに
当事者性は、心理臨床における大きな強みとなる一方で、扱い方を誤ればクライエントや治療関係に深刻な影響を及ぼす可能性があります。だからこそ重要なのは、当事者性を前面に出すことではなく、それを自覚し、専門的な枠組みの中で丁寧に扱い続けることです。その姿勢こそが、当事者カウンセラーに求められる専門性の基盤であると言えるでしょう。
当事者性を臨床の中でどのように扱うかは、一人で考え続けるには限界があります。だからこそ、スーパービジョンや教育分析などを通して、自身の体験や感情が臨床に与える影響を継続的に振り返ることが重要です。当オフィスでは、臨床家を対象としたスーパービジョンや教育分析を行っています。希望される方は、以下の申し込みフォームからお問い合わせください。
